1-04
「では。小嶺と呼んでいいのか?」
光臣は反応を見た。拒否されたところで特にも思うこともないし、もちろん肯定された場合であったとしても思うことは・・・・・・まぁないだろう。
「はい、問題ありません。これから先、2人ですので、どうぞよろしくお願いいたします」
妙な響きだった。
「あぁ、そうだな。
一つ付け加えておこう。季のやつ、さっきはいろいろと隠そうとしていたんだが、正確には高校生は2人ではないんだ」
「するともう一人、この校舎の何処かで姿をくらましているということですね? それはそれで、学園に九つはあるといわれるトリビアみたいで面白いですよ」
外から見ればそんな見方もアリなのか。光臣は新しい発見をしたような感覚に包まれていた。この学校に人がいなくなって以来途絶えた、魅力という魅力が復活したようだ。だとすれば生徒会長としても誇らしい。これはぜひとも。
「あとで生徒会日誌に綴っておこう」
「なにをですか?」
「小嶺は気にしなくてもいい。これはあくまで俺の個人的な趣味だ」
しまった、小嶺に対して、またも隠し事を企んでしまった。光臣は自分の不用意な緊張を解くつもりで、左手に人の文字を書いた。
階段を降りた2人は、昇降口に出た。この幅からでも分かるとおり、昔こそたくさんの生徒が上履きを収納したであろうロッカーは、あちこち錆びるほどに維持が追いついていない。当分の間、ここにラブレターが投函されることもなさそうだ。
光臣たちは、そんな思い出の詰まっていそうな昇降口を横目に、壁一つで仕切られた小さめのロッカースペースを使った。
「光臣先輩、ちょっと訊いてもいいですか」
「どうぞご自由に」
小嶺から話をふられた光臣は、"先輩”などと何年ぶりに付けられただろうという感慨に浸りつつ、見つめるのがなぜか難しい小嶺のほうに努力して視線を動かす。
すぐに水分を吸収してしまいそうな白い頬。しかれどもほんのり色づいているのが遠目でもよく分かる。髪。その毛は完璧な黒髪にも関わらず、ほのかに紅く輝く。あり得ない、もしかしたら光臣自身の目に補正がかかってしまうのかもしれない。
いい後輩がやってきてくれたと、光臣は笑みを浮かべた。
無意識に見つめてしまっていた彼女の瞳が、キュッとこちらに向く。汚れ一つない、美しい瞳ーーけれどそれは同時に、凛々しく賢いカメラであった。
「ちょ、先輩どうしたんですか。こっちを見つめすぎですって。偶然だったとしても、度が過ぎると、ヒいてしまいますよぉ? 」
「ん。わぁ! ・・・・・・すまない。ボーッとしていた」
「これは本格的に、話を聞いていなかったパターンですね」
小嶺のやさしくも辛辣な指摘に、光臣は苦笑いする。塵だけが散っている廊下にたたずむ二人の姿は、交際したての、どこかぎこちない男女のようでもあった。
小嶺は、背の高い光臣を見上げてみる。躊躇なしで。
見かけの性格にしては、どこか抜けたところのある吹寺兄。それが小嶺の中における、光臣という人物の定義になったのだった。
再質問ーーーー。
「なんでこっち側にも昇降口があるかって? 今となっては、小嶺も想像するのは難しいとは思うが、実は教職員専用の昇降口が残っているんだよ。なにせ今の全校生徒数より、昔の職員のほうが多いくらいだし」
「それはまた、興味深いですね」
「興味を持ってもらうのはいいが、課題事業のほうを優先してくれよ? さっき教室に集まった人数のうち、2人は課題事業に取り組まない。実質2人なんだ」
2人、という表現に引っかかって、小嶺は首をかしげた。ついさっき光臣は、高校生はもうひとりいるんだと教えてくれたはずだ。
「実質3人では、ないんですか? わたしと、光臣先輩と、もうひとり」
「あぁ、これを説明していなかったか。3人とはいったものの、あとの一人はホームルーム教室に長い間姿を現していていない。言い換えれば不登校になっているといえる」
「不登校・・・・・・」
不登校という言葉が発せられたとき、小嶺は無意識に首からさげたペンダントを探り当てて強く握った。小嶺は転校前に、端末にダウンロードした校則をひととおり読んでおいた。少なくともそれによれば、ちょっとしたアクセサリーは抵触していなかった。
光臣はさらに続ける。生徒会長として、教えられることはすべて教えたかった。生徒を代表する者の、来訪者に対する務めである。
「もちろん原因を探ってはみたんだ。残念ながら・・・・・・いやむしろいいのかもしれないが、彼女の経歴にも過去の評価にも異常なところは見られなかった」
「単に学校に来るのが煩わしいという理由も考えられますよ?」
「どういうことだ」
「学校に来るまでの間に、なにか面倒な事情が存在するーー具体的には、通勤ラッシュ、道のぬかるみ、孤独願望、成績不振なんて、無数のパターンが存在すると思います」
数年前に会ったことのある、法務省所属の学校問題アドバイザーに似ていた。詳しさ、口振り、その方面への解決意識、あらゆる面においてそのものだった。
これを口に出すのは、小嶺に失礼かもしれないので、さすがに控えたが。
「そんな感じではなかったんだが・・・・・・まぁ分からないか。中学から同じ学校で、今とさほど変わった環境でもなかったけれど、それにしてもハガちゃんは妙だ」
「ハガちゃん・・・・・・すると、名字は芳賀さんということですね」
「惜しいな。あいつの名前は波賀野、学年はいちおうお前と同じ高校の一年だ。本当に中学を卒業できているのか俺は知らないが、まだ寮に住んでいるのは確かだ」
小嶺は頭の中で、今得た情報をすべて整理していた。この時世、頭で整理するのは能率的ではない。というのも生体認識装置を経由して、まるでコンピューターのメモリを付け替えたように、脳の機能を拡張すればいいだけだ。けれど小嶺にはある種のポリシーがあった。
コンタクトレンズ上に表示されるホログラムウィンドウは、ホーム画面のままだ。
本校現生徒の可能性、所在は寮内、名前のうち名字は波賀野、ファーストネーム不明、本校生徒ながらHRでの姿は確認されず、不登校、引きこもり?、いじめの可能性は低いとみられる、もし存在していたとしたらーー
「わたしの同級生。ならば、ぜひ一度会ってみたいものです」
「やめとけ」
期待の顔でうきうきしながら語った小嶺は、光臣の言葉を聞いてしぼんでしまった。忠告のように、それもかなり優しく諭した光臣はここだけは譲れなかった。
「え、ダメなんですかぁ・・・・・・」
小嶺の薄い声に気づかなかったのか、光臣は無言で自分の下駄箱から外用の靴を取り出す。そして一段下がったところで履き替えようとしたとき、ふと動作をとめた。
小嶺が、下駄箱を開けてうろたえているのが気になったのだ。
「小嶺。そういえば今日の朝、遠路はるばる到着したときに荷物はどこに置いたんだ? 校舎の中まで引き入れたか」
「いえ、向こうの建物の玄関にちょうどいいスペースがあったので、そちらに。もしかして置いてはいけない場所でした?」
小嶺は学校敷地内、玄関を出てしばらくいったところに見える建物を指さした。光臣はうんうんと、何度もうなずいている。
「優秀だ。さすが日本の最重要都市、長野から来ただけあるな」
「褒められているようなので感謝します。ありがとうございます」
機械に似た応答で、論理的に感情少な目の真顔で離した小嶺だった。光臣は、そういうキャラ設定も受け入れようと思い、あえて追及することはなかった。
「で、なぜ下足が無いという結果になるのか、俺に教えてくれ」
「そ、それについてはちょっとした深い事情がありまして。えとですね、日を改めて説明するのがきっとよろしいかと思います」
しばらく光臣は考える間をおいた。沈黙の後にやってきた結論。光臣は自分に聞こえるくらいの声量で、ぼそぼそと口にした。
「隠すべからーーいや、仕方ない。優秀ゆえの抜けた感じがまたギャップとしてバランスを保とうとしている。それに深くツッコむべきではない、か」
「さっきから何を自分と語り合っているんですか? こっちがさびしいですよ」
「何を語っているか? それはだな、小嶺が校内道路を内履きで歩行したのかどうなのかってことについてだ。校則は比較的ゆるいから、校則違反の罰は生徒会の審議で決められる」
教員により拒否されない限りは生徒会メンバーで決めてちょーだい♪、と実際に表記されている。やれやれ、昔の校則制定者はどれだけふざけているのか。光臣もいつか改訂を加えようとしていたところだった。
「意外ですね。こんな些細なことも明文化されているとは、感服です。参りました」
「小嶺は認めるんだな? 荷物を置いてから、あの建物ーーつまり寮に常備されている上履きを履いたまま、こっちまで来たと」
「ある程度の配慮はしたんですよ! 汚れ防止のために、その花壇の煉瓦をとびとびに」
小嶺にしてみれば、仕方の無かったことだった。向こうの建物の靴箱に外履きを入れたはいいものの、鍵番号を記録する前にドアを閉めてしまった。ぞろ目や1234で試しても開かなかったので、適度な土足使用をするに至った。
「その点は、よく考えたな・・・・・・よし、では罰をうけてもらおうか。生徒会は俺一人だし」
「罰っーー!!」
小嶺は本心からぎくりとした。不吉な予感。背筋に冷や汗が走る。現時点でまわりに人はいない。仲睦まじいカップルが裏路地にいるようなものだ。"万が一の緊急事態”があったとしても対処してくれる人がいない。生死の問題ではない。精神の問題だ。
あぁ、生死と精神なんて、くだらないシャレを考えちゃだめ。どれだけタイミングが悪いのか、小嶺はこんな状況にそぐわぬことを考えていた。気が動転している。
「ほうれ」ーー
中年の父親が小さなこどもを肩車するように、軽い動作だった。息をもつかぬ間に、小嶺は光臣に体勢をとられていたのだ。本当は光臣を蹴り飛ばすためにつきだした右足も、気づいたらがっちり押さえられていた。
小嶺は何か言おうと努力したが、のどから声が出ない。
視界がくるりと回転して目が回った末に、ようやく一カ所に落ち着いた。小嶺は、自分の足が地についていないのを確認した。しかし身に、ある種の危険が及んでいたのではなかった。
「どんなに優秀な人であっても、ときに失敗はする。逆に失敗しないような人がいるなら、俺はそいつに近寄りたくない。なんだか自分が落ちこぼれていくように思えて気が滅入る」
「お姫様抱っこされた状態でそれを聞いても・・・・・・困惑するだけですが」
「小嶺が困惑しようと、俺には関係ない」
小嶺は、会って一週間経たない人間にお姫様抱っこされるのを好き好む性格ではない。どこぞの少女漫画チックに"キャッ”とかなるような性格ではないのだ。
しかし、すぐにこの状態から脱したいといって、もがくほどでもなかった。不鮮明な理由が逃避を拒んでいた。それに考え直せばそれほど嫌なシチュではなかった。
「一人のためだけにわざわざ予備の靴を持ってくるのは面倒だ。たかが学校案内なんだ、あんたにはこの状態で寮棟まで移動してもらう」
「な。ちょっと待ったですよ!? 先にこっちの校舎をまわればいいんじゃないですか?」
「ーーさ。ぐずぐずしていないで、行くぞ」
「私の話をまったく聞いていない!」
こうして小嶺は、光臣に抱かれた状態で"向こう岸”へと渡った。光臣が靴を脱ぎ履きするときに小嶺は一度解放されたが、その隙に逃げることもなかった。そんな、姑息なまねをしてもどうしようもない。
せっかくの人の姿も見えない東京のド田舎だ。むしろお姫様抱っこなる、そこそこリア充な体験をしておくほうがいい。ただでさえ生徒数が半端ではない地元でそんな行為に及んだあかつきには、校内社会的孤立が大口を開けて待っている。
「荷物を置いたっていってたな。この2つの段ボールだけか?」
「そうですが、何か?」
「よくもまぁ、こんな小さくまとめられたもんだな。キャリーバッグ1台でも済まないのがふつうだ。ただでさえ女子生徒だっていうのに」
下駄箱からスリッパを取り出した光臣は、同時に過去の苦労を思い出すかのような顔をしたあと、小嶺をほめたたえた。
「女子だと、荷物が大きくなる傾向があるんですか? それとも、なにかトラウマになっているほど印象の強い経験でも?」
「後者だ」
寮棟の入り口にはカラフルに塗装された靴箱が並ぶ。とはいっても、その規模は昇降口のものには遙かに及ばないサイズである。察するに、生徒数の多かった昔から寮を使うメンバーは限られていたのだろう。
二人は一個ずつ段ボールを持ち合って、人気を感じられない廊下をスルスルと進んでいった。光臣が自分の役目を思い出したのか、口を開く。
「この建物は2階建て、一人一室の六畳間が用意されている」
「全員が個室に入れる、ということですね?」
「そのとおりだ。生徒会長としては泣きたいことだが、それでもなお、2階がまるごと余ってしまうんだよ。入学募集要項には、去年から全寮制と明記してもらった」
本校者で無駄にでかい校舎。そこにコバンザメのごとく寄り添っている小さな学生寮でさえもスペース過剰。この学校は浪費ばっかりの赤字スクールとしてそのうち切り捨てられてしまわないだろうか? 小嶺は、後の祭りなことが心配になったのだった。
光臣が段ボールを持ちながら、指で一番近い扉をさす。
「ここからが生徒の個室だ。手前が、季が俺から奪った個室。あいつの個室に入る時は注意したほうがいい。時々扉が勢いよく開いたと思ったら、次の瞬間押し倒されているからな」
お兄ちゃんでも愛さえあればーーとかいうお題目が、小嶺の頭の中でポップコーンが弾けたように溢れかえった。頑張って口には出さないようにこらえる。そんな彼女も、光臣の一声で現実世界に戻ってくる。
「おーい小嶺? 起きてるか」
「起きてます、よ?」
「なぜ疑問形・・・・・・」
つづいて指を、廊下挟んで反対側の扉に向ける。小嶺もそれに合わせて身体をひねる。ここだけは妙に仕様の違う、ワンランクグレードの上がった木材が打たれている。
「こちらは、特別な部屋なんでしょうか?」
「まぁ特別な部屋といえば特別な部屋だ。こっちには、いちおう寮監として片品先生が住んでいるんだ。なにか生活上の問題なんかが生じた時は訪ねるといい。ただしあの人は、あぁ見えても30後半のオヤジなので、それを承知で入れよ?」
「30!? 冗談ですよね」
「ご想像におまかせしておくとしよう。信じるのが難しい人に無理に信じ込ませようとするのは、あまり好きなやり方ではないからね」
「やっぱり冗談なんですね」
光臣は小嶺にこう切り出されても。なにも答えようとしなかった。その代わりに、次の部屋へ進む。足取りは不思議と速かった。いくつかの部屋を通過する。
「あれ、ここらはとばしちゃうんですね」
「あ、あぁ・・・・・・ちょっとそろそろ指が痛くてね。さきにこの荷物をお前の部屋に置いてからのほうが、小嶺も楽だろ? 部屋の使い方を先に教えておこう」
「了解ですっ」
しっかりと真のとおった声で、小嶺は返事を返した。が。心のうちでは、説明をとばした感じがして、気にかかって仕方がなかった。
「先生、まだ演習問題やんなきゃいけないんですか? いや、それ以前になんで小テストで満点をとっているはずのアタイが、追試という名前の計算プリントを解かされているんです?」
ツインテールに結んだ髪を揺らして不満そうに季はもらした。言葉に反し、手元の二次関数6題は先生と二言三言交わしながら終わらせてしまっている。
吹寺季は秀才と評価される部類に属する人間だった。もちろん自覚もしている。かといってそれを誇りに思う事はたいしてあるわけでもなかったーー。
「季さんは相変わらず驚異的ですね。何度見ても僕は驚いてしまいます。確かにこんな計算問題は一見必要なかもしれません。しかし僕はですね、先生の立場としてあなたの間違え方を見るに、なにかが抜けているように思うんですよ」
片品は透過ディスプレイをスライドさせていた。何を見ているかは季には見えない仕組みになっている。どうせこんな話をするのだし教育省から返却されてきた統一中間試験の個人成績データだろうと季は考えた。
「全国学力調査で総合3位をとったのに、まだ上を行けと? アタイはもう十分。1位なんてとったら全国ニュースになって、この学校にインタビューが押し寄せる、それは先生も嫌でしょう? こんなド田舎で騒がれるのは」
「だれも順位なんて話に挙げていませんよ。・・・・・・まぁ、去年の統一学期末試験で1位を飾った"首都”のだれそれちゃんよりもあなたのほうが、興味に値する成績だと思いますよ。これは単なる僕のヘンな感性によるものでしょうか、季ちゃん?」
「ちゃ、ちゃんなんて! アタイは子供扱いされるほど子供じゃないもん! こうみえても来年から高校生だし」
季は急に顔を背けてしまった。恥ずかしかったのか、季は口ごもった喋りになった。この教室の広さーー人数に対して発注ミスしたようなーーとはいえ、2人きりなら、片品にも聞こえてしまうのだった。
「終わったようなので、プリントを回収しましょう。ちょうどいいことにお八つ時でもありますからね。こっちにまわしてください」
「おやつ? もうそんな時間!?」
壁掛け時計を見るやいなや、季は書きためたプリント類をいそいそとまとめて、バサリと教卓の上に提出した。いくつか折れ曲がった紙もあったが、文字は綺麗だった。あの性格からは想像もしがたいが、シャーペン字はかなり上手かった。丸文字ではない。
突然立ち上がる季。
「ちょっと。号令もしていないのにどこへ向かうんですか、季さん?」
「寮の冷凍庫からプリン4つ取ってきますっ!」
「季さん、ちょっと待ってください! まだ高校生が帰ってきてないのにーー」
片品が声をかけるも、すでに時遅し。季は彼女が最も好きな時間、すなわちお八つ時(わざわざ片品が、漢字表記を正式名称に選択して教育省に提出した)の準備に駆けだしていってしまったのだ。仕方なく、残されたプリントを回収する。
「子供じゃないもん、とは誰の言ったことか・・・・・・やれやれ」