昼の城下町
「どこまで行くんだ。」
鍛錬上を抜け、最内の城壁を越えて橋を渡り、城下町の入り口まで来ると、姫は相変わらず腕を引っ張り続ける少年に声をかけました。
「あっ、すみません。」
夢中で意識が飛んでいた様子のシモンと呼ばれた少年は、姫の言葉で我に返り、慌ててつかんでいた腕を離しました。
「全くどうしたんだ。」
引っ張られて少し赤くなった腕を擦りながら、姫はいぶかしげにシモンを見ました。
「いえ、何でも…。それより、姫様。ご覧の通り、騎士見習いや臨時兵の中には女性にだらしない人たちもいます。姫様は、如何様にあっても女性であることを御自覚いただいて、幾重に気をつけていただきたく思います。」
自分の行動に初めは動揺していたシモンでしたが、最後の言葉は真剣な面持ちで発しました。
「分かっている。言われるまでもない。ああいう男性は腐るほど見てきた。勿論、まじめな男性も知っている。最後は好みの問題だが、私はああいう女性を慰み者にしか見ていないような男性は好みではない。」
姫も宮中でたくさんの人に接する機会がありましたし、口さがない女性サーベントたちの身の上話なども幼い頃から聞いていました。それで、やや睨むような顔で言いました。
「それならば、安心しました。すみません、こんな所まで連れてきてしまって。さぁ、王宮に戻りましょう。」
シモンは、心ここにあらずのように、慌てて言いました。
「しかし、シモン、お前はいいのか。これから、シモンの組の騎士見習いの本練が始まるのであろう。行かなくてもよいのか。」
「あっ、そうだ。もう始まってしまう。どうしよう、姫様、今すぐ宮殿にお連れします。」
普段冷静な少年が、珍しく慌てる様を見て、姫は吹き出しそうになりました。
「ああ、シモン、お前が慌てるなんて珍しいな。私なら大丈夫だ、久しぶりに城下町を散策したいと思っていたところだ。一回りしてから自分で戻る。」
この国は、大きな城壁でぐるりと囲まれて、外側から三重になっていましたが、それは他の国、特に魔族の国から中心部を守るためであって、国の中の人たちは皆大体は顔見知りで大きな犯罪なども起こらなかったのでした。まれに外から遠い異国から交易の人が出入りしてはいましたが、表門にて厳重に調べられ、滞在名簿に登録し管理され、極めつけには国全体がアルス国教会から発せられている守りの力で、この国に害をなす悪意のある者は内外問わずある程度弾かれてしまうのでした。
「わかりました。それでは、私はここで失礼します。」
シモンが行ってしまうと、姫は城下町の門をくぐり、気ままに石畳の上をぶらぶら歩き始めました。
初夏の太陽に照らされて、真っ白な石畳の歩道はその光を反射し、きれいに整えられた店や家を鮮やかに浮かび上がらせていました。
左右にはではおしゃれなカフェや、レストラン、パン屋、果物屋、肉屋などか軒を連ね、所々菓子やの飲み物の屋台などが出て、盛んに売り買いの声が聞こえてきました。
「あ、姫様、お珍しい。ジュースなどいかがですか。」
その一つの店の主が声をかけてきました。
「うん、うまそうだな。一つもらおうか。幾らだ。」
「お代は結構です。」
「そんなわけにはいかない。きちんとお金は持っている。無料でもらうのは、礼儀に外れている。」
姫は、城の手伝い等でもらっている小遣いの入っている袋を取り出し、そこから銅貨を数枚出して支払いに充てました。
いつも持ち歩いている水筒に量り売りで入れてもらうと、早速口をつけました。
「うまいな。」
「ありがとうございます。」
姫は、小遣い稼ぎとして、幼いときから城の掃除、調理、配膳、家畜の世話まで幅広く働き、その駄賃をがっちり貯めていました。結婚するにしても、相手の男に大きな顔をされたくない、自分の嫁入り道具のせめて一つぐらい自分で用意して、せめてこの婚姻制度に一矢報いたいと思っているようでした。
所々異国の商人たちが取引しているのが見え、肌の色の様々な人々が往来を行き来し、また別な場所では、この国の若者たちが、恋人たちと語り合ったり、子供たちが遊んだりしている様子が見えました。
「平和だな。もう少し歩いてみよう。」
この城下町を抜けると、その先には家畜などを飼う場所や、鍛冶馬や職人たちの町があり、その横に、姫お気に入りの場所、アルス国教会の小会堂、それに続く丘と、小さな林があるのでした。
もちろん王宮のすぐ横に教会の大聖堂があるのですが、国の中にいくつか小さな会堂があり、取り分け姫のお気に入りは古く、塀も崩れ、会堂も木造でがたが来ているような有様でした。それもそのはず、だいぶ前にその近くに新しい会堂が作られ、古い会堂は倉庫にされ、今は誰にも見向きされなくなっていたのでした。
そのような会堂なので、姫は自分の別荘とばかり、すでに幼いときに大工町の人たちに了解を取って基地にしていたのでした。
誰にも邪魔されない自分だけの場所、姫はこの場所がとても好きでした。今までは、たまに、すぐそばの丘でシモン相手に木刀を振るっていたのですが、これからはそのようなこともなくなるでしょう。小綺麗で五月蠅い妹も、父から剣の修行を認められたからには、もう付いてこないのかも知れません。
「ああ、皆変わっていくのだなぁ。私は将来どうなるのかなぁ。」
そんなことをぼんやり考えてましたが、いきなり前の方で大きな声が聞こえて、はっと現実に戻されました。
言い合う声は、少し先、城下町の中程の商店街で起こっており、そこになにやら人だかりができはじめていました。
「何が起こったんだ。」
姫は、水筒の蓋を閉めて、マントをきつく掴むと、木刀の柄を握りながら足早に人だかりの方に向かいました。