シンデレラの報われない時代に、私は何を頑張れば
おとぎ話の中では、断然『シンデレラ』が好きだった。
ひとりで苦労して頑張ってきた子が、報われてプリンセスになる――こんなに、人の苦労や頑張りを救ってくれる物語はない。
シンデレラへの憧れは、私の性格や生き方にも影響を与えた。
頑張ることは、美しいこと。頑張っていれば、いつか誰かが認めてくれて、シンデレラにしてくれる――そんなことを信じて、生きてきた。
だけど、そんなの嘘だった。
この世界には、灰かぶりを見つけてくれる“魔法使い”なんて、いない。
私の頑張りを見ていてくれる人なんて、どこにもいない。
家族ですら、認めてくれるのは結果の出た時だけ。
結果を出せずに終わった私の頑張りは、無かったもののように無視される。
結果を出せなくても、楽しいことを我慢して、たくさんの時間を使って、辛いことと向き合ってきたのに。
覚えたことだって、いっぱいある。できるようになったことも、いろいろある。
でも、運が悪くて、テストではその部分が出なかった――そういうことも、あるのに。
結果を出せなかった努力は、価値の無いもの?意味の無いもの?要らないもの?
だったら、私の費やしたあの時間と頑張りは、何だったんだろう。
私の努力、辛いのを耐えて頑張った気持ちは、どこへ行くんだろう。
努力だけじゃない。
人に知られずやった善行も、正直に打ち明けた懺悔も……おとぎ話や寓話のように、ちゃんと報いが与えられることなんて無い。
いつの間にか教室が少し綺麗になっていたとしても、皆、誰がそれをしたのかなんて気にしない。
そもそも、そんなささいな変化なんて、気づきもしない。
正直者は褒められるどころか責められて、上手く誤魔化せた人間は、お説教を免れられる。
善いことや正しいことをした人間が馬鹿を見る世の中……そんな世界を作っておきながら、どうして大人は、それでも正しい善人に育てなんて言えるんだろう。
善い人や正しい人、苦労や努力がちゃんと報われる世界――幼い頃は信じていられた、そんな優しい夢物語の失われた世界は、あまりに冷たく、残酷だ。
今の世の中にも、シンデレラ・ストーリーはある。
だけどそれは、私が昔夢見ていたものとは、何かが違っている気がする。
それまで無名だった人間が、ある日、一夜にしてスターの座に上りつめる。
だけどそれは、結局、持って生まれたスペックや、環境や、幸運次第な気がする。
もちろん、見出されるまでに、相当な努力をした人も、苦労をした人もいるだろう。
だけど、見出した側が、それを見て選んでいるとは思えない。
どんな人間でも、頑張れば、いつかは報われる――そんな優しい物語だとは思えない。
現代のシンデレラ・ストーリーで選ばれたシンデレラ達を、羨ましい、妬ましいと思っていたこともある。
だけど、そんな気はすぐになくなった。
だって、現代のシンデレラ達は、旬を過ぎればすぐに見放される。
思うような結果が出せず、人の話題にも上らなくなれば、見出してくれた人達でさえ、あっと言う間にシンデレラを見捨てるんだ。
現代のシンデレラを作るのは、優しい“魔法使い”なんかじゃない。
シンデレラに“貸し”を作って、後でそれを何倍にもして回収しようとする、抜け目のない投資家みたいな、そんな存在なんだ。
世の中がこんなにシビアで、損得勘定ばかりで動いていると言うなら、最初から優しい夢物語なんて、見せないで欲しかった。
頑張っていれば、いつかは必ず報われるなんて――そんな“嘘”で、人を努力に縛りつけないで欲しかった。
頑張れ頑張れと、口では言いながら、誰も他人の努力なんて見ていないのに……。
むしろ皆、自分こそが報われたくて、いっぱいいっぱいだ。
誰かに見出されたくて、アピールするのに必死で、他人を見ているヒマも余裕も無い。
まして、隠れた努力になんて、目を向けようともしないんだ。
きっと、もうほとんどの人間は、努力の価値なんて信じてない。
血のにじむような努力を重ねて成功を得るより、要領良くサッと成功を攫っていく人の方が“優秀”だとさえ思っている。
だけど、誰もがそんな風に、成功を攫めるわけじゃないよ。
恵まれた境遇も、才能も、何も持たない人間は、結局、頑張ることくらいしか、できることがないんだ。
なのに……そんな“努力”を認めてくれる人、見ていてくれる人は、きっとどんどん減っている。
挙句、成功を攫めなかった人に「努力が足りない」「間違った努力」「無駄な努力だ」なんて、平気で酷いことを言うんだ。
何だか、何もかもが、やりきれない。
反抗期なのか何なのか分からないけど、最近の私は、何だか全てにイラついてる。
分かってくれないウチの家族に、小学生の頃とはまるで変わってしまった学校に、急激に難易度を上げていく授業に、何だかいろいろ上手くいかないこの世界に……。
数年前までの自分が、どれだけ“手加減”されて、誤魔化されて、綺麗事だらけの優しい世界にいられたのか、思い知らされる。
急に世界の汚い部分、醜く厳しい現実を突きつけられて、心が拒否反応を起こしてる。
努力の価値なんて、もう私も信じきれていない。
だけど……何でなのかな。心のどこかで、まだ信じていたい私がいる。
頑張って、頑張って……そうして最後に報われる、そんな物語を、まだ夢見ている。
きっと私は、幼い頃に居た、あの綺麗な世界に戻りたいんだ。
正しい者、頑張った人がちゃんと報われて幸せになる――幼い頃に信じていたあの世界を、まだ信じていたいんだ。
何の努力も苦労も無しに、シンデレラの魔法が与えられるとしたら……それは一体、何に対する報いなんだろう。
何も無くても報いが与えられると言うなら……努力も苦労も要らなかったと言うなら……最初から、私が何をしても、しなくても“同じ”だったと言うことだ。
私の選ぶ行動、生き方に、何ひとつ意味なんて無いってことだ。
だとしたら私は、どうやってこの先を生きていけばいいんだろう。
気まぐれに巡ってくるかも知れない運を、ただボンヤリ待ち続けるだけなのかな。
生きていくって、そういうことだったの?
きっと私は、ただシンデレラになりたいんじゃない。
私のしてきた頑張りに、“意味”が欲しいんだ。
ただ意味も無く、我慢していたわけじゃない。何の意味も無く、涙を流してきたわけじゃない。
ちゃんとそれを見ていてくれて「よく頑張ったね」と褒めてくれる誰かがいる――それが、私の欲しいシンデレラの魔法なんだ。
人はよく「なんて厳しい世の中なんだ」「なんて冷たい世界だ」なんて言う。
だけど、厳しかったり冷たかったりするのは、世の中でも世界でもないよ。
そこに生きる人間だ。
人が人に対して厳しいんだ。人が人に対して冷たいんだ。
努力が報われないのも、努力の価値がなくなっていくのも、人が他人の努力を認めていないから。そもそも見てもいないから。
そして私もきっと……そんな厳しい世の中の、冷たい人間の一人なんだ。
報われたくて必死な私は、他人の努力なんて見ているヒマは無い。
努力の価値を認めて欲しいくせに、他人の努力を見ようともしない。
――ふと、そのことに気づかされて、ゾッとした瞬間がある。
結局、私も同じだ。いつの間にか、シンデレラの魔法を否定する側の人間になっている。
人間って、こうやって、知らず知らずのうちに、冷たい世界の一部にされていくのかな。
それとも気づかなかっただけで、初めからそうだったのかな……。
それでも、まだ私には、他人を見ている余裕なんて無い。
報われるために……どころか、周りについて行くだけで必死なくらいだ。
何を頑張れば良いのかも分からないまま、ただ我武者羅に頑張っている。
だけど最近……ふと、他の子のことが、気にかかる瞬間がある。
私にできないことをやっている子、思いもよらない行動をとっている子が、ふと目につくことがある。
……頑張ってるのは、私だけじゃない。
だけど、それを知ったところで、何を思うわけでも、その子に何をしてあげるわけでもない。
だって私には、シンデレラに魔法をあげる力も、そんな心のゆとりも無い。
ただ、周りの努力が、ほんの少し見えるようになっただけ。
これまで見えていなかったものが、見えるようになっただけ。
そして、その子に私を重ねて、余計に悲しくなるだけだ。
この世界にはなんて、報われたくて、報われなくて、苦しんでいる人間が多いんだろう。
やりきれなくて、どうにかしたくて、だけど結局、何もできない。
シンデレラにもなれずにいる私が、他の子をシンデレラにする魔法なんて、使えるはずもない。
私は無力だ。今はまだ、何を変える力も持ってない。
今はまだ、報われない灰かぶりのまま、足掻いているだけだ。
今は、まだ……。