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翡翠を填めし鬼の譚  作者: 紫藤市
第四章
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一 巫女が弥彦と旅をすること

 弥彦とともに歩く奴奈川神社までの道中は、七つの美鳥には過酷なものだった。

 美鳥よりも背の高い草が茂った道なき道を、暗闇の中ひたすら歩くのだ。

 松明などの灯りはない。灯りは夜行性の獣を遠ざけることはできるが、野盗に居場所を知らせることになる。

 美鳥の郷を襲った野盗はすでに頸城の郷から姿を消したと弥彦は言ったが、野盗はどこにでもいるものだ。とくに、人郷外れた山の中に、野盗の隠れ家はある。

 空の月は半分欠けていた。雲はほとんどないが、星は見えない。

 美鳥は背丈よりも高い鬱蒼と生い茂る草にすっぽりと埋もれながら道なき道を歩いていたので、暗闇の中を手探りで進んでいるようなものだった。弥彦と繋いだ手だけを頼りに、彼の隣でただひたすら足を動かしていた。

 どういうわけか弥彦はこの夜陰の中でも、自分がどこを歩いているのかはっきりと把握しているらしい。

 月と星の位置を見ればわかる、と弥彦は答えたが、美鳥が振り返ると月は常に自分の後をついてくるばかりにしか見えなかったし、いくら目を凝らしても星は砂粒ほども輝きはしない。

 どこからか狼の遠吠えが聞こえた。

 梟のような鳴き声も響いている。

 日没頃から歩き出したものの、どれくらい歩いているのかはわからない。

 美鳥が草に足を滑らしたり、石につまずいて転んだりするたび、弥彦は黙って引き起こしてくれた。

 ただ、会話はほとんどない。

 草履の鼻緒で足の皮がこすれて痛くなった美鳥がぐずっても、弥彦は歩く速度をゆるめなかった。

 彼はひたすら前だけを見て歩いている。

 奴奈川神社までの距離があとどれくらいあるのか、子供の足でどのくらい歩けば辿り着けるのかはいくら訊ねても教えてはくれなかった。

 初秋の寒さが身に浸みた。

 いくら歩いても身体が温まることはない。

 弥彦についていくのが必死で、叔母や家族の心配をする暇もないが、草で頬や腕に切り傷ができるたび、ほんのすこしの血の臭いで吐き気をもよおした。

 夜明け前、ようやく草が刈られた道に出ることができた。

 すでに稲刈りがすんだ田圃が広がるその郷は、人の気配がなく静まり返っている。

 あたりから焦げ臭いにおいがした。

 薄暗いので美鳥には辺りがよく見えない。


「酷いもんだな」


 低い声で弥彦が呻く。

 彼には、この郷の様子が隅々まで見えているらしい。


「だからあれほど討伐隊を出せと忠告したのに……」


 弥彦のぼやきは薄墨を流したような暗がりの中に溶けて消えた。



 美鳥が弥彦とともに奴奈川神社に辿り着いたのは、夕刻のことだった。

 ほぼ一日歩き通しだった美鳥は疲れ切っていたが、社務所の横にある井戸の冷たい水を頭からかけられて全身の汚れを落とし、用意された着物に着替え、ふらふらになりながら連れて行かれた部屋で大巫女に挨拶をし、さらに別の部屋へ連れて行かれて(ゆう)()の膳を目の前にして腹の虫を盛大に響かせた頃には、弥彦のことなどすっかり忘れていた。

 麦飯と冷めた汁物を食べてそのまま寝床で横になった美鳥は、翌朝になって弥彦の姿が見えないことをいまさらながらに気付いた。


「あねみこさま。やひこはどこですか」


 年上の巫女を姉巫女と呼ぶようにまずは教えられた美鳥は、五つ六つ年上の巫女に尋ねた。


「やひこ? あぁ、あの(わらわ)ね。あれは帰りましたよ」

「かえった? どこへ?」

(かん)(ばら)()(ひこ)神社ですよ」

「じんじゃ? やひこはじんじゃのこなのですか?」

「そのようなものです」


 弥彦は奴奈川神社の子ではないのにわざわざ自分をここまで連れてきてくれたのか、と美鳥はいまさらながらに驚いた。

 その日から、美鳥の奴奈川神社での生活が始まった。

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