第7話 理性の綻び
王子との謁見が終わった夜。
帝都の空気は重かった。
王子は退室の際、
ほんの一瞬だけ、リュシエンヌの手に触れた。
偶然を装って。
だがその指先に、未練が滲んでいた。
リュシエンヌはすぐに手を引いた。
だが——
その一瞬を、カイゼルは見逃していない。
高楼の執務室。
窓辺に立つ皇帝の背中は、いつもより静かだ。
「……ご機嫌がよろしくないようですね」
リュシエンヌが淡々と告げる。
「そう見えるか」
低い声。
振り返らない。
「ええ」
沈黙。
数秒。
そして、カイゼルがゆっくりと振り向く。
その銀の瞳は、冷たい。
だがその奥に、わずかな熱。
「貴女は、あの男をまだ読める」
「当然でございます」
「だから、触れさせたのか」
空気が変わる。
リュシエンヌの心臓が、わずかに強く打つ。
「偶然です」
「偶然を許すほど、私は寛容ではない」
一歩、近づく。
距離が縮む。
「貴女は共犯だと言った」
低く、確かな声。
「ならば線引きは明確であるべきだ」
彼の手が、彼女の顎を捕らえる。
今度は、迷いなく。
逃げられない強さで。
「私の前で、他の男に未練を見せるな」
それは命令ではない。
感情。
明確な嫉妬。
リュシエンヌの呼吸がわずかに乱れる。
計算外。
彼は怒鳴らない。
だが距離は近い。
吐息が触れる。
「……嫉妬でございますか」
かすかな挑発。
カイゼルの瞳が揺れる。
「否定する理由がない」
即答。
その言葉は重い。
「貴女が過去に縛られることが、不快だ」
理性が、崩れている。
それを自覚しながら、止めない。
「私は合理で動く男だ」
低く囁く。
「だが、貴女に関しては別だ」
その指が、彼女の顎をゆっくりと下ろす。
代わりに、彼女の手首を掴む。
強くはない。
だが確か。
「王子が貴女を呼んだとき」
銀の瞳が射抜く。
「胸が、ざわついた」
告白。
隠さない。
リュシエンヌの胸が、はっきりと揺れる。
彼は冷酷な皇帝。
感情を優先しない男。
その男が、感情を口にする。
それは。
想定外の破壊力。
「……困ります」
声が、ほんの少しだけ震える。
「何がだ」
「盤が、乱れます」
カイゼルは、低く笑う。
「乱せ」
そして、ゆっくりと距離を詰める。
唇が触れそうな位置。
「私は駒ではない」
低く、熱を帯びた声。
「貴女を選ぶ男だ」
リュシエンヌの鼓動が跳ねる。
計算。
合理。
支配。
すべてが、わずかに揺らぐ。
彼女は初めて理解する。
盤はもう、完全ではない。
彼女自身が、動揺している。
そして。
それを、嫌だと思っていない自分がいる。




