第1話:2周目の高校生活
「信じて、啓一郎。あたし、啓一郎と結婚するために、10年後から2周目の人生をやり直しにきたの」
「なに言ってんだ? 働きすぎなんじゃないか? 何かの現実逃避だろ、それ」
結婚。そのキーワードが縁遠すぎて、動揺すら覚えない。
「うん……実際、あたしも、その可能性はまだ捨ててない。もしかしたら、現実逃避っていうか、夢かもしれないと思う。あたし、飲みすぎたのかもしれないし」
「おい、飲酒とか洒落にならないだろ……!」
「……失言。ごめんね、安心して。あたし、二十歳になるまでは誓って一滴も飲まなかったから」
「飲まなかったって……」
なんで過去形だよ? 未来から来たから? ますます意味がわからない。
「だから、事実は置いておいて、あたしの自覚の話をするから、聞いてもらっても良い?」
「ああ、うん……?」
こんなにも荒唐無稽な話なのに、酔っ払ってるわけでも、現実逃避でもないのだろうな、と思ってしまうくらい、彼女はいつも通りの聡明な話し方だった。
それに、岩瀬礼奈がこんなに真剣な顔で嘘をつかないことは、幼馴染の俺がよく知っていた。
「まず、あたしは、さっきの集合写真を撮られる直前まで、結婚式の会場にいたの」
「誰の?」
「……啓一郎の」
「おれの……? いや、えっと、」
「ごめんね、一旦最後まで聞いて欲しい」
早速口を挟もうとした俺を、礼奈はそっと牽制する。
「……分かった」
その通りだ、と俺はようやく聞く姿勢を作る。
「その時には、あたしも啓一郎も25歳になってる。つまり2013年から10年後のこと。啓一郎は表参道の式場で結婚式を挙げてるの。あたしは、そこに参列者として招待されていて、シャンパンなんか飲みながら、新郎新婦のプロフィールムービーを見てたんだ」
「プロフィールムービーって?」
これはしてもいい質問だろうか、とおずおずと聞いてみる。
「ああ、知らないよね。お色直し……まあ、披露宴の中盤くらいにこれまでの人生をスライドショーにして見せるようなムービーなんだけど。それで、啓一郎の高校時代の写真が出てきたんだよ。周りで『懐かしいね』なんて話をしてる中、あたし一人だけ全然違うこと考えてた。そしたらなんだか涙出てきちゃって、それを拭こうと目を閉じながらハンカチで目元をぬぐって、次に目を開いたら、」
「まさか……」
俺の訝しげな視線に、頷きを返してくる。
「……集合写真を撮られた直後、今日のあたしになってたの」
「ええ……?」
俺は相当に混乱していた。
まず思ったのは、本当にこいつ疲れてるんだな、ということ。
次に思ったのは、事実なら結構面白い展開だな、ということ。
その次に思ったのは、未来の俺は誰と結婚してるんだろう、ということ。
そして、最後に思ったのは。
「……礼奈は、俺の結婚式でどうして泣いたんだ?」
「……やっぱり、啓一郎ってすごい」
礼奈が感心したように目を見開く。
「やっぱり礼奈は疲れてるんだなあ、とか、そもそもこの話事実なのかとか、俺は誰と結婚するんだろう、とかないの?」
「まあ、それも全部思ったけど……」
「一番気になったのが、あたしの泣いた理由?」
「まあ、そういうことだ」
「変わらないんだね、そういうとこ」
礼奈は切なそうに、寂しそうに、優しく微笑む。
「とりあえず、あたしの話は信じてくれてるってことでいい?」
「信じるっていうか、嘘だろうが本当だろうが、礼奈が話したいところはそこじゃないんだろ?」
もはや、それが本当かどうかはどうでもいい。礼奈がこの話を切り出したってことは、切り出した意味があるってことなんだ。
「何回も思ってるけど、啓一郎の方がよっぽど人生2周目だよね……」
「そういうのいいから」
「いや、本当にすごいことだから……。ありがとう、啓一郎」
「……そういうのいいって」
俺が照れくささにそっぽを向くと、礼奈は「はは」と軽く笑う。
「あたしが涙を流した理由はね」
そして、情けないような、困ったような、泣き出しそうな、そんな笑顔を浮かべて、
「結婚式が始まってからずっと、『あたし、啓一郎と結婚したかったなあ』って思ってたの」
と言った。
「俺と、結婚……?」
「うん。それが、高校の写真見たら、もう抑えられなくなっちゃって。戻りたいな、やり直したいなってこれまで感じたことないくらい大きな後悔に襲われた瞬間だったんだ」
「なんで高校の写真が引き金になったんだ?」
礼奈との関係は物心つく前からだ。プロフィールムービーというやつが半生を振り返るスライドショーなら、それまでにも何回か一緒に写ってた写真が出た方が自然だ。
「それは、きっと……。ううん、それはさすがに言えない」
「そうなのか……?」
「うん、ごめんね。でも、とにかく、あのタイミングでタイムスリップしたんだったら、あたしはそれをやり直すチャンスをもらったとしか思えないから」
それで、高校時代に? つまり……?
なんだか一言ごとに重大なヒントが投下されている気がして、俺は分からないながらも、次の質問を口にした。
「……それで、俺は、誰と結婚するんだ?」
俺の質問に、礼奈は首を横に振る。
「……それも言えない」
「どうしてだ?」
「あたしは、その子のことを傷つけたくない。別に、仲良しってわけじゃないし、悔しい気持ちもあるけど……でも、傷つけていいとは思ってないから。だから、もしあたしが願いを叶えようとしたら、やり方は、ひとつしかない」
礼奈は、俺の目をじっと見据えて、極めて真顔で、こう言った。
「……その子が啓一郎のことを好きになる前に、あたしと結婚の約束をしてもらいたい。あたしのこと、好きになってもらいたい」
「そんなこと言ったって……」
「啓一郎は、あたしのこと、嫌い?」
「嫌いなわけはないけど……」
正直に言えば、俺の初恋の相手は礼奈だった。
でも、小6の冬、礼奈がアイドルになると決めたタイミングで、そんな気持ちは滅多刺しにしてどこかに投げ捨てた。彼女の夢を応援するべきだと思った。
自分で言うのもなんだが、その時の覚悟は凄まじかった。
喩えるなら、プロ野球選手を目指していた子供がバットを燃やす様な、そういった類の覚悟だったと思う。
少なくとも、こんな気まぐれみたいな言葉で翻せるほど簡単なものではないのだ。
それに、今の俺には、礼奈にアイドルを続けてもらわないと困る理由がある。
「……そんなあやふやな約束は出来ない。それに、そんな約束、付き合ってるのと何も変わらないだろ? 礼奈が目指してたアイドルってそうじゃないはずだ」
「……ちゅー、とか、えっ……と、そういうこと、しなくても?」
「……そうだよ」
25歳の礼奈。彼女は『経験済み』なのだろうか、などとひどい想像をして、首を横に振る。成長するにあたって一度よぎって、それでも構わない、とした覚悟だったはずだ。
「……礼奈、やっぱり疲れてるんだよ」
俺は切り出す。
「別に礼奈が嘘をついてるとは思わない。でも、よほど強烈な悪夢を見たんだと思ってる。10年後の夢を見て、たまたまその、俺の結婚式のシーンで、なんだか虚しい気持ちになっちゃっただけだ。疲れてるから悪夢を引きずっちゃってるんだ。ほら、こないだは事務所の先輩の卒業コンサート見に行ってただろ? いろいろ思うことがあったんだろ」
「でも、このままじゃ、あたしいつまで現在にいられるか……」
「今日、寝て起きて、明日もまだ様子が変だったらちゃんとまた話聞くから」
「……分かった。それもそうだよね。あたしも、もっとちゃんと整理しなきゃだね」
礼奈はそれから紅茶を飲んで「ごちそうさま」と言った後、不承不承という感じではあったが、自分の部屋へと帰っていった。
俺は一人、天井を見上げて、ふう、と長くて細いため息をついていた。
翌朝。重い瞼をこすりながら着なれない高校の制服を着て玄関を出る。
結局、夜通し俺は考えていた。
『なんで高校の写真が引き金に?』
『それは、きっと……。ううん、それはさすがに言えない』
『その話を信じたとして……俺は、誰と結婚するんだ?』
『それも、本当に言えない』
『……その子が啓一郎のことを好きになる前に、あたしと結婚の約束をしてもらいたい』
昨日のやり取りをひとつひとつ思い出す。
どうやら、『高校入学時』が『その子が啓一郎のことを好きになる前』なのは確実らしい。
そして、『やり直したい』と礼奈が言ったということは、つまり現状では『やり直せる』ということでもある。
そして、礼奈は『その子と啓一郎が出会う前に』ではなく、『その子が啓一郎を好きになる前に』と言った。
まだ『出会っていない』なら、『出会う前に』っていうはずだから、だったら、もう『出会ってはいる』可能性が高い。
以上から導き出される仮説。
つまり、それは、
『俺と未来の結婚相手が、高校で出会っている』
ということだ。
「……おはよう、岩瀬さん」
玄関先で、送迎の車を待っている礼奈に声をかける。(礼奈は学校に車で登校することになっている)
壁に耳あり障子に目あり。仲良さそうに見えると困るので、あくまで同じ方向を向きながら、おれは靴ひもを結ぶふりをして。
「おはよう、吉田君」
「……で、今朝の調子はどうだ? 目の下にクマ出来てるけど……」
「そっちも出来てる。……悩ませちゃったよね、ごめん」
「いや、いいけど……」
「あ、そうだ」
礼奈は思い出したように手を叩いた。
「言っても大したことなさそうな……良い感じに未来に影響を与えなさそうな未来予知を思い出したの、昨日」
「はあ、未来予知……? なに?」
「今日、席替えあるから」
「え、入学二日目で?」
「そう。驚きでしょ?」
彼女は続ける。
「中嶌先生が、記憶力を試すぞーとか言って、さっそく席替えをするの。もし、これが本当だったらちょっとくらい、あたしのこと信じるでしょ?」
「まあ、それは……」
「あ、車来た」
「おう、じゃ、また学校で」
俺は何度もほどいた靴紐をきつく結び直して立ち上がり、何事もなかったかのように駅へと歩き始めた。
結果、見事その未来予知は的中した。
ホームルームが始まり、それぞれの自己紹介を終えた直後、担任がニヤリと笑ったかと思うと、こう宣言したのだ
「では、早速席順をシャッフルしてみなさんの記憶力をチェックしましょう」
厳正なるくじ引きの結果、一番後ろ、窓から二番目の席に座る俺の右隣には礼奈が座っていた。
「どうも、吉田君」
「ああ、よろしく、岩瀬さん……」
してやられた、と面食らっていると、ふふん、と礼奈が片眉をあげて、したり顔を見せてくる。
だが、余裕綽々で俺の顔を見上げていた礼奈の表情が、
「え、うそ、最初の席替えで……?」
俺越しに俺の背後を見た瞬間、驚愕へと変わっていく。
「どうした……?」
俺が訝しんで、振り返ると。
「どうも、初めまして……でいいのかな? 吉田啓一郎くん、だよね?」
そこには、黒髪セミロングの美少女が立っていた。
「ああ、うん。吉田啓一郎、です……」
艶やかな黒髪。
「よかった、一番最後に自己紹介してくれてたから私のへっぽこな記憶力でも覚えてる」
あどけない笑顔。
「私、多田楓って言います。よろしくね!」
清楚可憐な、二次元から出てきたような透明感のある美少女。
それが、彼女の第一印象だった。
「……よろしく」
背後からは、自責の念にかられるような、礼奈のため息。
……っていうか、まさか、この人が?