2 蹂躙
いま自分が生首になって地面に落ちている。
タナカはやけに冷静にそんな状況を理解した。しかし同時に強い感情が込み上げてきた。
(死にたくない⋯⋯)
そう思った瞬間、タナカの真っ二つに別れた頭と体がそれぞれ外形を失い泥状の物体になった。体がくずれていくときにそれらは合体し、やがて横100メートル縦70メートルくらいの楕円形の真っ黒な物体、すなわち生まれたときの姿に戻った。
タナカは生まれたときの記憶が曖昧だったせいか、自分の姿に戦慄していた。今の自分の体を説明するのに思い当たる名前を知っていたからだ。
(生きてる?! というかこの体はなんなんだ!? 完全にスライムじゃん!)
スライムといえば異世界ものの世界では最弱の生物として名高い存在だ。さすがにただのスライムではないとは思うが、そんなのたかが知れている。タナカは自分はそんなに強い存在ではないのではと思い直していた。
それに一瞬で首を刎ねられた直後だ。スライムの体でなかったら間違いなく即死の一撃だった。
(そうだ! 女の人は?!)
目もないのに周りの様子はしっかりと見ることができた。むしろ前も後ろもすべての方向を同時に見ることもできて人型だったときよりも視界は良い。
さっき自分に攻撃したであろう女性は外壁の上に足を組んで腰掛けていた。膝を組んで眠そうな目でこちらを見据えている。黒髪を後ろで一つ結びにしていて、二十代後半くらいの風貌だ。
「gw#g2LA」
その女性がなにかをつぶやいた次の瞬間、タナカの体は再び真っ二つに切断されてしまった。今度は真ん中を縦に真っ二つだ。
地面も影響を受けて地割れのようになっている。女性は壁の上に優雅に座ったままで特別な動作はなにもしていない。魔法だか何だか分からないが、とんでもない威力だった。
(こんなの絶対殺されちゃうよ!)
タナカは急いで空中に飛び上がると、二つに別れた体をくっつける。どうやら体が別れても両方意識して動かすことができるみたいだ。そうして体を合わせればすっきり元通りとなる。
とはいえ、それで安心とはタナカには思えなかった。この切断する攻撃はたまたまスライム型の魔物である自分に相性がいいというだけで、この攻撃と同等の威力で他に有効な攻撃手段を使ってきたら一発アウトだ。
(早く逃げないと!)
こう息をつく間も無く攻撃されては、話し合いどころではない。殺されてしまう前に早く逃げなくてはと思った矢先、今度は体を三つに切断された。
タナカも負けじと体をくっつけるが、また次の瞬間には四つ、五つとくっつけたところからすぐさま体を分断されてしまう。次々と放たれる切断攻撃は逃げる暇も与えない。という強い意志が感じられた。
(とにかく早く動こう!)
得体の知れない切断攻撃はとにかく発動が早い。気づいたときには体が切断されていて避けようがない。この攻撃から逃れるには、相手が自分の体を認知できないスピードで動き回るしかないとタナカは考えた。
「f3rfG$ g#$g'K」
右へ左へと必死に動き回るタナカを見た、黒髪ポニテの凄腕魔法使いはあざわらうように苦笑して何か言った。
的が大きすぎて必死に動いても無駄骨よ、といったところか。具体的になんて言っているのかわ分からなくても、こんな感じで完全に侮られていることははっきりとわかった。
実際タナカはスライム状の形態になっても、変わらず大きなままだ。いくら素早く動いても凄腕相手では簡単に目で追えてしまうのだろう。
(なら小さくなればいい!)
真っ黒な色だけは変えられないが形状は簡単に変形できるこの体だ。形だけでなく大きさも変えられるかもしれないと思って試してみると、タナカは無事小さくなれた。
また、スライム状のままでは動きづらかったので、人型に戻ってみるとちょうど城壁の上に座っている女性、すなわちこの世界の人間と同じくらいの大きさになった。
(これでどうだ!)
小さくなって走り回ってみても、女の切断の魔法は変わらずタナカに命中した。切断されてはくっつけての繰り返しが続く。
幸いタナカはいくら走っていても疲ることはないが、女魔法使いはよくこんなに魔法を使い続けられるなと思って城壁の上を見上げると、ついに女が立ち上がっていた。やっと本腰を入れたかと様子をよく見てみると、魔法使いはその手になにかを持っていた。いや、持っているというよりも、手の平の上に浮かんでいるというべきか。ぐにゃぐにゃとしたよく分からないおにぎりサイズの球状の物体を両手の上に浮かしている。
それをタナカ目掛けて投げつけてきた。
(それなら避けられる!)
超高速で迫るなぞの球をタナカはなんとか目で追う。目で追えるならさっきまでの気づいたら体が切れてしまう魔法とは違って避けられる。そう判断してタナカは横に飛びずさった。
しかし、無事回避できたはずだった球は、タナカが横に飛ぶのに合わせてぐにゃりと曲がり、そのままタナカに激突した。
とっさに腕を前に出してガードしたタナカは、すぐ近くに迫っている二個目の球も避けることを諦め、もう片方の腕でガードした。
タナカは再び走り出しながら、そのまま自分の腕の状態を確認する。
(え⋯⋯)
両腕とも肘から手先までが消滅していた。
両腕に意識を向けて、再生を試みるとなんとか手が生えてくる。ただ、再生するにつれて体がどっと疲れたような気がした。この体に血は流れていないようだが、低血圧でふらつくような感覚だ。
形や大きさを変えられるこの体でも再生を無限にできるわけではなさそうだ。
(遠くに逃げるしかない)
追尾してくる球は避けることも防御することもできないが、球を受け続けていては自分が死んでしまう。
タナカは外壁から反対の方向、森の方に全力疾走を始めた。
走りながら後ろを見ると、ちょうど外壁の上に立っている凄腕魔法使いが再びあの球を打ったときだった。
タナカは勢いよく迫る球を横に避けるということはせず、真っ直ぐに走り続ける。もちろん球は直撃するが、走るのはやめないまま、球によってえぐられた箇所を再生させた。
(よしこのまま森の中まで逃げられば、さすがに魔法も打てないはず)
森林の中に入れば小さくなって普通の人のサイズになったタナカの体は、木が邪魔して城壁の上から見ることはできない。いくら凄腕の魔法使いでも魔法を打つときは目標となるものを見る必要があるとタナカは考えた。
しかし、もう少しで森の中に入れる、といったところでタナカは信じられないものを見た。進行方向の森林の入り口に、さっきまで城壁の上にいた女の魔法使いがいた。
タナカは慌てて魔法使いから避けるように斜めに方向転換し、そのまま森の中に入った。
魔法使いの隣を通るときにしっかりと魔法の球を腹と胸に食らったタナカはよろけながらも森の中を疾走した。再生しながら走り続けるのはかなり疲れるが、足を止めるという選択肢はなかった。
(死にたくない⋯⋯)
この世界で生まれ変わって前世で自分が死んだことを思い出したとき、どうしようもない絶望感と形容し難いほどの喪失感を感じた。あの感覚を再び味わうのはごめんだ。それに次は生まれ変わるということもできないかもしれない。
とにかくタナカは生きたかった。街の光を見てうきうきで走り出した時の数倍の速度で森の中を走り抜ける。さっきと比べれば魔法を何発も受けて疲弊しているはずなのに、それだけの速度がしっかりと出た。
(そんな⋯⋯)
しかし、森の中で少し開けた場所に出たとき、タナカの前に再び魔法使いが現れた。なにもない空間から一瞬で現れるという様子からして、走って先回りしたのではなく魔法で瞬間移動したのだろう。
その両手にはすでに魔法の球があった。
(反撃するしかない!)
生きたいという気持ちが瞬時にタナカにその判断をさせた。今度はそのまま魔法使いの前まで真っ直ぐ走っていき、相打ち覚悟で右ストレートを繰り出した。格闘技なんてやったことはないが、真っ黒な体のでたらめな身体能力に任せて放たれたその攻撃は人間の体を爆砕には十分すぎるほどの威力だった。
ビュン。
右ストレートは風を切り裂く音を残して空を切った。
直後、背中に魔法の衝撃。後ろを見ると、少し離れた場所に魔法使いがいた。
(そんなのズルすぎるだろ)
瞬間移動できるなんて意味が分からない。タナカはすぐに背中の欠けた部分を再生させて、魔法使いに殴りかかろうと渾身のパンチを繰り出すも瞬間移動で避けられる。背中に再び魔法の直撃。
そんな攻防が繰り返され、タナカのパンチが空を切る音と、魔法がタナカに当たる衝撃音だけが森の広場に響いた。
3分ほど経ったころ、かろうじて人型の形を保ったタナカが地面にひざをついていた。すでに体の大きさは幼児レベルになってしまっている。
(もう無理だ)
目の前の魔法使いを倒すことをタナカは完全に諦めた。攻撃を当てるのはおろか警戒された今は、近づくことさえできない。
黒髪ポニーテールの魔法使いは気だるそうな顔で両手に魔法を構えている。それをぼんやりと見ながら、タナカは最後の生きる手段を考えた。
そうして考えついたのはもちろん恒例のあれだった。
「申し訳ありませんでした」
日本語が通じるはずもないが、タナカは頭を地面につけて謝った。土下座である。
「あなた方と敵対する気持ちは全くないんです。ただ、攻撃されて反撃してしまったことは申し訳ないと思っています」
タナカが頭を下げているとき魔法使いが攻撃をしてくることはなかった。今まで問答無用で続いていた攻撃がついにやんだ。見逃してくれるのかもしれないという期待が頭をよぎる。
タナカは十分に時間を置いてから頭を上げた。
「#gj39#sk」
魔法使いはなにか言うと同時に魔法を容赦なく撃ち込んできた。タナカの体はついに爆散する。
再び宙を舞うタナカの生首。それはちょうど魔法使いの頭上に飛んでいく。
魔法使いは目線を上にあげることもなく、手を上に上げて魔法の球を直接タナカの生首へとぶつけた。最後の最後まで容赦のない一撃にタナカの頭は爆散する。
そのままタナカの残骸である黒色の塵はぱらぱらと魔法使いの頭にかかり、その頭に新しいアホ毛が一本生えた。