優秀な婚約者が邪魔だっただけなのに
お休みのお供にどうでしょうか?
公爵令嬢、リリアリーニ・ポートランギル。
貴族学院卒業を目前にして、療養が必要な状況となり領地へと下がったとの噂が学院や、社交界で広がった。
ポートランギル公爵家のリリアリーニといえば、王太子の婚約者である。
花の咲く庭園で、雲雀達は囀る。
「リリアリーニ様が領地に下がられたのだとか」
「わたくしも耳にしておりますわ。……なんでもとてもショックなことが身に起き、療養されていると」
「あのリリアリーニ様がお心を乱されるようなこととはどの様なことなのでしょう。リリアリーニ様といえば淑女の中の淑女。些細なことでは動じたりされませんわ」
「ええ、わたくしもそこが不思議なのです。フィリプズ殿下が特定の令嬢と一緒にいらっしゃっても笑みを浮かべておられましたわ。やはりお辛かったのでしょうか?」
しんみりとした空気が落ちる。
しかし、一人の令嬢が眦を上げて反論する。
「いいえ、いいえ。それはありえませんわ。わたくし、お心を乱されているのではと思いお声がけいたしました。しかし、リリアリーニ様はこう仰ったのです。今後、王太子殿下は王となりこの国を背負っていかねばなりません。その重責はいかばかりか。わたくしも持てる力全てでお支えするつもりではありますが、王太子殿下をお支えする者が一人である必要はありません。わたくしは政務でお支えいたしましょう。しかし、その心を癒し、お慰めする方がいらっしゃるのであれば、その方をお迎えすることに否やはございません、と」
「リリアリーニ様はなんという志の高く心の広いお方なのでしょうか」
「本当に。リリアリーニ様が王妃になることがこの国にとってどれほど素晴らしいことか。しかし……」
「ええ、そのリリアリーニ様が療養。王妃としても資質を問われることにならなければよろしいのですが」
雲雀達は心配そうにリリアリーニを思い遣っていた。
▼
王太子フィリプズはほくそ笑んでいた。
優秀で美しく聡明ゆえに癪に触る婚約者。
何につけても比べられてきた。
称賛はリリアリーニに、叱責はフィリプズに。
全てにおいて勝つことのできない相手。
王族であり、次の王であるフィリプズはリリアリーニに毎回やり込められることを遺憾に思っていた。
何をどうやってもリリアリーニに勝てないのである。
さらにフィリプズを苛立たせたのは二つ下の弟が優秀であったことだ。
一を聞いて十を知る。それが弟であるイヴリアスだった。
リリアリーニはフィリプズとは広がらない会話も、イヴリアスとであれば次から次に広がっていく。
その多くがフィリプズには分からない内容なのだから業腹だ。
文句を言えば困った顔をして噛み砕くように言葉を選んで説明をしてくるが、それは幼子に言い聞かせるようで、さらに腹が立ってもういいと言えば顔を見合わせて苦笑するのだからイライラが募るのである。
そんな苦行としか言えない日々を耐えていたフィリプズは出会ってしまった。
エミール・メーリア男爵令嬢。
果実の様なピンク色の髪と夕陽のような橙色の瞳をした愛らしい令嬢だ。
「フィリプズ様、そんなことまで知ってるなんてすごいです! たくさん勉強されたんですね! 偉いです」
「そう。そうなんだよ! 分かってくれるか?」
「はい。フィリプズ様頑張ってて偉い!」
今までほとんど褒められたことのないフィリプズはすっかりエミールに落ちてしまった。
エミールはフィリプズを貶すような言葉を言わない。ひたすら褒めるのだ。
そしてある日こう言った。
「どうしてリリアリーニ様とイヴリアス様はいつもフィリプズ様が理解できないような会話をなさるのでしょうか? フィリプズ様に理解されては困るのかなって思っちゃいますよね」
フィリプズは確かに、と思った。思ってしまった。
理解できないような会話をするのは、フィリプズが理解できないのではなく、理解できないように二人がわざとそう話しているせいなのだと。
その中にはやましい何かがあるのではないかと。
自分の知識が足りていないのだということに思い至らず、二人のせいにしたのである。
そこからは転げ落ちるかのようにエミールへと傾倒していった。
勉学をおろそかにし、エミールを常にそばに置いた。
側近候補達も、リリアリーニと同じように理解できない言葉を話す者、苦言を呈する者は候補から外し、エミールの意見を聞いてフィリプズと話のできる者ばかりを周囲に置いた。
そして、エミールと過ごすことのできる学院で長い時間を過ごし、公務を後回しにしていったのである。
学院北棟三階の、ある一室。
選択教科の教室が数部屋使用するだけで、ほとんどが物置になっているこの棟は来る者が少ない。
その中にある教室で、エミールとの逢瀬を重ねていた。
「フィリプズ様は、リリアリーニ様と結婚なさるのですよね……私ではダメなんですよね……」
エミールはそう言って悲しげに顔を曇らせる。
フィリプズは心が痛んだ。
やがて、エミールを妻にしたいという思いは大きくなる。
しかし、リリアリーニとの婚姻は王命によって決められたもの。
フィリプズの希望で変えられるものではない。
せめて、エミールを王妃に、リリアリーニを側妃にできないものかと考える。
リリアリーニが王妃になれば、リリアリーニとの子を求められる。
フィリプズはエミール以外と子を作ろうという気になれないのだ。
エミールだけ。
エミールの子に王位を渡したい。
その思いは日々強くなる。
エミールと手を繋ぐ度、肩を抱き寄せる度、重く深くなっていく。
どうしようもなく歯痒い気持ちが溢れて、叫び出しそうになる。
しかし、それは到底無理であることは分かっている。
だが、ここにきてリリアリーニの領地療養である。
フィリプズには光明が射したように見えた。
この療養でリリアリーニに王妃の資格なしと出来れば王命を撤回できる。
早速、計画を立てるべく側近を集めた。
フィリプズ達はまずは情報操作をする為に、広く情報を集めつつリリアリーニの悪評を広めようとした。
リリアリーニは王太子の婚約者で公爵令嬢。
情報を集めるべき相手は高位貴族になる。
フィリプズは王太子だ。
貴族は皆王太子に従うもの。作戦実行は簡単に思えた。
しかし王太子も側近達も令嬢達に近付くことが出来なかった。
皆、声を掛けると挨拶は丁寧にするものの、急用だなんだとすぐに去ってしまう。
思い当たる理由としては、令嬢のほとんどがすでに婚約者がいる為、他の令息との交流を好まない為だろう。
ましてや、声を掛ける側の王太子も令息も婚約者のいる身である。
それならばと、人懐っこいエミールではどうだろうかと試みた。
しかし、エミールに声を掛けさせたところ、睨まれて返事もしてくれなかったと泣いて戻ってきたのだ。
しかも、無礼であるとメーリア男爵家に苦情が来たのである。
社交界では下位貴族が上位貴族に許しもなく声を掛けることは許されない。しかし、学院内での身分は平等とされている。
フィリプズはどちらの方が無礼だ、と苦情を送ってきた貴族に対して王太子の名で抗議を行った。
そのせいか、エミールが近付くだけで貴族令嬢達はそそくさといなくなってしまうようになった。
王太子と側近、そしてエミールの行く先には一人の高位貴族令嬢もいなくなったのである。
では高位貴族子息を通して聞いてみるのはどうだろうか? と、特別なサロンを開いた。
最初はそれなりに集まったが、その場にエミールがいると知った途端に、子息達は帰っていった。
皆口を揃えて言うのが──
「婚約者がいる身でこのような席に参加するわけには参りませんので」
だった。
男爵令嬢一人だ。
なぜそこまで神経質になるのか首を傾げる。
そして、この後はいくら招待状を送っても色良い返事は貰えなくなった。
それどころか、行く先々で避けられ、完全に孤立している。
情報操作どころか、情報収集すらまともにできない状況にフィリプズは苛立ちを覚えた。
この手は使いたくは無かったが、情報を収集する為に盗み聞きをする事にした。もうこの方法しか残されていない。
そして、ようやく聞けた情報はすでにとんでもないものになっていた。
▼
学院には、お昼に二時間の休憩時間がある。
昼食とお茶を飲む時間だ。
令嬢達はその時間を思い思いの場所で楽しむ。
高位貴族令嬢達には花の美しい庭園にある四阿が人気で、鳥籠のような形をしたその場所でよく、お茶を飲みながら情報交換をしている。
四阿は入り口付近以外は、花のカーテンが覆い、配置も声が届かない程度の距離をあけられており、周囲を生垣で囲まれ独立して立っていた。
入り口側から中の様子が見える為、秘匿性は低いが、内緒話をするのにはうってつけなのだ。
王太子と側近、そしてエミールの四人はその四阿の垣根の内側、鳥籠を囲む花のカーテンの陰に身を潜めていた。
やがて数人の令嬢達がやってきた。
名前を聞いてもフィリプズにはその令嬢がどこの家門の令嬢なのか分からない。
雲雀達は囀る。
「リリアリーニ様は逢引き部屋で見てしまったのですって」
落ち着いた声ながらも楽しげな声が言う。
「何を見てしまわれたのかしら?」
「何をって、あそこは殿下達とあの男爵令嬢の逢引き部屋ですもの、見るものといえば一つではなくて?」
ゆっくりと話す疑問の声に、不愉快そうな声の令嬢が答えた。
「あの何事にも冷静で、落ち着いていらっしゃるリリアリーニ様が領地で療養が必要になるほどの出来事、と言う事ですわね?」
「ええ。王太子殿下と男爵令嬢の逢瀬の様子をご覧になったということかしら?」
「そうとは限りませんわ。なぜなら、あの部屋で逢瀬を重ねているのは王太子殿下だけではありませんもの。見た目だけで選ばれたような側近の皆様もお使いになりますでしょう? あの男爵令嬢と」
「ということは、男爵令嬢は王太子殿下だけでなく、側近の皆様とも関係を……?」
「そう考えるのが自然ですわね」
えっ! と驚いてフィリプズが側近達を見ると、彼らは目を逸らした。
「しかし、やはり王太子殿下の……というのが自然なのではなくて? 自分の婚約者と他の女性が、となるとショックは大きいものになりますでしょう?」
「そうかしら? 王太子殿下を癒す役目の方がいることを良しとされていたリリアリーニ様ですもの、その程度は想定しているのではないかしら? そう考えると──」
「え? え? もしかして、全員で……お楽しみに?」
「それであれば、リリアリーニ様がショックを受けても仕方がないと思いますわ」
「そんな……あ、でも先日殿下が高位貴族子息を集めていらっしゃいましたわよね。それって、そういうことですの?」
「ええ、呼ばれた令息達はおそらくそう思っていらっしゃいますわね。子息ばかりのサロンだと聞いていたのに、その場に男爵令嬢がいたそうですもの。しかも、会場が殿下の私的な場所。ほとんどの子息がすぐにお暇を願い出たとか」
「お仲間だと思われたく無かったのでしょうね」
「賢明な判断ですわね」
お茶を飲む間の、少しの静寂。
あまりの内容にフィリプズは頭の中が真っ白になった。
側近とエミールに目を向けると四人は顔を青くしている。エミールは側近の一人に口を押さえられていた。
娼婦のように言われ、思わず声を上げそうになったのだ。
もし、ここにいることがバレたら醜聞となり、その品位を疑われる。
何を言われてもここでは声を上げてはいけない。抗議と訂正は後から行うしかない。
しかし、令嬢の言いようはまるでエミールは娼婦、そして、フィリプズはそれを当てがう娼館の主人のような言い方だった。あの秘密裏に行ったサロンがそのような会だと認識されていたなんて。最初に招待した令息は七人ほど。上位から順に招待した。その後も順番に五十人ほどは招待した。
実際に来たのは最初の七人とその後の数人。来た者は皆すぐに帰ってしまった。その後は断りの手紙ばかりで開催出来ていない。
その全員が同じ認識なのだとしたら。
サッと指先が冷たくなる。
まさかこんな事になっているとは思いも寄らなかったし、自分の行動が周囲にどのように解釈されているのかも知らなかった。
「王太子殿下と側近の方々に度々お声掛け頂きましたけれど、あれは何だったのでしょうか?」
「その後、あの男爵令嬢も声掛けてこられましたわよね?」
「そうですわね。今でも腹が立ちますわ。男爵令嬢が侯爵令嬢であるわたくしに向かって挨拶もなく、『ねぇ、そこの人』って声を掛けてこられたのですよ? 声を掛けるならせめて家名くらいは覚えてきてもよろしいのではなくて?」
「抗議はされたのでしょう?」
「もちろんしましたわ。いくら何でも侯爵家を愚弄しすぎですもの。そうしましたら王太子殿下から抗議の手紙が届きましたの。王太子殿下の印章入りのものですわ。学院内では爵位関係なく平等と規定がある、とのことですわよ」
「え? その規定ってデビュタント前までのお話ですわよね? わたくしたちも、男爵令嬢もすでにデビュタントを終えているのですから学生と言えど身分はすでに家名の一端を担う淑女。であれば、弁え、礼節を尽くすのは当然のこと。歳の離れたわたくしの幼い妹ですら知っていることですわ」
「王太子殿下がご存知ないとは信じ難い話ですわね。ですので正式に王家へと抗議をいたしましたわ。わたくしだけでなく、他の令嬢達も、ね」
王宮に抗議したと聞いてフィリプズは肩を揺らした。抗議の手紙が来ている事をフィリプズは知らなかった。というか、知らされていないという事だ。考えられるのは、些事だと流されたか、あるいは調査が行われているか、だ。
王太子の名で抗議の手紙を送った数は三十近くになるだろう。
どれほどの数が王宮に抗議を行っているかは分からないが、数通来れば王宮は調査をする。
何も言ってこない。それが逆に恐怖だった。
「それにしても男爵令嬢は何か聞きたかったのでしょうか?」
「うちのメイドが言うには、平民が行う手なのだそうよ」
「どういう事ですの?」
「あの男爵令嬢、一時期リリアリーニ様に突撃していたことがありましたでしょう? わざと近くで転けたり、紅茶を自分の服にかけたり」
「ありましたわね。それでリリアリーニ様の護衛を兼ねた令嬢やご友人に止められてましたわね」
「なんでも、狙った男性の婚約者にいじめられたことや嫌がらせされたことを報告して、仲を壊そうとする作戦らしいんですの。私、あなたの婚約者にこんなことされてます!助けてくださいって涙目で報告して同情を誘い、親密になるそうですわ。時には、ないことまでも自作自演することもあるとか」
エミールを見る。青い顔をしていたエミールだが視線に気付くと目を彷徨わせた。
それはまるでその通りだと言っているようで、息を呑む。
「ですが証拠もなくそんな報告したところで信用されませんでしょう?」
「それが、なぜか信用されるそうですわ。今回もその作戦の一環なのじゃないかしら? 私、令嬢にこんな仕打ちを受けたんです! という風に王太子殿下に報告して、仲を深めるという」
「なるほど。男爵令嬢の無礼な行いについて調べもせずに男爵令嬢の証言だけで抗議を送った、という事ですわね?」
「まあ、我が侯爵家も男爵家と王家に、どのような無礼があったかをきちんと書いて抗議しておりますもの。王太子殿下の印章のある手紙も付けてね。他の方々も同様に送っていらっしゃるでしょうからきちんと調査がなされるのではないかしら」
「では、この騒動も長くはありませんわね?」
「そうですわね。リリアリーニ様も領地で健やかにお過ごしになってるそうですもの。それに、療養中に隣国の王女殿下の希望を叶える形で領地にお呼びして交流なされたとか。更なる功績を手に、そう長くせずお戻りになれますわ」
「それは大変よろしゅうございますわね」
「さすがですわ、ほんとに」
令嬢達の軽やかな笑い声が上がると同時に予鈴の鐘が鳴った。
「あら? お昼休みも終わりですわね。では、戻りましょうか」
「ええ」
衣擦れの音が遠ざかっていく。
人々の気配が消えても、本鈴の鐘が鳴っても、四人はその場から動けなかった。
今聞いた話が広まっているのならば、ここにいる四人は終わりを迎えている。
陽が傾き、暗くなり始めてようやくヨロヨロと歩き出す。
フィリプズが王城に戻ると、険しい顔をした侍従が待ち構えていた。
「陛下がお待ちです。すぐに来るようにと」
侍従の言葉に知らず体が震えていた。
廊下ですれ違った弟イヴリアス。
足を止めたイヴリアスは背中を丸めて歩くフィリプズを憐れむような目で見ていた。
優秀な婚約者が邪魔だっただけなのに、まるで断頭台に向かう囚人のようだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
貴族の噂話は嘘でも本当になる事もあるというお話でした。
実際のところどうなの?なんて王族に聞けないし、火のないところには煙は立たないと言いますし。
また次回お会いできますように!
ありがとうございました!
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名も過去も失った彼女を「原石だ」と見抜いたのは、隣国の大商会だった。
数年後、彼女を捨てた男が商会を訪れる。
かつての婚約者は穏やかに微笑んで言った。「初めまして」
二話完結。
『記憶を奪われ捨てられた薬師ですが、どちら様ですか?』
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