09_大人の階段(のぼろうとしたら足くじいたんですが)
(こっわ――――!?)
「もうすこしじゃ、もうすこしで着くぞ」
「……いや、それどころじゃなくてだな」
「ん? 何を立ち止まっておる。女の子としっぽりしたくないのかのぅ?」
今ちょうどエレベーターが落ちたところなのに、こいつ、意外と肝が据わってるよな。
なにはともあれ、俺たちは渓谷にかけられた通路を歩いていく。
地下渓谷というだけあって、左右に立ち並ぶ店と通路のすぐ横……要は空間のど真ん中に上から下まで裂けた穴があるのだが、無数の階段や橋、通路を設けることで垂直の街ができあがっている。試しに手すりから乗りだして底を見ようと下を向くと、その瞬間、眩い光が目の前を通り過ぎていく。
「うわっ」
それが反重力バイクのヘッドライトだと気づくまでに幾ばくかの時間を要した。操縦者は見えなかったものの、重力制御フィールド発生装置の独特な音が上へと遠ざかっていく。
「ナルホド、そりゃエレベーター待つくらいならバイク使うわな」
そうして、落ちないように通路の壁際を歩いていると、ざわざわとした喧騒が聞こえてくる。今まで閑散としていた通路に人が増え始め、甘い香りがいっきに漂ってくる。突如、リンが立ち止まり、俺の肩に手を置いてくる。そして――
「ヘドロ、あれを見てみるんじゃ!」
「……ええぇぇぇぇええええエエエエ――――――っっ!!!!」
イッテQの某お祭り芸人みたいな反応をしてしまい、俺は『そこでヘドロが目にしたものとは!?』とテロップが入りそうな顔をしながら叫んだ。
リンが指差した先にあったのは、宇宙汎用語で『龍泉閣』と書かれた牌楼(*中華街の入口とかにある門のこと)が立ち、その奥の通路にこれでもかと妓楼がひしめき合う花街だった。
「おっぱいがひとつ、おっぱいがふたつ、みっつ、よっつ……」
「お、おい、鼻血が出ておるぞ……」
門の構造は複雑な斗栱で支えられ、何層にも重なる瓦屋根は、地下の湿気にも負けず、鮮やかな朱色に塗られている。
柱には龍や鳳凰の彫刻が施されており、門の両脇には金属製の古い提灯が無数に吊り下げられ、その暖かくぼんやりとした紅の光が浮世街を照らしている。その下をチャイナドレスに身を包んだ巨乳のお姉さんたちが行き交っていた。
「あらぁ、お客さーん? ……って、あら?」
「リンちゃんじゃない! 拉致されたって聞いたよ、大丈夫だったの~⁉」
「うむ、この通りだ。こやつに助けてもらってな」
「ぁっ、えっ……と、……ど、どうも。ドゥフ……」
そのとき、リンにまるで恋人のように腕を組まれ、集まってきていたお姉さん方の視線がすべて俺に向けられる。正直、隣の薄細ひょろがロリっ子は心底どうでもいいのだが、巨乳お姉さん方には耐えられそうにない。……あっ、あっ、良い匂い。らりるれろ。し、刺激が強すぎて――
「ぶふっ……!」
「あっ、いかん! 刺激が強すぎて鼻血が止まらなくなってしもうた……!」
「やだー! 初心でかわいい~~! うちの店においでよ~~!」
「ダメよ! うちのお店に来なさい~~! サービスしちゃうわよ~~!」
「おっぱいがいつつ、むっつ、ななつ……」
白目を剥きかける俺に、お姉さん方は容赦なく胸を押しつけてくる。
ぱふぱふ、あふあふ、あひゃひゃひゃ。ダメだ、ここにいると思考がバカになる。戻れ、戻るんだヘドロ。こんなとこで貞操を失えば、二度と魔法使いにはなれないんだぞ。やめろ、やめるんだ、ヘドロ――!!
「ね。うちのお店に……来・な・い?」
「いきま――――す!!」
「いくなバカもん! こやつは紅楼に先約を入れてあるからな! おぬしらの店には行かんぞ!」
「なぁんだ、もう唾ついてたのか~~、ざ~んねん♪」
「また、機会があればうちにも寄ってね~~!」
そう言って、巨乳のお姉さん方に見送られながら俺たちは奥へと進んでいく。
渓谷の脇に掘られた竪穴に花街はあり、牌楼からすこし進んだところに、『紅楼』と黒々とした筆致で書かれた看板が掲げられた店があった。正面入り口で、電気仕掛けの龍と鳳凰のホログラムがチカチカと点滅している。
「到着じゃよ。紅楼、ここが妾の勤める妓楼じゃ!」
「ほぉ~~」
「では、行くぞ」
「ちょ、ちょまっ、まだ心の準備がぁ……」
リンに腕を組まれながらなかば強引に中に入ると、すぐに銭湯の番台のような受付に座る妓女が目を見開く。煙管を口に咥え、白塗りの化粧と濃い紅と金で統一されたチャイナドレスに身を包んだ巨乳のお姉さんが「ガタッ」と立ち上がり、鼻からカバのように薄紫色の煙が吐き出される。
「リン! おぬし、生きておったのかえ!」
「あっ、おばさんではないか!」
「誰がババアじゃ、誰が!」
すすす――と足早に近づいてきては、べし、と煙管でリンの頭を殴る。
「あんた、よく無事だったね。拉致されたって聞いたときは、もう殺されたもんだと思っていたよ」
「ふふん、妾は運が良いからな。あの後、輸送ポッドはカリストに着いてな。そこで、こやつに拾ってもらったんじゃ」
「……ふぅん、ほぉ~、あんたがねぇ……?」
煙管のお姉さんが、俺を値踏みするような目で頭のてっぺんからつま先までじろりと見てくる。……ちょっ、やめてください恥ずかしい。そんなに見ても何も出ませんよ。出せるのはこれくらいだァ! ボロン。なんつって(笑)
「なんだい、なんだい。心配して損したよ。あんた、その年でもう男を引っかけてくるなんてね」
「それがのぅ、こやつは年上の巨乳美人が好きらしいんじゃ。助けてもらった礼として、この店で遊ばせてやると約束したんじゃが……」
「ふーん、ほぉ、ちなみに金はあるんだろうね?」
「そりゃもう、腐るほどじゃ」
俺が無言で煙管のお姉さんの胸の谷間を血走った目で注視しながら、ひたすら鼻血を出しているのを見てか、お姉さんはしばらく考えたのちに煙管を再び口に咥えながら肩をすくめる。
「ま、いいだろう。初回サービスで無料にしといてやるよ。……リン、三階の大広間に案内してやんな。一番奥の席を使っていい」
「了解じゃ! ほれ、行くぞ」
「でっかいメロンがひとつ、スイカもふたつ……」
そうして俺はリンに連れられ、受付フロアを通り抜けて奥へと進んだ。二階へと続く階段を上っていき、団体客らしき男たちの荒っぽい笑い声をよそに、さらに三階へと上がる。階段は一段ずつ踏むたびにキシキシと音が鳴る。
俺たちは重厚な黒檀の観音開きの扉の前で立ち止まった。木製の扉には龍と鳳凰が彫り込まれており、その細工の精巧さにこの妓楼の格式の高さが窺える。
「『玉龍の間』じゃ。本当なら、VIPにしか案内されない部屋なんじゃけど、おぬしは特別らしい。よかったのぅ、おぬし好みの巨乳美女がもうじき来るぞ?」
「おお……」
憎たらしげな笑みを浮かべながら、肘で脇腹を小突いてくるクソガキをよそに、俺はすっかりその空間に魅入られていた。
高い天井にいくつもの巨大な提灯シャンデリアが吊り下げられ、広間全体にきらびやかな暖色の光が降り注いでいる。熱気と、酒、香り、そして化粧品の芳醇な匂いが混ざり合い、何というか空間そのものがエロティックだ。
広間の奥の舞台では、優雅なチャイナドレスに身を包んだ女性が三味線だか二胡だかを奏でており、その切ない音色を、客たちの上品な話し声や笑い声、グラスが触れ合う音がかき消しそうになっている。
「一番奥の席はひとつだけじゃからな。ほれ、ついてくるんじゃ」
「は、はひ……」
俺はすっかり、その空間に気圧されていた。
リンに腕をひっぱられている途中、ソファー席に座る客たちの視線が一瞬だけちらりとこちらに向く。
彼らは商人風の裕福そうな男から、派手な服を着たいかにも遊び人といった男まで様々だ。どの客にも、数人の妓女が付き添っており、酒を注いだり、扇子で顔を仰いだりしている。……あっ、あのやろう、服の中に手を入れて揉んでやがる! このエッチ! 俺がハレンチ警察だったら今ごろ逮捕してたぞ!
「な、なぁ、お触りって……」
「もちろん、大丈夫じゃぞ。ただし激しいのは別室で、という決まりになっておる。気に入った嬢がいたば、あの空いてる小部屋に連れ込んでしっぽりすればいい」
そうしてリンに連れられてきたのは、広間の喧騒を眺めつつも、ある程度のプライバシーが確保された半円形のソファー席だった。ソファー自体は、豪華な濃い緋色のビロードでできており、座ると深いクッションが体を沈み込ませる。座面は広く、肘掛けには金色の龍の刺繍が施されている。
中央には、磨き上げられた円形の黒漆塗りのテーブルが置かれ、既に上等な白磁の酒器や、色鮮やかな果物が載せられた皿が用意されている。テーブルの脇には、鮮やかな牡丹が活けられた大きな陶器の壺が置かれており、席に華を添えていた。
「それじゃ、妾は妹と会ってくるからな」
「あっ、行かないで……」
「アホか! すぐに嬢が到着するから、おぬしはそこで待ってるんじゃぞ! いいな!」
そう言ってリンが去ってしまい、俺はひとり、だだっ広いソファー席の端にちょこんと座る。
「…………」
なんというか、ものすごく心細い。
他の席からは俺は見えないものの、他の客にはすでに妓女がおり、遊んでいるというのに俺はその音を聞いているだけだなんてお預けもいいところだ。しかし――
(もしかしたら、もしかしなくても、今日ここで大人の階段とか上っちゃうのだろうか。……ぱ、ぱふぱふとかできちゃうワケ⁉)
どんな絶世の巨乳美女が来るのだろうか。
俺は全身をカチンコチンに緊張させた状態で待っていた。そうして一分が過ぎ、二分、三分が過ぎたころ、ついに俺のソファー席の前に絶世の巨乳美女がやってくる。
「お待だぜ、じまじだぁ~ん」
「あっ、ぜんぜん待ってませ……」
妙に野太い声だな、と思った。
俺がソファーに座ってるとはいえ、席に来た美女は妙に背が高いなとも思った。加えて、逆光とはいえ妙にガタイがいいなとも。
やがて俺の目は絶世の巨乳美女にあるまじき、筋肉隆々の腕とスネ毛の生えた足を捉える。そこにいたのは、テストステロン(*男性ホルモン)を隠し切れないとばかりに青髭にまみれた顔に、異様なほど赤いリップを唇に塗ったオカマだった。
これがゲームの世界なら、きっと今の俺の顔は8ビットくらいの超低画素で出力されていただろう。
「んじょっど。あっ、ごめんね~、あだじこう見えて結構乙女だがらァ~、奥に詰めでぐれると嬉じーがもー!」
俺が奥に詰めた瞬間、八十キロほどのオカマの体重によってソファーがものの見事に陥没する。
俺は何かの間違いじゃないのかと必死に自分の膝ばかりを見つめながら、強制的に鼻腔を刺激するレディースものの香水と男の汗が混ざった臭いに涙が出そうになる。
「あらヤダ、あんだ良い男ねェ~ん。あだじ、あんだみたいな男げっごう好ぎよ~ん」
「…………」
ゴキブリの触角みたいなスネ毛が当たるなか、すっかり萎縮して自分の膝ばかり見つめる俺の肩にオカマが手をまわしてくる。
「あだじ、掘る方も掘られる方も好み~ん。お兄ざんはネコとタチどっちがいいの~ん?」
そうだ、思い出した。
俺は女運が絶望的に悪いのだ。いや、この場合、女ですらないのだが。
「…………」
仕方ない。
貞操を守るためだ。
俺はキチガイになることにした。
「おおおおおお――――――ッッ!!」
俺は大声を上げて両腕をぶん回すと、オカマの手を退け、土足で黒漆塗りのテーブルに乗る。
酒器やら皿が落ちて割れるが、そんなもん知ったことじゃない。
「ど、どうじたの⁉ だ、だいじょうぶ……」
「キエエエエェェェええええええ――――――ッッ!!!!」
俺は鶏のように絶叫すると、その勢いのまま大広場から飛び出し、三階から一階まで階段を転げ落ちていき、顔面を床に強打して鼻血まみれのまま受付フロアから入口へ逃げようとする。
何やら煙管のお姉さんがギョッとした表情を浮かべていたが、もういいんだ。この世に絶世の巨乳美女なんてのはいなかったんだ。すべては俺の気の迷いだったんだ。幻だったんだ。
「待っでぇぇぇん! お兄ざん逃げないでぇぇぇん!!」
後ろから何か聞こえた気がしたが、気づけば俺は涙と鼻血と鼻水をまき散らしながら、貧民街をひたすらに爆走しているのだった。
さらば、絶世の巨乳美女。
これでいい。これでいいのだ。
ちなみに、オカマは着く席を間違えただけで、すぐそこまで絶世の巨乳美女は来ていました。
もうすこし辛抱していたら卒業できてたのにね。残念!




