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黄昏のぬくもり

作者: らいらい

薄闇に沈む橋の袂。

一羽のカラスが群れから離れ、金色の目で足元を凝視していた。


「カネェ、カネェ」


やがてその鳴き声に応じるように、欄干のカラスたちも声を重ねる。

五分ほど続いた奇妙な合唱は、迫る闇に恐れをなし、やがて途切れた。

最後の一羽が飛び去った後には、ただひとつの輝きだけが残された。


それを拾い上げたのは、段ボールを住処とするひとりの老人だった。

――金色のコイン。

中央には尖った帽子の老婆が刻まれている。


「明日、調べてもらうか……」

空き瓶を枕代わりに、老人は車の走行音を子守歌に眠りへ落ちた。


夜明け。

不意に背後の気配に目を覚まし、老人は瓶を握りしめて振り向いた。


「誰だ!」


そこにいたのは、刻印と同じ帽子をかぶった老婆。

影のように静かに、笑みを浮かべて座っていた。


「やだよ、いきなり。私は何もしないよ。お礼を言いに来ただけさ」


「お礼だぁ?俺は誰も助けちゃいねぇぞ」


「助けてくれたじゃないか。昨日、私を拾ってくれただろう?」

老婆はすっと目を細め、指先で宙をなぞる。

その仕草に呼応するように、老人の胸に重みの記憶――あのコイン――が蘇った。


「……あのコイン、あんたのか」


「そうとも。だからお礼をしなきゃいけない掟でね。望みをひとつ、叶えてあげるよ」


老人はしばし黙り込み、それから鼻で笑った。


「望みだと?……そんなもん、俺にあるわけねぇ。……いや、あるとすりゃ、一度きりの人生をやり直すことだ。

ただ、こんな場所じゃなく……温かい家庭ってやつを持ってみてぇもんだな。

ま、夢みたいな話だ。礼はいらねぇ。もう帰んな」


「なんだ、そんなことかい」


老婆は枝のような杖を取り出し、低い歌のような音を紡ぎ始める。

光の渦が老人を包み込み、世界が揺らぐ。


「次は上手に、生きてみなさい」


老婆の声を最後に、老人の意識は光に呑み込まれた。


老人が消えた布団を眺めながら「うまくいくといいいねぇ」と呟いた老婆の顔が怒りに変わっていく


「あのカラスただじゃ置かない!!」


そうして何か囁くと、老婆は姿を変えそのままダンボール小屋を後にした




「パパでしゅよー」

――耳慣れぬ響き。だが不思議と、胸の奥に心地よく響く声。


次の瞬間、老人は気づいた。

己の口から出たのは「うっとーしぃ!」ではなく、「オギャー!」という赤子の泣き声だったのだ。

涙まで勝手に零れ落ちる。


腕に抱く赤髪の男は慌てふためき、緑髪の女が笑いながら手を差し伸べてくる。

「もう、あなたったらしつこいのよ。――ママのところにおいで」


差し伸べられたその手に、気づけば自分も手を伸ばしていた。

温もりに包まれる。胸の鼓動に耳を傾ける。


「これが……母のぬくもり、か」


老人はふっと目を細めた。

「奴が、父親か……まぁ、悪くはなさそうだな」


やがて意識は静かに沈み、眠りへと落ちていった。



五年が過ぎた。

カミュ――そう名付けられた少年は、陽の光を浴びるように元気に育っていた。


前世の五歳といえば、父に殴られ、母が隣で「やりすぎないでね」と笑っていた頃だ。

あの時の自分と、今の自分。比べるのも馬鹿らしい。


庭先で転んだだけで、父は血相を変えて駆け寄ってくる。

「大丈夫か? けがはないか? アル、街の薬師に連れていくぞ!」

母はそんな父の頭を軽く叩きながら、「大げさなのよ」と笑い、優しい声で僕に問う。

「カミュ、大丈夫?」


「うん!」と答えると、父はなお疑いの目を向け、母はそっと僕の頭を撫でた。

その手の温もりに、思わず涙がにじむ。


「ほら、やっぱり痛いところがあるんじゃないか!」

「我慢しなくていいのよ。どこか痛いの?」


僕は首を振り、少し照れくさく答える。

「パパとママが心配してくれるのが、うれしくて……」


二人は目を見合わせ、当たり前だろうと声を揃え、僕を抱きしめた。


――なるほど。

前世の僕が親に縋りついた気持ちが、今なら分かる。

この二人に育てられるのなら、何があっても親孝行したい。





薄暗い路地を駆けながら、私はふと笑った。

──少女の顔をして、老婆の魂を抱えたまま。


探しているのはカラス。

いや、正しくは「カラスの姿をした悪魔」だ。


私はかつて、ひとつの世界で魔導を極めた者だった。

不老不死を手に入れた時点で、もはや死すら恐れぬつもりでいた。

だからこそ、あの封印を解いたのだ。

「どうせいつか解けるのなら、いっそ私が討ち滅ぼしてやろう」と。


……油断だった。

観戦気分で遠巻きに見ていた村人どもを人質に取られ、私はあっさりと敗北した。

悪魔は私を嘲り、古代のコインに変えた。

「流通に紛れてすり減り、やがて消えるがいい」と。


だが、奴の計算は甘かった。

それは数千年前の古代貨幣──誰も使わぬ珍品として保管され、私は滅びることもなく長き時を耐えた。

最後の抵抗で、私は奴をこの異世界へと引きずり込んだが……なぜか奴はカラスの姿に変わり果てた。


しかも、奇妙なことに、奴の声は「カネェ、カネェ」としか聞こえぬ。

実際には「死ねぇ、死ねぇ」と叫んでいるのだろうが、こちらの世界の呪いがそう聞かせるらしい。

なんとも間抜けな話だ。


ようやく、人の手に拾われて力を取り戻しつつある私は──まずはあの偏屈な老人に礼を尽くすとしよう。

もっとも、礼といっても魔術で本音を少し覗かせてやる程度だが。

……それで充分だ。

その言葉を聞ければ、あとは勝手に幸福を掴むだろう。


問題は、この国にやけに多いカラスたち。

「まったく、どれが奴か見分けがつかんわ」

少女の顔のままぼやきつつ、私は黄昏の街を駆けていった。

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