003はじまり
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正宗有理は普通……よりは優秀な高校生だった。
中学時代を優秀な成績で卒業し、加入していたバスケ部の推薦の話もあったが断り、一般入試で有名私立進学校に合格した。
文武両道を正に体現していた。容姿もそれなりだ。というと、周りからはモテるんだろうとか、何人と付き合ったんだよとか言われる事もあるが、そんな訳はない。
ハッキリと言っておくが、文武両道には時間がかかる。何もしないで勉強が出来るわけないし、練習しないでバスケが上手くなるわけがない。
考えてもみてほしい。単純なモデルを提示しよう。1日は24時間しかない。仮に6時間を学校に当てるとする。もう6時間は睡眠だ。残りは12時間となる。
文武両道の文を磨くにはどの位の時間が必要だろうか?
武を磨くには、練習が何時間必要だろうか?
それ以外にも、風呂、食事、移動にも時間はかかる。或いは息抜きのゲーム、読書なんかを入れてみたらどれだけの時間が残るのだろうか?
彼女を作る時間がない。そう結論付けたのは、中学二年の頃だったと思う。
一緒に勉強とかすれば、なんて意見もあるかもしれない。無理だ。ていうか友達と勉強してみれば自ずと分かるだろう。絶対にいつの間にかスマブラが始まるのだ。
効率厨という言葉があるが、正宗有理は正に文武両道の効率厨だった。
勉学のステと部活のステに極振りして、大学に入ってから恋愛のステ振りをしようかな、と考えていたエリート志向の高校生だった。
その人生が転落するとは夢にも思わず。
いつもの通学路だった。
都心の高校に通うために英単語を覚えながら電車に揺られ、駅から徒歩10分。踏みしめた先に魔法陣があった。ワザワザ丁寧にも強制転移、と日本語で書いてある魔法陣だった。
誰のイタズラだよ、と思う間もなく景色は一変した。
薄暗い洞窟。いや、その時は濡れた岩壁と湿った空気とで、マンホールにでも落ちたのだろうか、とか考えていた。洞窟だと知ったのは、しばらく後の事だ。
光源は、奥の方に置かれたランタンのようなもの、それだけだった。
怒号は背後から聞こえた。
振り返ると、彫りの深い外人が何やらまくし立てて、有理を指差した。
まくし立てられてオドオドと、杖を持った赤い髪の少女は首を振った。
二人の向こうには、大盾を構える托鉢の男と、名状しがたい奇怪な生物がいた。羽の生えたライオン。二足歩行の蜥蜴。そいつらを必死に戦士たちが食い止めている。
あ、魔物だ。とゲームをそれなりに嗜んでいた有理は思った。となるとこの外人連中は冒険者だ。で、俺は何だ?
赤髪の少女が有理に何かを叫ぶ。
隣の外人が前方の大盾の男に指示を飛ばす。そのさらに向こうには、必死の形相で槍を振るうアマゾネス的な……あ、食われた。
赤い血が、女性の鎧を伝い、絶望的な深さに刺さった牙を抜こうと、羽の生えたライオンが首を振る。血は飛び、オモチャのように女性の首が揺らされる。それはもう、生きている人間に出来る動きではなかった。
指示を出していた男が走った。有理はそれに突き飛ばされ、胸元からイヤホンの絡まったスマホが落ちた。それを拾おうと考えた自分に愕然とした。そんな場合じゃないだろう!
有理も走った。持久走には自信があったが、一瞬でスタミナが切れた。距離的にはハーフコートも走っていない。が、振り返ったら死ぬ。必死で逃げた。あたりは漆黒に包まれていた。周りには人気はない。途中で追い抜いた鎧の外人も、赤髪の少女も、誰もいなかった。
何だ、これ。
何が起きた。
物音だけに細心の注意を払い、有理は光源を求めて彷徨った。途中、何度も魔物に遭遇したが、息を殺し、来たであろう道を戻った。
ランタンを見つけたのは、何時間もかかってからだった。魔物も、人もいなかった。いや、人はいた。息をしていないだけで。
呆然としながら、死体を漁る。持てるものは全て鞄に詰めた。教科書と参考書は捨てた。後で買い直せばいい。ここから抜け出してから。
そうだ。抜け出す。ここを。
制服の上から皮鎧を付けた。一番上等そうな剣もベルトに括り付けた。ノートにマッピングをした。できることは、全てやった。躊躇いなく死体から漁った食料に手をつけ、水を飲んだ。それが無くなってからは魔物を殺して、その肉を食べることさえした。
都会育ちのお坊っちゃんだと自覚はしていたが、胃腸は輪にかけて弱かった。何度も腹を下し、時には嘔吐した。
全ては生き残り、ここを抜け出すために。
それでも、迷宮を出ることはできなかった。
日付はマッピングしたノートに記載した。
清浄な水源と火がなかったらと思うとゾッとする。洞窟には今までの常識を捨てれば、最低限生き残るのに必要なものが揃っていた。
何故、生きているのだろう。
自問しながら、洞窟での一年が過ぎた。
潰れた剣を研ぎ直している作業中、別の音に気付いた。魔物のものではない。新しい雑音。
警戒しながら様子を見に行くと、人がいた。
喜び、泣きながら有理は何かをまくし立てていた。冒険者だろうか。涙ながらに有理は身振り手振りを使ってここを出たいと訴えた。
冒険者達に連れられ、洞窟を出た。何のことはない、今まで行き止まりだと思っていた場所に、魔法的な仕掛けか何かで階段が出来上がった。
馬車、ではないどデカイ生物の引く荷車の上で、有理はこの世界にきて初めての熟睡をした。
何日か冒険者達に話しかけられたが、どこの言葉ともわからない異世界語は理解できない。初めて英語に遭遇した日本人はどうやってコミュニケーションをとったのだろうか。不思議でしょうがなかった。仕方なく全てを、憶えている限りの言葉を、情報をメモした。
有理は初めての異世界の街に辿り着く。後になって知ることになるが、フロリア王国領トラブという街だった。
交易の盛んな街に、有理はキョロキョロとあたりを見回していた。後になって思うと間抜けな話だ。何しろ冒険者達が言葉も話せない有理に貴族の屋敷での仕事を斡旋してくれたと勘違いしていたのだから。
有理は貴族の住む屋敷に連れられ、馬の世話やら掃除やらの仕事を始めた。屋敷の主人は温厚なカイゼル髭の男で、馬の世話を教えてくれる男も枯れ木のような紳士だった。
屋敷の主人には、娘がいた。エリア、と名乗ったその娘は、有理より5歳ほど下だったように思われた。実際には違ったが。
エリアは身近に若い友人がいないのか、しょっちゅう馬の世話をする有理の元に話にきた。有理はエリアの話を全く理解していないながら頷いて応答した。5冊あったノートは余白を全て使い切った。
そこで1年ほど働いたある日、自分が奴隷だということが判明した。
その頃には、日常的な挨拶程度は覚え、エリアから日常会話の手ほどきを受けていた。その中で判明したのだ。
あの冒険者達は、有理を洞窟で見つけた野蛮人として見世物に、懇意にする貴族の屋敷へ連れてきたのだ。しかし暴れるでもなく、話ができないだけの男に見世物が成立するわけでもなく、これから奴隷商人に売りに行く、と落胆する冒険者に、屋敷の主人が、丁度馬の世話をする使用人を探すところだから引き取ろう、という話になったというのだ。
まあ、つまりが、奴隷だった。ネットでブラック企業の話を見聞きしていた有理にとって、或いは地獄のような洞窟生活を送っていた有理にとって、ホワイト企業に就職できたと思っていた矢先に実は奴隷だと知らされて、ちょっと思うところはあったが、主人は優しいし、現状に不満はなかった。
ただ、後になって思うのは、この世界を呪い、生きていることに疑問を持っていた有理に、居場所を提供してくれた主人に。
そして、荒れていた有理に辛抱強く接してくれたエリアに、きちんと礼を言えなかったことを、今になって後悔する。