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翡翠を填めし鬼の譚  作者: 紫藤市
第三章
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一 越後に巫女の郷があること

 越後の南西部、姫川の下流域に美鳥が生まれ育った郷はあった。

 ほど近い場所に奴奈川姫を(まつ)る奴奈川神社があり、美鳥の郷にはその分社が建てられていた。

 母方の叔母が分社の巫女を務めていた縁で、美鳥は八つになったら奴奈川神社で巫女見習いとして修行に上がることが決まっていた。父親は(くび)()郡司の屋敷で下男として働いており、母親も同じ屋敷で下女として働いていた。きょうだいは多く、美鳥には合わせて八人の兄と姉がいた。

 兄姉が幼い美鳥の世話を焼いてくれることはあっても、遊び相手にはなってくれなかった。兄や姉たちも生活のために両親に代わって畑仕事や家事をせねばならなかったからだ。

 物心ついた頃から美鳥は自然と、叔母がいる奴奈川神社の分社で過ごすようになっていた。

 叔母は務めの合間を見ては、よく美鳥の相手をしてくれた。

 神社でお祀りしている奴奈川姫やその息子の建御名方神、大国主神など神世の話をしてくれた。

 郷は貧しかったが、国司や郡司でもない限りはどの家も貧しいのが当たり前だったので、特にそれを辛いだの惨めだのと思うことはなかった。

 姉のひとりが容姿の美しさを認められて国司の屋敷で下女として働くようになり、郷帰りのたびに都からやってきた国司一家の華やかな生活を語って聞かせてくれたが、別世界である貴族の生活は物語を聞くのと変わらず、羨ましいとはまったく思わなかった。

 冬になり雪が降り出すと、郷は白銀に染まる。

 美鳥の棲む郷は越後の中ではそれほど雪は多くない地域だが、それでも(ちゅう)(とう)の頃には美鳥の腰まで埋もれるほどの雪が積もるようになり、兄たちは毎日朝から雪かきに追われるようになった。

 夜は月明かりを浴びた雪がきらきら光り、星々の輝きが地上にこぼれてきたように見える。白い息を吐きながらそんな夜の雪原を兄や姉とともに歩いていると、身体は芯から凍えているのになんだか楽しい気分になった。

 美鳥は幼いなりに分社の雪かきを日々手伝ったが、それは叔母がご褒美にくれる粟飴が楽しみだったからだ。いくら着込んでも冬の寒さは美鳥の骨の髄まで冷やしたが、しもやけで真っ赤になった手足や頬に叔母が(こう)(やく)を塗ってくれる炉端でのひとときもまた、楽しかった。

 春も半ばになり雪が解けると、美鳥は田畑の仕事を手伝った。

 雪解け水で潤う田圃は広いが、穫れる米のほとんどは年貢として郡司に収めなければならなかった。神社に供える米はほんの少ししか残らない。庶民の口に入る米はまったくなく、美鳥は米の味を知らなかった。

 麦や(ひえ)、粟に豆が郷の庶民の主食だったが、毎日ふたくちみくちでも食べるものがあるだけ恵まれていた。

 郷が貧しいのは幸いだ、と(さと)(おさ)はよく言っていた。

 それは、国司や郡司たちに搾取されるばかりの自分たちを慰める言い訳に聞こえたが、郷長は幼い美鳥にもわかるように説明してくれた。

 (いわ)く、豊かな郷は国司や郡司の直轄領となっているが、そういった郷は野盗に狙われるのだという。野盗は郷の倉を壊して中身をすべて奪い、女子供を攫って人買いに売り払い、抵抗する男たちは容赦なく殺し、国司や郡司の兵が到着するやいなや疾風のごとく姿を消すのだそうだ。

 野盗たちは生まれた郷をなんらかの理由で追い出された破落戸(ごろつき)たちの集まりで、腕っ節は強く、粗野な荒くれ者だ。中には鬼神のごとき荒々しさで郷を襲い、百を数える間もなく郷を壊滅させる者もいるほどだという。

 彼らの狼藉には国司も郡司も頭を痛めていたが、野盗に対抗できるような武士(もののふ)は越後にはほとんどいない。国司や郡司が雇っている兵士は皆が地元の庶民で、槍や刀、弓矢を持たせればそれなりに格好はついたが、到底野盗に敵うものではなかった。

 美鳥の長兄は郡司の屋敷で兵士をしていたが、「重い()(そく)を身に付けただけで身体が動かなくなる。これでは野盗とやり合うことなどできぬ」とよく不満を垂れていたものだ。

 幼い美鳥にとって、野盗も貴族と同じく別世界の存在だった。

 七つになるまでは――。

 美鳥は、物心ついた頃から叔母に連れられて(いと)()(がわ)の岸辺でよく翡翠探しをした。

 翡翠は勾玉の材料のひとつだ。

 原石を探して勾玉職人のところへ持って行くと、かなりの高値で買い取ってもらえた。ただ、子供ひとりで売りに行くと安く買い叩かれてしまうので、常に叔母に付き添ってもらうようにしていた。叔母が奴奈川神社の分社の巫女であることは、勾玉工房の誰もが知るところだったので、子供の美鳥が売りに行ってもそれなりの値をつけてくれた。

 岸辺で砂利に混じって見つかる翡翠は小さい物がほとんどだったが、稀に大きな物もあった。

 翡翠は多少なりとも家計の足しになっていた。

 美鳥が七つになった頃には、美鳥の下に三人の弟妹がいた。

 両親の祖父母もともに健在で、日々大家族が食べて行くのがようやくの生活ではあったけれど、美鳥は暮らしぶりに不満はなかった。

 ただ、その年の夏から秋にかけて、越後では天候不順による長雨が続いた。田畑は荒れ、稲は凶作とはいかないまでも不作となった。

 春に穫れた麦のおかげでなんとか郷は食いつなぐことができたが、近隣の郷の中には川の氾濫、地滑りによる田畑の作物の全滅、飢えによる死者で人がいなくなった村もあるという噂が美鳥の耳にも入ってきた。

 庭の柿の木のたわわに生った青い実が枝をしならせる頃、ある日突然野盗が郷を襲ってきた。

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