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翡翠を填めし鬼の譚  作者: 紫藤市
第七章
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一 巫女が新たに石を得ること

 いつの間にか意識を失っていたらしい。

 美鳥が目を覚ますと中天に太陽が昇っていた。

 妻戸の向こうに広がる庭には、雨が降っていたことなど覚えていないような青空が広がっている。

 美鳥の枕元には、陰陽博士が座っていた。


「そなたは三日も眠り続けていたのだよ」


 美鳥が目を開けたことに気付くと、(しわ)だらけの顔に安堵の表情を浮かべて告げた。


「渡辺様は、いかがなさいましたか」

「大怪我をしたものだから、療養中だ。十日もすれば傷は()えるだろう」

「北の方様が亡くなられて、さぞご落胆のことと存じます」

「あぁ、そのことだが、あれはどうも最初から茨木童子が化けていたらしい。本物の北の方は(せっ)()でぴんぴんしとるそうだ」

「は?」

「あの男が鬼に出会う五日ほど前に、突然北の方がなんの知らせもなく都に現れたそうだが、実は茨木童子が北の方のふりをして邸内に入り込んでいたようだ。茨木童子はあの男の寝首を掻いてやろうと企んだのだろうが、綱はなかなか家に居着かない男だからうまくいかず、仕方がないので外で待ち伏せをしていたところ腕を切られてしまったというのがことの(てん)(まつ)らしい」

「では、北の方様は茨木童子に食われたりはしていないのですね」

「そういうことだ。茨木童子が北の方に化けているのにまったく気付かなかった綱もどうかと思うが」

「とにかく北の方が茨木童子に殺されていなかったのであればよろしゅうございました」


 美鳥はほっと胸を()で下ろした。


「弥彦は、どうなりましたか」


 庭の向こうに見える土塀の上、弥彦が好んで止まっていた場所に(からす)の姿はない。


「どう、というか、こうなった」


 陰陽博士は袖の中から懐紙を取りだして広げた。

 中には黒い石がひとつだけあった。


「これ、は?」

(からす)(いし)だ。あの神烏の本性はこの石なのだ。(ひび)が入っているが、割れてはいない。ただ、しばらくはこの姿のまま休息が必要なようだ」

「――そうですか。拾ってくださってありがとうございます。越後に連れて帰ることにします」


 しばらく漆黒の石を眺めた後、美鳥は石を指でつまんでみた。

 弥彦の正体が実は烏ではなく石であることの驚きよりも、無事だったことに胸がいっぱいになった。どれくらいの年月を石のまま眠るのかはわからないが、いずれはまた神烏や人の姿になって話し相手になってくれることだろう。


「越後に帰るのか?」

「はい、帰ります。わたしのここでの役目は終わりましたので。――翡翠は取り戻すことができませんでしたが」


 茨木童子の手に()めこまれていた翡翠は、砕けて土に還ってしまった。

 故郷の奴奈川神社の分社に祀られていたご神体は失われたが、大巫女に事の次第は報告しなければならない。

 そのあとのことは、帰ってから考えるしかない。役目を果たせなかった以上、奴奈川神社にはいられなくなるかもしれないが、それはそれで仕方がない。

 もう糸魚川でいくら翡翠を探しても、見つけられないかもしれない。せめて翡翠のひとつくらい弥彦に礼代わりに贈りたかったのだが。


「このまま都にとどまってはどうかな。うちで働くというのも悪くはないと思うが」

「お気遣いありがとうございます。でも、やはり一度越後へ帰ります」


 美鳥は越後に帰郷する意志を変えなかった。

 翡翠を取り戻せなかった以上、美鳥は自分の魂が身体に戻ってこないことを覚悟した。この童女の姿のまま残りの人生を過ごすのか、それとも魂が抜けた身体ではそう長く生きられないのかもわからない。

 それでも、いずれ死ぬときは故郷でと決めていた。


「どうしても越後にいられなくなったら、またお伺いするかもしれません。そのときは、こちらに置いていただいてもよろしいでしょうか」

「もちろんだ」


 陰陽博士は大きく頷いた。


「ありがとうございます――」


 深々と頭を下げたところで、まなじりからふいにぽろりと涙がこぼれた。

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