門兵
「じゃあ、取り敢えずこの車の中で待ってて。私は後処理をちょっと手伝ってくるよ」
便利なもので、レーヴェの組織参入への返事が聞こえたかと思うと、再び視界が切り替わった。どこかの路地裏の様で、目の前にはレンガの壁と、それに挟まれた黒い車が見える。遠くに聞こえる喧騒を知るに、あそこから大した距離は無いらしい。
しばし呆然と突っ立っていると、壁と車の狭い隙間からなんとか扉を開けて出てくる影が二つ。どうやら誰か居たようだ。
男女のペアで、二人とも若い。自分達よりも若く見えるので、恐らく高校生未満。女の子が中学生程で、男の子はまだ小学生ぐらいに見える。姉弟だろうか?そして年齢と後部座席から出てきた事を見るに、運転手としての役割を担った人員ではなさそうだ。なら戦闘員か。
知らぬ間に双子が警戒心を持ったとも知らず、二人はあっさりと近付いて来た。
「朝テレビで見た顔・・・あなた達は、あははは泡と、その弟のあははは沫ですね!」
「違うぞ」
「ほら見て大和。あははは泡とあははは沫だよ」
「違うぞ」
「笑われてるね・・・」
その姉が呼び掛けても、大和と呼ばれた少年は眠そうに目を擦るばかりで相手にしていない。二人のその気安さから、今は姉弟としておこう。
姉の方は、しばらく弟を揺すっていたが、双子が見ていると分かると視線をこちらにやった。
「レーヴェから話は聞いています!私達の組織に入るらしいですね?勿論歓迎します!よろしくお願いします!」
「う、うん・・・こちらこそよろしく」
「・・・なあ。元気なのはいいが、こっちは腕が折れてんだ。車の中に入ってもいいか?」
「なんと!ではどうぞ、後ろにお座りください!狭いですが!」
少女が開けてくれた扉をくぐり沫は車に入っていく。泡もそれに続くと、勢いよく扉が閉められた。直ぐに少女も入ってくる。場所が無いからか、それとも警戒してか、助手席に弟を抱くようにして座っている。
そうされると、安心したように大和少年は眠り始めた。泡の隣の沫少年も眠り始めた。今しがたした警戒はなんだったのか。
「・・・君達は、姉弟かな?」
「そうです。大和は私の四つ下です」
眠る弟を抱えているからか、口を開いた泡に先程よりも随分控えめな声で少女は答えた。抱えていてもいなくても変わらず眠そうなので、少女の気分かもしれない。
「ねえ、聞いてもいいかい?その、レーヴェさんとどういった関係か」
「私達姉弟はレーヴェの弟子です!弟子になってから今日でちょうど700日、と6日です!」
「ちょうどって言葉が君の中で随分都合のいいワードになってるみたいだ・・・」
「もともと身寄りの無くなった私達を『組織』が拾ってくれて、レーヴェの他にも私達を育ててくれた人がいるんです!」
「へぇ・・・ねえ、思ったんだけど、『組織』って、なんていう正式名称なの?みんな組織としか言わないよね」
他にそう言っていたのはレーヴェしかいなかったが、こう言っておく。泡にとってはみんなという言葉が随分都合のいいワードになっているかもしれない。
「正式・・・いえ、ありませんよ!」
「・・・ない?」
「はい!」
「と、言うと?」
「組織のトップの人が決めなかったんだそうです!多分、ヤバい人だったんでしょうねぇ」
「それでやっていけるのかな」
「まあ、この組織は異能者がやってる組織としては最古参なので、最初は決める必要が無かったんでしょう」
「待って、異能?異能と言ったかい?」
「お、泡さんもやっぱりそういったものには興味ありますか?好きですねえ男子は」
そういうレベルの話ではないだろう。確かに、レーヴェが先程から瞬間移動をしている様を見ていたし、受け入れていたつもりだったが、ハッキリと言葉にされるとまだ慣れない。
「異能、超能力、サイキック、魔法・・・これもまた正式名称というものは無いんです。なにせ、最近のものなので。・・・でも、私が組織に入ったときに、ちゃんと教わった名があります」
そこで、彼女は弟を抱えたままに、少しだけ胸を張った。
教えることが嬉しいのだろうか?
―――『血の異能』です
少女が言った時、運転席のドアが開く音がした。
「ただいま、みんなもう寝ちゃったかな?・・・お、泡君は起きてるね」
「あ、レーヴェ!おかえり!」
「ただいま籃歌」
「・・・らんか?」
「あれ、まだ二人は自己紹介してなかったのかい?」
「あ!忘れてた!車に入るなり早々に質問されてたから!」
「質問・・・へえ」
「泡さん!私の名前は籃歌っていいます!私が先輩なので、よろしくお願いします!」
「知ってると思うけど、僕は泡。こっちで寝こけてるのが弟の沫。こちらこそよろしく」
握手こそ交わさなかったが、この短い時間でそれなりにこの少女について分かった。取り敢えず、目的地についた途端よく分からない人体実験されるということはなさそうだ。恐らくは。
「さあ、自己紹介も済んだし、一旦ボスの居る所へ案内しよう。私達の拠点、秘密基地だ」
運転席に座るとレーヴェはそう言うなりアクセルを強く踏み込んだ。黒い車は乗員にGを与えながら急発進する。泡と籃歌が体制を整える頃には先程の事故現場から聞こえていた騒音は聞こえなくなった。
「その秘密基地というのはどこにあるんですか」
「籃歌・・・代わりに、私の代わりに答えてくれ。集中してる」
「はぁーい。泡さん、それはですね、」
「うん?集中って何ですか?」
「私は先月免許を・・・免許を取ったばかりなんだ。集ちゅ、危ねえっ」
その言葉と共に車体が大きく揺れた。泡は倒れてくる沫を支え、籃歌はシートベルトを握りしめる。
「初心者マークも張らずに、うおぁ、そんな危険な運転しないで下さいっ」
その後揺れまくる車に大騒ぎしながらも、一時間足らずで目的地には着いた。泡は先程トラックに追われていた以上の命の危機を感じたのであった。
*
「はぁ・・・はぁ、着いたぁ・・・!」
「レーヴェ、流石にあの運転は危ないよ!」
「初心者なのにどうして速く行こうとするんだ・・・!」
危なすぎるドライブ(初心者の運転の上、途中何度か検問に引っ掛かりそうだった速度)を終え、車はなんとか目的地に到着した。これで起きなかった沫と大和くんは凄いなと、泡は心から思っているところである。
そして、組織の基地の場所は聞く余裕も無かった。
「はあ、ふぅ・・・そうだ、レーヴェさんに聞きたいことがあったんです」
「・・・え、今聞くのかい?」
「ええ、本当は向かっている最中に聞きたかったんですけど、さっきの奴、まだ生きてます?」
「さっきの?」
「レーヴェさんの能力、―――血の能力?分かったかもしれません」
「ああ、推測して、当たってたら正直に答えるってやつか。いいよ、言ってごらん」
「レーヴェさんは、時間を止めることができ、その能力はかなりの応用がある。・・・そういう結論になりました」
「・・・正解だ。よくわかったね」
レーヴェは運転席からこちらを振り向くと、少し口角を上げながら顔を近づけてきた。その端整な顔に驚きながらも、ぐっと見つめ返した。
それは数秒で終わったが、泡は呼吸が上がっているのを感じた。
「じゃあ、泡君は沫君を起こしてから付いて来てくれ。歩けない様なら私が背負うが」
「いえ、歩かせます。怪我してるのは腕であって、足ではないので・・・沫、起きて」
泡はこの一時間程ずっと寝こけていた弟の肩を揺する。なかなか起きない。無理矢理まぶたを押し広げても、起きる気配は無い。今日は徹夜をしていて、且つ疲労が溜まっているであろうとはいえ、寝過ぎではないだろうか。
もう車の外に出ているレーヴェと姉弟を見て、仕方なく沫は背負っていくことにする。
「これから君達はこの組織に所属するんだから、ちゃんと手順は覚えておくといい」
車から降りると、そこは大きな駐車場。入って行くのを見た限り、なんの変哲もないようなビルの内の一つの物だった。ここで組織とやらが暗躍しているらしい。随分と社会的な組織じゃないか。
広い駐車場には他にもそれなりの数の車が駐車しており、大体二、三十台ほどか。見るからに怪しそうな車は無かった。レーヴェの車を見た時も思ったことだったが、ヤバい奴ほどヤバそうな車を持っている訳ではないらしい。
レーヴェを追って、その駐車場の端まで向かう。屋内なので端も壁だ。
「こっち側の壁の、五つ目の柱。ここに少し窪んでいる場所があるんだ。そこを軽く押してやる。そうすれば―――」
『あー。こちら枢木ー。聞こえてますかどうぞー』
「枢木ちゃんが応答してくれる。彼女は何時でも対応してくれるから夜遅くに来ても問題ない」
『あー。レーヴェですかー。通しますねー』
枢木がそう言うと、目の前の柱が見る見るうちに下がっていく。音を立てるでもなく自然に、スッと。気付いたら柱は全て下がり切っており、目の前にはぽっかりと隙間が広がっていた。幅はかなり狭い。もともと一本の柱が隠していたものだから当たり前だろう。
「ここ、通れない人いるんじゃないですか?沫をおぶっている僕も、堂々とは歩けませんよ」
「そりゃね。ここを使うやつは私とこの二人くらいだ。ここの他にもたくさん入り口があるんだよ。手順を覚えておけって言ったけど、別に覚えてなくてもこの上のフロントに行けば通してもらえると思うよ。どこを通るにも、枢木ちゃんの許可が必要だけど」
『ええ、そうですー。あんまり変な道使われると把握が大変なんですがねー』
「おかげでいつも助かってるよ」
入って、というレーヴェの声に、泡は渋々道に入っていく。視界は暗く、なんだか息苦しい。何故こんな道を好んでいるのだ。
「最初に自分で見つけた道なのさ。前まではいちいち駐車場に降りるのが面倒だったけど、念願の車も手に入ったし、ウキウキさ」
泡に続いてレーヴェが、その後ろには籃歌とその弟の大和が続く。彼はまだ眠そうだ。姉に引っ張られて足が動いているだけである。
まるで小学生らしくないな、と泡は思った。―――実は見た目と年齢が違う、なんてこともなく、大和は小学生だが。
後ろで再び柱が上ってきたのだろう音を聞いてから少しばかり歩くと、視界に灯りが映る。曲がり角があるようで直接の光源ではないが、少しばかり安心出来る。歩く速度を僅かに上げて、泡と、その背に背負われた沫は『組織』の胎に入った。
その狭い道から出ても、まだ視界は明るくならない。どうやら、大きな廊下の突き当たりに出たようで、向こうに天井から下げられた電灯が見える。泡は光に誘われる虫のようにフラフラと歩き始めた。
「確かに、ちょっと考え足らずだったかも。ここからじゃボスの部屋は遠いな。ま、いいや。先に沫君の怪我を直そうか」
直ぐに追い付いてきたレーヴェがそう言った。折れた腕を直すのを、まるであたりまえのように言う辺り、凄い世界だ。瞬時に骨を繋げられる能力でもあるのだろうか。
レーヴェの先導で幾つかの道を抜けた。ずっと似たような廊下で、音もしない。人はいないのだろうか。三人分の足音だけが響く。
不意に、ガチャリとすぐ横の扉が開いた。
「あー。君か、というか君達ですかー。レーヴェが連れて来てたんですねー」
そこに立っていたのは目の下にひどいクマを貼り付けた女性だ。髪の毛もボサボサで、おおよそ生気というものを感じられない。その声にも力はないが、良くとおり、ついでに言うと先程聞いた声だった。
「枢木さん、でしたっけ」
「はいー。そうです。私がこの組織の門番。ある意味重要ポストの枢木ですよー。おかげでろくに寝れてないので、優しくしてくださいー」
「ど、どうも。・・・酷い組織ですね?」
「本当です!もう一人の奴もサボってばかりで、結局いつも私ばかり!『寝過ぎで体がだるい』なんぞぬかしやがった時は、本当に殺してやろうかと思いました!ボスに人員の交代をお願いしても適材適所だとか云々かんぬん・・・ぬあーっ!」
彼女が喋っている時に彼女の居た部屋から聞こえたベルの音は、どうやら彼女の仕事を告げるアラームらしく、それが聞こえた瞬間すっ飛んでいった。誰かがこの組織に帰ってきたようだ。というか。
「この組織本当に大丈夫なんですか・・・?」
「あー・・・。一部、ブラック!ほんの一部ね。これに関しては枢木ちゃんの相方が悪い」
レーヴェは気まずそうに顔を掻くと、再び歩き出した。
この組織に入ると決めた沫の判断は、やはり間違っているという気がしてきた泡だった。