8 ガロア村 下
ダークメイル討伐を終えてガロア村に帰ると、マーサちゃんがすでに村に帰って来ていた。村長いわく一人で山から降りて来たという。
「ムック、お前は一旦マーサと家に帰りなさい。家で美味しいものでも食べさせるといい」
村長がそういうとムックはわかりましたと返事をした後、ご主人の方を向いて頭を下げた。
「今日は本当にお世話になりました。妹もアストル様が言った通り無事帰って来ました」
涙目になりながら笑うムックにご主人は「ちょっと待て」と言って屈むと、マーサちゃんの体を確認し始めた。マーサちゃんはムックと似た麻の服を着ているが、ところどころが破けている。ただ、その奥の柔肌に傷などは一つもついていなかった。山の中を裸足で歩いたということで足の裏に少し切り傷がある程度だ。
「マーサ、質問だ」
ご主人はぽかんとするマーサちゃんの目を真っ直ぐ見て質問を始める。
「今好きな人はいるか?」
「え、なんで?!」
急な質問にマーサちゃんが驚いていると、ムックが真剣な声でマーサちゃんに声をかけた。
「正直に答えるんだ」
「え、いるにはいるけど」
こんな少女にも好きな人はいるらしい。
それにしてもマーサちゃんはさっきまでインキュバスに攫われていたとは思えないほど落ち着いている。
「ほう、それは誰だ?」
「うーん⋯⋯」
マーサちゃんはムックの方をちらっちらっと見ながらもじもじし始めた。
「ほう。わかった。もういい」
ご主人がそう言ってにやけるとマーサちゃんが吠えた。
「なにが分かったんですか!」
ご主人はマーサちゃんのぷんすかを無視して立ち上がる。
「お前の妹は心身ともに無事だぞ。質問はインキュバスの催眠にかかってるかどうか確認したかっただけだったんだが、とんでもないブラコンだったことが発覚したな」
マーサちゃんの頭をぽんぽんしながら説明するご主人にムックは再び深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
「マーサは自分で帰って来たみたいだけどな。まあいい。話はあそこのじいさんに聞くから、とりあえず今は家に帰って休め」
ムックは「わかりました」と返事をすると、テーブルの奥に座っている村長のもとまで歩いていく。
「村長、これありがとうございました。アストル様から大変高価なものだと聞きました」
「気にするな。それに再びインキュバスがマーサを襲わないとも限らない。大きくなるまではマーサにつけさせておいた方がいいかもしれないな」
「本当にいいんですか?!」
「かまわない。マーサもこっちに来なさい」
村長に呼ばれたマーサちゃんはどうしたのと言った様子で村長とムックを見渡す。村長が目線をムックにやるとムックは屈んで魔物避けの魔道具のリングをマーサちゃんにつけた。
「左手の中指だ」
「すみません」
ムックは村長の指示通りに付け直す。
指輪をつけてもらったマーサちゃんはぱあっと明るい笑顔になった。
「ありがとう!そんちょ!」
「大事にするんだぞ」
意外と子供思いなのかなとも思ったが、村長の顔は特に微笑んでいるわけでもない。何を考えているんだか分からない男だ。
素直で裏表のないムックとは対照的で、俺はどうにも好きになれないタイプだ。
「ありがとうございます。これでマーサも安心です」
「ちゃんとお前が守ってやるといい。今日はとりあえず家でゆっくり休みなさい」
ムックとマーサちゃんは最後にご主人に頭を下げると二人手を繋いで仲良く帰っていった。残されたのは村長とご主人の二人だけだ。今日は村長の息子のドイルくんや他の男衆はいないらしい。
「ずいぶんとあの二人を気にかけるんだな」
「あれくらいは当然のことです。それよりも。早くアストル様と二人でお話したいと思っていたんですよ。あなたもそうだったのでは?」
「私は別にお前と二人で話したいわけじゃない」
「それは失礼いたしました」
「ただ、気になることはいくつかある」
俺も村長に聞いてみたいことがいくつかある。
村長の行動は最初から結構怪しかった。最初に依頼を受けたときもマーサちゃんが魔物に連れ去られたというのに笑っていたり、逆にムックとマーサに高価な魔物避けの魔道具を渡したり、やっていることがチグハグなのだ。
「なんでもどうぞ」
村長は50才を越えた中肉中背のおじさんだ。特にがたいが良いわけでも特殊な格好をしているわけでもない。それなのにどこか油断ならない雰囲気を持っている。
この村長の特異さをわかりやすく表しているのは表情だろう。ご主人と話すときは特に不気味な笑顔をずっと顔に張り付かせていて気持ち悪い。
「マーサがインキュバスに連れ去られたところを見たのはお前の息子だけなんだな?」
「その通りでございます」
「お前の息子は過去にインキュバスを見たことがあるのか?」
ご主人はマーサちゃんを昨夜連れ去ったのが本当にインキュバスなのか疑っているのだろう。
確かに過去にインキュバスを見たことがなかったら、ドイルくんもマーサを連れ去っているのがインキュバスだと断定することはできない。
「いえ。ただ話に聞いたことはあると」
「どんな姿だと?」
ご主人から連投される質問に村長はすこし時間を置いてから答えた。
「人間とほとんど相違はないと⋯⋯」
「そうかそうか。月明かりしかない中、人間に擬態したインキュバスの正体を看破するとは、お前の息子はずいぶんと有能なようだ」
「いえいえ、ドイルの方はあんな感じで有能とは程遠い子ですよ」
村長はここで一拍おいてから、笑いながら抜け抜けと言い放った。
「もしかしたらマーサを連れ去ったのはインキュバスではなかったのかもしれませんな」
開き直りもいいところだ。
今回の件がインキュバスじゃなく人の犯行だとしたら、一体誰がマーサを連れ去ったというのか。もし、外部の盗賊なんかが誘拐したのだとしたら、まだ12歳のマーサちゃんが今日一人でひょっこり帰って来られるなんてあり得ない。つまり————
「お前が命令して村の誰かにやらせたんだな」
「⋯⋯」
こういう結論になる。
村長の沈黙は肯定だ。確かにマーサの誘拐が全て村長が企てた自作自演だとするなら辻褄が合う。おそらくムックには計画のことは黙っていたのだろう。あの真剣さが演技だったらもう何も信じられなくなる。
「とすると目的はダークメイルコブラか。あれを私にどうにかしてほしかったんだな? まだいまいち納得いかないところもあるが⋯⋯」
納得いかないというのはわざわざご主人を頼ったという点だ。本当にマーサちゃんがインキュバスに攫われてたならムックが最初にご主人に説いたように緊急性があるので近くに住んでいるご主人を頼るのもわかる。しかし、目的がダークメイルコブラを討伐してもらうことなら緊急性があったとは思えない。それなら普通に正規の手順で冒険者組合を頼ればいいのだ。
「騙していたことは謝罪いたします。ですが安心してください。約束していた通り、村の宝はお渡しします」
「そうだな。まあ気分はすこぶる良くないが報酬さえもらえればご近所さんの付き合いということで今回は不問にしよう。もちろん今後どんな頼みであっても私が聞くことはなくなったがな」
本当に気分の悪い話だ。今後の関わりを拒絶するだけなんて優しすぎると俺は思う。
「申し訳ありません」
「まあいい。それで村の宝というのはどんな物なんだ?」
「その前に一つ確認をよろしいですか。アストル様はご結婚はされていませんよね?」
急な質問にご主人は珍しく驚いた顔をする。質問の意図は全く分からないが、この質問なら俺にも答えられる。俺のご主人様は結婚どころか男の影も全くない。家を訪ねてくる冒険者の中にはご主人に懸想している男もそれなりにいるみたいだが、誰の彼も露骨にアタックするようなことはしていなかった。ご主人自身も特に興味がなさそうな様子だ。
「してたらなんなんだ?」
「いえ、していたとすると少々問題がありまして」
じゃあなんでそんなこと聞いたんだと思ったが続く村長の言葉に俺もご主人も絶句した。
「というのも、ここガロア村の宝というのはですね。実は子宝なのです。ですから旦那さんがいるのであれば普通必要がないでしょう?」
「⋯⋯」
村長の表情や声のトーンは先ほどから全く変わっていない。特に冗談とかではなく真剣に言っているのだ。村の宝は子宝だと。それ自体は当たり前のことなんだが、それをご主人に渡すということはつまり「そういう」意味なのだろう。
「実は私もまだ現役なんですよ。本人たちは知りませんがムックもマーサも私の子です。この村にはそういう家がいっぱいあります」
衝撃の事実のオンパレードだ。村長が彼らのことを妙に気にかけていたのはそういう事情があったからなのか。そしてそういう子供が他にもいっぱいいると。
そしてなによりもご主人に対して、子供を孕ませてやるのが報酬だと言う考えが理解不能だ。
「チッ、初めからただ働きだったってことか」
もちろん村長も「報酬」をご主人が受け取るとは思っていないのだろう。だからタダ働きというわけだ。
ご主人が帰ろうとして玄関の扉を開ける。
するとそこには、さっき村長の家にいた4人の男衆が立っていた。その中には村長の息子のドイルくんもいる。
160cmないくらいのご主人は見上げる形になってしまう。
「実は最近、この村が盗賊団に襲われましてね。村の女性が半分ほど攫われたんですよ。だから彼らも私も溜まっていてですね。どうですか。少し相手になってもらえませんか?」
いや、強制的に「報酬」を渡すという方針のようだ。
「お断りだ」
出口を塞がれてもご主人は毅然とした態度を崩さないが、ドイルくんが文字通り上から目線で言ってくる。
「ダークメイルコブラは強かっただろう。2年前から少なくなっちまったあんたの魔力ももう底をついたはずだ。魔法の使えないあんたなんて、ちょっと綺麗なただの嬢ちゃんだからな。抵抗はしない方がいいぜ。そしたらキモチヨ〜クしてやんよ」
ご主人がもう一度魔法が使えるのか分からない俺は冷や冷やして仕方がない。アホ毛の俺でも本気を出せばこんな男たちなんて多分イチコロだ。
2年前ご主人に殺されそうになったことについてはもう根に持ってない。実際ご主人からしたら当時の俺は凶悪な魔物だったわけで戦うのは自然な流れだったし、俺の方もご主人を魔法が使えない体にしてしまった。被害者意識よりも罪悪感の方が勝っている。
それに俺はこの2年間、ご主人の頭の上をずっとお借りしているのだ。もちろん賃貸料なんて払っていない。恩返しという意味でも本当にご主人が襲われそうになったら自分が戦おうと俺は決意するのだった。