第17話:岩瀬礼奈と今更のバタフライ効果
「ねえ、それ……あたしも行って良い?」
礼奈の一言に、吾妻が一瞬固まり、その後、その目がみるみるうちに見開かれていく。
「も、もちろん!」
「礼奈ちゃん、今日はお仕事ないの?」
多田さんも嬉しそうに尋ねる。ていうか嬉しそうな顔をしててくれて良かった。これ、他の人が他の表情で言ってたら『お仕事あるんじゃない? 帰れば?』に聞こえかねない。
「う、うん。お、オフっていうか、自習みたいな感じで……!」
なんだか、はにかんだように髪をいじいじしながら、たどたどしく礼奈が答える。その姿は、人生2周目のアイドルとは思えない、ただの友達を作るために頑張った照れ屋さんという感じだ。
……初めて見たな、そんな表情。
「吉田くん、嬉しそうだね?」
「え? あ、いや、え、なんで俺が?」
「なんでって、そんなの知らないよ!」
多田さんは「変なの、あはは」と笑ってから、
「でも、それならじゃあ4人で行けるね!」
と手を叩いた。
「ああ、うん。ありがとう、ごめんなさい……」
そして何故か気まずそうに謝る岩瀬さん。
ちなみに俺は行くってまだ言ってないけどな。まあ行くんだけどな。
「えっと……何時開場、何時開演?」
「かいじょう? かいえん……?」
謎のプロ感を出した礼奈に、吾妻が首をかしげる。
「4時から演奏開始って言ってたよ」
とはいえ、そこまで難しい言葉でもない。仮入部マニアの多田さんが引き取って教えてくれる。
俺はそっと頭をかく。
「当たり前だけど、部活の時間と被ってるな。一応見てから行くって榎戸部長に言っといた方がいいかな……。多田さん、榎戸部長とってライン交換した?」
「ううん、してないよ? 吉田くんとだけ。そういえば、吉田くんのラインの名前、Keiichiro Yoshidaってなんかかっこいいね! 芸術家さんみたい」
「「ええっ!?」」
吾妻と礼奈の声が同時にハモる。
「「二人ってもうライン交換してんの!?」」
昼休み。
自席でお弁当を食べ終わった頃、
「なあ、あの人、なんだ……?」
吾妻が怖がったような顔をして扉の外を見る。
そちらを見ると、そこには榎戸部長。今日は白衣をきていないらしい。
……なぜか、険しい顔つきでこちらを見ている。
「俺だと思うけど、なんか怒らせることしたかな……?」
「え?」
吾妻を放って、俺は部長のところに向かう。
「どうしたんですか、榎戸部長」
「やあ、吉田啓一郎クン。これから暗室に来られるかい? 可能なら、岩瀬礼奈サンも」
「ああ、はい……」
俺は首をかしげながら礼奈の席に戻る。
「えっと、岩瀬さん?」
「どうしたの?」
「部長が呼んでる」
「アキさんが? なんで?」
「知らんけど……」
連れだって、しかめ面をした榎戸部長について暗室(部室)につくと、やっと榎戸部長の表情が少し和らいだ。
「どうしたんですか? 俺、なんかやっちゃいましたか……?」
「悪いね、こんなところまで連れてきてしまって。知らない人たちの前で話すのは得意じゃないんだ」
「はい?」
何を言われてるのか分からず首をかしげる。
「一年の教室にわたしみたいな3年生がいたら目立つだろう? あそこでにこやかに話すなんて芸当、わたしにはとても出来ないね」
「ああ、そういう……」
どうやら極度の緊張しいらしい。ていうか、部活説明会の淡白な説明ってそれが原因だったってこと?
「それで、どうなさったんですか?」
礼奈が質問する。なんか、先輩と話す礼奈、新鮮……!
「いや、それが、今日の放課後のことなんだけどね、実は器楽部の演奏会に誘われていて。その後に部活に行くことになりそうなんだ。演奏時間は10分かそこらみたいなんだけど、2人の初部活の日なのに、部室を空けることになるから、事前に言っておこうと思って」
「ああ、ちょうど僕らもその演奏会に行こうと思ってたんです!」
「器楽部の演奏会に? 兼部かい? まあ、兼部も歓迎とは言ったが、そうか、やっぱり写真部だけでは満足できないか……」
少々寂しそうにごにょごにょ言い始める。
「そうじゃなくて、友達の付き添いです。俺は他の部活に入る気はありません」
なんだか誤解させるとかわいそうなので言い切ると、
「そうなのかい……?」
と眩しいものを見るような顔で見上げてくる。
「女たらし……」
ぼそっと礼奈が横でつぶやく。これ、そういうんじゃなくない?
「ていうか、器楽部の演奏会とか大丈夫なんですか? 人がたくさんいますけど、さっきみたいに緊張しないんですか?」
「他に注目されているものがあれば大丈夫だよ。さっきは1年生の教室にいる3年生という目立つ要素があったからね。そんなこと言ってたら電車にも乗れないし、登校することもままならないだろう?」
「それはまあ、たしかに……」
「まあ、とにかく2人が演奏会に行くならこの件は解決だ。じゃあ、また放課後」
それだけ言うと、榎戸部長はつー……と教室へ戻っていく。
せっかく周りに誰もいないところで2人きりになったので、気になっていたことを聞いてみた。
「で、礼奈はどうして、器楽部の演奏会に行きたいなんて言ったんだよ? あの時、断ろうと思ってたのに」
「吉田君が断ろうとしてくれてたのは分かってたよ。でも、あそこで吉田君が断ったら、吾妻君が演奏会に行かなくて、ゆくゆくは器楽部に入らないかもしれないでしょ?」
「それがどうした?」
ていうか、礼奈の未来だと、吾妻は器楽部に入るのか。
「……今更だけど、あたし一人の問題じゃないんだなって思って」
「どういうこと?」
「あたしが戻ってきたことで吾妻君が器楽部に入らない可能性があるなんて思わなかったの。そうなると、きっといろいろなことが変わっちゃう」
「いろんなこと……?」
それは、変わっては困ることなんだろうか。吾妻の入部先が礼奈の未来に影響を与える?
「吾妻に器楽部に入って欲しいのか?」
「結果的にはそういうことになるかな」
「どうして?」
「どうしてって……」
礼奈は少し思案顔をして、「あくまで、例えばの話だけど、」と前置きする。
「例えば、吾妻君の舞台を見てその青春の姿に憧れた誰かがこの高校に入ってきて、ここで出会った同級生たちとバンドを組んで、新進気鋭のバンドとしてデビューして、そのバンドがあたしに楽曲を提供してくれる……みたいなこと。……大事な曲なんだ、それ」
作詞家……?
「バタフライ効果ってことか?」
どこか遠くの場所の蝶の羽ばたきが、大きな気象現象につながっているっていうあれだ。
「そういうこと。全部は繋がってるんだなって、そんな当たり前のことに、今更気づいた」
礼奈はそっと下唇を噛む。
「……一つだけを綺麗に取り替えることなんて、出来るはずないのかも」




