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翡翠を填めし鬼の譚  作者: 紫藤市
第五章
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二 巫女が鬼を待ち続けること

 居候とはいっても、女の童として主に雑用をこなした。

 何十枚もの短冊に「急急如律令」と書いて護符を作ることもあれば、屋敷内外の掃除、他家への届け物の使い走り、買い物など忙しく働いた。

 一方の弥彦は、屋敷の中が恐ろしいといってほとんど外をうろついていた。とはいえ、少年の姿ではどこでかどわかしに遭うかもしれないので、烏の姿だ。


「弥彦も入ってくれば良いのに。寒いでしょう?」


 都の冬は、育った越後とはまた違った寒さだった。

 雪は降っても越後に比べればそう積もらないが、とにかく寒く、身体の芯まで冷えた。火鉢を抱え込むようにして部屋に籠もっていても手がかじかみ、うまく短冊に字が書けず護符作りに難儀した。


「我はここでいい」


 土塀の上に止まった烏は、かたくなに首を横に振った。

 近頃、この辺りを縄張りとする鳶とやり合って傷を負った彼は、羽根のところどころが抜けている。まだうまく飛べないはずだが、それでも屋敷の中に入ることを強く拒んだ。中にいるもののけの気配に怯えているのだが、美鳥の前では虚勢を張っている。


「都を荒らし回る鬼どもが通らないか、見張ってるんだ」

「鬼も雪が降り出したら山に籠もるという話だけど」


 都の治安はよくないが、それでも雪が降り出す冬になると盗賊の数は減った。


「年が明けたら、いよいよ大江山にも討伐隊が派遣されるって話だ。鬼たちも山でのんびりと雪解けを待つってわけにはいかないさ。そろそろ逃げ出す準備をしているかもしれないぞ」

「そうなの? 誰がそんな話をしていたの?」

「御所の大臣たちだ。我は天井の梁の上から聞いていたんだ。連中はぼそぼそ喋るんではっきりとは聞き取れなかったが、大江山がどうとか、賊がどうとか言ってたぞ」

「じゃあ、いよいよなのね」


 美鳥たちが都に来てからまもなく半年が過ぎようとしていた。

 茨木童子については、大江山に棲み着いている鬼であるということ以外、いまだになにもわかっていない。本当に茨木童子が分社で祀っていた翡翠を持っているのか、郷を焼いた(かたき)であるのかも定かではなかった。ただ、茨木童子が越後を荒らし回っていた野盗であったことは間違いないらしい。


「いよいよだ」


 弥彦は力強く告げた。



 ところが、事態は美鳥たちの期待通りには運ばなかった。

 年が明けた弥生、帝は勅命を出し、源頼光という武将が数名の部下を連れて大江山へ賊の討伐に向かった。

 討伐隊は首魁である酒呑童子の首級(しるし)を獲り、その配下もほとんどは捕らえるか(ほふ)ったが、茨木童子は逃げたのだ。

 しかし、大江山の賊退治は成功を収めたとして、帝は源頼光に褒美を与えたという。


「逃げられた? 茨木童子に?」


 弥彦から鬼退治の顛末を聞いた美鳥は、呆れ返った。


「それなのに、討伐隊はおめおめと都に戻ってきたの?」

「首魁の首級は獲ったから、大成功ってことなんだろう」

「でも、茨木童子は酒呑童子の腹心の部下だったんでしょう? それを逃がしておいて、一網打尽にできたなんてよく言えたものね」

「酒呑童子の首級を六条河原で晒せば、茨木童子が取り返しに現れるだろうって大将は言ってるらしいけどな。仲間を殺された恨みはあっても、茨木童子が罠だと知りながら首級を奪いに現れるかどうかは怪しいな。それより、酒呑童子の首級ってのがなかなか凄いらしいぞ。討伐隊は鬼たちに酒盛りをさせて泥酔したところを襲ったんだが、酒呑童子は首を斬られても太刀に噛み付いて折ろうとしたり、大声で呪詛を喚いたりしたらしい。あまりにもうるさいんで、首桶に護符を貼りまくってようやく黙らせたって話だ」

「ふうん。そんなことをしていたものだから、茨木童子に逃げられたのね」


「――まぁ、そうだな」


 冷ややかな美鳥の態度に、烏の弥彦はしゅんと項垂れた。

 自分が討伐隊に加わっていたわけでもないのに討伐隊の手柄話をまるで自分のことのように話したものだから、自分が責められたような気分になってしまったらしい。


「そう心配せずとも、鬼はいずれ現れる」


 ふてくされている美鳥に声を掛けたのは、屋敷の主である陰陽博士だった。

 どこからともなく現れると、顔を顰めている美鳥に紙に包んだ干菓子を渡す。


「無傷でないゆえ、すぐに現れはしないだろうが、傷が癒えればやがて都に姿を見せよう」

「本当に?」


 干菓子のひとつを口に放り込みながら、美鳥は陰陽博士を見上げた。

 この老人は好々爺然としているが、食えない相手である。いつも曖昧な物言いで美鳥の問いをはぐらかすことが多いのだ。


「そなたが待ち続けているのだから、いずれはやってくる。茨木童子とて、やられたままでは腹の虫が治まらぬだろうしな」

「わたしは待っていれば良いのですか?」

「そうだ、待っていれば良い」


 陰陽博士は鷹揚に頷いた。

 それは、庭の梅の花が散り始めた頃のことだった。

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