第9話:岩瀬礼奈と日常の反省会
「で、どうだったの? 楓さんとの日直のお仕事は?」
仕事から帰ってくるなり、うちのリビングに来た礼奈が不満げ&不安げに聞いてきた質問に呆れながら答える。
「日直の仕事なんて、どうもこうもないだろ……。黒板消しして学級日誌書いて出しただけだよ。むしろそっちの仕事はどうだったんだ?」
「あたし?」
水を向けられた礼奈が「いや、それがさ」と応じてくれた。
「今日、ダンスの振り入れと歌のディレクションだったのね? あたし、10年後の新曲まで歌えるし踊れるから、今さら教わってもって感じだった。先生よりもあたしの方が踊れるんじゃないかってくらい。15歳の身体を扱うのは難しい部分もあるけど、さすが10代の身体は疲れ知らずだなとも思うし、一長一短だね。なんにせよ、隠すのが難しいくらい、仕事自体は楽勝だったよ」
「へえ、そうか」
「……なんで啓一郎がニヤニヤしてんの?」
「いや、別に」
いかんいかん、にやけていたらしい。本当は10年後も礼奈がアイドルを続けているということが嬉しかったからなのだが、なんだかそれを正直に言うのは気恥ずかしいので顔を真顔に戻す。
「ふーん? まあ、いいけど。とにかく、そういうわけだから、啓一郎と過ごす時間も、もっと取れると思うんだ。家でやっていく予習の時間はそのまま全部他のことにあてられるから」
「……そう、か」
そんなに本当に恋人みたいに、「過ごす時間を増やせる」とか言われると、なんというか、嬉しい気持ちがないと言ったら嘘になるものの、アイドルとしての心配も出てくる。10年後のアイドルは恋愛禁止主義じゃないんだろうか。
「で、話戻すけど。じゃあ、楓さんとは学級日誌書いて提出して解散したのね?」
「あ、いや、流れで部活説明会に一緒に行った」
「はあ!? 部活説明会!?」
「声でか……」
さすがアイドルの声量……。
「デートじゃん!」
ずずいっと前のめりに顔を近づけてくるので、俺はイスを後ろに引いて少し遠ざかる。
「デートじゃないだろ。……いや、実際、俺もちょっとは思ったよ。距離感近いなって」
「ほらあー……!」
なんでちょっと泣きそうなんだよ礼奈。
「でも、多田さんってプライベートスペース狭い人なんだよ、多分。だってさすがに現状で俺が好かれてるわけはないだろ? だとしたら惚れっぽ過ぎる」
「まあ、それはそうかもしれないけど……。でも、校内デートしたのは事実でしょ?」
「だからデートじゃないって。出発点と目的地が一緒だっただけ」
「うーん……。ていうか、多田さんってそんな感じの子だったんだ。油断してたつもりはないけど、ここまで序盤からだと思わなかったわ……」
下唇を噛む礼奈のその仕草がなんだか彼女の健気さを強調していて、文脈に関係なく見惚れそうになる。
「……啓一郎?」
「……なんでもない。いや、なんでもある」
「どっち?」
「ずっと思ってたんだけど」
俺はそのタイミングで、一度疑問をぶつけてみることにした。
「やっぱり多田さんが俺の未来の……その、奥さんなのか?」
「ノーコメント」
「ええ……」
瞬息で即答が返ってくる。耳たぶも触っていない。
「あのね、相手が誰でも警戒するって。自分の好きな人と親密そうにする女の子のことは」
「うっ……」
タイムスリップ(仮)以来、礼奈は当然のように俺のことを好きだと口にする。
経緯を考えたら意味は分かるし、向こうは10年を重ねているんだからそういう感じになるのかも知れないのだが、俺からしたら、先週くらいまでおくびにも出さなかった感情をぶつけられてとても追いつけない。
脳が理解しても、心が理解していない。
「あんまり、その……好きとかしょっちゅう言うなよ。アイドルは恋愛禁止だろ?」
「……まあ、そうだね。ごめん」
「いや、分かってくれればいいけど……」
「でも、」
俺の顔を見ながら、驚いたような顔をして、ぽつりとぼやく。
「……啓一郎がそんなこと言うほど、あたしの『好き』に攻撃力があるとは思わなかった」
「いや、」
男子だったら一度は夢に見るだろ、と言いかけて、なんか色々取り返しが付かなくなりそうな気がして、
「礼奈のアイドル人生を心配してるだけだよ」
と本心の混ざったごまかしを口にする。
「そっか、優しいね、啓一郎」
「優しいとかじゃないだろ……」
なんだか甘酸っぱい雰囲気が漂ってきた。
だが、その直後。
「……あ!?」
「なんだよ……!?」
「……忘れてた、部活!!」
礼奈の絶叫が家を震わせる。




