第四十八話「七階層の闇」
七階層は天井が高い森林地帯になっていた。日光を浴びなくても育つ植物なのだろうか、紫色の葉を生らした木が鬱蒼と生い茂っている。木々の間には獣道だろうか、体の大きなモンスターが通った痕がいくつも付いている。
ケンタウロスやレッサーミノタウロスと同等の体格のモンスターが生息していると考えて良いだろう。不思議な事に、木々には黒い蜘蛛の糸が付いており、スノウウルフやスケルトンが糸に締め付けられた状態で命を落としている。
「お兄ちゃん。ここにはどんなモンスターが潜んでいるのでしょうか……」
「巨大蜘蛛かな。スノウウルフを捕食して生きているのだろうね」
「スノウウルフを捕食出来る程のモンスターですか。何だか恐ろしいです」
「ああ。気をつけて進もう」
炎を宙に浮かべ、闇を晴らしながらゆっくりと進む。ナイトはダンジョンの攻略を始めてから度胸が付いたのか、緊張した面持ちを浮かべながらも、俺の隣で武器を持って歩いている。ダンジョンの攻略を始めた日は俺の背後に隠れていたナイトが、今では俺の隣で武器を構えているのだ。彼女もこの短い間に随分力を付けのだろう。
暫く森を進んでいると、俺達の背後で葉が揺れた。瞬間、ナイトの体には黒い糸が絡みついた。糸は粘着性が非常に高いのか、ナイトは何とかレイピアで糸を切り落としたが、武器には糸が絡みついている。
攻撃の瞬間さえ目視する事が出来なかった。一体敵は何処にいるのだろうか……。俺はナイトのレイピアを付いた糸をファイアで焼くと、背後から鋭い殺気を感じた。振り返りざまにグラディウスを抜いて水平斬りを放つと、俺の剣には蜘蛛の足が当たった。
目の前には体長五メートルを超える巨大な蜘蛛が居た。厳密に表現するなら、蜘蛛ではなくアラクネだろうか。下半身が蜘蛛の体になっており、上半身が成人を迎えた女性の体になっている。黒い毛に包まれた蜘蛛の足からは血が滴り落ちているが、敵の足を断つ事は出来なかったのか、アラクネは瞬時に後退して糸を吐いた。
俺は敵の糸に対して炎を放ち、糸が体に触れる前に燃やしたが、アラクネは糸を吐くと同時に武器を構えた。三メートル程の巨大な三叉の槍、トライデントを持つと、武器に風の魔力を纏わせて、強烈な突きを放った。
アラクネの突きは木々を軽々となぎ倒し、俺の頬を切り裂いた。このアラクネがダンジョンのボスなのだろう。今まで出会ってきた敵とは強さが桁違いだ。トライデントからはシャルロッテの風の魔法が入門者の魔法にも思える程、強烈な魔力を感じる。爆発的な風を纏うトライデントが空を切る度に、風の魔力が周辺の木々を軽々となぎ倒すのだ。
攻撃が触れていないにも拘らず、木々をなぎ倒す程の爆発的なエンチャント。俺が今まで鍛えてきたエンチャントはなんだったのだろうか。しかし、ここで弱気になってはいけない。俺達の力でダンジョンを攻略し、より強力な魔石を得てガチャを回すのだ。強い力を持つマジックアイテムを集め、冒険者として成り上がってみせる。
俺は二本の剣に炎を纏わせ、羽根付きグリーヴに力を込めて跳躍した。天井ギリギリまで飛ぶと、アラクネが地上から糸を飛ばしてきたが、俺は剣を振り下ろしてアラクネの糸を燃やした。
アラクネはトライデントを構え、俺に向かって投げた。まさか、武器を捨てるつもりなのだろうか? 俺は間一髪のところでトライデントの直撃を回避する事が出来たが、アラクネの風の魔力が爆発し、俺の体は突風に飛ばされて落下を始めた。
アラクネの傍にナイトを残したまま、俺の体は遥か彼方に飛ばされた。それから軽やかに着地すると、再び跳躍してナイトとアラクネを上空から探した。森の奥でナイトの氷の魔力が炸裂する様子が見えたので、俺は地面に着地すると、高速で森を駆けてナイトを探して回った。
獣道すら無い鬱蒼とした森を走るのは非常に困難で、俺は無数の木々を避けながら、ナイトとアラクネの武器が衝突する音を頼りに森を駆けた。ナイト一人ではアラクネのトライデントを受け切る事は不可能だろう。ナイトのバックラーではアラクネのトライデントを防御する事は困難な筈。すぐに合流しなければ、たちまちナイトは命を落としてしまうだろう……。
『自分が守ると決めた娘を死なせてはいけないよ。そんな事をしたら僕がギルベルトを殺すからね』
「わかってる! 誰も死なせない!」
『それならアラクネを仕留めてみせるんだ! 自分の意思を貫け!』
脳内にガチャの声が響くと、心の底から闘志が燃え上がってきた。敵が強ければ強いほど興奮するのは、やはり魔術師と冒険者の息子だからだろうか。戦いに身を置いている瞬間が最も興奮するのだ。死はすぐ隣にあるもので、魔法一つ、剣さばき一つ間違えただけで容易く命を落とすだろう。アラクネを前にすれば死を強く意識するが、同時に人生で味わった事もない程の興奮を覚える。
高速で森を駆けると、巨体のアラクネを発見する事が出来た。上空に飛び上がって二本の剣を振り下ろし、刃から火炎を放って攻撃を仕掛ける。アラクネは俺の攻撃に危機感を覚えたのか、トライデントに風を纏わせ、鋭い突きを放って炎を切り裂いた。
炎はアラクネの槍に貫かれて爆風を発生させて消滅した。瞬間、アラクネの足元に居たナイトがアラクネの足にレイピアを突き刺した。氷を纏うレイピアは瞬く間にアラクネの足を凍らせると、アラクネは自分の足を捨てて後退した。
足を一本失ったアラクネは天井を見上げると、爆発的な咆哮を放った。アラクネの咆哮に反応するように森がざわめくと、闇の中からもう一体のアラクネが姿を現した。これは現実なのだろうか……。
一体だけでも倒せるか分からないアラクネを、二体同時に相手しなければならないのだ。絶望。俺の脳裏には自分が死ぬ未来がはっきりと見えた。だが、未来は己の剣で変える事が出来る。こんな場所で死んでたまるか……。
二本の剣を持ったアラクネが駆け付けてくると、剣で次々と木々をなぎ倒しながら襲い掛かってきた。ナイトは突然の援軍の登場に狼狽し、その場に立ちすくんだ。瞬間、アラクネの剣がナイトの胴体を捉え、ナイトを遥か彼方まで吹き飛ばした。
仲間を攻撃されたから、俺は頭に血が上り、ブロードソードとグラディウスに限界まで火属性の魔力を注ぎ、羽根付きグリーヴに力を込めて二刀流のアラクネに向かって飛んだ。俺はアラクネの胸部まで飛び上がると、二本の剣で連撃を放った。剣を全力で振り下ろし、着地までの間に少しでも多くの攻撃を喰らわせる。
アラクネは瞬時に俺の剣を受け止めたが、俺は何度も着地と跳躍を繰り返し、アラクネに猛攻撃を掛けた。アラクネが疲労を感じ始めて防御をミスした瞬間、俺のブロードソードがアラクネの体を切り裂いた。人間相手に攻撃を受けた事が気に触ったのか、二刀流のアラクネは鬼の様な形相を浮かべて襲い掛かってきた。
俺は高速で森を駆けてアラクネを引き離しながら、鉄の玉を投げて遠距離からダメージを与え続けた。バシリウス様は俺のこんな戦い方を戦士らしくないと言ったが、勝てれば良いのだ。今は勝ち方を気にしていられる状況ではない。
鉄の玉がアラクネの足に直撃すると、アラクネは激痛に悶えて攻撃の手を止めた。瞬間、俺はブロードソードを両手で握り締め、アラクネの心臓に目掛けて飛んだ。アラクネは二本の剣を振り下ろして俺に攻撃を放ったが、俺はアラクネの剣よりも早く敵の体に到達し、ブロードソードを深々とアラクネの心臓に突き立てた。
全身から火の魔力を掻き集め、剣を通してアラクネの体内に注ぐと、アラクネの体内には火の魔力が充満し、炎がアラクネの体を爆ぜた。巨大な破裂音と共にアラクネが爆死すると、トライデントを持つアラクネが狼狽した表情を浮かべて、静かに後退を始めた……。




