第19話:岩瀬礼奈と思春期のカメラマン
「いやあ、楽しかったね。音楽はいいね。音楽は心を潤してくれる。そう感じないか? 岩瀬礼奈サン」
「へ? あ、あたしですか? はい、そう思います……」
「そうだろうそうだろう」
榎戸部長は満足げに頷く。
「そして、わたしたちもこれから部活だ。一人じゃない部活なんて、いつぶりだろうか。心が弾むよ」
上機嫌な榎戸部長と一緒に、俺と礼奈は写真部の部室にやってきていた。
吾妻は言わずもがな、多田さんも「これから他の部活の仮入部に行くのもなんだし、興味はあるから」と器楽部の仮入部に参加するとのことだったので、レクチャールームの前で別れたのだ。
「ところで、岩瀬礼奈サンは、写真の経験は?」
「いえ、まったく……。撮られることはありますが」
「ふむ? 撮られること?」
榎戸部長は俺の持っているカメラをちらっと見てから「はあ」と何かを分かったような分かってないような声を出す。
「そもそも、二人はどういう知り合いなんだい? 同じクラスってだけじゃないんだろう?」
「あー、えっと……」
「偶然、中学が一緒だったんです。……ついでに、小学校と保育園も」
質問に戸惑う礼奈を遮って、俺が答える。
「ほお。幼馴染ってやつかい? 実在するんだね、あんなの、都市伝説かと思ってた。ツチノコとか、モケーレムベンベみたいな……」
「都市伝説ってことはないでしょう……」
ていうか、それは都市伝説というより未確認生物では?
「でも、それで理解したよ。つまり、吉田啓一郎クンがそのカメラで、よく岩瀬礼奈サンのことを撮っていたと、そういうことだね?」
「いいえ」
それには礼奈が即答で首を横に振る。
「けい……吉田君は、あたしのこと、写真で撮ろうとしないんです」
「そうなのかい?」
「ああ、いや……」
質問するような視線を投げかけられ、もごもごと口の中で曖昧な返事をする。
「カメラを買いたての頃はしょっちゅう撮ってくれていたと思いますけど、いつからですかね……うーん、中学に入ったくらいからかな。あたしのことは撮らなくなったんです」
「思春期ということかな?」
「そうかな、ってあたしも思ってたんですけど」
礼奈は不貞腐れた顔をして、
「そこに思春期が理由じゃないっていう証拠が飾ってあるんですよね」
ふん、と鼻を鳴らしながら、メモクリップに挟まれているモノクロ写真を指差す。
そこに映っているのは、言わずもがな、多田楓さんだ。
「なるほどね……」
「岩瀬さんを撮らないのは、岩瀬さんがアイドルだからです」
俺は余計な追及を避けるため、その理由の半分を答える。
「アイドル!?」
すると、榎戸部長は大きなリアクションを撮る。
「やっぱりご存じなかったんですね……」
「今のあたしの知名度なんてそんなもんでしょ。テレビに毎日出てるようなアイドルだって、メンバーまで覚えてる人は一握りだし」
「ええ、現役女子高生アイドルか……!」
榎戸部長は実像があるかを確かめるかのように、ぺたぺたと礼奈の体を触る。
「いやあ、フィクションの中にしか存在しないモノだと思っていたよ。高校の屋上でお昼ご飯を食べる、みたいなね」
「え、屋上って出られないんですか?」
ショックな事実を耳にした気がする。
「出られるはずないだろう。危ないことを言うなよ。夢を見すぎだ」
「だから誰も屋上に行こうとしないのか……」
屋上で写真を撮ることをさりげなく夢見ていたため、少し項垂れた。
「で、アイドルだとどうして撮影しないんだい?」
「肖像権とか、そういうのが色々あるでしょう。素人が勝手に撮って現像するわけにはいきません」
俺が答えると、予想通りに礼奈が口を挟む。
「だからあたしはそんなの別にいいって」
「岩瀬さんだけの問題じゃないだろ?」
「なんでそんなにこだわってるの?」
その質問に俺はとうとうたまらなくなり、
「……分からないのか?」
と聞き返してしまった。……これは、おそらく反則だ。時空警察に捕まるやつだ。
「え、あたし大事なことを忘れてる……?」
「……そっか、分からないか」
そして、俺はまた残酷な事実を確認し、再度項垂れる。
「吉田君……?」
「……分からないならいいんだ」
俺が幻滅したのは過去の方じゃない。未来の方に、だ。
そっか。まだ、俺は礼奈にそのことを話せてないのか。
「まあよく分からないが、そういったコダワリっていうのは大事なモノだというのがわたしの持論だ」
重くなった雰囲気を察したのか、榎戸部長が包み込むみたいにそんなことを言った。
「それじゃあ、今日は、岩瀬礼奈サンが校内を撮影してみようじゃないか」
「あたしが、ですか?」
「なんだい、その鳩が豆鉄砲を食ったような顔は。写真部に入部した新入生に写真を撮影してみたまえと言ってるんだ。自分でも呆れるほど凡庸な提案だと思うがね」
「それは、まあ、たしかに……」
おずおずとカメラを受け取る礼奈。
「と言っても、何を撮ればいいんでしょうか?」
「なんでもいいけど、課題があった方がやりやすいかもしれないね。テーマは、そうだなあ……」
良いことを思いついた、とばかりに、榎戸部長は口角を上げる。
「吉田啓一郎クンを元気付ける写真、なんていうのは、どうだろうか」




