第15話:多田楓と隣の芝
礼奈の昼公演を観た後、用事があると言う静香さんと別れて家に帰ると、父親と母親がリビングでちょうど夕飯を食べようかというタイミングになっていた。
「おう、おかえり、啓一郎」
「啓、お箸出して」
うちは共働きなので、土日の食事の準備は一緒にしてくれている。
今日は母親の作った唐揚げと、父親の作ったポテトサラダ、味噌汁。
両親はそれぞれ酒を飲むらしいので、俺が自分の分のご飯だけよそって席に着くと、父親はビールをカシュっと開栓した。
「啓一郎、新しい高校はどうだ?」
「まだ1週間だからなんともいえないけど、まあまあ。普通」
反抗期は中学生のうちに終えているので、別に淡白に返そうと思ったわけじゃないのだが、別にそんなに大した感想があるわけでもない。芸人さんみたいなエピソードトークを期待しているんだとしたらお門違いだ。
それくらいのことは分かっているらしく、父親は「そうかそうか、まあそんなもんだよな」と俺のつまらない感想を肴にぐぐっとビールを美味しそうにあおった。案外これで良い父親なのだろう。
「部活とかは? これから?」
「あ、いや、入部した」
自分用の白ワインを持ってきて席についた母親からの質問に答えると、
「え、そうなの? 何部?」
と、当然のレスポンスが返ってくる。
「……写真部」
「そっか。写真、好きだもんね」
「まあ」
そんなあいづちを打ちながら、つい、父親の表情をうかがってしまう。
「まあ、趣味としてやっていくならいいんじゃないか? おじいちゃんになっても続けられるからな」
「……」
「なあ、啓一郎?」
「……うん」
案外寛大な回答への返事に、それでも少しの間が生まれたのを、父親は見逃してはくれなかった。
あくまで優しく、食卓の雰囲気を壊さないように気遣って、それでも一言だけ告げてくる。
「芸術的な仕事っていうのは、本当に一握りの選ばれた才能のある人間だけが食っていけるもんなんだよ」
「分かってるよ」
嘘だ。本当は分かってなんかない。才能なんて言葉は、努力できなかったやつの言い訳だとしか思っていない。
第一、俺に才能がないだなんて、誰が決めたんだ。
「それに、会社員っていうのも、これはこれで結構知識や知恵のいる仕事なんだ。アーティストが経理の資料を作れるかって言ったらそんなことないんだから」
「そうかもね」
「パパ、啓は写真部に入ったって言っただけよ」
母親が父親を優しくたしなめる。
これ以上は食卓の雰囲気にヒビを入れかねないと判断したのだろう。
俺だって別にライブ後の高揚感をこんな諍いでフイにしたくはない。
それに、父親が写真家をはじめとする芸術分野の仕事の話になるとこうなってしまうのには、ある程度仕方ない理由があった。
父親の弟、つまり俺の伯父・吉田博史がカメラマンという道を選んで、そして、借金苦に陥り、最終的に父親が肩代わりしたという経緯があるからだ。
さらには仕事の紹介もして、今、伯父は父親の勤めている会社のグループ会社で経理事務のような仕事をやっているらしい。
父親は広告代理店で部長だか局長だかとにかくそれなりに偉かったことで、肩代わりすること自体はなんてことなかったらしいのだが、それ以来、父親は俺がカメラを持ち歩いたりするのを複雑そうな顔で見るようになった。
カメラは俺の伯父にプレゼントされたものだ。
その側面からすると、先程の「趣味でやってくならいいんじゃないか」という言葉すら、彼にしてはかなり寛容だったとも言える。一言釘を刺さずにはいられなかったという心情も察することは出来る。
幸い、酒が入って人に厳しくなったりするタイプでもない。
なんというか、よく出来た社会人だと、15歳の俺から見てもそう思う。
「それで、今日はどうだった? 礼奈ちゃんのライブ」
話を変えようと、母親が俺に質問してくる。
「ああ……すごかった」
「あの子は一握りの才能があるもんなあ。隣の芝は青く見えるのは仕方ないか。言いすぎてごめんな」
フォローのつもりなのかなんなのか、むしろ逆撫でするようなことを口にする父親に勝手に俺はもう一度不機嫌になり、もそもそと唐揚げを口に入れた。
ご飯をかきこんで、「ごちそうさま」と一言告げると、部屋に戻った。
大人気なかった気もするが、大人じゃないからこれくらいは勘弁して欲しい。
なんとなくやり場のないもやもやを抱えてベッドに横になってみると、ちょうどその時スマホが着信音を鳴らした。
LINEが届いた音だ。
多田楓『こんばんは(*・ω・)ノ』
見やると、その主は金曜日の仮入部後に連絡先を交換したばかりの多田さんだった。
なんだろう? 首を傾げていると、追加のメッセージが来る。
多田楓『吉田くんに撮ってもらった写真、LINEのアイコン画像にしてもいいかな?(・ω・)』
「律儀だな……」
ついそんな言葉と共に微笑みがこぼれる。
なんとなくアイコン写真に目を移すと、たしかに、例の気まずそうな笑顔の写真。
Keiichiro Yoshida『もちろん良いよ。ていうか許可とか取らなくて大丈夫だよそんなの笑い』
多田楓『そうなの? でも著作権とかあるでしょ(・ω・,,`)?』
Keiichiro Yoshida『あるかも知れないけど、偉すぎて驚いた笑』
多田楓『吉田くんの写真、素敵だから!(*´꒳`*)』
多田楓『それじゃ、アイコンにさせていただくね! ありがとー!╰(*´︶`*)╯♡ 』
間をおかずに、多田さんのアイコンの画像が変わる。
その画像をしばらく眺めながら、喜んでもらえて何よりだな、俺は心に湧き上がる小さな手応えをそっと噛み締めていた。
……いや、クラスメイトの女子の写真を穴が開くほど見てちゃいけないよな、ということに気づいたのは、30分ほど経った頃だったと思う。




