第20話:岩瀬礼奈と3階の渡り廊下
「んん〜……?」
礼奈は眉間に皺を寄せて、首をかしげながら歩いていた。
何かを見つける度にファインダーを覗いてみるものの、「んー……違うか」とぶつぶつ言ってシャッターを切らずにまた歩き始める。
なんだかその様子は職人気質みたいなものを感じさせてかっこよく、自分のカメラに手を伸ばしかけるが、過去の自分との約束に従って、なんとか踏みとどまる。
「岩瀬礼奈サン、なんでも良いから撮ってみたらどうだい? 撮ってみないと分からないよ」
「でも、これ、フィルムってお金かかるんですよね? 一枚200円とか……」
「うぐ、よく知っているね……。まあ、そうだね……それを言われると痛いが、フィルム代はどうせ部費から出ているし、それに、今キミの持っている機種はオートフォーカス対応だから、失敗の可能性はかなり低いものだよ」
「あ、そうなんですか? じゃあ撮ってみます」
パシャリ。
すると今度は、礼奈は躊躇なくシャッターを押す。
「……わたしを撮ってどうするんだい?」
「アキさん、全然写真に写りたがらない……なさそうじゃないですか。将来、困りますよ」
「わたしが写真に写らないことで将来何に困るっていうんだい?」
「色々です。過去を振り返る素材がないと、色々困るんですよ」
「なんだいその妙に達観した感じは……。掴めない人だね、岩瀬礼奈サンは」
榎戸さんが少したじろぐように口にしてから、手を前に出す。
「とにかく却下だよ。そもそも、テーマは『吉田啓一郎クンを元気付ける写真』だ。わたしの写真で彼が元気になるわけがない。元気になったらそれこそ困るってものだよ」
「……まあ、そうですね」
むむむ、と口をへの字にする礼奈。そういう顔になるぞ。
「んー、でも、なんでしょうね。吉田君がなんで元気がなくしたのか分からないことにはどうにもならないですけど……」
「まあ、それも含めて思考錯誤だよ」
入部試験の時と同様、学校を色々回る。
生物室(?)の前の空になった水槽。
使っていない教室のロッカーに浮いている錆。
特別教室の机の裏に書いてあるOBとOGの相合傘。
外のベンチに着陸してしまったたんぽぽの綿毛。
これまで俺が気づかなかったようなものを、礼奈は大胆かつ丁寧に長方形のフィルムで切り取っていく。
こういうところは本当に、人生2周目というか、あらゆる才能を持っている岩瀬礼奈だなあと思う。榎戸部長も感心したように見ていた。
「あと一枚しか撮れないみたいです」
方々回って、中庭に出た礼奈がこぼす。
「おう、そうかい。じゃあ、渾身の一枚を撮ったら戻ろうか」
「ですね」
多田さんなら「そんなこと言われたら緊張しますよ……!」などというところだろうが、そこはさすが礼奈。堂々としている。
その時。
「おーい」「吉田くん、礼奈ちゃん!」
空から声が聞こえて、上を見上げると、3階の渡り廊下から、吾妻と多田さんが手を振っていた。
最上階である3階の渡り廊下には屋根はついておらず、胸の高さに手すりがあるだけだ。
「……あ」
礼奈はにやりとして、
「吾妻君、楓さん、そのままでいて!」
と声を掛ける。相変わらずよく通る綺麗な声だ。
「へ?」「は、はい!」
礼奈に指示を出されて硬直する二人を、撮影して。
「もう大丈夫! ありがと!」
と手を振った。
「どうした……?」
にへへ、と礼奈は笑う。
「これは、良いんじゃないかな?」
「……なるほど。それじゃあ、現像してみようか」
榎戸部長もにこりと笑う。何が、なるほど?
榎戸部長に現像してもらった写真を持って(また俺はやらせてもらえなかった)、別々に家に帰り、家のリビングでまた再会した。
「で、この写真が俺を元気付けるって?」
「うん」
それは、渡り廊下で変なポーズを撮って固まっている二人の写真だった。
なんだか、下から煽って撮られているからか、青空との対比が映えていて、まるで……
「屋上みたいじゃない?」
「そうだな」
考えていたことの先を礼奈が引き取ってくれたので、俺は素直に頷く。
「で、それが俺を元気付けるって?」
「そう。あたし、思い出したんだ」
礼奈は微笑みながら続きを話す。
「『高校に入ったら屋上で昼ごはんを食べるんだ』って、そういえば中学の時ずっと言ってたじゃん、啓一郎。青春大好きな吾妻君のこと言えない」
「それは、まあ、たしかに……」
しょっちゅう言っていた。
部室でもショックを受けているところを見せてしまったばかりだ。
『いやあ、フィクションの中にしか存在しないモノだと思っていたよ。高校の屋上でお昼ご飯を食べる、みたいなね』
『え、屋上って出られないんですか?』
ていうか、日本全国の高校の屋上、入れないなら先に言っておいてほしい……。
「で、うちの高校には屋上はないけど、屋上みたいな場所はあるんだよ」
「そうだな……」
たしかに、うちの高校の構造を知らない人にこの写真を見せたら、『屋上で変なポーズを撮る二人』にしか見えないだろう。
「ものはとらえようだし、どの角度からどういう構図で見るかによって、同じものも違って見える。写真って面白いね」
「いきなり核心をつくようなことを……!」
「……あたしは、吉田君が何でそんなに落ち込んでるのか分からない。もちろん、屋上のことじゃないってことは分かってる」
驚いている俺を放って、礼奈は続けた。
「でも、もしそれが未来のことだっていうなら……」
そして、目を光らせる。
「あたしと一緒に、そんなの変えちゃおうよ」
「礼奈……!」
「啓一郎がそんな顔しなくていい未来を、あたしと作ろう?」
そんなことをあの岩瀬礼奈に言われたら。
俺は胸が高鳴るのを止められなかった。




