ギャンブル
あるところにギャンブル好きな男がいた。しかしその男はとてもギャンブルが弱かった。赤に賭けると黒に。黒に賭けると赤にと、決まって彼の真逆の結果が出るのだ。だから彼はギャンブルで勝ったことがない。小額の勝負でのみ勝ちがあるが、ここ一番の大勝負に出ると、決まって負けてしまう。少ない金を少しずつ増やし、それを元手に大きな勝負に出る。決まって彼はそういう勝負をした。曰く『はした金なんざいらねぇ。デカイ勝負に勝ってこそギャンブルってもんだ。』という理論らしい。だから今日も、ギャンブルに負け、行きつけのバーのカウンターで一人、安い酒を飲んでいる。
「今日も負けたよ」
「知ってるさ」
「冷たいなぁ。そういうときは励ましてくれるんじゃないのかい」
「励ます言葉も尽きたさ。アンタ、毎日ウチに来てくれるのはありがたいんだが、毎日愚痴を言ってばかりだろう。たまには面白い話の一つや二つ、持ってきたらどうだい」
「まったくその通りだな」
「ギャンブルなんて辞めちまいなよ」
「辞めらんねぇさ。俺にはこれしかねぇんだ」
男はそう言って、グラスに入った薄い酒を飲みほした。
「それに、まだ負けてねえんだぜ。俺は」
ごちそうさんと言って、男は店を出た。
マスターはため息をついた。ボサボサの伸ばし放題の髪に無精ひげ。汚い身なりに、バカときた。どうしようもない男だと心の中で呟いたが、客は客。色々な人間がいて当たり前。ギャンブル中毒の男が一人、毎日酒を飲みに来ているというただそれだけだ。そう。たったそれだけなのだが、気になることが一つだけある。
『その金はどこから出てくるのだろうか』ということだった。
男は、一言でいえば不潔だ。金がある人間のする格好ではない。異常な倹約家でさえ、服は一着ではないはずだし、そもそも倹約家がギャンブル中毒になり得るのだろうか。不思議な男だが、ろくでもない人間だということは分かるので、それ以上思考をやめた。
翌日も、男はギャンブルをしていた。今日はポーカーだ。男の手札は『フルハウス』と、良い感じだ。しかし、対面の男がニヤニヤと笑っている。それをチラリと見てから「レイズ」と呟いた。そして対面の男も「レイズ」と言った。他のプレイヤーはドロップしている。そのため、二人の一騎打ちになった。一巡して、手札を公開する。
男は『フルハウス』。そして対面の男は『フォーカード』。『フルハウス』の方が弱い役のため、チップは全て対面の男の元へ行った。
「残念だったなぁ。今日はツイてらぁ」
随分儲けているのだろう。その男の元にはチップが高く積まれていた。
「もうひと勝負するか?何なら全額賭けてやってもいいぜ」
「そうだな。もうひと勝負するか。だが、小額でいい」
そう言うと、手元にある僅かなチップの、その半分だけ場に出した。
「しけてんな。まぁいいぜ」
そして、手札が配られ、コール。一巡して、手札を公開した。
「悪いな。貰って行くぜ」
対面の男の手札は『ストレートフラッシュ』。同種の札で、数字が揃っているかなり強い役だ。
男はそれを見ると驚いたように、一瞬固まった。
「悪い。俺もだ」
手札を公開する。お互い『ストレートフラッシュ』だった。しかし、男の手は、十からエースまで。所謂『ロイヤルストレートフラッシュ』と呼ばれるポーカーで最も強い役だ。
「ちっ。兄ちゃん、それ、出すの遅いぜ」
そう言って、男の手元に小額のチップが差し出された。
「なんだい。また負けたのか」
「あぁ。今日はポーカーだったんだがな。調子が悪かった」
「それがいつも通りってやつさ。いい加減、ギャンブル何か辞めたらいいのに」
「そいつぁ無理な相談だな。俺にはこれしかねえんだ」
「どうしてそこまで拘るのか。アタシには理解出来ないね」
いつものバーで、男は安い酒を飲んでいる。
「賭けさ。俺がいつまでこの生活が続くのかの、な」
「そうかい。まぁ加減ってものを知っておきな」
男はいつも言う『賭けなのだ』と。バーの店主も、最初はこの言葉が気になっていたが、最近は慣れたせいか、聞き流していた。そしていつも決まって、殆ど水の酒を飲み乾して帰るのだが。
「まぁな。明日分かることさ」
今日は一言多かった。何が分かるのかと尋ねられる前に、男は店を後にした。
男が初めて店に来てから、ちょうど一年くらい。同じようなやりとりを毎日繰り返した。多額の負債。少額の勝ち。毎日来ることから、仕事はしてないように思える。いつ頃だろうか。その男が実は負けていないのではと思ったのは。
勝ったことを自慢するのは気が引けるので、負けたことにして安い酒を片手にアウトローを演じているだけではないのか、と。
しかし、男が律儀に付けている成績表を見せてもらうと、毎日、見事に毎日負けていた。そこでさらにこの男について疑問に思い始めた。
『なぜそこまで負けられるのか』
非常に運が悪いだけではない。神に見放されるどころか、死神に憑かれているレベルだ。負ける運命。そういうものを背負ってしまっている、間違いなく賭け事に向かない人間なのだろうと思った。
男は間違いなく負けている。しかも少々大きな負けを毎日繰り返している。
『いったいこの男は何者なのだろうか。金はどうしている。借金?だとしたらなぜ毎日安くも高くもないここに来るのか』
そう思い始めてから、随分経った。
翌日も、男はギャンブルをしていた。そしていつも通り、負けた。最後の勝負で、酒一杯分のチップを稼いでからバーへ向かった。しかし今日はカウンターではなくテーブル席だった。
「なんだ。待ち合わせかい?」
「あぁ。古い友人とな」
「ギャンブラーかい?」
「生粋のギャンブラーだ」
「ろくな友達いないのかい。アンタは」
ため息をつくと、店の扉が開いた。
「悪いな。お待たせ」
待ち合わせ相手だろう。見た目随分若い男が手を上げて、テーブル席に座った。
「どうだ。結果は」
席に着くなり、真面目な顔で尋ねた。
「・・・これだ」
いつもは持ち歩いている鞄から、ファイルを取り出した。
「三百六十五戦三百六十五敗。負け額は約二十万だ」
若い男は、唖然とした。
「・・・まさか本当にやるとはな」
「当然だ」
ギャンブルの記録を付けたファイルを、若い男に差し出した。
「期日はいつだっけか。一週間以内か?」
「あぁ。そうだ」
「負け額の十倍だよな。よろしく頼む」
ファイルをまじまじと見ている。そして、それをテーブルに置くのと同時にため息を吐いた。
「さすがだな。賭けは俺の負けだ」
「俺が賭けで負けるはずがないだろ」
フッ、と笑うと、酒を一気に飲み干した。今日の酒はいつもの安い酒とは違う。
「美味い酒ってのは、マズイもんだな」
テーブルに放られたファイルを鞄にしまうと男は店を出た。取り残された若い男に、店主は尋ねた。
「あんたら、何の話をしていたんだい。あの男に知り合いがいただなんて。もしかして、あの男に金貸しでもやってるのかい?」
案外核心を突いたと思った。しかし、帰ってきた言葉は予想外のものだった。
「賭けをしていたんですよ。」
「賭け?」
「ええ。軍資金を渡し、もし一年間、ギャンブルで一度も勝てなかったら負け額の十倍の金を払ってやる。その代わりに、一度でも勝った場合、勝ち額を全て渡すっていう賭けをね」
「そんなの、アイツがギャンブルで勝てるわけがない」
賭けの内容に驚いたが、納得した。なるほど、あの男は賭けに弱いのを自分で分かっていたから、この賭けを受けたのだ。
「賭けが弱い奴が勝つ賭けか。よく考えたものだ」
一年間に渡る疑問が解消された。だがしかし、年間通して一度も勝てないのは異常だ。その異常ささえ視野に入れるとは、案外キレ者だったのではと思えてしまう。
しかし、店主のその考えは、男の一言によってかき消された。
「アイツは昔、ギャンブルだけで生計を立てていたような奴だ」
ウソのような話だ。
「しかしウチに来るようになってからは負け続けているけど」
そこで男は笑った。
「アイツはね。ギャンブルで負けるはずがないんだ。才能、勝ちへの嗅覚、そして、完全運否天賦のギャンブルにだって負けはしなかった。だからこれだけの条件でも飲んだんだ。しかし」
負けたよ。そう言って酒を一口飲んだ。
「これで奴は、今年の負け額の十倍もの金額を手にするんだ。本当に、ギャンブルが強い男さ」