二 巫女修行に明け暮れること
美鳥にとって、奴奈川神社での巫女修行は楽しいものではなかった。
まずは字の読み書きと立ち居振る舞いを厳しく教えられた。
叔母も同じような修行をしたのだと言われればなんとか我慢できたが、それでも叱られて落ち込むことの方が多かった。
あまりのつらさに「うちにかえりたい」と美鳥が最初に弱音を吐いた日の夜、美鳥は大巫女の部屋に呼ばれた。
「お前はうちに帰りたいと言ったそうですね。でも、お前に帰る家はありません」
「……え?」
「野盗はお前の郷を焼き払いました。郡司殿の館も焼け落ちました。もう、あの郷にはお前の帰りを待つ者はいません。お前にできることは、ここで修行に励むことのみです」
「でも、おばさまは? さらわれて、どこかにうられたのでしょう? しゅぎょうがあけたら、わたし、おばさまをさがしにいきたいんです」
「三の宮の社の巫女は死にました。社の中に祀ってあった勾玉は野盗に奪われ、周辺はお前が身を隠していた社を残してほぼ焼け落ちました。あの野盗たちにはいずれ天罰がくだるでしょうが」
「しんだ……?」
「野盗は郷の者を皆殺しにしていったそうです。あの郷になんらかの恨みを持っていた者が野盗の中にいたのか、もしくは郷を滅ぼすよう野盗に頼んだ者がいたのかはわかりませんが、女子供や赤子にいたるまで、人という人はすべて殺したそうです。まったく、恐ろしいこと」
死を口にするだけで穢らわしいといわんばかりに、大巫女は装束の袖で口元を隠して顔を顰めた。
「だれも、いない……のですか?」
「そうです。だから、お前は家を恋しがったりしないで、一人前の巫女になるため修行に勤しみなさい。良いですね」
「――――はい」
こくんと頷いた美鳥だったが、腰が抜けたように足に力が入らなくなってしまっていた。
家族が死んだことよりなにより、叔母がもうこの世にいないことの方が悲しかった。
最初に美鳥の異変に気付いたのは、姉巫女のひとりだった。
「お前、ちっとも背が伸びないわね。食事はきちんと食べてるっていうのに、一年経っても姿がほとんど変わらないわ」
育ち盛りの美鳥の身長が伸びないことを姉巫女は訝しんだ。
「髪だって伸びないじゃないの」
「そうですか?」
「痩せっぽっちのままだし。いやぁね。これじゃあここでろくに食べさせてもらえないまま扱き使われてる子みたいじゃないの。ほら、この芋煮をあげるから食べなさいな」
「ありがとうございます、姉巫女様。いただきます」
せっかく姉巫女が椀いっぱいの芋煮をくれるというのだから、ありがたく貰っておくことにした。毎日食べる物に困っていないとはいえ、腹いっぱいになるほど食べられているわけではないのだ。
確かに髪がまったく伸びないことには美鳥も気付いていたが、背丈も伸びていないとは思わなかった。
次に美鳥の変調を指摘したのは、一年ぶりに姿を見せた弥彦だった。
「へぇ。お前、本当にあれからまったく変わってないんだな」
弥彦も人のことが言えるほど姿に変わりはなかった。
彼は美鳥の異変を聞き付けてわざわざやってきてくれたのだろうが、久々の再会も美鳥には楽しくなかった。
「弥彦だって変わってないじゃない」
「我は人の姿をしているが人ではないからな。この姿の方が人と話しやすいから、仮の姿としてこの格好をしているだけだ」
「ふうん。じゃあ、普段はどんな姿をしているの?」
「いろいろだな。ここに来るときは烏の姿をしていた。翼を使って飛んでくる方が、足で歩くよりも速いし、まっすぐ飛べて便利なんだ。ただ、途中で鷹や鳶に追いかけ回されるのには辟易したな」
「なんで烏なの? 鷲になったら鷹や鳶にも負けないでしょうに」
「どんな物にでも化けられるわけじゃないんだ。烏にはなれても鷲にはなれない。犬にはなれても狼にはなれない。そういう決まりがあるんだ」
「誰が決めたの?」
「神様だ」
「なら、神様にお願いして、鷲にもなれるようにしてくださいって祈ったら?」
「断られるだけだ。そもそも我のような神烏がそんな身の程知らずの願いを持つなんて、考えただけでも罰当たりだ」
「願うだけならいいじゃない」
「駄目だ。人が好き勝手に願い事を祈るのとはわけが違う」
「人は、いいの?」
「良い。ただ、願ったところで願い事のすべてが叶うわけではないがな」
「――わたしの願い事は、ぜんぶ叶わないよ」
「そうなのか? お前はなにを願うんだ?」
「叔母様を生き返らせて欲しい」
「人を蘇らせるなら黄泉平坂まで行けばなんとかなるさ。ただ、その坂がどこにあるのかは我も知らんのだ」
「郷を滅ぼした鬼たちを討って欲しい」
「連中は暴虐の限りを尽くして国司が兵士を差し向けたから、越後から逃げたそうだ。丹波へ根城を移したという話だが、まだ討たれてはいないらしい。いずれは討たれるだろうがな」
「それはいつ? 明日?」
「明日は無理だろうが、丹波の国司に鬼たちをできるだけ早く成敗するよう伝えておいてやる」
「どこの国の国司様も、せいぜい鬼たちを自分たちの国から追い出すことくらいしかできないんじゃないかしら。いずれ都を荒らし回るようになれば、帝が討伐をお命じになるでしょうけど、きっとずっと先よ」
「鬼が討たれたら、お前の気が済むのか?」
「それはわからない。わたしは叔母様を黄泉平坂まで迎えに行ける方がずっと嬉しいわ」
「じゃあ、黄泉平坂までの道順を調べておいてやるよ。いつになるかわからないけどな。なにしろ、あそこまで行って帰ってきた神様は一柱だけだからさ」
本気かどうかわからない約束をして、弥彦は彌彦神社へ帰っていった。