四 大巫女に諭されたこと
糸魚川に翡翠がごろごろ落ちていると聞いて以来、弥彦は頻繁に奴奈川神社に顔を出すようになった。
蒲原の彌彦神社からわざわざ神烏姿で飛んできては、美鳥に翡翠拾いへ行こうと誘う。
大巫女が許してくれる限り、美鳥は弥彦と一緒に糸魚川へ向かった。
川の流れが穏やかなこともあれば、荒れていることもあった。
美鳥は幼い頃によく翡翠を拾った場所を覚えていたので、川の流れに注意をしながら川辺の砂利の中にあるはずの翡翠を探した。
ところがどういうわけか、翡翠はひとつも見つからなくなっていた。
「どうしてかしら」
目を皿のように広げて丁寧に石を退けながら探すが、小指の爪ほどの翡翠どころか爪の先ほどの翡翠も見つからない。
叔母と訪れた際はあれほどごろごろ落ちていたというのに。
「川が全部海まで流してしまったのか?」
「そんなわけないわ。昔からずっとここで叔母様と一緒に翡翠を拾っていたんだもの」
美鳥は日が暮れるまで弥彦とふたりで翡翠を探したが、やはり見つからなかった。
「前はあんなにたくさんあったのに……」
なんど糸魚川を訪れても、翡翠はまったく見つからなかった。
美鳥は数え歳で十二になっても、容貌は七つのときとまったく同じだった。
その姿は成長して童女から少女へと変わっていく他の見習い巫女たちには不気味に見えるらしく、美鳥は奴奈川神社内ですっかり孤立していた。
いまの美鳥に友と呼べるのは弥彦だけで、だからこそ七つのときに奴奈川神社まで連れてきてくれた礼として、小さくてもいいから翡翠を贈りたかった。
翡翠を見つけられず、意気消沈して奴奈川神社へ戻ってきた美鳥を、その晩大巫女は部屋に呼び寄せた。
「また糸魚川で翡翠を見つけられなかったそうですね」
大巫女はこの五年で老い、顔の皺が深くなった。
「はい……」
がっくりと項垂れながら美鳥は返事する。
「お前がなんど糸魚川に通っても翡翠が見つけられないのは、お前が探すべき翡翠は糸魚川以外の場所にあるからでしょう」
「――糸魚川ではない、場所?」
顔を上げた美鳥は、大巫女の言っている意味がわからず、首を傾げた。
「お前がまず見つけなければいけない翡翠は、かつてお前を助けるために奴奈川姫様が社から礫代わりに放った勾玉の翡翠でしょう」
「勾玉……」
大巫女に指摘されてようやく、美鳥は五年前に野盗に攫われそうになったときのことを思い出した。
小さな社の扉が勝手に開き、ひとりの野盗の男の手にめり込んだ勾玉があった。
「分社にお祀りしていた勾玉の行方は、あたくしがずっと探させていました。あれは奴奈川姫様の分身でもある物ですから、いずれ取り戻さなければなりません」
「どこに、あるのですか?」
勾玉が大切に社で祀るべき奴奈川姫の分身であることよりも、勾玉の行方を辿ればかつて郷を滅ぼした野盗を見つけ出せることに美鳥は血が沸くのを感じた。
「勾玉の礫はまだ男の手に食い込んだままです。男はそれを面白がって仲間に見せびらかしているのだとか。いまは茨木童子と名乗り、丹波の大江山に棲み着いているそうです」
「丹波――」
「酒呑童子と呼ばれる悪鬼たちとともに都を荒らし回っているそうです。いずれ帝が成敗なさるでしょうが、茨木童子が討たれる前に勾玉を取り戻さなければなりません。帝の手に渡ってしまうと、鬼の手に食い込んだ勾玉を面白がって帝が自分の物になさらないとも限りません」
「鬼の手についていた物なのに? 不浄ではありませんか?」
「勾玉ですから、帝は鬼の手に食い込んでいた物だろうが額にめり込んでいた物だろうが、頓着せず宮中に運ばせるでしょう」
まるで帝をよく知る人のように大巫女は語った。
「お前は、茨木童子の手にある勾玉を、帝の家臣たちの誰よりも先に取り戻さなければなりません。それを成し得て始めて、お前の止まってしまった時は動き出すことでしょう」
「わたしが七つのときからちっとも成長しないのは、鬼が勾玉を奪っていったからですか?」
「あの社の中にはいま、勾玉の代わりにお前の魂が供物として祀られているのです。ここにいるお前は、魂のないただの抜け殻です。勾玉を鬼から取り戻して社に返さねば、お前の魂は社から出ることが叶わず、抜け殻のままのお前では糸魚川で翡翠を見つけることもできません」
「わたしが――抜け殻?」
大巫女の指摘に、美鳥は自分の胸に手を当てた。
心の臓は規則正しく動いており、肌にはぬくもりがある。呼吸もできているし、夏は汗をかき、冬は寒さで凍え手足はしもやけで痒くなる。風邪を引いたり腹を下したり頭痛がしたりと体調が悪いこともある。
それでも魂だけが欠けた抜け殻だから身体は成長しないのだと言われると、すんなり納得できた。
「――わかりました。丹波へ参ります」
目の前の霧が晴れ、向かうべき道が見えた気がした。
「大江山へ直接出向いても、童女のお前では鬼から勾玉を奪うなど到底無理です。まずは陰陽博士のところへ行きなさい。紹介状を書いてあげましょう」
「陰陽博士、ですか」
「かなり高齢ですが、お前が都に辿り着くまではくたばらずに待っていてくれることでしょう」
「はぁ。――ちなみに、お幾つですか」
「あたくしより二十以上は上ですね」
どうやら陰陽博士は妖怪の類いらしい、と美鳥は判断した。
「弥彦も一緒に行ってくれるよう、彌彦神社に遣いを出して頼んでおきます。ひとりで行くよりは心強いでしょう」
「ありがとうございます」
こうして、美鳥は都の陰陽博士の元へ向かうこととなった。