第2話 盤上の夜会
王城を出た夜。
馬車は城下町を抜け、人気のない裏通りへと入る。
断罪された令嬢が向かう先としては、あまりに不自然な方向。
だが御者は迷いなく進む。
停まったのは、古びた倉庫。
表向きは穀物商会の保管庫。
中に入ると、灯りが三つ。
待っていたのは、帝国とも交易を持つ大商会の代表たちだった。
「お待ちしておりました、リュシエンヌ様」
その声音に、哀れみはない。
敬意だけがある。
リュシエンヌはゆっくりとフードを外す。
先ほどまでの涙は、影もない。
「舞踏会は滞りなく?」
老商人が問う。
「ええ」
微笑む。
「完璧でしたわ」
空気が、わずかに変わる。
机の上には、すでに契約書が並んでいる。
北方穀物の流通停止。
南方航路の再調整。
帝国側への優先出荷。
すべて、王国を締め上げる内容。
「王子は我々の動きを読めません」
若い商人が低く笑う。
「当然です」
リュシエンヌは淡々と告げる。
「彼は盤面を見ておりません」
紙に視線を落とす。
「三日後に北部で価格が跳ね上がります。五日後に貴族が焦り始め、七日で暴動」
さらりと言う。
天候の予測のように。
「王国は持ちませんな」
「ええ」
迷いはない。
「持たせる気もございません」
沈黙。
その言葉は、静かで、確実だった。
「帝国側との調整は?」
老商人が問う。
リュシエンヌの指先が、契約書の端をなぞる。
「すでに根回し済みです」
「皇帝は信用できますか」
一瞬、間。
ほんの僅か。
「……合理の男です」
感情ではなく、評価。
「利用価値がある限り、こちらを切りません」
その声音は冷静。
だが、どこか柔らかい響きが混じる。
商人は頷く。
「では我々は予定通り動きます」
「お願いいたします」
契約書に署名する。
インクが乾く音が、小さく響く。
王国の命脈が、ゆっくりと締まっていく。
商人たちが退出し、倉庫に静寂が戻る。
リュシエンヌは一人、椅子に腰を下ろす。
静かな吐息。
「王子殿下」
小さく呟く。
「あなたは、正義を選んだとお思いでしょう」
だが。
正義という言葉を最初に口にしたのは、彼女だ。
断罪の証言。
揃えられた証拠。
揺さぶられた侍女。
すべて、ほんの少しずつ、背中を押しただけ。
王子は自分の意思で決断した。
——そう思っている。
それでいい。
それが計画。
倉庫の扉が軋む。
夜風が入り込む。
リュシエンヌは立ち上がる。
「第二段階へ」
その目は、静かに燃えていた。
だが。
ふと、思い出す。
舞踏会で一人だけ。
涙の奥を見ていた男の視線。
隣国皇帝。
あの銀の瞳。
「……計算外の要素」
小さく呟く。
それでも、盤面はまだ完璧だ。
彼女は、そう信じている。
まだ。




