7 ガロア村 中
ダークメイルコブラの巣穴の中はひんやりとしていて涼しかった。正直、この体は暑くても寒くても不快感は感じないが、心地いいときはちゃんとそう感じるのだ。
しかし、感情面ではプラスの感情もマイナスの感情も両方感じる。そこは前世で人間だったころから変わっていない。
今はどちらかというとマイナスの感情に傾いていた。巣穴の中にすたすたと迷いなく進んでいくご主人は腰に装着したナイフ以外では丸腰だ。後ろを不安そうについて来ているムックに至っては足手まといにしかならないだろう。
話を聞く限り、俺に対してよく分からないくらい強力な魔法をバシバシ打って来た2年前とは状況が違うらしい。今でもご主人がちゃんと戦えるのか少し心配だった。
「そんなに緊張するな。私を誰だと思ってる」
一瞬話しかけられたような気がしてドキッとしたが、ムックに対していった言葉だとすぐにわかる。
「いえ、アストル様がダークメイルコブラやインキュバスに遅れをとるはずがないことは承知しています。ただマーサが無事かどうかはまた別の————」
「だから私を誰だと思っている。私は助けると決めた者は一人も残らず守って来た。転移魔法が使えなくなった今でもそれは変わらない」
ものすごい自信だ。ここ2年間家に引きこもっていた人間の発言とは思えない。
ムックには隠しているが山歩きに疲れて息も乱れている。普段の運動不足の結果だろう。
一本道の洞窟を進んでいくとすぐに洞窟の最奥にたどり着いた。
「おでましだ」
そこには電車と同じくらいの太さはあるんじゃないかという大蛇が鎮座していた。
所々洞窟内に入り込んでくる日差しが照らす大蛇の鱗の色は濃い灰色だ。鱗はいかにも硬そうな質感でゴツゴツとしている。
そんなダークメイルコブラはとぐろを巻いてすやすやと寝ていた。しかし、寝ているにも関わらず圧倒的な存在感がある。
ムックはそれはもうビビり散らかした、か細い声でご主人に話しかけた。
「蛇はとぐろの中に獲物を閉じ込めてゆっくり捕食するって⋯⋯」
「よく知ってるな」
顔を青ざめさせるムックとは対照的に、ご主人は顔色一つ変えずダークメイルコブラに近づいていく。
「ほら起きな!」
そういってダークメイルコブラの鼻を思い切り蹴った。
大した威力もなくダメージになるような蹴りではなかったが、怒らせるのには十分だった。
「キュローーーーー!!」
大きな鳴き声と共に起床したダークメイルコブラは即座に頭を起き上がらせて、口を大きく開けた。そのまま目の前のご主人に噛み付く。
「走れ!」
ご主人はムックにそう指示しながら自分は飛びずさって噛みつきを回避した。それからすぐに立ち上がり、一目散に走るムックの後ろを追ってダークメイルコブラを背に走り始める。
あんまり速くない。ご主人の全力疾走は初めて見るが、みるみるうちにムックに置いてかれた。
そして走り始めてから10秒も経たないうちに、ダークメイルコブラに追いつかれそうになる。そのとき、ご主人はがばっと後ろを振り返った。これはいよいよ俺が出るしかないか。と思ったときご主人のつぶやきが聞こえた。
「よし、いないな」
空間魔法【断空】
何かを確認した次の瞬間。ダークメイルコブラの首が落ちた。
ご主人は手をかざすとかそういった動作は何もしていない。見たことのあるような光景だ。2年前俺もこうやって首を落とされた。最強の魔法使いは健在だったのだ。
そう思った矢先、ご主人が膝から地面に崩れおちた。手で胸を押さえて苦しそうにしている。
「アストル様!」
状況を察知したムックが入り口の方から戻って来た。ダークメイルコブラは死してなお、首から下の胴体がびくんびくんと跳ね回っていて、今にも近くのご主人にぶつかりそうな勢いだった。
「ここは危険です! いったん外に出ましょう」
「お前の妹はいないみたいだ」
さっきのいないなというのはマーサちゃんがいるかどうかの確認だったのだろう。
「っ。本当ですか!」
「すまん。少し肩を貸してくれ」
ご主人はそのままムックに肩を借りて洞窟の外に退避した。
俺のご主人様に肩を貸すなんてムック許すまじと思ったが、自分は一体ご主人のなんなんだ?とふと思う。 もちろん俺はご主人のアホ毛なのだが、最初は自分が生き残るための隠れる手段としてアホ毛になった。それが今は隠れることそっちのけでご主人がピンチになったら助けようなどと考えていた。
そもそもご主人は俺を殺そうとしていたのだ。
胸を押さえて苦しそうな表情をしているご主人の顔を見て思った。魔法を一発打っただけでこうなってしまう今のご主人は俺を殺すことはできない。もうこうしてアホ毛としての地位に甘んじている必要はないのだ、と。
****
ダークメイルコブラの巣穴から出てきたご主人とムックは木の根が地面から浮き出ているところに座って、しばし休むことする。それから少しして出てきた直後よりは顔色が良くなったご主人は、なんで寝ていたダークメイルコブラを蹴ったのかというムックの疑問に答えていた。
「お前も言ってただろ。蛇はとぐろの中に獲物を捕まえておくって。あの中にお前の妹がいる可能性は否定できなかった」
「そうだとしてもあんなにすごい魔法があるなら、寝ている間に一発打ち込んで終わりだったじゃないですか。わざわざ起こしてから走って逃げるなんて必要ないでしょう?」
「わからないか? くたばった後あの蛇はどうなった?」
ご主人の口調もムックが最初家に来たときよりはいくらか緩やかになっている。実際ムックは少し頭が固いだけで基本的に実直な男だ。
「頭が落とされたのに体は暴れてました。ってそういうことか! もしマーサがダークメイルコブラに巻き付かれた状態で殺してしまったら、マーサまで潰されてちゃうってことか」
「そうだ。少しは自分で考えろ」
「すみません⋯⋯」
謝ってしょんぼりしてしまうムック少年。やっぱり妹のマーサちゃんのことが心配なんだろう。同じ屋根の下で寝ていたのに連れ去られてたとあっては、自分がしっかりしてなかったせいだと自分を責めてしまうのも無理はない。
「よし! いったん村に戻るぞ」
「え、探さないんですか?」
「手がかりがないと探しようがないだろ。気は進まないがもう一回村長の息子に話を聞こう」
確かにダークメイルコブラの巣穴の中にいないんだったら、他に探すあてはない。最悪のパターンはもうあのコブラの腹の中に食われてしまっていたという可能性だが、それは今考えても仕方のないことだ。
マーサちゃん捜索が一旦白紙に戻ってしまって落ち込むムックの肩にご主人が手を置いた。
「心配するなとは言わない。けど、今お前の目の前にいてお前の妹を助けると言っているのが、他ならぬ私だということを忘れるな」
「アストル様⋯⋯」
「私が今まで守れなかったのは一人だけだ。そいつも守ってやらなくちゃいけないって気づいたのは全てが終わった後だった。とはいえ、魔法がろくに使えなくなっただけで今も元気に生きている。まとめると、そうだな。お前の妹も絶対に無事ってことだ」
守れなかった一人というのはきっと自分のことを言っているんだろう。さっきご主人が魔法を使って苦しんでいるところを見て憶測が確信に変わった。俺がアホ毛になってからなんでご主人は魔法を全く使わなくなったんだろうと疑問に思っていた。
使わなくなったのではない。2年前の俺との戦いがきっかけでご主人は魔法が自由に使えなくなってしまったのだ。口では元気に生きているとは言っているが、俺のせいで冒険者としての輝かしい未来を奪われてしまったご主人は本当に幸せなんだろうか。
それに昔と違って、今のご主人に誰も彼も完璧に守り切るなんてできるとは思えない。
「なんでそんなに確信を持って言えるんですか?」
ムックも俺と同じ疑問を持ったようだ。
「なんとなくだな」
「え」
「はずれたことはないから安心していい」
そうして二人は山を降りて、ガロア村に戻った。
そのまま村長の家を訪ねるとちょうど12歳くらいの女の子が玄関から飛び出てくる。
「お兄ちゃーーん!!」
女の子は飛び出て来た勢いのままムックに抱きついた。
「ほら、言っただろ?」
「マーサ⋯⋯。よかった。本当によかった⋯⋯」
ご主人は得意げにムックに話しかけるが、話しかけられたムックは安心と動揺でよくわからない顔になりながらも妹のマーサちゃんを一心に抱きしめていた。
無視されたご主人がむっとして奥で座っている村長に目を向ける。
確かにインキュバスに連れ去られたはずのマーサちゃんがここにいるのはどこかおかしい。
「これはどういうことですか?」
「いやいや、すみません。アストル様が出立なさった数刻後に山の方から一人でひょこっと帰って来ましてね。お騒がせして申し訳ありませんでした」
そういって頭を下げる村長は不気味な笑みを浮かべていた。