第四十九話「ダンジョンの先に」
アラクネの目には涙が浮かんでおり、震えながらトライデントを落とした。狼狽する様子から察するに、二刀流のアラクネの方が遥かに強かったのだろう。唯一の仲間を失って取り乱しているのではなく、自分よりも強い仲間を倒す人間の存在に動揺しているのだろう。
「殺さないで……」
アラクネの涙を見たからだろうか、俺はすっかり戦意を削がれてしまった。まさか人間の言葉が理解出来るとは。
「死にたくない……!」
「……」
ダンジョンの七階層に侵入する者を殺めるアラクネを見逃して進むのが最善の判断なのだろうか? それとも、死にたくないと命乞いするアラクネを仕留めるのが正しいのだろうか。上半身は人間の女の体をしているから、涙を流して命乞いされるとどうも攻撃しづらい。基本的に人間を襲う可能性があるモンスターは討伐する決まりになっているが。決まりを守るだけが冒険者としての正しい生き方なのだろうか。
ナイトが駆け付けてくると、彼女の頭部からは血が流れていた。仲間を攻撃された事に対する怒りはあるが、目の前で涙を流すモンスターを殺そうとは思えない。
「俺の召喚獣になるかい? ここでは生きづらいだろう」
「召喚獣……?」
「そうだよ。君はこれから俺を守る召喚獣になる。その代わり俺は君が安全に暮らせる場所を提供する」
「どうして私を助けてくれるの……」
「そう泣かれたのでは戦う気にもならないし。言葉も通じるみたいだから」
「私……。生きたい! こんな薄暗い場所は嫌……!」
「俺達と一緒に外の世界で暮らそう!」
俺が手を差し伸べると、アラクネは警戒してトライデントを握った。アラクネがトライデントで高速の突きを放つと、彼女の槍は俺の心臓の手前で止まった。赤い瞳をした美しいアラクネを見つめると、彼女は柔和な表情を浮かべた。
「俺と契約を結ぼう。俺の召喚獣として生きるんだ。ここよりは遥かに暮らしやすい土地に案内するよ」
「あなたの言葉を信じるわ」
俺は地面に契約の魔法陣を書き、アラクネを魔法陣の中に入れた。魔法陣が強い光を放つと、正式に召喚獣としての契約が完了した。アラクネは俺を完璧に信用していないだろうから、封印をする事は出来ないだろうが、それでもレッサーミノタウロス達が暮らす土地に連れて行けば、彼女はこの森よりも安全に暮らせる事は間違いない。
俺達は二刀流のアラクネの体内から魔石を取り出し、アラクネから最下層に続く階段の位置を聞いた。最下層はどうやら宝物庫になっているらしい。それからフロイデンベルグ公爵様の領地に到着したら召喚魔法で呼び出すと伝えると、彼女はゆっくりと森の中に帰って行った……。
頭部から血を流すナイトの頭に包帯を巻き、暫く森で休憩してから最下層を目指して歩き始めた。バシリウス様はこのダンジョンにアラクネの様な強力なモンスターが生息していると知っていて俺達に攻略を命じたのだろうか。
随分無理な戦いをしたが、やはり俺とナイトは七階層に到達するまでに戦闘の訓練を積んだからか、何とかアラクネを仕留める事が出来た。短期間で大幅に魔力を上昇し、スノウウルフやスケルトンを狩り続けたからか、戦いの感も身に付いた。
バシリウス様の訓練はいつも厳しいが、やはり訓練を行えば得るものは多い。ナイトとの友情に彼女の新たな属性。ダンジョン攻略を初めてすぐに氷属性を身に付けた彼女は水の魔法も習得する事に成功した。といっても水を作り出すだけで、まだシャルロッテの様に攻撃魔法として使用する事は出来ない。付け焼き刃の水の魔法よりも、氷のエンチャントを使用してアポロニウスとの戦いに挑むつもりなのだとか。
「アラクネ、本当に強かったですね。何度も死を意識しましたよ」
「そうだね。今まで出会ったモンスターの中で、バシリウス様の次に強かったかもしれない」
「バシリウス様って幻獣だから本気で戦ったら強いんですよね」
「勿論。ケンタウロスなんかも一撃で仕留められるからね。もしかしたらバシリウス様ならアラクネ程度のモンスターは一捻りなのかもしれない」
「アポロニウス様もケンタウロス程度のモンスターなら一撃で仕留められるんですよ。僕は幼い頃からアポロニウス様の武勇伝を聞いて育ってきたから、僕達が本当に彼に勝てるのか不安なんです」
「勝てるか分からない相手と戦うから楽しいんじゃないかな。それに、必ず勝つと決めているのだろう?」
「はい。ギルベルトお兄ちゃんと一緒に勝つんです! そして僕は冒険者になるんです。お兄ちゃんのパーティーで前衛をするんです」
「もう立派な冒険者だと思うよ。このまま最下層に降りようか」
「そうですね!」
俺達はアラクネに教えて貰った最下層に続く階段を見つけ出した。場所を教わっていなければ到底見つける事が出来ない程、入り組んだ通路の先にあったのだ。七階層は深い森林地帯だが、森の深い場所に小部屋や大広間に続く通路がいくつもあった。
古い時代の冒険者の亡骸や、モンスターの骨などが散乱しており、無数のトラップを掻い潜りながらひたすら通路を進んだ。やはりダンジョン内で命を落とした冒険者が多いのだろう、最下層に向かう通路には冒険者の持ち物が散乱している。生きてここまで来られた事が奇跡の様だ……。
それから最下層に続く階段を降りると、そこには錆びついた宝箱がいくつも置かれていた。最下層が宝物庫になっていたとは。何と運が良いのだろうか。宝物庫まで到達出来る冒険者は殆ど居なかったのだろう。手付かずの宝箱が並ぶ光景に俺は息を呑んだ。
それから部屋を見渡すと、宝箱に手をかけながら命を落としたであろう、白骨化した冒険者の亡骸があった。折角宝物庫まで到達出来たのに、宝箱を開ける事なく命を落としてしまうとは。七階層でアラクネの攻撃を受け、命からがらこの宝物庫に逃げ込んできたのだろう。
それから宝箱に手を伸ばして死んだ。一体どんな気持ちだったのだろうか。家族を残してダンジョンに隠される財宝を探しに来ていたのだろうか。それとも駆け出しの冒険者だったのだろうか。どちらにせよ、俺達がこの手付かずの宝箱を開ける権利を持っている。
しかし、死の際まで宝箱に手をかけていたとは、何だか死人から宝を奪う様で可哀相だから、俺は白骨化した冒険者が触れている宝箱には手を付けない事にした。
「死人に宝をあげてどうするんですか。全く困ったお兄ちゃんです」
「死の際まで宝を求め、冒険者として生きた一人の人間に細やかな贈り物をしたいだけさ。本当は宝箱の中身が気になるけど、これは彼が手にする宝だったんだ」
「お兄ちゃんは優しいんですね。何だかアラクネがお兄ちゃんと契約を結んだ理由が分かった様な気がしました。アラクネの様な獰猛なモンスターと召喚の契約を結んでしまうなんて……」
「話してみれば意外と通じ合えるかもしれないよ。彼女は女にしか見えなかったし、涙を流して命乞いするモンスターを殺すなんて出来ないからね。きっとあの様子ならもう冒険者を襲う事はないと思うし」
「そうですね。兎に角、これは僕達の宝なんです! 僕が先に開けてみても良いですか?」
「勿論だよ。好きなものを開けてごらん」
ナイトが興奮しながら宝箱を開けると、中には美しい宝石が散りばめられたダガーが出てきた。ナイトはこれは僕の物です! と叫ぶと、満面の笑みを浮かべてダガーを腰に差した。
それから俺達は勝利の余韻に浸りながら、葡萄酒を飲み、宝箱を開けて回った。宝石や古い時代の銀貨や金貨。宝飾品などがギッシリと詰まった宝箱を開けた時は、俺達は思わず手を取り合って喜んだ。これで暫くはお金に困る事は無いだろう。
それから大ぶりの美しい魔石を見つけたので、俺はアラクネの魔石と新たに手に入れた魔石でガチャを回す事にした。アラクネの魔石をガチャに投入すると、ガチャの体には『LV.4 中級鍛冶師シリーズ』と表示された。
俺とナイトは見つめ合ってからゆっくりとレバーを回すと、美しく輝く虹色のカプセルが地面に落ちた……。




