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翡翠を填めし鬼の譚  作者: 紫藤市
第五章
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一 巫女が陰陽師を訪ねること

 春の雪解けを待って、美鳥は都へ向けて出発した。

 弥彦は、やはり最初に美鳥と出会った当時と変わらず十二、三歳の少年の姿だ。

 旅の連れは弥彦の他に、商人の男がいた。

 この男は商いのために頻繁に越後と都を行き来しており、かつて美鳥から翡翠の屑石を買っていた縁で、都まで連れ立って行ってくれることになったのだ。陸奥で金や絹布、馬などを買い求め、越後で翡翠を手に入れ、さらに都までの道々で商売をしながらの道中だった。

 美鳥と弥彦の路銀は、帰郷後に翡翠で支払うということになった。

 商人は野盗を警戒して、五人ほどの山伏を護衛として雇っていた。彼らの身なりは野盗とそう変わらないように見えたが、商人の男とは付き合いが長いらしい。美鳥や弥彦は商人の男が懇意にしている都の貴族の屋敷へ奉公に上がるのだと山伏たちに紹介された。

 都までの道中は、子供の足では苦難の連続だった。

 やがて、都が近づくにつれて街道の人々が都訛り混じりで話しているのが耳に入るようになってきた。

 美鳥は弥彦とふたりでわざと都訛りを真似て喋ってみたりもしたが、山伏たちの爆笑を誘っただけだった。

 (なが)(つき)の半ばの頃、美鳥たちはようやく都に辿り着くことができた。商人の男が、道中あちらこちらで商いのために回り道をしたため、まっすぐに都へ向かうよりもかなり余分に日数を要したのだ。

 都は越後ではありえないくらいのうだるような暑さだった。

 朝から容赦なく降り注ぐ陽射しと湿気を含んだ熱風は、息苦しいほどだ。

 通りにあふれる人や牛車、馬、荷車、闘鶏の環から逃げ出してきた鶏などで、日中はとにかくどこもかしこも賑やかだ。なのに、日没と同時に人々は大路から姿を消す。

 夜間、市中を徘徊するのは野犬、野盗、もののけのたぐいばかりだ。

 一条通にある陰陽博士、安倍晴明宅を美鳥たちが訪ねたのは、人影も新月の闇夜に溶け始める刻限のことだった。


「おやおや、ずいぶんと可愛らしいなりの客人たちだな。中身は多少歳をくっているようだが」


 美鳥と弥彦を出迎えた老人は、暑さに辟易して座り込んでいる子供たちの姿に皺だらけの目元を細めた。

 ひと目見ただけでわかるものなのか、と美鳥は枯れ木のように痩せこけた老人の眼力に息を飲んだ。

 そう広くはないと思われる屋敷の中は、妙な気配を漂わせるものであふれている。もののけかあやかしか、幽鬼のたぐいだろう。陰陽博士に使役されているのだろうが、おとなしそうではない。現に、天井や部屋の隅を落ち着きなく見回している弥彦はなにを見つけたのか、鳥肌が立っている。

 部屋の中には、天井まで高く書物が積み上げられている。文棚の中には乱雑に本が収められており、床の上にはどう使うのかよくわからない珍妙な道具が散乱している。陰陽道に使う物なのだろうが、火鉢や(きょう)(そく)も一緒に転がっているので、大事なものなのか日用品なのかがよくわからない。

 部屋の隅では埃が舞っている。主人の意向でほとんど部屋の掃除がされていないようだが、鼠だかもののけだかが隅で転げ回っているので、埃が立つようだ。

 これが不世出の陰陽博士か、と納得した。どうやら陰陽博士は凡人では務まらないらしい。


「美鳥と申します」


 行儀良く挨拶をすると、大巫女から預かった文を差し出す。


「おぉ、わざわざすまぬな」


 老人は文を受け取ったが、開きはしなかった。


「大江山の鬼について、と聞いておるが」


 どうやら老人は文を読まずとも、美鳥たちが訪ねてきた理由を知っているらしい。


「ちょうど帝に大江山の鬼退治を提案しようと思っていたところだ。近頃は大江山の賊らが都を荒らし回っておって困ると()()()使()(ちょう)にも訴えがいくつもきておってな。このまま放置しておくわけにはいかぬが、いつごろ討伐隊を差し向けるのが良いかと検非違使別当からも相談されておる。衛門府の腕の立つ者を見繕って差し向けるのがよかろうとは伝えてあるが、もうしばらく先のことになるだろう」

「それはいつ頃になるのですか?」

「来年の春先だな。冬になれば賊の連中も山に籠もる。とはいえ、冬山を攻めるのは危険だ。雪解けを待つのがよかろう」

「それまでの間、都で鬼に襲われる人々が出るというのに?」

「都に現れる賊は大江山に住む鬼だけではないのだ。ひとつの集団を潰しても、また新たな賊の集団が沸いて出る。鼬ごっこだが、放置しておくわけにもいかないのが実状だ。検非違使も仕事をしていないわけではないが、都の外に逃げられるとなかなか捕らえるのが難しいのだよ」

「都には、それほど多くの鬼がいるのですか?」

「貧富の差が激しい都なればこそ、人が多く集まれば、それだけ鬼になる者も増える。世に不平不満を持つ者や、貪欲に様々なものを欲する者が、やがて鬼と化して悪行の限りを尽くすのだ」

「恐ろしいところですね、ここは」

「だからこそ、人々はすこしでも厄災を遠ざけようと祈る。儂が手ずから書いた護符も人々はこぞって欲しがるのだ。ところで、そなたは字がうまいそうだな。宿賃代わりに護符書きを手伝ってはくれぬか。もちろん、衣食住は保証してやる。大江山の鬼退治についても、儂からうまく検非違使に手を回して、捕らえた際にはそなたが探している鬼にも近づけるように取り計らってやる」

「よろしくお願いいたします。それでは、しばらくお世話になります」


 深々と頭を下げた美鳥は、そのまま安倍家に居候することとなった。

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