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節電なんてものは呼びかけられこそするが、結局使ってしまうものである。あるものは使いたい放題に使いたいのが人間なのだ。人間とはつまり欲望の塊そのもの。
そんな内容を自らのモットーにしていた小嶺である。不思議と人間をまず疑ってかかるようになってしまった。それはそれで役立つことはあるのかもしれない。それこそ振り込め詐欺なんて、電話という形こそネット回線に変わってもいまだになくならないし。
薄暗い廊下を彼女は歩いていく。ただそこまで急ぐというほどでもない。それ以前に、急ぐなんていう感覚自体が長野を出てきたのを皮切りに、どこかに飛んでいってしまったようだ。
「3階の西階段だから、えっとー、こっちかな・・・・・・と、絶対こっちじゃないね」
図書館への矢印は左を指している。だがこちらを廻ったのも甲斐なく、図書館は無かったのだ。表示が狂っていたら、航海地図をなくした船と同じようなものだ。あいにく、そのゴシック体レタリングの真偽をたずねられそうもなかった。
下手に動くとやっかいなことになりそうだった小嶺は、その場に留まるコトにした。
ーー電子音。
「着信? おかしいな・・・・・・誰からだろう」
小嶺が耳元につけている通信端末から鳴っている。しかしその状況を、小嶺はおかしいと思うしかなかった。
地元を出てくるときに、連絡先という連絡先を抹消したからである。物損事故でデータがやられたのではない。すべて"故意”の行為である。
そんなこんなで、現在登録されているのは実家の子機(←ここ重要)くらいだ。したがってアドレス登録している者以外通信ができない小嶺の端末は、実質アクセサリーにすぎない。
ーー発信者:******
「なっ・・・・・・」
誰もかけてこないはずのタイミングに、暗号化された発信元。どこからどうみても怪しすぎた。不審者か。
たしかに、このごろ見知らぬ女子生徒のもとに故意に接続して、卑猥なトーク履歴を残していくサイバー犯罪が後をたたないと聞いたことがある。自分も餌食になりかけているのか。
そう小嶺は決めつけておくことにした
「拒否したほうがいいのかな」
小嶺は発信者のプロパティを覗いてみた。その結果は彼女にとって、予想通りだった。全部が暗号化されている。ーーとかかっていたら、一つだけ穴があった。
犯罪者のわりにはその証拠の隠しが甘かった。位置情報の暗号化まで手が回っていない。なんともずさんな犯罪者だなと、おっちょこちょいにも程があると思えてしまう。
その位置情報はメートル単位で距離がわかるようになっている。昔みたいに、一本違う道を示すようなものとは大違いだ。それ故に、相手の位置が生々しいくらい把握できるのだ。
正確なものは、時に人をおとしめる。信用しすぎるとか、そういう問題ではない。ありのままであるがために、その真実から目を背けられない。
「距離・・・・・・5m以内!?」
だから小嶺はこの事実に驚きを隠せなかった。5m。それはすなわち。自信の隣にいらっしゃるようなものだ。
小嶺は身構える。
こいつはただものではないかもしれない。
きっとそうだ。周囲に気を巡らす。だれもいないところで喧嘩でも始めるみたいで結構シュールだ。ちなみに小嶺は男子と殴り合いになり、しかもボコボコにしてしまったことがある。
「そう怖がらないで。僕はただの何のやましい感情も抱かぬ市民ですよ」
いきなり背後に出現した影に、小嶺はドキリとした。
気を巡らしていたのに、なお気づけなかったのだ。やっぱりただものではない。
「動かないでっ!」
それでも制止をかける。さっきみたいな甘い言葉をかけてくるのが、やらしいことをする犯罪者の常であることは、おそらく決定づけられたことなのだから。
「おーっと。僕は一歩たりとも動いていませんよー? 睦月小嶺さんの太股あたりからね」
「ふ、太股っ!」
「あなたの場合は細いというほかないですけれども」
ここまで余裕こいていていいのだろうか。なにやらもの珍しい形の応答で犯行に及ぼうとしているようだったので、小嶺はどんなものだろうと足下に目をやった。
たしかに足下に小学生くらいの図体にスーツをまとった、もの珍しい恰好の男がいる。本当にちっちゃい。女の子心にかわいいと言ってあげたくなるーー油断はならない。
彼も小嶺からの不信感を通り越して好奇に変わった視線に気づいた。
「こんにちは。転校おめでとうございます、睦月小嶺さん。僕はこの学校で唯一の教師、片品結城と申します。以後どうぞよろしく」
「せ、先生、ですか・・・・・・」
「先生ですよ。さっきから、あなたに犯罪者みたいな目で見られている気配がしましたが、僕が太股のあたりに現れても決してクンカクンカしたりしないので。どうぞ安心を」
こんなに身長の低い男が、なんとも生々しいことを言ったものだから、余計に不安になってしまう小嶺であった。ずる賢い子供とはまた違う雰囲気なのだ。
「しばらくは警戒しておきます」
「それでも結構」
片品は短く切ると、5cm×10cmほどの縦長なディスプレイを見せてきた。かなり古い時代劇で、この紋章が目に入らぬか! と言っていたのが頭に浮かぶ。
「僕はこの学校の管理者みたいなものだ。そんなこともあって、みんなの連絡先を一元管理しているんだ。そんなわけで、あなたも連絡先にーー」
「あ、連絡先ならありますよ。どうぞ」
小嶺は一枚の紙に自身のコンタクトをまとめていた。そして、それを先生に手渡そうとした。きちんと目線をあわせられる高さまで腰を下ろしたのだが、先生は受け取りを拒否した。
「え・・・・・・?」
「小嶺さん。人の話はきちんと最後まで聞きましょう。相手が自分より弱そうな相手だとしてもね? ともかく、僕はあなたの通信IDを既に登録していますよ」
「わたしの端末は暗号化しているのに・・・・・・どうやったんですか?」
小嶺にそう訊かれた片品は、それまでとは違うどこか苦しげな表情を浮かべた。
「まぁ、やり方があるんだよ。きっと君にはまだ早い」
「意味深ですね」
先生が返す言葉は特に無かった。ただ一言だけ、元気そうに、
「約束のとおり、図書館に教科書を取りにいきますよ? さ、こっちについてきて」
つくづく不思議な先生だ、と小嶺は首をかしげた。