4 蹂躙 【side アストル】
空間ごと対象を真っ二つにする空間魔法 【断空】で人型黒獣の首をはねた後、残された胴体がどろりと液状になるのと同時に城壁の上に転移した。
「ふう⋯⋯」
霊薬の影響で身体中が痛い。魔法を使うと減った分の魔力を急いで供給しようと魔力器官が無理をするので、その度に体に激痛が走った。魔力器官は神経のように全身に張り巡らされていて全身が痛むのだ。
立っていることもままならないので城壁の上に腰掛けて、人型黒獣の様子を観察する。すると黒獣は全身ドロドロの液体になったあと、みるみるうちに姿を変えて行った。
「そっちの方がお似合いだよ」
黒獣は最終的にスライムのような形になった。ブラックスライムとでも呼ぶべきその姿は、全身が均一に真っ黒でなんともおぞましいが、真っ黒のくせに人の形をしているときより幾らかマシだ。
空間魔法 【断空】
黒獣が動き出す前に魔法を放つ。さっき黒獣の肩に乗ったときに魔力刻印を黒獣に埋め込んでおいたので、照準しなくても自動的に命中する。
再び切断される黒獣の体。しかし、それは切ったそばからすぐにくっついてしまう。
それならと今度は【断空】を連続で発動して再生が間に合わないように次々と打ち込んでいくも、切っても切っても黒獣は再生していった。
しかし、五、六回切り刻んだあたりで、自分が切られ続けるのも癪だとでも思ったのか黒獣は素早く右へ左へと動き回り始めた。
「全然見えない⋯⋯」
黒獣の動きはそれはもう凄まじい速度で、動体視力がかなり良い私でもその動きを目で捉えることはほとんどできない。
最初に魔力刻印を埋め込んでいたおかげで【断空】は変わらず命中するが、それがなかったらこの時点でほとんど詰みだったと考えると恐ろしい。冷や汗と一緒につい苦笑いが漏れてしまう。
はたして【断空】が効いているのかどうかは分からないが、とりあえずは様子を見ることにした。後手にだけは回らないように変わらず黒獣を切り刻み続ける。ぱっと見簡単に再生されて効果がないように思えるが、いちいち高速移動して避けていることを考えると少しは効いているのかもしれない。
ただ魔力消費が激しい空間魔法の中では比較的燃費の良い方の魔法とはいえ、ここまで連続で【断空】を使うのは初めてのことだ。普段なら【断空】一発で終わりなので、連続使用なんてめったにしない。
これだけ使っているといくら大量の魔力量を誇る私でもそろそろ魔力切れを起こしてしまう頃だが、霊薬を飲んでいるおかげでその心配はない。霊薬による強制的な魔力回復のおかげだ。
代償に全身に襲いかかる激痛は相変わらずだが、敵には余裕がないところなど見せられない。痛みを我慢しながらもいつも通りうっすらと笑って【断空】を撃ち続けた。
すると黒獣が今度は小さくしぼんでいく。同時に人型に戻り、大きさもちょうど普通の人間と同じくらいになった。そのまま変わらず走り回って魔法を避けようとしている。
速度は今までと変わらないがより小さくなった分見えづらくなった。どちらにせよもともと目で追えておらず魔力刻印での索敵をしていた私には関係ない話だが、普通の魔導士相手ならかなり有効な手だ。人型をとるだけあって知性のある魔物らしい。そういえば他の3体の黒獣たちも知能は高いのだった。
(今しかないっ)
私は小さくなった黒獣相手でも【断空】が変わらず命中することを確認すると、切り札を切ることに決めた。
気合を入れるために負担を強いている体に鞭打って立ち上がる。こういうのには気合も大事だ。
私が扱える三つの空間魔法、空間を越える【転空】、すべてを切り裂く【断空】。そして三つ目、最初の二つが万能すぎるので、今まではほとんど使う機会のなかった魔法を発動した。
空間魔法【混沌】
両手のひらの上にそれぞれ空間が歪んだような模様の無色の球が一つずつ出現する。この魔法は術式の複雑さ故に、私の世界一優秀な魔力器官をもってしても手のひらの上に生成することしかできない。つまり【断空】のように魔力刻印をマーカーとして直接黒獣の体に魔法をぶち当てることはできない。
だから魔力刻印に対して自動的に追尾するよう【混沌】にアレンジを加える。
大きさも手のひらサイズが限界だ。
それでも普通の人と同じ大きさになった今の黒獣になら、効果は期待できるはず。
覚悟を決めて右、左と手を振って【混沌】を打ち出す。
投げた方向は適当だが、自動追尾の効果で黒獣目掛けて飛んでいっているはずだ。
2回激突音が聞こえる。黒獣は走り続けており見えないままなので状態はわからないが、少なからずダメージを負っていると信じたい。いくら黒獣といえど【混沌】を防ぐことはできないはずだ。
この球の性質は魔法の名前通り混沌。触れた物を元素レベルでバラバラにしてしまう破壊の極地だ。魔力も魔素という非物体型の元素に分解してしまうので、魔法での防御もできない。
「ガハッ」
その代わり魔力消費は膨大で。二発の【混沌】を打っただけで、私の魔力は総魔力の半分を消費してしまった。消費した分は霊薬のおかげですぐに満タンまで補充されるが、そのときにかかる魔力器官の負担ははかりしれない。
咳が出たと思って手を口に当てたら、手が真っ赤に染まった。
黒獣はまだまだ元気に走っている。この体にもまだまだがんばってもらわないと困ると構わず【混沌】をフォラスト大森林の方に走っていく黒獣の背中に連射していく。
遠すぎて射程範囲外になると、黒獣に付けておいた魔力刻印をマーカーに転移する。
転移直後、黒獣がものすごいスピードでこちらに向かって走ってきていた。
(くそっ、はずれ引いた)
長距離での【転空】はあまり精度がよくないのだ。運悪く黒獣の進行方向に転移してしまったのはかなり痛い。次に【転空】を使用できるまでのクールタイムはおよそ1秒。黒獣の突進を回避するには間違いなく間に合わない。
(イチかバチか⋯⋯)
両手に待機させていた【混沌】をそのまま目の前の黒獣に向けて発射する。
すると黒獣は私の体をかわすようにして横に抜けて行った。【混沌】もぐにゃりと曲がって爆発音がする。無事命中したようだ。黒獣はまたフォレスト大森林の方に逃げていく。
「命拾いした⋯⋯ゴホッ」
再び血反吐がでる。体にかかる負担がそろそろ命にかかわるレベルになってきた。魔力を空っぽにしては満タンにするというサイクルを霊薬によって何度も強制させられている魔力器官はもうボロボロだろう。
「ああもう霊薬が切れてきた」
加えて魔力回復のペースがかなり緩やかになっているのを感じる。あれだけ飲んだ霊薬がもう切れてしまっているのは【混沌】を連発した反動だろうが、ここで魔力がなくなるのは致命的だ。
そして黒獣が私のことを脅威だと思って攻撃してこない今こそが好機。この期を逃して、黒獣の方から私に攻撃してくるようになったら戦いにすらならなくなってしまう。
私は小瓶に残っていた霊薬をすべて飲み込んだ。
再び体が魔力で満ちていくのを感じる。
副作用の激痛は慣れてきたが、逆に頭がぼーっとして体が脱力してしまう。限界が近いのかもしれない。
「やるぞ」
私は気を張りなおすと、再び【混沌】を両手に生み出してから黒獣のもとまで転移した。
転移先は少し開けた場所だった。今度も目の前に黒獣が迫ってきていて運が悪い。しかし、さっきよりは離れた位置に転移できた。即座に両手の【混沌】を打ってから【転空】の準備をする。
(そうくるか!)
黒獣は猛スピードで迫ってきておりほとんど視認できないが、こちらに殴りかかってくる様子がぼんやりと見えた。
ギリギリで【転空】が間に合って回避はできたものの、これはかなり厳しい状況だ。
黒獣が後ろに転移した私を振り返る。その真っ黒な顔は殺意の形をしていた。
ここまで戦えていたのは黒獣が私を攻撃してこなかったからだ。それが覆された今、いよいよ厳しい戦いになる。少なくとも【転空】を最速で使い続けて、攻撃を避け続けなければならない。
黒獣の体は【混沌】を何発も受けた影響か所々崩れているが、まだまだピンピンしている様子だ。
対してこちらは満身創痍。切り札も切ってしまった。あとは気合でがんばるしかない。
【転空】
まずは転移して攻撃を避ける。黒獣がこちらを見失っている間に【混沌】を両手に生成。即座に打ち出して、また転移。そうやって黒獣の拳をすれすれで交わしながら、【混沌】でちくちくとダメージを重ねて行った。
(やばい⋯⋯。今一瞬意識飛んだ)
私の方も魔法を使うたびに体力も削られている。薬で強制的に働かせている魔力器官もそろそろ限界だ。
魔力器官は全身の器官と密接につながっている。もちろん脳にも。その影響かわからないが意識が一瞬飛んでしまった。黒獣から放たれる圧倒的な殺気によってすぐに覚醒できたことで命拾いした。
死と隣り合わせの近距離戦が始まってどれくらいの時間が経っただろうか。1分も経っていないような気もするし、1時間くらいは戦っていたような気もする。
朦朧とした意識の中でなんとか【転空】と【混沌】だけは使い続けた。
霊薬の効果も再び切れ始めてきて、もう無理かもしれないと思っていたところだ。あれだけ激しく動き回って殴りかかってきた黒獣の動きが急に止まった。
止まった黒獣を見る。
さっきまでは大男ほどの大きさだった黒獣は、幼児かというくらい萎んでいた。
体はさっきよりも欠けている部分が多く、今にも崩れてしまいそうな様子だ。
(これは勝ったのか⋯⋯?)
何を思ったか黒獣は腰を下ろすと頭を地面につけて這いつくばった。それから聞いたこともない言語でなにか言ってくる。魔法の詠唱だろうか。
「させないよ」
黒獣が顔を上げたところに、残りの魔力でなんとか【混沌】を打ち込んだ。黒獣の体が爆散する。
小さい生首だけが頭の上に吹っ飛んで来た。こいつは生首だけでも生きることができるのだ。私は最後の最後の魔力を振り絞って【混沌】を打った。
供給された魔力が少し足りなかったせいか、不完全な【混沌】になってしまった。残りカスが頭に落ちてくる。
(足りなかったか⋯⋯)
私はそう思い残して意識を手放した。