第2話:岩瀬礼奈と中学の卒業式
自己紹介や席替え、簡単なオリエンテーションを終えて、最初の20分休み。
教室の中から外から、こちらに視線が飛んできて、居心地が悪い。
こちらというか、具体的には俺の右隣の席に、だ。
あの人生2周目のアイドル・岩瀬礼奈が同じ学校にいる、ということを知った生徒たちがこぞって教室まで見に来ているのだ。中学の時にもこういうことがあった。
ただ、見にくる割には、誰も話しかけない。これも、中学時代と一緒だ。
芸能人だからって話しかけるミーハーだと思われるのが嫌ということらしい。
あとは、岩瀬礼奈に話しかけて塩対応を取られたりしたら傷つくかも、とか、こんな一般市民の自分なんかは見てるだけで十分なんです、というようなやや卑屈な考えもあるのだと、中学の時に同級生が話していたのを耳にしたことがある。
対して礼奈は、そんな好奇の視線を一身に受けても、それを全く気にしている様子はない。さすが人前に出慣れてる人は違うなあ……などと思っていたら、彼女はむしろチラチラとこちらを気にしているようだった。
『なんだよ……?』と一瞬のアイコンタクトで返事をするも、なんだか口をへの字にして腕組みをして、また黒板の方を向いてしまう。
なんだ、どうした……?
首を傾げていると、俺の左隣の多田さんが席を立って、教室を出ていく。それを境に、礼奈はほっと一息ついて、そのあと長いため息をついた。
どうやら、礼奈は多田さんが気になるらしい。
そして、昨日徹夜しながら俺が立てた仮説『俺と未来の結婚相手が、高校で出会っている』と照らし合わせると、それってやっぱり……。
……いやいや、なんかさっきの自己紹介しかしてない女子に対してそんなことを考えるのは、妄想が過ぎるというものだ。多田さんに悪い。
俺が首を横に振ってその考えをキャンセルすると、礼奈は相変わらず涼しい顔でため息をついていた。
何百回見ても端正な横顔を見てから机の上に視線を戻した俺は、礼奈は高校生活もこんな感じでいくんだろうか、とおせっかいな心配をぼんやりしていた。
中学のはじめにアイドルになってから、礼奈は友達を作ろうとしなくなった。正確にいうと、俺が礼奈と名前で呼び捨てにしあって、やっかまれて嫌がらせを受けているのを知ってからだ。
別に、拒絶をするというわけではないが、必要最低限のコミュニケーションしか取らない。この『必要最低限のコミュニケーション』というのは、何もロボットとか綾波レイみたいな淡白なコミュニケーションというわけではなく、相手を不快にさせない程度という意味での『必要最低限』だ。
話しかけられたら、それなりににこやかに応じるし、調理実習なんかの協力しないといけないイベントの際にはコミュニケーションを取りながら進める。
だが、自分から話しかけることはないし、正直な感情を吐露することもない。
さながら、バラエティ番組に番宣のゲストで呼ばれた女優さんという感じだ。
ふと、つい先月くらいの中学の卒業式の日を思い出す。
校門の近くで泣きながら「じゃあね、高校でも元気でね」「うん、メールするね」と言い合っている女子たちを尻目に、俺にだけ小声で「卒業おめでとう」と他人事みたい伝えてから、仕事に向かう車に乗り込んでいった。
あの時の大人っぽい笑顔に隠れた数滴の寂しさとか後悔とかそういう感情を、俺は見逃すことが出来なかった。
高校も、それでいいんだろうか。
……まあ、芸能人の処世術に俺みたいな一般人が口を出すものでもないんだろうけど。
椅子を引く音がして、我に返る。
右を見ると、礼奈がふと思い立ったように、席を立ち、「すみません、ちょっと通していただけますか」と人混みを切り分けながら教室を出ていくところだった。
人混みを作っていた生徒たちは、さすがにぞろぞろと後ろをついていくことはしないみたいだが、1年1組の教室には用事はなくなったので、なんとなく「今日はここまでかあ」みたいな感じで散り散りに自分の教室に戻っていく。
「吉田って、めっちゃ持ってるよな」
なんとなく教室の扉のあたり見ていると、そんな声がして顔をあげる。
前の席に座った、パーマがかった茶髪、マッシュルームカットのイケメンがこちらを見て微笑んでいた。イケメンと言ってもジャニーズ系ではなく、こういうバンドマンいるよなあっていう感じのイケメン。
たしか、出席番号1番の……。
「えっと……」
「あ、名前まだ覚えてない?」
「いや、ちょっと待って、思い出す……。あ、あ……」
思い出そうとする俺を待ちながら、頬杖をついて俺を待つイケメンくん。なんだこの自然な仕草。陽キャか?
……などと考えている間に思い出した。
「吾妻くん」
「お、正解。1年1組1番、吾妻莉久です、よろしく。おれ、前の席だから」
「よろしく。1年1組40番、吉田啓一郎です」
座ったまま、なんとなく丁寧にお辞儀をすると、吾妻は「一番最初と一番最後だな」と笑う。たしかに。
「で、俺が『持ってる』って、何を?」
「運とか巡り合わせとか、そういうやつ? あの岩瀬礼奈と同じ中学だってだけでももう羨望の的なのに、初めての席替えでその岩瀬礼奈と多田楓に挟まれた席になるとか、運良すぎるだろ」
「ああ、そういう……。ただの偶然だって」
「ただの偶然を引き当てる運が良すぎるって話だよ。あー、中嶌が席替えしなければ岩瀬はおれのすぐ後ろの席だったんだけどなあ……。でもま、可愛い子は後ろから見てえよなあ。あーでも、後ろからペン先でつんつんされるってのも捨てがたいか……」
ぶつぶつと妄想の世界に入ってしまってる吾妻。
「ていうか、多田さんも何かの芸能人とかなのか?」
「え? 違うけど?」
「違うのか。じゃあ、よくクラスメイトの名前覚えてんな……」
「まあな。おれは、高校生活にこれまでの人生懸けてるから。いや、ま、岩瀬と多田はおれじゃなくても覚えてるだろうけど」
人生を懸けてるって……。高校生活に並々ならぬこだわりがあるらしい。
「なんてったって、あの顔だからな。岩瀬が『人生2周目のアイドル』なら、多田はさしずめ『初恋の窓越しヒロイン』って感じだよな。あ、これ、2周目と初恋が微妙にかかってるから」
「そもそも『窓越しヒロイン』って何だよ……?」
「窓越しに目が合って手とか振ってくれるんだよ。なんか、青春感あっていいだろ?」
「吾妻ってポエマーなんだな……」
嫌味でも悪口でもなく、なんとなく感想が漏れ出た。
「ポエマーどんとこいだわ。おれは誰にからかわれようと、こういう人間として生きてくって決めてるから」
「……それは、かっこいいな」
そして、初対面の男子にそんな素直な感想をもらしていた。
「とにかく、吉田はなんにも悪くないけど、おれ以外の学年中の男子に妬まれてるからな、気をつけろよ?」
「お、おお……どうすりゃいんだよ?」
「知らねーよ」
はは、と笑う吾妻。まあ、そりゃそうか。
ていうか、『おれ以外』って、なんでわざわざ自分を除外したんだろう? いや、別に吾妻も妬むべきだって言ってるわけじゃないんだけど。
その言い方に、なんとなく含みのあるような気がしていると、
「吉田君、ちょっといい? 話があるって言うか……」
どこかから戻ってきたらしい礼奈に、右隣から話しかけられる。