表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/30

三章 : 喜びから外れた歯車は嘆きに嵌められて、回る ... 前

昼より冷えた初夏の夜風が、少女と“保護者”の髪を揺らす。寒くないかと問い掛けると、少女は短く頷いた。


蠢く影のように流れる人の波。

煉瓦造りの街並みの、石畳をかつかつと踏んで行く。

鐘の音と同時に点された、朧な山吹の街灯が、カーテンの隙間から漏れる光と大路を走る路面電車に時折手助けされ、照らす道。

月の無い夜。決して明るくは無かった。

此の季節、子供の影は見当たらない。


自分より頭一つ二つも高い大人を落ち着きなく見回しながら、繋がれた手に力を込める。

怖い、言外に示す少女に微笑んで手を握り返し、人気の少ない方へと進む。

蝙蝠が飛んでもおかしくないと思えるほどに、鎖された闇の狭い道で、少女は漸く肩を下ろした。


人は、居る方が怖いと云う。

全く誰もいない小道は、安心するのだと、彼女は。


『兄様がいる気がするの』、嬉しそうで泣きそうな微笑みに、聞き手は何を返せたろうか。


消えてしまった面影を、其処彼処の景色に求める様に。


育ち盛りに背丈も伸びず、成長をも止めたような少女は、おそらく一年前のあの日に、毀れてしまったのだろう。

あまりにも整った笑顔の、仮面で呼吸を止めたまま。



影を背負った洋館の、半開きの門を手の平全体できぃと押して、庭に目もくれず手を引いていく。

何時の間にか、二人の位置は逆にあった。

半歩後ろに付き添いながら、足取り軽い少女を見遣る。


此の景色。数年前からまるで変わらない此れこそが、彼女の崩壊を告げ知らせた。

兄は未だ此処に居るのだと、涙の中で笑い、そして。

何時か兄の許へ行くのだと、明るく笑って自分に告げた。慄きと恐怖は忘れない。



「ただいま、兄様」



大きな扉を力いっぱい押し開けて、もう一人の兄に呼び掛ける。

「上がって、久時−ひさと−さま」、小高い声に、お邪魔しますと其処をくぐった。


閉まる扉の音が響いて、直後足音が近づいてくる。

ダイニングに続く戸を大きく開き、向日葵にも似た笑顔を惜しみなく見せるのは、彼女と年近い少年。

片腕には両手鍋を抱えて。



「お帰り。久時兄さんもいらっしゃい」



暖かな夕食の香りが、エントランスまで広がっていく。

家へ送るという役目を終えて、別れを告げようとする久時に、奥からアルトの声が掛かった。「兄さん、」と。



「久時兄さんも食べて行ってよ。おれ今日作り過ぎちゃってさ」


「え、でも、」


「やーった。行こう? 久時さま」



虚しい遠慮は言葉にならず、ぐいぐいと手を引かれ通される。

中では少年が一皿ずつ、既に料理を追加していた。


青年に要る量がすんなりと、鍋からよそわれていく様は、作り過ぎたのは事実と教え。久時は其れに甘んじる。

食べ盛りの少年には多めに、少女も此れで、充分だろう。

如何して、という素朴な問いの、答えは考えるまでも無いが。



―――――果刹。



青年と、少年と、少女。組み合わせは一家と同じなのだ。

用意された余分な一皿は、本来誰の為にあったか。忘れるほど遠い記憶ではない。

否、たとえ遠くなっても、忘れる事など有り得ない。



―――――また、思い出してたんだね。



努めて明るく振る舞う彼は、きっと妹を泣かさぬ為に。

一人彼の人を思い出しては、其れを隠しているのだろう。

「兄様どうしたの」という問いに、「内緒な」と笑って耳打ちする。

納得したような頷きに、満足そうに更に笑って。


逞しいとは言い難い、両肩に入れられ続ける力。

どれ程かなんて予想する事は出来ないが、抜く場所が与えられていないのは知っている。

其れを甘んじて受け入れている。

一人兄として残された、彼のプライドなのだろう。

もしくは、其の所作さえも、彼に倣っているのだろうか。

歳の離れた弟妹きょうだいを、一時も不安にさせなかった彼に。



鍋を置きにとタイミングよく、厨房に姿を隠して、彼は、大きく長く息を吐き出す。


悟られてはいけない、気付かれてはいけない。

心配を、掛けてはいけない。不安にさせてはいけないと。


守らなければ、ならないと。


ただでさえ、壊れてしまいそうな子だから。脆く儚い少女だから。


窮屈な時は、其れでもひどく幸せだった。

未だ彼女がいる。其れだけで救われる底の人生。


だから、―――自分のエゴの為に、此れは壊してはいけないのだと。



「祈咲、明日はどうするんだ?」



彼は、笑う。

造花の向日葵のように明るく。限界まで顔を綻ばせて。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ