3 進撃 【side アストル】
城塞都市フォラリオの中央広場。竜の死体の隣を気だるそうに歩く黒髪ポニーテールの女性がいた。
「はあ、眠たい⋯⋯」
ため息を一つ吐くと、「お疲れ様です!」「忙しい中駆けつけていただいてありがとうございました」と周りにいた衛兵たちが我先にとパンやら水やらを差し出してきた。
黒髪の女性は内心対応するのめんどうくさいなと思いながらも「まだ終わってないから油断しないで」と手で断りを入れ、肌がひりつくような危ない気配と共にどすんどすんと地鳴りが響いてくる方向にゆっくりと歩いて行った。
『最上の冒険者』、『一発屋』、『次元の支配者』。彼女のことを指す異名は無数にあるが、一番世の中に浸透しているのはやはり『救世主』だろう。子供たちが救世主様と口にしたとしたら、それはもれなく彼女のことを意味する。
名をアストル、30手前という若さにして世界に5人しかいない特級冒険者の一人である。
空間魔法の使い手である彼女は、世界各地の危機に颯爽と駆けつけ、一瞬で解決する。間に合わないなんてことは一度もない。それゆえに救世主。一人の人間が背負うにはいささか重すぎる期待を背負いながら、今日もアストルは赫竜を討伐した。赫竜とは赤竜の上位種で魔物の中では最上位クラスの危険度を誇るのだが、アストルはいつも通り魔法一発で首を刎ねてしまった。
そんなアストルのもとに、城壁を守っていた衛兵が走り寄ってきた。
「救世主様! フォラスト大森林の方角から再び正体不明の魔物が現れました!」
予想通りの報告とはいえ、面倒なことになってきたとアストルは再び気を引き締める。
衛兵の言うフォラスト大森林とは強力な魔物が多数跋扈する世界有数の危険地帯だ。周りを山脈に丸っと囲まれた盆地に位置していて、先程討伐した赫竜を頂点とした弱肉強食の生態系は、侵入者をことごとく帰らぬ人としてきた。
そう、侵入者をだ。
ふつうフォラスト大森林の魔物たちは縄張りに入ってきたものには容赦しないが、街まで出てきて人を襲うということはなかった。例外はあるが、たまに街に降りてくるような魔物たちは大森林の中の生存競争に敗れた者で、この城塞都市フォラリオに常駐している冒険者たちだけで対処するのは簡単だ。
しかし、今回はわざわざアストルが遥か遠くから呼び出されてしまうほどの事態に発展した。その普段はフォラスト大森林から出てこない強力な魔物達による大侵攻があったのだ。昨日から今日にかけて大森林の首魁である赫竜を筆頭に強力な魔物達が次々と城塞都市フォラリオに殺到してきた。
突然の侵攻を受けながら事態をなんとか把握した冒険者組合フォラリオ支部は、即座に組合本部に連絡。ちょうど寝る準備をしていたアストルのもとに本部から連絡が届き、住民の避難を済ませて魔物たちの猛攻に対してぎりぎり持ち堪えていた冒険者と衛兵のもとにアストルが駆けつけた。
フォラリオに到着したアストル都市内で暴れていた魔物を次々と屠っていき、最後にはフォラリオを越えてその先の街の方へ向かっていた赫竜を仕留めて、その死体と共に中央広場に転移してきた。
親玉を仕留めてひと段落かと思った矢先、聞こえてきたのが微かな地鳴りだ。よく考えてみればフォラスト大森林の主であった赫竜が自ら前線にでてきたことから、まだ他に上の存在がいることが予想できることだった。
一方で衛兵からされる予想通りの報告の続きは、アストルの予想外のものだった。
「人間の形を模した格好をしていますが、体の色は全身真っ黒で、大きさも城壁をはるか越えるほどです!」
城壁を遥かに越える大きさ。それは大した問題ではない。それくらいの大きさの魔物なら今までにいくらでも討伐してきた。大きいということは的が大きいということ。魔法が当てやすいのはアストルにとっては好都合だ。
問題なのはその色。体が黒色というこ部分だ。魔物にとって黒色の体は最強の証。特に完全な黒色の体を持つ魔物は黒獣と呼ばれる。世界に三体だけ存在するという黒獣、それぞれ黒竜、黒炎、黒狼と呼ばれる彼らに対して、絶対に敵対してはいけないという人類共通ルールがあるくらい彼らの力は圧倒的だ。
逆にいうと完全な黒を体に持つ魔物は彼ら以外に存在しないということでもある。
真っ黒というのは恐怖心から誇張してそう見えてしまっただけだろうなとアストルは思い直した。黒に近い色をした魔物はたしかに強いが、アストルからしてみたらただ強いだけだ。黒獣の三体に比べれば天地の差。実際にさっき倒した赫竜の鱗も黒に近い暗赤色だった。
「すぐに向かう」
衛兵がうなずくのを見て、アストルは状況を確かめるため近くにあった家の屋根の上に転移した。正式な魔法名は空間魔法【転空】だが、本人も転移と呼んでいる。
暗視の魔法を発動しフォラスト大森林の方角を見ると、城壁の奥に「それ」がいた。
人型で城壁を越える大きさ。城壁が膝のあたりまでしかないほどの馬鹿でかさだ。まあそれは報告通りだ。常識外れな大きさに驚いたがそれだけなら討伐に問題はない。
しかし、その色。
衛兵が真っ黒だと言っていた、その色はアストルに絶望を与えた。
(もうあれは真っ黒なんてものじゃない⋯⋯)
アストルは黒獣の中の一体、そのなかでも一番人に対して友好的と言われている火の鳥、黒炎と一度会ったことがある。正真正銘この世界の絶対的強者と対面したとき、彼女は戦うことはできるが勝つことはできないと感じた。互角に戦えても、最終的に魔力に限りがある自分が負けるだろうという判断だ。
そんな黒炎の炎の色は真っ黒だった。揺らめく炎の黒色は半透明でとても綺麗だったと覚えている。
それに比べ、アストルの視線の先に見える黒は————、
(闇だ⋯⋯)
城壁の前に今も突っ立っている人型の魔物は、黒いというより真っ暗だった。光を全く反射しない濃密な闇。衛兵の松明にしっかりと照らされ膝まわりの部分も夜の闇に染まっていた。
黒色の程度が黒獣の格を示す指標であることから考えても、目の前のあれは黒炎よりも格上の存在だ。黒炎を越える黒獣。そんなものと戦わなければいけないなんて考えるだけでアストルは気持ち悪くなった。
(こんなのいくら私でも無理だ)
この時点でアストルは心が折れていた。黒獣を相手にするなんて、人類最強を語る上でまず最初に名が挙がるアストルをもってしても厳しすぎる。彼らは決して人が届くような存在ではない。逆立ちしても倒すなんて夢のまた夢だ。
「あ⋯⋯」
城壁の前に佇む人型黒獣がなにか話している声が時計塔まで聞こえてきた。体の大きさの分だけ声量は大きいが、あんな奇妙な体をしているのに至って普通の声だった。それが逆に気持ち悪い。話の内容は全くわからなかったが、きっとおどろおどろしいことを言ったに違いない。
人型黒獣はそれから膝を地面につくと、必死に矢を射っている衛兵たちを押し潰さんと両手を上に掲げた。
(危ない!)
と心の中で叫びつつも、体はピクリとも動かない。今までこんなこと、人を助けようとして体が動かないなんてことは一度もなかった。
(怖い⋯⋯)
それは彼女は生まれて初めて経験する恐怖という感情だ。
(助けないと)
頭では分かっていても体が動かない。恐怖が完全に体を支配していた。
固まったまま城壁の上の人々の行方を見守るアストル。その思いを知ってか知らずか人型黒獣はなぜか衛兵たちを攻撃することはせず、衛兵が城壁から降りていくのをそのまま見送った。
(良かった⋯⋯)
しかし、味方の一時離脱にひとまず安心したのも束の間、再び立ち上がる新しい黒獣にアストルは再び体をこわばらせる。
黒獣は立ち上がったまま城塞都市フォラリオをじっと眺めはじめた。自分がけしかけた魔物達がすでにいなくなっていることに疑問でも覚えたのか、都市をじっと眺めている。もしそうだとしたら、魔物達を一匹残らず殲滅したのはアストルだ。
この都市の住民を守るためとはいえ、黒獣に対して意図せず敵対してしまったことにアストルは激しく後悔した。圧倒的な力を持つ黒獣が、ほかの魔物に対して仲間意識を持つなんてことは万に一もないだろうが、自分の行動を邪魔されたことを不快に思うということは十分にある。
黒獣と敵対してはいけない。その原則は絶対だった。敵対して、黒獣が人類に対して敵対心を持ったが最後、人類には絶滅の道しかなくなる。
そもそも魔物をけしかけてきた時点で、あの人型黒獣が最初から人類に敵対心を持っていたと考えれば、もはやどうしようもなかったのかもしれないが、後悔は尽きなかった。
「どうしたものか⋯⋯」
つい独り言が漏れてしまう。このどうしようもない状況の中でどうすればいいのかアストルは分からなくなっていた。それに早く判断しなければいつ人型黒獣が城壁を越えて攻めてくるとも限らない。アストルは焦りながら頭を回転させる。
人類を攻撃する黒獣が生まれてしまった以上、人類が絶滅するという未来はほとんど確定した。
そうなったときにアストルに残された選択肢は大きく分けるなら三つ。一つ、戦う。二つ、逃げる。三つ、助けを求めるだ。
三つ目の選択肢は考えついた側から破棄された。自分よりも強い人類なんていないし、他の黒獣である黒炎に協力を求めようにも応じてもらえるとは考えづらい。むしろ、今まで誰にも頼ってこなかった自分からよくこんな選択肢が出てくるなと驚くくらいだ。
現実的なのは二つ目の逃げるだ。転移魔法があれば、人類が滅びていくのを横目に見つつ、最後の人類になるまで隠れ続けることもできるだろう。ただ、それをすると今まで世界各地を駆け回って魔物達と戦い続けてきた生活は何のためだったのかとも思ってしまう。
一つ目の選択肢の戦うは論外だ。アストルは自殺趣味があるわけではない。人々を救いたいという気持ちはなくはないが、戦っても黒獣を倒すことは不可能。できてアストルの魔力が尽きるまでの時間稼ぎくらいだろう。時間稼ぎすらできずに、瞬殺されてしまう可能性だって少なくない。今までアストルが魔物たちに対してやってきたように。
(栄誉のために戦うか。すべてを捨てて逃げてしまうか⋯⋯)
今まであらゆる強大な魔物を屠ってきたアストルは、意外にも命をかけて戦うということは今まで一度もなかった。他の冒険者達にとって魔物討伐は生き死にをかけた戦いであるのに対して、アストルにとっては頼まれたからやるお使いとさして変わらなかった野田。
ゆえに『救世主』などと呼ばれてもバツが悪いだけだった。
(逃げよう。救世主なんて私には荷が重い)
アストルは元々孤児で冒険者になってからも人付き合いが少ないままだ。自分の命をかけてまで守りたいと思う人なんて一人もいない。
いつのまにか家の下にはアストルを期待の目で見つめる冒険者やら衛兵やらがぞろぞろと群がっていた。
アストルはとっさに声を出す。
「お前たち! 早くにげろ! 状況が分かってないのか!? フォラリオにまだ残っているやつはまとめて全員今すぐ逃げろ!!」
「救世主様! 逃げろなんて言わないでください!」「せめて救世主様が戦っているところを見させてください!」「救世主様が負けるわけないですよー!」
「何を言っているんだ! そんなわけないだろう! 相手は黒獣だぞ!? いくら私でも時間稼ぎが関の山だ!」
しっかりと状況を説明しても、下に群がっている人々達は変わらず歓声を上げ続けている。勝とうが負けようが関係ないですだとか、やっぱり救世主様が負けるわけがないだとか、現実を見れていない発言ばかりだ。
「馬鹿しかいないのか⋯⋯」
状況判断もできず、アストルの戦いを見るためという馬鹿げた理由で逃げることもできないバカたちだ。アストルが逃げようと思っているなんて欠片も思っていないのだろう。
でも期待に満ちた彼らの顔を見ていると、不思議と胸が痛んだ。
「はあ、これはもう一人で逃げられる雰囲気じゃないな」
アストルは観念すると腰のポーチから瓶を取り出して、瓶の中の丸薬を大量に手のひらに出した。
魔力補給用の霊薬である。市場には出回らない特注品で、アストルが黒炎と会う前に念の為に用意していたものだ。
効果は単純。魔力の回復だ。魔力が枯渇しているときに一粒飲むとすぐに魔力が満タンまで回復するという、魔導士からしたら喉から手がでるほど欲しい逸品。
アストルはそれを大して魔力を消費していない状態で飲み込んだ。それも10は越える霊薬を一気にぼりぼりと噛み砕く。
霊薬の効果は詳しくいうと、魔力の回復ではない。魔力を作り出す体の組織である魔力器官の一時的な超活性化だ。それによって間接的にもたらされるのが魔力の回復というわけである。
さて、魔力が十分にある状態で霊薬を飲むとどうなるか。活性化された魔力器官は魔力を次々と生み出し、増えすぎた膨大な魔力は服飲者の体の中でのたうち周り暴走する。
「やるか⋯⋯」
アストルの体は溢れんばかりの魔力で満ち溢れていた。その代償として体は軋み全身が激痛に襲われていたが、アストルだからこそそれだけの副作用で済んでいたとも言える。
「今までもそうしてきた」
アストルは激痛を我慢し、ニッと口をにやけさせた。相手の力は今までと比べ物にならないが、アストルはいつもこうして笑いながら戦ってきた。
一度目を閉じる。
(それが私の生き方なんだ⋯⋯)
心の中から自然と出てきた言葉に自分で深く納得した。人を救うとかそういった大層なことをしたいわけじゃない。自分のために戦うのだ。
アストルは生まれたときからそうしてきた。覚えている最初の記憶は露店から果物を盗んだ記憶だ。生きるためならなんでもやった。それは冒険者になってお金に困らなくなってからも変わらない。自分が胸を張って生きられるように戦い続けてきた。雨の日も風の日も毎日毎日、世界各地に赴いては魔物を討伐した。確かに疲れるが、それが自分の生き方だった。
そんな生き方を今更変えるなんてできはしない。命がかかっていようともそれは変わらなかった。
目を開ける。
黒い瞳。
黒い髪と合わせて昔から色々と噂されてきたが、特別な事情があってその色になったわけではない。たまたまそういう色だったというだけだ。
それでも黒獣と戦おうとしている今、自分も黒いのだと思えばなんだか心強かった。
空間魔法【転空】
城壁のそばで突っ立ったままの黒獣。その肩に転移した。
「上から目線で見物かい?」
声をかけつつ、黒獣の首元に手を当てた。
空間魔法【断空】
「街の方じゃなくて。こっちを見なよ、クロスケちゃん」
切断されて落ちていく生首を見ながらアストルは決意した。
(やりきろう。最期まで)