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十章 : 空の北極が緋に染まる頃 ... 後

ずしりと重い漆黒の銃。彼の鈍色の短剣が、全てを分断したあの日。

標的を失くした彼の銃は、誰も見ぬ間に土葬した。


在るべき物は在るべき場所に。

数多い果刹の所有物、其の一つであるあの銃も、此処へ還るべきなのだろうと。


脳が作り出す墨色の絵と、過去も彼の日も今も変わらない挨拶と、金木犀の僅かな香り。

携えて果刹の墓へ向かうと、否応無しに記憶が駆ける。


架して貰った枷と頸木の、息苦しさが心地良い。


咽に詰まった鉛の隙間から大きく息を吐きだして、墓標の前に座り込んだ。



見上げた先の空は開けて、雲の合間に月が座る。


星は退き、研磨された紅玉だけが、丸く輝く空と云う名の夜の玉座。


忘れ難い記憶の断片が、今宵の空に絡み付く。



「……知ってた?」



嫌味なほどに、皮肉なことに、追憶の邪魔は無いらしい。





+ + + +





憧れと、羨望。其の二文字に区切りは無く、けれど境界は鮮明で。


例えば、あのがらんどうの銃口と、同色の目が睨み合った時。

事も無げに描かれた弧の口元に、戦慄を覚えた。あれは、喜びにも近い。

王が、王で在った事。彼は確かに、自分が憬れた人であったと。

同時に、


躯に祈咲が駆け寄った時。

泣き顔を、そして壊れていく様を、目の当たりにした秒針のズレにも満たない時間。

一輝の顔が、久時の顔が、僅かに歪んだ、刹那。

笑いたくなった。

冷えた眼の奥で、今亡き君主と肩を並べて。

笑いたくて、笑いたくて、下唇を強く噛んだ。



人の死を見て緩く壊れていくあの子など、見る事は二度と無いだろう。


何時でもあの子は僕より先に、僕の手を放して行ってしまって。


僕が死んだらどうする、なんて無駄な事、尋ねる気にもなりはしない。

以前なら、其れは疑問で締められた筈。今は――――――


笑顔で言うだろう。

『その前に殺してくれるんでしょう?』 歪んで綺麗な微笑みが、脳裏を過って少し笑った。


“そう”なるように仕向けたのも、また紛れも無い此の自分。


誰か見えざる者の手に因って、魘される夢を見るくらいなら。

悪夢とも呼べないほどに、自ら壊してしまえばいいと。



―――――其れは、あの日の約束と、大きく食い違うけれど。



申し分ない人だったと、果刹を思うのは他者でしかなく。

決して幸せと呼べた人生を、歩みはしていなかった。


彼にとって、あの子は唯一の“持ち物”。

其の“唯一”を守るために、其れだけの為に生きていた。



そして、其れは僕も同じ。





+ + + +





見上げた先の真っ赤な月が、薄暗い雲を押し退ける。

血に照らされた墓は、讃美の対象。吹き抜けた風は嘆きのような悲鳴を上げて。



「あの日見上げた月の光も、こんな血の色だったんだ」



あれは十六夜だっただろうか。


あれから先、徐々に消え逝く夜の紅玉は王の衰退をシンプルに空に描いていた。


自ら王の血の色に染め、其の象徴として輝いた。


果刹に対する天の餞。


異様で秀麗な其の光景は、魔に侵された世界全てが、彼に敬意を払うようで。



彼は、鬱陶しがっただろう。尊ばれ、貴ばれるほどに。


其の確信が持てたから、刻まれた名にカノンは笑う。



「羨ましかったよ。多分、ずっと」



欲したものも欲さぬものも、全てを手に入れられる貴方が。


響いた声音は、何処か遠く。虚ろに風の中へと溶けた。



言葉を呑み込み打ち消すような、冷たく澄んだ風の中。

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