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翡翠を填めし鬼の譚  作者: 紫藤市
第三章
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二 巫女の郷に鬼が現れたこと

 獣の毛皮を羽織った男たちは、刀や槍を手にし、怒声を上げながら集落を攻め入った。


「悪鬼だ! 悪鬼がいるぞ!」

「女子供はさっさと逃げろ! あいつらは一番質が悪い連中だ!」


 男たちが叫び、女子供は悲鳴を上げて走り出した。

 美鳥も叔母に手を掴まれ、腕が抜けるかと思うほど強く引っ張られながら走った。

 あちらこちらで火矢が放たれ、家々から炎が立ちのぼる。煙で視界が悪くなると同時に、炎の熱と煙の臭いで気が動転した。

 郷にいた男たちは(くわ)(すき)を手に野盗と応戦するが、兵士ではないのですぐに倒されていく。辺りには血の臭いも漂い始めていた。


「鳥居の中に逃げ込むのよ! 神域なら鬼たちも入れないわ!」


 叔母に励まされ、息ができないほど苦しくなりながらも美鳥はひたすら小さな足を動かした。

 郷を襲ってきた野盗は悪鬼と呼ばれる特に荒くれ者がいる集団だった。

 とはいえ、女子供のか弱い足でいくら必死に走っても、逃げ切れるものではない。

 子鹿を狙う猟師のように、野盗のひとりが美鳥と叔母を獲物として認め追い掛けてきた。


「捕まえたっ」


 下卑た声を上げて野盗が美鳥の腰に腕を回したときだった。


「奴奈川姫様! この子をお助けくださいっ!」


 叔母が目の前の鳥居に向かって金切り声を上げた。

 その瞬間、鳥居の奥にある小さな木の(やしろ)の扉が内側から風に煽られたようにぱかっと開いた。

 びゅんっと風を切る音が耳を過ぎったかと思うと「ぐあっ」と美鳥を捕まえていた野盗が声を上げて手を放した。そのまま、右手を左手で抱え込むようにして倒れ込み、のたうち回る。

 地面に放り出された美鳥が振り返ってみると、男の右手は鮮血で染まっていた。


「さぁ、逃げるのよ!」


 叔母は恐怖で竦んでいる美鳥をなんとか立たせようとするが、身体が硬直した美鳥は、もう一歩も歩けなかった。


「なんだこれはっ!」


 怒り狂った野盗は、自分の手のひらに突き刺さった物を睨み付けた後、また美鳥たちに目を向けた。眼球は血走り、浅黒く日焼けした顔も紅潮している。いまにも美鳥の首を片手で鷲掴みにして折りそうな威勢だった。


「殺してやるっ!」


 野盗は血で濡れた手を美鳥に伸ばした。

 その右手のひらには、深緑色の石がめり込んでいる。

 勾玉だった。

 野盗の赤い血は勾玉を避けるように流れていた。


「早く奴奈川姫様のところへ逃げなさい!」


 先に美鳥を抱え上げたのは叔母だった。

 彼女の細腕のどこにそんな力があったのか、叔母は美鳥を社に向かって放り投げた。

 次の瞬間、物凄い力に引き込まれるようにして、美鳥は狭い社の中に吸い込まれた。

 社は子供ひとりが入れるか入れないかという狭さだというのに、美鳥が目を瞑って手足を丸めた途端、すっぽりと収まることができた。

 ばたん、と音がして社の扉は勝手に閉じられた。叔母が駆け寄って閉じたわけではないようだった。

 ぎゅっと閉じた瞼を、美鳥は開けることができなかった。

 社の扉が閉じられたときから、外の音はいっさい聞こえなくなっていた。



 気付くと、美鳥は土の上で寝かされていた。

 空を見ると、西日が眩しい。

 美鳥がまばたきをしながら首を動かすと、すぐそばで膝を抱えるようにして座り込む五つ、六つほど年嵩の少年の姿があった。薄墨色の水干を着ていたので、最初はただの影のように見えた。

 美鳥が身じろぎする気配に気付いたのか、仏頂面で睨むような視線を向けてきた。


「ようやく目を覚ましたか。お前、三日間ずっと眠り込んでいたんだぞ。もう起きないんじゃないかと思ってひやひやしたよ」


 少年はぶっきらぼうに文句を垂れつつ、水を入れた竹筒を差し出した。


「これでも飲め」


 ゆっくりと美鳥が身体を起こすと、固まっていた全身がばきばきと音を立てるような感覚に襲われた。


「だ……れ?」


 なんとか声を絞り出したが、老婆のような嗄れた声がかすかに響いただけだった。


「我は()(ひこ)。お前を迎えにきた。さぁ、飲め。あと、握り飯もあるぞ。麦飯だけどな」


 弥彦と名乗った少年は、尊大な態度は崩さず、美鳥の唇に竹筒を押し付けた。

 ぬるい水を舌の上に流し込み、喉の奥へ通すと、自分の臓腑が動き出すのがわかった。


「こ……こ、ど……こ?」


 まだ舌がうまく動かせずにいたが、美鳥は辺りを見回してから尋ねた。

 深緑の木々や野草が生い茂る見慣れない景色が広がっていた。


「奴奈川神社の分社のひとつ、五の宮だ。奴奈川姫様がお前をここまで運ばれた」

「――さと、は? おばさまは? やとうはあにさまたちがやっつけてくれたの?」

「さぁ……知らね」


 そっぽを向いた弥彦は、答えを知らないというよりは答えたくない様子だった。


「我はお前を奴奈川神社まで連れて行くよう頼まれただけだ」

「だれに?」

「奴奈川姫様に。ほら、飯を食え。ここからは自分で歩くんだぞ。我はお前をおぶったりしないからな。じゅうぶん寝たから、いまから朝までぶっ通しで歩けるだろ。嫌だと言っても歩いてもらうからな。獣道も歩かなきゃなんねえんだぞ」


 編んだ竹籠に入った麦の握り飯を弥彦は無理矢理美鳥の手の上に載せた。


「ととさまやかかさまは?」

「知らねって」

「やひこはなにもしらないのに、なんでみどりがおきるのまってたの?」

「頼まれた。それだけだ」

「――かえりたい」

「お前は奴奈川神社に巫女修行に行くんだ。そういう約束だっただろ」

「でも、まだみんなにいってきますっていってないもの」


 冷えた麦飯をじっと見つめながら、美鳥は唇を噛み締めた。

 着物から煙で燻されたような異臭がする。肩に垂れる髪や手足には土や草や煤が付いている。膝には擦り傷があり、どこかで打ったような痣もある。

 なぜ自分ひとりだけ、こんなところにいるのかがわからなかった。


「やとうは、どうなったの? ぐんじさまは、たすけにきてくれた?」

「だーかーら、我はなにも知らねーんだって」


 いらついた様子で弥彦は答える。


「うちのさとはまずしいからやとうにねらわれないって、さとおさはいってたのに……」


 西の山際に沈みかけた太陽を見つめながら美鳥は呟いたが、弥彦はなにも答えてくれなかった。

 東の空はすでに藍色に染まっている。

 日が沈み始めた途端に、冷え込んできた。

 美鳥は自分の身体に洗いざらしの着物がかけられていたことに気付いた。

 襟を掴んで着物を身体に巻き付けながら、麦の握り飯にかぶりつく。


(かたい……)


 冷えて固まった麦飯は、砂利を噛むような味がした。


(うちにかえりたい)


 弥彦は「知らん」としか言わないが、美鳥には薄々郷の惨状は想像できた。とはいっても、かつて郷長が教えてくれた「野盗に襲われた郷は死体以外は残らない」ということくらいだ。それがどういう光景なのかはよくわからない。


(ぐんじさまのおやしきのととさまとかかさまはぶじなのかな。さとがぐちゃぐちゃになったから、わたしはしゅぎょうにいかなくちゃいけないのかな)


 両親との別れはそれほど悲しくはなかった。ふたりとも郡司の屋敷に住み込んでいたので、滅多に家に帰ってくることはなかったし、美鳥はほとんど両親に構って貰ったことは無かった。

 美鳥にとっての親は、叔母だった。


(おばさま……つかまっちゃったのかな)


 叔母の最後の「逃げなさい」という叫び声は、まだ耳の奥に残っている。

 野盗は女子供を捕まえて人買いに売るという話だから、叔母が逃げ切れずに捕まったのであればいまごろは人買いに引き渡されているかもしれない。

 それがどういうことか、七つの美鳥にはよくわからなかった。叔母や姉妹、弟たちがどこかで生きていることだけを願った。


(みこしゅぎょうがおわったら、おばさまをさがしにいこう)


 越後中を探せばきっと叔母を見つけ出せるはずだ、と美鳥は幼いなりに考えた。


(おばさま、まってて)


 砂利のような麦飯を頬張りながら、美鳥は心の中で叔母に呼び掛けた。

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