プロローグ:人生2周目のアイドル・岩瀬礼奈
『人生2周目のアイドル』
それが、俺の幼馴染・岩瀬礼奈の全国区での呼び名だ。
アイドルグループ『夏めくサイダー』通称・夏サイで4年前の結成時からセンターを務め続け、グループ、個人共に、飛ぶ鳥を落とす勢いでファンを増やしている。
頭脳明晰、容姿端麗。
歌も踊りも演技も抜群。
クイズ番組や謎解き番組などでは15歳らしからぬ知識や知恵を披露し、東大生も舌を巻くほど。
何をやらせても卒なくこなすのに、驕り高ぶらず、謙虚。
天から二物どころか百物くらい与えられ、もはや何かの欠点があったとしても『愛嬌』という武器に変えてしまうほどに完璧な彼女は、それでも。
「信じて、啓一郎。あたし、啓一郎と結婚するために、10年後から2周目の人生をやり直しにきたの」
……なぜか、俺の前でだけはおかしなことを宣う電波少女だった。
礼奈の様子がおかしいな、と思ったのは、入学式のあと、集合写真を撮影した直後のことだった。
てっきり芸能系の高校にでも行くと思っていた礼奈は、俺と同じ、普通科しかない武蔵野国際高校に入学。1学年6クラスの中、推定36分の1の確率で俺と同じ1年1組に組み分けされた。
だから当然、同じ集合写真に収まったわけだが、カメラマンにシャッターを切られた瞬間、
「えっ?」
前方から、聞き慣れるほど聞いても聞き飽きはしない、澄んでいて可愛らしい声が聞こえた。
「岩瀬さん、どうかしましたか?」
「な、中嶌先生……? ご無沙汰してます、お変わりないですね……? え、あたし、制服……?」
身長順の関係で隣に立っていた今日からの担任教師を見ながら意味不明なことを言う礼奈。自分の服装を確認しつつ周りをきょろきょろする。
そして、ひな壇に立つ俺のことを見つけて、ぎょっとした顔をしてから、2、3秒目を閉じて、
「……すみません、なんでもありません。その……、ちょっと体がふらついた気がしただけです」
と、言った。
礼奈が何かを誤魔化したり嘘をつく時特有の、耳たぶを一瞬触る仕草をしながら。
どうしたんだ、あいつ……?
「大丈夫ですか? 保健室に行きますか?」
「いえ、大丈夫です! 本当に! すみません、心配おかけしてしまって」
「わかりました、何かあったら言ってくださいね」
担任の中嶌先生はにこやかに応じたあと、クラス全体を振り返り、
「それでは、撮影はこれまでなので、教室に戻ってください」
と号令をかけた。
まだ友達の一人もいない俺たちが教室に向かっていると、とことこと後ろから礼奈がきて、声をかけてきた。
「ねえ、啓一郎……!」
「なんですか、岩瀬さん」
俺が諌めるような視線を送ると、「あ」と言ってから、
「……吉田君」
と言い直す。
幼稚園からの同級生であり、家が隣同士の俺と礼奈だが、学校では親密にしないというルールを設けていた。
中1の春、お互いに下の名前で呼んでいたことで余計なやっかみを生んで、いじめというほどではないが、嫌がらせを受けたことがあったからだ。
半年くらいかけて、全然仲良くないアピール(ていうか一言も話さない)をした結果、段々と彼らとの関係も正常になったものの、中学時代の俺にとって、半年は長かった。
この高校に同じ中学から来たのは礼奈と俺だけだ。出身中学は隠しきれないかもしれないが、今回もとりあえず、「たまたま同じ中学というだけで別に特別仲が良いわけではない」という設定で行くことになっている。
のに、初日からその設定を忘れるとは。『人生2周目のアイドル 岩瀬礼奈』らしくもない。
「……で、なんでそんなに動揺してんだよ」
よほどのことがあったのだろう、と、小声で尋ねると、
「吉田君、今、西暦何年?」
などと、ベタなことを聞いてきた。
「はあ……? 2013年4月1日だけど」
「うわ、本当に……?」
「タイムスリップごっこか?」
「あー、いや……とにかく分かった。ちょっとお手洗い行ってくる……」
「ああ、うん……?」
憔悴したような表情を浮かべた礼奈がトイレの方に去っていく。
ていうか、トイレはあっちにあるのか。入学式の直後なのに既にトイレの場所を把握してるのすげえな。
入学式の今日は親を待たせている人もいるからという理由で、簡単な説明だけを終えて、すぐに下校となった。俺も寄り道せずに帰宅した。
自己紹介カードなるものを明日までに書いてくるというのが唯一の宿題らしい。ということは明日は自己紹介か、気が重いな……。
いや、それよりも、解決しないといけなさそうな問題は目の前にある。
我が家のダイニングテーブル。俺の向かい側で神妙な顔をして、俺が淹れた紅茶を飲みながら口の中でぶつぶつ言っている女子だ。
「礼奈、今日、仕事は?」
「ん。さっきスケジュール帳見たらオフっていうか、フリ入れの映像確認と歌の確認だけだった」
「そうか」
どうやら、家でダンスと歌の自習をして覚えてこいということで、実際にどこかに出向く仕事ではないということらしい。
「うん、心配ありがとうね、啓一郎」
「いや、別に……」
なんだか素直で物憂げな礼奈に頬をかく。
礼奈がうちに来ることはそう珍しいことではない。というのも、家が隣同士……どころか、二世帯住宅として作られた住居なので、中で繋がっている構造になっているのだ。
うちの親がうちの祖父母と住むべく、二世帯住宅を息巻いて建てたものの、その直後に祖父は他界してしまい、祖母は老人ホームの方が楽しそうだと入居を決めた。
仕方ないので、空いた一世帯分に暮らす店子を探していたところ、ちょうどその時家を探していた岩瀬母娘が入居してくれたということらしい。(岩瀬家の父親は他界してしまったと聞いている)
岩瀬母も労働者、うちの両親も共働きであるため、なんとなくお互いの家に子供を預けるみたいなことをして、きょうだい同然で育ったのが俺と礼奈だった。
「……で、なにがあった? さすがに様子がおかしいけど」
「ああ、そうだよね……。あの、あたしもまだよく分かってないんだけど、現状『そう』としか思えないから、言うね」
俺はその表情を見て少し安心する。いつもの岩瀬礼奈の理知的な表情だ。
「信じて、啓一郎。あたし、啓一郎と結婚するために、10年後から2周目の人生をやり直しにきたの」
……前言撤回。何言ってんだこいつ。