森の中で
「いったあ……」
地面に打ち付けた腰をさすりながら、シイカは顔をあげてあたりを見渡した。
後ろで遠ざかっていく足音が聞こえる。シイカをここに連れてきた人たちの足音だった。
シイカは服に付いた土を払い落しながら立ちあがった。ここは「ラルキニアの森」と呼ばれる、うっそうと茂った森だ。背の高い木々がたくさんの葉をつけて日の光をさえぎっているため、地面にはほとんど日が当らない。霧がかかっていて湿っぽい。鳥の声も、動物の気配さえ少ない不気味な森だった。
シイカがこの森に連れてこられた理由。それは、森にすむという巨大な怪物のためのえさ、要するに生け贄だ。
森の怪物とは、もうずいぶんと昔から「ラルキニアの森」に住み着いている異形の化け物のことで、人の頭と獣の体をしている。それがここ何年か前から、森から出てきて人を食べるようになったらしい。なので、森から近いシイカのいる村で定期的に村人1人を生け贄として「ラルキニアの森」に置いてくるようになった。
その結果、怪物が村に来ることはなかなったが、代わりに毎回どこかの家が悲しみに包まれるようになったのだった。
「まさか私が選ばれるなんて…」
シイカはあの時を思い出して絶望した。生け贄を選び出すくじ引きをした時だ。自分は絶対に当たらないと自信を持って引いたくじを見たとき、冗談抜きで目の前が真っ暗になった。
生け贄のくじは、先っぽが真っ黒に塗られている。シイカが引いたくじはーー先っぽだけが真っ黒い絶望の色に染まっていた。
周りの人たちが息をのむのが分かった。そして同時に、安堵のため息をつくのも、また分かった。
自分は選ばれたのだ……最悪の役目に。
シイカの家族は、みんなとっくのとうにいなくなっていた。シイカのために泣いて悲しんでくれたのはいつもシイカの世話をしてくれていた優しい老婆だけだった…。
シイカはとりあえず歩くことにした。両手と両足に重り付きの鎖が付いていて、村人に付けられた傷に触る。痛かったけど、どこかに移動しなければならなかった。
引きずる足にまとわりつく鎖が大きな音を立てる。その金属の音が耳触りで仕方なかった。シイカは暗い気持ちのままのろのろと当てもなく森を彷徨った。今自分がどこを歩いているかなんて、考える気も失せていた。
そうしてどのくらい歩いたのだろうか。突然、視界が開けた。シイカはびっくりして顔を上げる。
今まで日の光が入らないほど茂っていた森が、そこだけぽっかりと開いていた。今日は曇りの日だが、晴れているならきっと素敵な空が見えるのだろう。なぜかその一角だけ木が1本も生えていなかった。
でも、そんなことすらどうでもよく感じた。もうすぐ自分は死ぬのだ。いまさら何がどうなろうと自分には関係のないことだった。
シイカは適当にその辺に座り込んだ。そのうち座っているのも疲れて、下草の生い茂る地面に寝ころんだ。
だんだんねむくなってきて、シイカはそっと目を閉じた。次にいつ目覚めるかは分からなかったし、そもそも目覚めることがあるかも分からなかった。
……さよなら、自分。さよなら、世界。
眠りに落ちたシイカの上に黒い影が差したのに、彼女は気付くはずもなかった。