姫とシモン
「よろしくお願いします。」
「どうしてこんなことになったのかは知りませんが、王命とあれば仕方ありませんね。」
渋い顔をする少年の前で、姫は深々と頭を下げました。
普段騎士たちが鍛錬をする場所の隅の方を借りたので、他の騎士たちも興味深そうに二人のやりとりを横目でちらちら見ているようでした。
「本当は姫様には女性らしい修養のみをされてほしかったのですが、やむを得ませんね。」
少年は顔をきりっと引き締め、言葉をつなぎました。
「では姫様、剣を扱うということは命の遣り取りをするということです。それこそ真剣に構えなければなりません。普段は敬愛する姫様ですが、稽古の時は後輩として扱います。私のことはシモン先輩と呼ぶように願います。稽古をすると決まったら、容赦なく厳しくいきますからね。」
普段穏やかな少年の厳しい言葉に、姫はそれは当然とばかりに、
「はい、シモン先輩、よろしくご指導を願います。」
としおらしく答えました。
これには、少年の方が少し驚いたようでした。いつものように、ひどい剣幕で言い返されることを想定していたからでした。
「それでは、まず基本から。素振りを見せて。正面に振り下ろす。」
「はい。」
姫は剣に模した木刀を振るうと、少年に止めと言われるまで振り続けました。
「うーん。少し軌道がぶれるね。筋力も足りないか。足腰、体幹、もちろん腕力も…。では、筋トレをする、まず腹筋から。」
「はい。」
少年の指導に、姫は素直に返事をしました。
それからたっぷり3時間、筋トレ、走り込み、素振りをやり込みました。姫は一切無駄口をたたかず黙々とこなしていきました。そして、最後の方に少し基本と運足を触れたところで、練習は終わりのようでした。
「それでは、今日の稽古を終わりにする。先輩に礼。」
「ありがとうございました。」
姫が深々と頭を下げ、シモンの指導の下、道具の片付けに移りました。
「よう、シモン。可愛い子が入ったのか、紹介してくれよ。」
道具を倉庫に運んでいると、シモンよりも少し年上風の騎士見習いらしい男がからかうように声をかけてきました。
「ラケル先輩、ゼデキア王とシェバ王妃のご息女ヘレナ殿下でございます。あまり無体な言動は慎み願います。」
王の正妃の娘といわれて、ラケルと言われた騎士見習いは一瞬ギクっとしたようでした。
「おうっ…。それは失礼しました。しかし姫、何故にこのような所に。」
「はい、この国の人々に支えられている者の一員として、シモン先輩に稽古をつけていただいています。諸先輩方にもよろしくご指導賜れば幸いです。」
戸惑い顔の青年とは対照的に、姫は頭を下げながら、ハキハキした声で答えました。
「はっ、こちらこそ、殿下の御姿を拝謁し慶賀の至りでございます。」
ラケルは緊張の面持ちで敬礼をしました。
姫が倉庫に入ってしまうと、ラケルは、シモンを引き寄せ、
「しかし、上手くやったな、シモン。すげぇ美人じゃねえか。ゼデキア王陛下のご息女ってあんなに可愛いのかよ。俺、めっちゃタイプだぜ。しかも『先輩』だとよ。声も可愛いぜ。どうだ、指導係、俺と代わらねえか。俺が優しく指導してやるぜ。」
と言いながら、軽く肩に手をかけました。
「そんなんじゃありません。王からの命令で仕方なくです。」
「じゃあ、俺、狙っちゃおうかな。」
突然の言葉にシモンは慌てて、
「いけません。」
と答えました。
「どうしてだ。まさかお前…。」
「違いますったら。」
「くそ、もう手付きか。一発殴らせろ。」
シモンより少し身長の高い先輩は、首に手を回しながら、軽く殴ってきました。
「痛いです。苦しいですよ。止めてください。誤解です。王命なので責任が大きいだけですよ。」
「お前、そう言うの何か知ってるか。」
「何ですか。」
「爆発しろ、だ。」
「はぁ。」
先輩は再びシモンに拳を入れました。
「痛いですって。」
「全くうらやましいぜ。この幸せ者。」
「いずれにしても、殿下は然るべき時期に、然るべきお相手とご縁談なされるのです。我々がどうこうできる人ではないではありませんか。」
「確かにな。ただよ、夢くらい見させてくれたっていいじゃねえか。否、しかしよ、俺はだめでも、おまえはよくね。なんたってマカバイ家っていえば、名家だ。お前名家の坊ちゃまじゃねえか。上手くやりゃ、嫁に迎えられるぜ。」
「そんな、大それたことを。」
「まあ、いずれにしても、王の一存、高嶺の花だな。」
二人がそんなことを言い合っているうちに、姫は倉庫から戻ってきました。
「片付け終わりました。他に何かありませんか。」
姫が二人に声をかけると、
「否、何にもありませんよ、殿下。私はラケル。以後お見知りおきください。しかし、殿下、改めて、お美しいですな。指導係のシモンが羨ましいと話していたところです。ああ、どうです、この後、時間があれば、お茶など。雰囲気の良さそうなお店を知っています。」
ラケルは居住まいを正し、妙に気取った口調で言いました。
「そうですか…。」
姫の困り顔を見て、慌ててシモンは、
「これから用事ですよね、姫様。さあ参りましょう。」
と姫の手を取りました。
「そうですね…。それでは失礼します、ラケル先輩。あっ痛いよ、シモン、そんなに引っ張らないでくれ。」
シモンに腕をぐいぐい引かれて、姫は苦しそうに声を上げました。
「シモン、何だあの先輩は。」
「ええ、ちょっと病気なんです。」
「ああ、そうか。確かに少し変わっているな。」
「これからも、気をつけてくださいね。」
そんなことを言いながら、小さくなっていく二人を見ながら、ラケルは
「ちょっと病気か…。シモンも結局じゃねえか、け、おもしろくねえ。」
と吐き捨て、ぶらぶらと鍛錬場に戻っていきました。