母菜穂子の涙
「光」
母菜穂子の声は、はっきりしている。
光が、その母の顔を見ると、母はうれしそうな顔。
それでも、光は母に頭を下げた。
「母さん、ごめんなさい、あの時は・・・」
光は小学6年生の時、終業式の後、自分でも満足できる成績表を持って、自宅に走って帰った。
それは、少しでも早く、母に見せたかったから。
しかし、折り悪く、自宅の直前の曲がり角に差し掛かった時、突然酒酔い運転のトラックが猛スピードで曲がって来た。
母菜穂子が家から出て、腕を前に伸ばして暴走トラックを止めなければ、光は轢き殺されていた。
何しろ、急停止した暴走トラックと光との距離は、数センチしかなかった。
ただ、元々心臓に持病を抱えていた母菜穂子は、その後、数時間でこの世から去ってしまった。、
光とごほうびのケーキを食べ、光にピアノの指導をしている最中に、突然の心臓発作により絶命したのである。
そして、このことにより、光は長年の間、心を閉ざしてしきた経緯がある。
母菜穂子は、やさしく光の手を握った。
光は、泣き止まない。
「逢いたかった、寂しかった」
を何度も繰り返すだけ。
また、光の後に立つ巫女たちも、全員泣き出している。
「チリン」
突然、鈴の音が聞こえてきた。
いつの間にか、地蔵菩薩の姿が、この不思議な極楽浄土に登場している。
そして、地蔵はしばらく光の様子を見ている。
「光君は、母の胸で、泣いて泣いて、いくらでも泣いても構いません」
「どれほどの辛さ」
「どれほどの苦しみ」
「あの子は、人の世を必死にささえて、どれほど本当は辛かったのか」
「どれほど、苦しかったのか」
母菜穂子が、泣き崩れてしまった光の身体を支えた。
光は、さらに大泣きになった。
菜穂子は、ゆっくりと光に語り掛ける。
「ごめんね、光」
「あんなにあっけなく光の前からいなくなってしまって」
「辛い思いをさせちゃったね」
「それでも懸命に頑張って、阿修羅として人の世をささえて・・・」
「母さん、ずっと見ていた、心配だったけれどね」
「光だったら、やり通すって」
菜穂子は、震える光の背中をなでている。
「いいよ、光」
「せっかく逢ったんだから」
「ずーっと泣いていてもいい」
「誰にも気にしないでいいよ」
菜穂子は光を抱きかかえる力を強めた。
「光は、私の可愛い子供」
「だから、絶対に護る」
菜穂子の目にも、涙が光っている。