第3話:岩瀬礼奈と3枚の硬貨
「吉田君、ちょっといい? 話があるって言うか……」
どこかから戻ってきたらしい礼奈に、右隣から話しかけられる。
「岩瀬さん……? どうした?」
「ここではちょっと言いづらいっていうか、廊下でっていうか……」
もじもじしている礼奈に、
「告白……?」
と吾妻がつっこむ。
「ち、違うってば! そうじゃなくて、財布持ってきて廊下に来て欲しいっていうか……」
「え、カツアゲ……?」
「それも違う! 変なこと言わないでよ、吾妻君……!」
「……おれ、岩瀬礼奈に認知されてる……!?」
「そこなの?」
礼奈が目を細める。いや、そこだろ。
「わかったよ、財布を持って廊下にいけばいいんだな? 手短にな……。ちょっと行ってくる」
「お、おう……! 行ってらっしゃい……!」
吾妻は礼奈に認知されていることに感激しているのかまだふわふわしている。
でも、それにはたしかに俺も驚いた。中学時代は3年間同じクラスだったのに名前を覚えられていなかった人さえいたくらいだ。
「で、どうした?」
廊下の端っこ、誰の導線にもならなそうなところに寄って、周りに誰もいないことを確認して話を聞く。
「お金を貸して欲しいの。なんか落ち着かないから売店にコーヒーでも買いに行こうと思ったら財布を家に忘れてることに気づいて……」
「20分休みにコーヒー……? ていうかそれでどうやって学校まで……って、そっか、車で来てるのか。いや、それにしてもなんで売店行くまで気づかないんだよ? 財布持ってるかなんて、席を立つときにまず確認するだろ」
「10年後はちょっとした買い物くらいなら財布なんか持ち歩かないの」
「出た、10年後」
まだ半信半疑ではあるものの、席替えの未来予知を彼女が当てたのは事実だ。
となると、礼奈の話す未来の話はあながちデタラメとも言い切れず、その未来予報に若干心が躍った。
「なあ、やっぱり、店に入って商品を手にとって外に出たらレジを通らなくてもお金が払えるみたいになってんのか……? あの、皮膚にマイクロチップを埋め込むみたいな……」
「そ、そこまでじゃないっての。未来への期待が重すぎる……!」
「なんだ……」
なんだかバツが悪そうに顔をしかめる礼奈。
「ごめん、未来がそうでもなくて……」
「いや、岩瀬さんのせいじゃないし……」
「それは本当にそう……」
……などと、悠長に話している場合ではない。あくまで中学が同じ俺しか知り合いがいなくて頼れなかったという体を保つには、いささか話しすぎている。
「で、いくら貸せばいい?」
「えっと、いくら持ってる?」
「えっと……」
言いながら、二人で俺の財布を覗き込む。
「金 参百圓 也……!」
「なり……?」
礼奈が謎の呪文を唱えた。
「ごめん、つい最近ご祝儀袋書いたから……。ていうか、300円て。吉田君はどうするつもりだったの? ランチ食べられないじゃん……!」
「いや、俺は弁当作ってきたから大丈夫だけど」
「お弁当……」
礼奈が恨みがましく俺を見る。
『お弁当いるって分かってたなら教えてくれたらよかったじゃん……』とか、『なんなら、私の分も作ってくれれば……』ということなのだろうが、さすがにそれはここでは口にしないようだ。言わなくても伝わってきてしまうから意味ないけど。
「ていうか、学食ってそんなに高いのか?」
「学食がいくら安くても、さすがに300円で食べられるランチなんて存在しないでしょ?」
「え、そうなの? 牛丼だって300円あれば食べられるのに?」
「今、そうなの?」
え、未来では牛丼300円で食べれないの?
「ていうか、なんで食堂の値段を知らないんだよ未来人」
「そんなの覚えてないよ、使ったのなんか1、2回だし」
「じゃあ、食堂、見に行ってくるわ」
メニュー表的なものがあるのかすら分からないが、他に方法もないだろう。
「え、吉田君が?」
「二人で行く意味もないだろ。岩瀬さんが行ってくるんでもいいけど」
「……うん、じゃあ、吉田君、行ってきて」
礼奈は耳たぶを一瞬触りながら言った。
……これは、礼奈が嘘やごまかしを口にするときの癖。
「岩瀬さん?」
「いいから」
「ああ、うん……」
20分休みは当然20分しかない。問答している時間もないだろう、と、俺が歩き出すと、歩き出した少し後ろから、「えへへ」と照れたように少し笑う声が聞こえた。
「吉田君とは別に、あたしも行くけどね」
数分後。食堂の窓ガラスに掲示された貼り紙を見ていた。
「存在した……!」
日替わりカレー、金250円なり。(礼奈の真似)
「え、学食ってこんなに安かったんだ……もっと利用すれば良かった……!」
あくまで俺とは別々で、たまたま食堂の前に来た礼奈がぼやく。
「利用すればいいじゃん……。じゃ、ほら、300円」
「あ、ありがとう……」
俺は今日のポケットマネーの全財産を彼女に譲渡した。
「じゃあ岩瀬さん、俺戻るから」
20分休みの開店もしていない食堂の前、ほとんど人はいないが、それでも長々と接触するのは危険だ。
「ねえ、吉田君」
すると、後ろから呼び止められる。
「なんですか、岩瀬さん……?」
礼奈は周りに見られていないかをきょろきょろ見回してから、
「今日、一緒に帰らない? その、お迎えの車キャンセルするから、電車で……」
と聞いてくる。
「……電車賃がないだろうが。ていうか、今日はダンスレッスンの日だろ」
「あ、そっか……」
礼奈の表情が曇る。
なんというか、一昨日までの礼奈ならこんな提案してくることも、ダンスレッスンの日を忘れることもなかった。
それだけに、彼女が本気であの目的を達成しようとしているんだと言うことも感じられて、俺は心の中が掻き乱されるような気分だった。
「じゃあ、帰ったら、リビング行ってもいい?」
「……あそこは別に俺のものじゃないし」
「……うん、ありがとう」
そして、彼女は、15歳相応の笑みを浮かべる。