03_リ・ルーミン(双子の妹はメスガキ属性ですか)
タイタンの地下渓谷、鉱山作業員たちが掘り進めた岩盤層の間、ケルゲレン大監獄にべったりと密着する形で――通称「龍泉閣」と呼ばれる花街は存在した。
重力発生装置の人工重力下では、常に重苦しい湿気とメタンの臭いが満ちていたが、浮世街の入り口をくぐると、それは一変する。冷たい金属と焦げ付いたオゾン、安物の合成香水、そして電子タバコの甘ったるい蒸気が混ざり合った倒錯的な「快楽」の匂いだ。
街は垂直に構築されていた。細い通路の両側には、数階建てのモジュール式住居と歓楽施設が隙間なくひしめき合い、天井からは無数のネオンサインが垂れ下がっている。そのネオンは外界には存在しない原色――蛍光のピンク、毒々しいシアン、焼けるようなオレンジ――で煌めいていた。
歩行者通路はオイルと化学物質で常に濡れており、光を反射して虹色に輝く。この通路を、薄汚れた作業服の男たち、顔にサイバネティックなタトゥーを施した女たち、そしてチャイナドレスに身を包んだ高級娼婦たちが行き交っていた。
そのとき、ひとりの少女が鉱山採掘用の小型重機「ユーティリティ・ローダー」の前に飛び出し、慌てて運転手が緊急磁気ブレーキを作動させる。岩盤に強引に粘着する凄まじい反発力で、車体を暴力的に揺らしながら、辛うじて少女のわずか数センチのところで停止する。
「ばっきゃろ、ぶっ殺されてーかー!」
運転手が怒鳴り散らすも、ショートヘアの少女は挑発的な笑みを浮かべると、運転手に話しかける。
「オヂさん、なっさけなーい。ここは歩行者専用通路だよ? それなのに速度超過で走っちゃってさ。オネショでもしちゃったの?」
「な、なんだと!?」
「にひひっ! それにここは花街だよ? あんたみたいなざこざこ貧乏人が来る場所じゃないの! あっち行け、ばい菌~!」
顔を真っ赤にして降りようとする運転手に、少女は白黒のチャイナドレスの裾をはためかせて走り去っていく。
その服こそが高級妓女見習いとしての制服のようなものだった。
「…………」
やがて、白黒の髪色をしたショートヘアの少女は『紅楼』と書かれた看板を掲げる店の中へと入っていく。
外壁は、周囲の金属製の建材を隠すように安物の赤い合成絹で覆い尽くされ、正面入り口には、電気仕掛けの龍と鳳凰のホログラムがチカチカと点滅し、タイタンの暗い空気に過剰なまでの東洋的な色彩を投げかけている。
「ただいま!」
「なんじゃ、ミン、おぬしまた男を怒らせたのかえ? ここまで怒鳴り声が聞こえてきたよ。あんなんでも客なんじゃから、あまり喧嘩を吹っ掛けるでないよ」
「だって、貧乏臭いんだもーん。嫌になっちゃう」
「いま団体客が来てるから、二階には上がるんじゃないよ」
「はぁい」
入り口で豊満な体をした妙齢の女が少女を諭す。
彼女もまた白塗りの化粧と艶やかなチャイナドレスを纏っており、濃い紅と金で装飾された高級妓女のひとりだった。細長い金属の煙管を咥えており、彼女の濃く引かれた口紅の隙間から、ゆっくりと薄紫色の煙が細く、長く吐き出される。
狭い通路には月餅や香辛料に似た、甘く濃厚な匂いが充満している。
その通路を少女は足音を立てないように進むと、少し開いた部屋の扉の奥から、くぐもった二胡(*中国の古い楽器)のような音色と、低く笑う男たちの声が漏れ聞こえてくる。
客は、刑務官や、この衛星の物資流通を握る商売人、そして地下深くの鉱山で働く労働者たちだった。彼らはこの閉鎖された空間の中で、わずかな時間、故郷の文化の幻想と、人間的な温もりを金で買い、タイタンの現実から逃避しようとしていた。
その通路の奥まったところに、孤児院はあった。
「みんな、ただいま!」
「おかえり!」
「おかえりなさい」
「おかえりです」
珠暖簾を潜ると、室内では三人の女の子が待っていた。
それぞれ、快活な獣人の女の子、下半身が魚の人魚、包帯を巻き病的に暗い印象の女の子で、みなチャイナドレスに身を包んでいた。
孤児院はかつてタイタンの資源採掘作業員用の宿舎として使われていた区画を転用したものだった。とはいえ、孤児院とは名ばかりで将来上級の遊女になるべく、身寄りがなかったり身売りされてきた子どもを集め、芸事や教養を仕込むところというのが実態だった。
「見て、月餅もらってきた」
「盗んできた、の間違いだろ」
「教会のおばあさんに怒られますよ」
「ですです」
「平気~。あいつざこだしボケてるから、五個盗んできたくらいじゃバレないよ。はい」
三人に月餅をそれぞれ渡すと、我先にと齧りつき、もぐもぐと咀嚼する。食事に飢えているわけではないが、こうした甘味というのは彼らにとって貴重な娯楽のひとつだった。そのとき、ひとりが一個余ってることに気づき、表情を暗くする。
「お姉ちゃん、無事だといいね」
「うん」
しばらく、無言で食べているとミンの脳裏に姉が攫われたときの光景が浮かんでくる。
『来いッ! 妓楼のガキなら人質くらいにはなるだろう!』
『な、なんじゃ、おぬし!? や、やめろ、妾をどこに連れていくつもりじゃ!?』
『お姉ちゃん!?』
一週間前に起こった脱獄騒動……監獄の壁が爆破されたあのとき、脱走した囚人によって双子の姉が連れ去られた。一応、木星圏行きの難民が乗っていた輸送ポッドが強奪され、それに乗せられたところまでは分かっているが、行き先はどこかも分からず生死も不明だ。
もしかしたら、どこかで降ろされて今ごろ腹を空かせているかもしれない。そう思うだけでミンは気が気ではなかった。
「大丈夫、お姉ちゃんはざこだけど運が良いから。今ごろ、どっかで良い人に拾われてると思う」
「そうだぜ。きっと無事だよ!」
「間違いないですわね」
「ですです」
「そういえばさ、隣の麗花苑の獣人の子、また所長に貸し出されたって」
「うげー、あのクソ暴力虐待ヤローに? 可哀想に、今ごろ殴られまくってるだろうな」
「でも、一万エーテルくれるらしいよ。それで木星圏に行くんだって、言ってたみたい」
「殴られどころが悪くて死ななきゃいいけど」
「ですです」
月餅を食べきり、「げぷ」とゲップをした少女たちが四人の中央に置かれた余りの月餅を見下ろして、ぽつりと口を開く。
「で、誰がこれ食べるの?」
「…………」
「…………」
「…………」
無言で四人が互いの顔を見合わせる。
その視線には互いを牽制するような鋭さを含んでおり、開戦の狼煙だとばかりに四人の腹の虫が「くぅ」と鳴く。
その瞬間、四人が一斉に月餅へと飛びかかり、中央へと手を伸ばす。
「はい、ゲット~! あっ、おい、どこ触ってんだ!」
「にしし、ざこざぁこ! やっぱりアタシがいっちばーん……あっ、取られた!」
「こんの脂肪ばかり蓄えやがって、淫乱人魚が――!」
「いひゃいいひゃい、千切れちゃうからひっぱらひゃいで~~」
「ですです! おっぱいがデカいデブは引っ込んでろなのです!」
「あっ、チョット、聞き捨てならないわよ!」
直後、ドスドスと通路から足音がしたかと思えば、ボーイッシュな髪型をした先輩の妓女が部屋の中に入ってきて開口一番怒鳴りつけてくる。
「さっきから五月蠅いよ! 客が来てるんだから黙ってな!!」
その妓女は叱りつけた後、すぐに客の対応をすべく去っていく。
遠くで障子を開け、ぴしゃりと閉める音が響く。四人はぽかんと呆気にとられたような顔をすると、互いの顔を見合わせて小さく笑うのだった。




