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短編2

断罪返しされた自称ヒロインには敵がいっぱい潜んでいる

作者: 猫宮蒼



 前世で読んだ漫画の世界にどうやら転生したらしい。

 そう気づいたけれど、だから何だと言う話だった。


 何故なら私ことリティスはその漫画にちらっとしか登場しないモブだったから。


 原作に関わって何かをするわけでもないモブ。


 なので、て、転生してる~~~~!? とかそういう驚きも特になかった。

 これが破滅確定してる悪役令嬢とかならもうちょっと焦ったかもしれない。けれどもそういうのもないモブ。


 原作の内容はとてもありがちだった。


 平民生まれの美少女が貴族の養子になってそこから始まるラブストーリー。

 途中彼女を襲う艱難辛苦。しかし最後には……的なよくある感じのやつ。

 途中までは。


 ただ原作は最初、エミリアという少女目線で話が進むが、しかし後半は悪役令嬢ポジションかと思われたアイシアがメインに変わる。

 悪役をざまぁする形かと思いきや、しかし断罪返しをされてヒロインざまぁになるのである。


 ……そういう意味ではエミリアはヒロインというポジションでいいのだろうか。

 実際の真のヒロインは悪役令嬢だと思われてたアイシアなんだけど、まぁどっちでもいいや。私に関係ないし。


 原作で見る限り、エミリアは周囲の令息たちを虜にしていったし、確かにちょっとそこら辺貴族の常識とは違うからまぁ目の敵にされちゃうよね~、みたいな部分もあった。


 あったけれど、それでもまだ。そう、『まだ』受け入れられた。

 まぁラストで断罪カウンターされてざまぁされるわけだから、非常識な部分もあったわけだけども、それでも読者目線でまぁ、仕方ねぇなぁ! みたいに思う程度で済んでいたのだ。

 ざまぁされちゃったけど、仕方ないよね、みたいな。


 断罪カウンター食らった後、別に処刑されるわけでもなく、精々平民に戻って追い出されるくらいで済んでるから頑張れば生存可能だし、今後どこぞで慎ましやかにひっそりしてればそれなりに幸せになれる可能性もゼロではない……みたいな。

 エミリアの最後はそんな感じだった。


 明確にハッキリと死ぬような描写はなかったのだ。


 だから、前世で原作を読んだ私も、あー、まぁ、次は失敗を活かして幸せになれるといいね、みたいに思っていたのだ。少なくとも原作のヒロイン・エミリアは確かにちょっと考えの足りない部分もあったし、そのせいで何でそうなる!? みたいな事を仕出かしたりもしたんだけど。


 でも、貴族の生活とかわからないなりに頑張った結果空回ってしまったんだろうなぁ……とか、そういう風に見る事はできていた。



 ところがこの原作に限りなく似た世界でのエミリアは、そうじゃなかった。

 仮に彼女が転生ヒロインだったなら、まだ私も原作エミリアは転生者じゃないから別物と割り切ってしまえたのかもしれない。


 けれどもそうではなさそうだった。


 原作では描かれていなかっただけなのか、それとも本当に原作とは似ただけの別世界だからなのかはわからないけれど。


 こっちの世界のエミリアは、どちゃくそ性格が悪かったのである。


 私ことリティスはエミリアと同じ町で生まれ育った、所謂幼馴染みたいなポジションだった。


 原作エミリアの幼少期で何度か遊んだ事のある少女として、コマの隅っこにちらっと描かれていたモブだ。

 ちらっと程度なので、しっかり描き込まれたわけでもなく、見た目もハッキリしていたわけではない。なんだったら前髪は別にそこまで長くなかったけど目が隠れているかのような描かれ方をされていて、精々顔のパーツはちょんと描かれた鼻と口くらいだった。


 しかもエミリアにとってはものすごく仲が良かったとかでもない。

 同性の友人がいましたよ、と読者に表現するための存在だったんじゃないだろうか。


 ほら……美少女で同性の友人がいない場合、周囲が嫉妬してとかよく言われるけど実際は性格ヤバすぎて同性の友達ができないだけとかさ……あるからさ……

 私が前世の記憶を思い出したのは、エミリアが貴族の家に引き取られる直前だった。つまりは、原作が始まる本当にちょっと前。


 それまでの私は、エミリアにとって都合のいい舎弟とか、召使とかそんな感じだったんじゃないかなぁ、って気がしている。


 何せエミリア、幼い頃から将来を約束された美少女だった。

 そのせいで周囲の目をとても惹きつけたのだ。


 まだ恋愛に興味を持たないような年齢のダンスィだってエミリアの愛らしさにぽーっとなって、何とかして彼女の関心を引こうとやらかしては玉砕していった。


 好きな子を虐めちゃう系男子は速攻駆逐された。

 エミリアがちょっと瞳を潤ませて、誰それに嫌がらせをされた、なんて泣きそうな声で言えば、好きな子をつい虐めちゃったんだ、なんて言い訳もできなくらい周囲が非難したからだ。


 なんだったら他の男子がここぞとばかりにいじめた男子をぼこぼこにして、エミリアは僕が守る! と騎士役を引き受けて株を上げようとしたくらいだ。女子はエミリアの引き立て役になるだろう状況だったけれど、そこでエミリアに優しく寄り添って頼りになるお姉ちゃんポジションになる事で、彼女と仲良くなればエミリアとも仲良くなれるかもしれない、と思わせる事になった。

 上手くやったなぁ……と思ったのは、前世の記憶を取り戻してからだ。


 私はその時点ではまだ前世の記憶も思い出していないから、当然見た目の年齢と中身の年齢もイコールで繋がっていたけれど、更に言ってしまえばぼんやりした子だったのもあって、私はいいように使われていたのだ。

 虐められている、とまでいかなかっただけマシかもしれない。


 幼い頃の私や同じ町の子たちにとって、エミリアはお姫様というよりは女王様だった。


 周囲がちやほやするのではなく、彼女がそうなるべくして周囲を動かしていた。


 幼い頃という時点でこれなら、将来はさぞ……となったのだけれど、まぁ、所詮は井の中の蛙だったって事かな……


 エミリアの両親は決して貧しい暮らしをしていたわけではなかったけれど、貴族の家に引き取られれば教育だって今以上に高度なものを学べるだろうし、将来を見据えれば貴族の家に引き取られた方がエミリアが幸せになれるだろう……と判断したらしく、養子に出す事は割と早い段階で話が纏まったようだった。

 エミリアは男爵家に引き取られ、年頃の貴族たちが通う学園に通うべく王都での生活が始まったのである。これが原作の一話目だ。


 養子に出した事でエミリアの両親はそれなりの金額を得た。

 そのお金でエミリアの両親は商売を始めたけれど、早々に失敗してどこぞへと消えた。


 噂では、エミリアを引き取った家に更に金の無心をして始末されてしまったのでは……? との事だ。


 言い方は悪いが、エミリアを商品として売って代金を得ておきながら、更にその代金を追加で払えと言うようなものなのだから商売で失敗したと聞いても何も驚く事ではなかった。


 私はエミリアが男爵家に引き取られてからは一切エミリアと関わりはない。

 原作開始前の、エミリアにも過去があったのだと読者に知らせるだけの存在。

 だからまぁ、それだけで終わるはずだったのだ。



 私たちはエミリアが男爵家に引き取られていった後、町から引っ越して別のところで暮らす事になった。

 正直、あまりいい思い出がなかったから引っ越しには賛成だった。


 だって今まで私が住んでいた町の思い出なんて、エミリアの召使としていいように使われてた思い出ばかりだったから。


 前世では知らないエミリアの事。

 前世で原作を読んでた時にはエミリアのやらかしが方向性をちょっと間違えただけなんだろうなぁ、と思える程度だったけど、しかしこうして彼女の幼馴染として顎で使われていた今となっては。


 断罪返しされて破滅する?

 まぁそうなるでしょうねぇ……


 という感想になってしまうのだ。


 確かにエミリアは可愛かった。美少女だった。

 そして周囲がちやほやしていたから、彼女もそういうものなのだと受け入れていた。

 自分が望めば大抵の事は思い通りになっていた。


 実の両親と別れる事になっても、それでもより高度な教育や以前よりも高い水準での生活が約束されるとなれば、きっとエミリアは自分がそうなって当然だと思い込んだに違いない。

 だからこそ、リティスが知る原作のようにより上を目指した。

 身の丈に合っている範囲での上なら許されただろう。

 けれど彼女はそれを超えた。

 だから、許されなかった。


 それはきっと、蝋の翼で空を飛び太陽に近づきすぎて蝋の翼が溶けて墜落した男のように。

 はたまた、天にも届くだろう塔が神の怒りに触れ壊れた時のように。


 だが、どちらにしても原作展開にリティスが関わる事はないので、どうでもよい事だ。


 エミリアの危機に颯爽と駆けつけて彼女が断罪返しされる際に身を挺して庇うような事をする役割でもないので、破滅するなら勝手にどうぞ、というのがリティスの隠す事のない本心である。

 仮にどこかでエミリアと遭遇して、今ならまだ引き返せるなんて忠告をするようなキャラじゃなくて良かったとも思っている。


 エミリアにとって召使みたいに使い勝手のいい存在がそんな事を言ったところで、彼女がリティスの言葉を真摯に聞き届けるはずがないのだから。

 それどころか召使の分際で余計な事を言って! とか怒りを買った可能性すらある。


 あぁ良かった。早々にお別れできて。



 ――と、まぁ、そういう意味では終わった話であるはずだったのだが。



 断罪返しをされたエミリアは、引き取られた男爵家の怒りも買って殺され――はしなかったが追い出された。

 そしてそんなエミリアは、流れ流れてよりにもよってリティスが暮らしているこの街にやって来たのである。


 そうはいっても、以前の町で暮らしていた時だって別に仲良しこよしというわけでもなく、またこの街はそれなりに大きいためリティスがエミリアを見かけても、向こうはこちらに気付く様子もなかった。

 まぁ、向こうだって町で暮らしてるはずの召使がいつの間にやら引っ越しているなんて知らないだろうし、そうでなくたってきっとモブ同然の存在だったのだから記憶の片隅からも追い出されているのかもしれない。


 大体エミリアが貴族の家に引き取られてから三年の間が原作の内容であり、そこから追放されてそこそこの年月が経過しているのだから、忘れられていても何もおかしくはない。むしろ記憶されている方が厄介だ。

 だからエミリアがリティスの生活圏内にやって来ても、リティスは無関係を貫いた。


 ちなみに同じ町からこちらに引っ越してきた友人がいるが、そちらとは良好な関係を築いている。

 何故ならそちらはリティスと同じようにかつてエミリアに扱き使われていた同士なので。


 そんな彼女はメイというのだが、こちらはリティスよりも酷い扱いだったかもしれない。

 当時メイには好きな子がいたのだが、それをエミリアがバラしたのだ。

 よりにもよって本人がいる場所で。

 そしてその男子はエミリアに気に入られたくて騎士気取りをしていた中の一人だったので、そんなエミリアにメイの事を言われ、メイは好きな男子から激しく拒絶される事となったのである。


 誰がお前みたいなブスと!


 と好意を抱いていた相手から言われたメイの傷つきっぷりはそれはもう酷いものだった。


 その男子からすれば、そこでメイと自分をくっつけられでもしたらエミリア争奪戦から勝手に脱落させられてしまうと思って必死だったのかもしれないけれど、それにしたって……とは今だから思う事だろう。


 あの頃は皆子供だった。自分の事に手一杯で相手の事を思いやる余裕がない時にまでスマートにそつなくこなせるようなのは、ほんの一握りだ。


 あの後メイは他の子たちからも散々揶揄われて泣いていたし、周囲に人がいなくなってからリティスはよくそんなメイを慰めた。人がいるところでやると、余計に悪化するからどうしようもなかったのだ。

 一番はエミリアがこれ以上は手出し無用と告げる事だったのだが、彼女はむしろ自分の取り巻きが他の女を突き放した事でご満悦だったようなので、エミリアが事態を解決する事を期待するのは無駄だっただろう。


 この街にエミリアがやって来た、という情報を教えてくれたのが、メイだった。


 粉々に砕け散った恋心に関しては引っ越してきてから早々に吹っ切れたメイだったが、しかしエミリアに対する恨みは消えなかった。

 貴族の家に引き取られていった、という事で物理的な距離ができてもう会わなくていい、という事に安堵はしたものの、それでも彼女が貴族となった以上、今度は仲間内だけでしか通じない権力が、社会的に通じるものになって付属するのだ。単なる美少女をちやほやしていた内輪だけに通じるものではなく、貴族令嬢としてのものが。


 なのでもし学園での夏季休暇で他の場所に足を運んだエミリアとばったり遭遇して目をつけられて不敬だから処分、なんて暴挙が絶対にないとは言えなかった。

 周囲はどうだか知らないけれど、リティスとメイはエミリアの性格が悪い事を確実に知っているのだ。

 リティスはさておきメイはその可能性を恐れ、親が読む新聞などにも目を通して王都の動向を探っていたのである。

 危険生物に対する備えのようなものだった。


 そして、学園で色々とやらかした令嬢の事件がニュースになって、平民落ちして王都から追放された、という記事を読んでメイは真っ先にリティスのところに駆け込んできたのだ。


 貴族じゃなくなったから、お貴族様相手に対して失礼を働いたとかで処刑されるような事はなくなったけれど、しかし追い出されてどこに行くかまでは書かれていない。

 万が一バッタリ遭遇しても他人の振りを貫こうね! とメイは言っていたのだが。



 そもそも数年単位でもう会っていない相手だ。

 エミリアの容姿はきっと昔からあまり変わっていないと思うが、リティスやメイは幼い頃からぐんと変わった。背だって伸びて髪の長さも当時と異なるし、なんだったら大人になった事で化粧だってするようになったのだから、昔の面影がしっかりばっちり残っているか……となると……家族といった身内ならともかく他人――それこそ当時幼馴染だった他の町の子たちと今出会ったところで、きっと気付かれないんじゃないだろうか。

 正直リティスは今かつての子たちと出会っても気付けない自信しかない。薄情とかいう以前に、成長期を過ぎたら普通は大分変わるものなのだから、当然だと思っている。

 幼い頃から成長してもほとんど見た目が変わらないのは精々原作に登場しているキャラくらいではなかろうか。それこそ、エミリアだとかはそちらに該当するだろう。


 貴族の養子になった事で、あの町を出て行った時点でエミリアを守る騎士のつもりで侍っていた男の子たちだって、あの時点で失恋したようなものだ。リティスとメイはその後の彼らを知らないけれど、初恋を引きずり続けているか、別の相手を見つけているか。あの町で今でも暮らしているのなら、初恋を引きずったままでいそうだけど、ある程度成長してあの町で仕事がみつからなければ他の町や村に出稼ぎに出るだろうし、そうなればそちらで新しい出会いがあるかもしれない。


 エミリアを今も恨んでいるメイだって、この街に来てからは新しい友人もできたし、恋人だっているのだ。

 リティスにも、今恋人と言えなくてもちょっといい雰囲気になっている相手はいる。



 だから、わざわざ昔の古傷みたいな存在に自分から関わりに行こうなんて考えてすらいなかった。


 いなかったのだけれど――


 この街でもそれなりに知られているアルフという男性に、リティスとメイが声をかけられたのは、普段であれば偶然だと思っただろう。

 お互い仕事が休みだったから、久々に一緒に出掛けようなんて話をしてウインドウショッピングを楽しんで、少し遅めのランチをしている時だった。

 この街でもかなり大きな病院を営んでいるのがアルフである。先代である父から後継者の座を譲り受け、院長先生として親しまれている好青年だ。

 貴族ではなくともそれなりに地位があってお金もあって何よりハンサムとくれば、未婚の女性にとってアルフのお嫁さんという立場はさぞ魅力的に見えるだろう。


 メイやリティスもアルフの病院に世話になった事がある。

 その時はまだアルフの父が診てくれたが、アルフと面識がないわけではなかった。

 治療の合間のちょっとした時間に、ちょっとした世間話をした事だってある。

 とはいえ、友人と言う程親しいわけでもないので、街中で見かけたからといって気軽に声をかける事はなかったのだが。


「あれ先生、どうしたんですか? 今日はお休み?」

「あぁ、まぁそんなところかな。父が未だに自分は現役だからって言っててね。患者さんも今日はそこまでいなかったし、気分転換にちょっとそこらを歩こうかなと思ってたんだ」


 にこやかに微笑むアルフに、メイとリティスはきょとんとしたままお互いに顔を見合わせた。


 現在の院長先生という立場にアルフはいるけれど、アルフの父や母も医者であるし、なんだったら他にも医者が働いているのでアルフがいなくても病院が機能しないなんて事はない。

 実際、それなりに上手く皆に休みが回るようにしているからか、街中でアルフ以外の先生たちも見かける事はあるのだ。


 だから、なんというかアルフの今の言葉はなんだか妙に説明じみていて、本当の目的とは違うのではないか? と二人は思ってしまった。

 そしてそんな思いは、当たっていた。


「そう言えば、二人に聞きたいことがあったんだった。

 ちょっと今いいかな?」

「はぁ、なんでしょう?」

「答えられる事なら構いませんけれど……」


 流れるように相席になった事に戸惑いはするけれど、しかし甘い雰囲気ではない。

 仮にメイの恋人やリティスと親しい雰囲気になっている男性がこの場を目撃しても、二人は堂々と何があったかを答えられるくらいに疚しい空気は一切なかった。

 二人きり、であったなら勘繰りも出たかもしれないが、リティスとメイがいるだけではなく、周囲には他に客だっているのだ。これで疚しい雰囲気になれという方が難しい。



「最近知り合った女性についてなんだけれど……」


 少しばかり声を潜めるようにして、アルフは切り出した。


 聞けばその女性とアルフはそれなりな関係を築いていて、アルフとしては結婚を考えているのだとか。

 あらおめでたい、とリティスは思ったし、メイも瞳を輝かせて話の続きを待った。


 その女性にプロポーズをしようと思っているのだが、ふとそういえば二人がその女性と出身地が同じだという事に気付いて、もしかしたら知り合いかもしれない、と思ってアルフは一応確認してみようと思ったとの事だった。


「同じ出身地……?」

「えぇと、失礼ですがその女性の名前は……?」


「エミリアだよ。エミリア・ビューナ」


 貴族の家に引き取られた時点でエミリアはエミリア・グラミアという家名になったはずだ。だが、その家の籍から抜かれ追い出された事で、平民時代の名字に戻したのだろう。

 もしエミリアの両親がまだいたのなら、きっとそれを許さなかったかもしれないが、既にいない相手だ。そうでなくとも、平民であれば家名が同じものであったとしても関わりがない、なんて事もザラだ。言い逃れようと思えばできなくもない。


 ここで知らない人ですね、と言うのは簡単だった。


 けれども、リティスもメイも、以前住んでいた町からここに引っ越してきたんです、なんて話をしたのは消しようがない事実だし、エミリアは二人がここにいる事をきっと知らない。


 貴族の家から追い出された、という不都合な話はきっとしていないのだろう。

 流石にアルフの家にそんな相手が嫁入りするとなれば家族が反対するのが目に見えている。


 実際王都でやらかして追い出された女がエミリアという名である、という部分までは新聞などで知られているけれど、この世界、まだ写真はあってもそこまで綺麗なものではない。白黒だし、画質は悪いので正直写真から得られる情報はあまり役に立たなかった。


 それに、エミリアという名はそれなりによくある名前だ。

 だからこそエミリアが以前貴族だったの、なんて言わなければ彼女が王都から追い出された女だと気付ける者はそういないだろう。


 以前王都に住んでいた、という話が出たとしても、王都に住んでいるエミリアという女は間違いなく数名いる。追い出されたエミリアについて話が出たとしても、同じ名前だから困るわ……なんて当の本人がしれっと言う事もできてしまうのである。


 そのエミリアがそうである、と言えるのはエミリアを知っている者だけだ。

 エミリアのその後を調べていたメイや、そんなメイから情報を聞かされていたリティス。

 かつてあの町で暮らしていた他の面々がどこまで知っているかまでは知らない。


 まだあの町で暮らしているかつてのエミリアの幼馴染たちは、今頃幼少期の思い出程度でしかエミリアの事を知らないかもしれないし、今どうしているかなんてわざわざ調べたりしていない事もあるだろう。

 それどころか、彼女が貴族の家から追い出された事すら知らない可能性だってあり得る。


「……えぇと」

「結婚、ですか。おめでとうございます」


 言い淀んだメイとは反対にリティスはにこやかにそう告げた。

 まだ早いよ、なんて言いながらもはにかむアルフに、リティスはやはりにこにこと笑みを浮かべたままだ。


 メイがリティスにじっとりとした視線を向けてきたのはわかっていたが、しかしリティスは笑みを崩さなかった。


 メイは幼い頃にエミリアに色々と嫌な目に遭わされてきたから、素直に祝福するつもりがないのだろう。

 これがもっと、どうしようもないろくでなし相手だったら笑顔を浮かべたかもしれない。しかしアルフはこの街でそれなりに知られた好青年だ。彼と結婚したいと思う女性はこの街に果たしてどれだけいる事か。

 少なくとも貧乏な生活とは無縁だろうし、そこに素敵な旦那様とくれば余程のお相手じゃないと羨望のみならず嫉妬の嵐だって渦巻くかもしれない。


 リティスも正直なところ、『あの』エミリアがアルフと結婚となれば素直に祝福などできるはずもない。だからメイがこちらにじっとりとした視線を向けているのも当然なのだとはわかっている。


「彼女もお医者さんなんですか?」

「いや、一般の人だよ。知り合ったのは飲食店なんだ」

「そうなんですか、あら? おかしいわね……」

「……何か?」


「いえ、私たちが知るエミリアなら、今頃はてっきり……いえ、もしかしたら別の道をみつけただけなのかも」

「彼女、もしかして昔医者を目指していたとか?」

「どうかしら……?

 ただ、人間に刃物を向けるのは得意でしたよ」


「えっ?」


 予想していなかった言葉にアルフが素っ頓狂ともとれる声を上げた。

 メイもぎょっとしてリティスを見ている。


「うーんと、これは別に悪口のつもりではない、という事を念頭において聞いてほしいんですけれど。

 ほら、動物を虐待する人ってエスカレートすると人間相手にもそれやっちゃうようになるって言うじゃないですか。

 同じ町で育ってたけど私、エミリアがそういう……虫とか動物とか殺すところは見た事なかったけど、私がエミリアと知り合った時には既にそこすっ飛ばして人間相手に平気で刃物向ける子だったから……

 メイなんて突然髪の毛ざんばらに切られて、思い切り泣いてしばらく外に出られなかったし」

「そうね、やられたわ」

「その時には既に、って感じであ、この子ヤバいなーって思って距離を取りたかったんだけど、向こうがこっちを獲物として見てたのか、中々距離をとれなくて。周囲で被害に遭ってない子はエミリアの味方っぽかったし。


 メイは髪を切られただけで済んだけど、あれがエスカレートしてたら次はどこを切られてた事か……

 あの頃には既に人に対してそういう忌避感なかったくらいだから、将来は医者になって患者相手にそういう……まぁ、やらかしたら流石に問題になるってわかってならなかったのか、なれなかったのかはわからないけど……


 あぁ、でも、貴族の家に引き取られていったから、医者になるって選択肢が消えただけかも」


「貴族?」

「あれ? 知りませんか?

 あの子見た目があまりにも美少女だったからお貴族様に目をつけられて養子になったんですよ。半分親に売られた部分もあるけど。

 ……もしかしたら、両親も持て余していたのかも。


 そうはいっても、やらかして平民に戻って追い出されたんですけどね。

 ほら、少し前の新聞にあったでしょう? 王都のニュース」


「あぁ、あれか……えっ、あれエミリアの事だったのか!?」

「あら、そこまでは聞かされてなかったんですか?

 あちゃー、それじゃああれかな……貴族としての権力で平民相手に色々できなくなったから、うっかり人が死んでも言い訳できそうな相手に目をつけたのかな……

 うわ、怖……アルフさんがエミリアと結婚したら、ちょっとそちらの病院にいきたくないなぁ……うっかりあの人が看護師になったら何されるかわかんないし。


 アルフさん、アルフさんとこの病院以外でいい病院ってあります?」


「ちょっ、ちょっとまって。

 本当に? 本当に彼女が?」


「嘘だと思うなら調べればいいじゃないですか。確かにエミリアなんて名前そこらに沢山いるし、元は貴族だったなんて言わなきゃ知らない人もいっぱいいるかもしれないけど、私たちと同じ町出身のエミリアで、私たちと同じくらいの年齢っていうのなら、そのエミリアは貴族の養子になった挙句王都で色々やらかして平民に戻されて追放されたエミリアで間違ってませんよ。

 メイがうっかり彼女が貴族の時に出くわしたら今度はどんな酷い目に遭わされるかって気にして彼女の動向には目を光らせてたもの」

「もう関わりたくないもの……」


 メイは思わずアルフから目を逸らした。

 アルフさんは良い人だけど、女を見る目が圧倒的になさすぎる。

 思わずそう言ってしまいそうで、だからこそ物理的に視界から外して言葉を噤んだに過ぎない。



 けれども、アルフはそこまで汲み取れなかった。


 突然結婚を考えている女性についてあれこれ言い出した二人に目を白黒させたし、何かの嘘ではないかとも思ったのだけれども。


 二人は一言も言っていないのだ。

 その結婚を止めた方がいい、とは。


 むしろ結婚するなら距離を取るつもりであるというあたり、逆にその言葉に嘘がないのだと信憑性が増すばかりだった。


 何せアルフは昔、彼女ができた時他の女性たちからその彼女の悪口を散々聞かされて、別れなよ、別れた方がいいって、と忠告のように言われ続けたのだ。

 実際は彼女と別れた後自分がその立場におさまろうとしていた者たちばかりだったので、そんな相手の言葉を真に受けて別れる事はしなかったが、彼女の方が嫌気がさしてアルフを振った事で関係は終わってしまったけれども。


 これで、エミリアの悪い部分を言うだけ言って、結婚はしない方がいい、などと言われていたら、この二人ももしかして自分がその立場におさまりたいだけの人なのかも……と穿った見方をしたかもしれない。

 しかしそうではなかった。自分たちの方から距離をとって関わらないようにしようという姿勢から、二人はアルフの結婚そのものには反対していないのだろう。


 ただ、その相手が既に動物すっ飛ばして人間相手に危害を加える事に躊躇わない人物である、という事で何かあった際病院に来る事すら拒絶する姿勢ではあるけれど。


 ……まぁ、そうなんだろう。

 確かに人間相手に平然と危害を加える事ができるとなれば、少しばかり弱った患者などすぐに逃げられない格好の獲物だ。

 もしアルフと結婚できたら私、お医者様にはなれなくても看護師として頑張るわ、なんて言っていたエミリアの健気さに胸を打たれていたのだけれど、二人の言葉を聞いてからだと印象がガラリと変わる。


 死んでも症状が悪化したとか、言い逃れできそうな獲物を見定めるためでもある……という可能性。


 幼さ故の無邪気さと残酷さから、虫を意味もなく殺したりすることはある、とアルフは知っている。

 けれども、それは一過性のもののはずだ。ずっとそれを続ける者というのはそういない。

 大抵は途中で虫が苦手になって触りたくない、となるか、そうでなくとも命の大切さに気付いて止めるものだ。

 少なくとも、アルフが知る上では。


 けれども、そこから更にネズミや小鳥といった小さな動物、犬や猫といった少し大きな動物、と徐々に獲物が変化して最終的に人間をそう見る者もいる、とアルフも知っていた。

 新薬を作ってその効果を確かめるためにそういう実験をする事があるけれど、アルフたち医者のするそれと、ただいたずらに危害を加えるだけのそれを一緒にされては堪らない。


 こっちだってできる事なら余計な犠牲を出したくはないけれど、新薬をなんの治験もなしにぶっつけ本番でやる方が恐ろしい。医者にとってもそうだが、ぶっつけ本番の対象になる患者だってそうだろう。


 救えるものなら全員救いたいけれど、生憎医者は神ではない。

 救いにだって限界がある。

 手を尽くして治療したがそれでも命を落とした患者だっている。

 そのたびにアルフは己の無力さを悔やみ、立ち止まってはいられないと同じような犠牲を出さないために更に進むしかない。本当はもっと寝食を惜しんであれもこれもとやりたい事はあるけれど、そうして自分の身体をボロボロにするような事になれば、患者の治療にあたる際、集中力を欠いて致命的なミスを犯す可能性もあり得るのだ。


 だからこそ、休める時にはきっちり休め、がアルフの病院でのモットーでもあった。


 そこに仲間入りするはずの、アルフの嫁になるであろう相手が命を弄ぶ事をなんとも思わない悪魔のような存在である、となればどうなるだろうか。


 少なくとも二人は確実に他の病院へ流れる。


 アルフ相手に他の病院でお勧めありますか、と聞いてくるのはどうかと思うが、そこから更に噂が回って他の人たちにもこの話が広まれば、アルフの病院に足を運ぶ人間は減るだろう。

 勿論そんなのは噂だ、と気にせず通ってくれる人もいるかもしれないが、しかしその後で何らかの問題が生じればあの噂は本当だったんだ……! となってあっという間に人が近寄らなくなるかもしれない。


 自分たちが何か失敗をしていなくても、エミリアが弱った相手に何かをする可能性があるのであれば、そのせいで病院が潰れる可能性だってあるのだ。

 親だけじゃない、祖父の――それよりももっと前から続く病院を、自分たちの手でたたむのならばまだしも、外から来た相手のせいで、となれば流石にそれは……



「……鵜呑みにする気はないけれど、ちょっと、調べてみるよ」

「そうですか。結婚したら教えて下さいね。速やかに他の病院に移りますから」

「結婚相手があの人じゃなかったら移る必要もないんだけど……ね」


 ここに来た時に浮かべていた朗らかな笑みは、今では苦笑に変わっている。

 アルフはそのまま踵を返して去っていった。



「……エミリアって別に虫は殺したりしてなかったと思うけど」

「うん小動物とかもね」

「じゃあなんであんな言い方したの?」


 完全にアルフの姿が見えなくなってから、メイは気持ち声を潜めて聞いてきたのでリティスもまた声を潜めて返した。


「いじめっ子でしたよ、だと大した事ないって思われるかなって。だってメイは実際髪の毛いきなりハサミで切られたじゃない」

「確かにあったけど……」


「あれだって一歩間違ってたら耳切り落とされてたかもしれないでしょ。

 でも周囲は髪の毛だけで済んで、エミリアもその時にはしゅんと落ち込んだ振りをして大人たちの前で謝ってたから、既に終わった事にされたじゃない」

「耳……あ、いや、確かにその可能性あったわね……」


 リティスの言葉にどうやらメイは今更気付いたらしい。


 リティスには前世の記憶があるからその可能性はすぐに浮かんだけれど、当時それを言える雰囲気ではなかった。だってその時点で既に反省しているなら次は気を付けるんだぞ、と大人たちが事態は解決しました、みたいな空気を出していたから。

 そこにまだ幼かったリティスがそんな事を言って混ぜ返せば、今度はリティスが余計な事を言っただの無事だったのに難癖つけただとか言われかねなかったわけで。


 原作でのエミリアはちょっと考えなしのお花畑っぽかったのに、この世界でのエミリアは小賢しい嫌な女だった。確かに見た目は良かったけれど。


 でもあれじゃあなぁ。

 多分貴族社会で上手くやってけるまではいかなそうだし、原作通り断罪返しされるんだろうなぁ……


 リティスはそう思ったから放置したのだ。

 ちょっと考えなしのお花畑くらいであったなら、一応そっと忠告くらいはしたかもしれない。ちょっとアレだけど悪い子ではない、とかであったならまだしも、リティスの中でエミリアは完全アウト判定だったので無駄に関わる回数を増やしたくはなかったのである。



 昔はちょっと意地悪な子で、虐められた事もありましたよ、なんて言い方ではアルフはそこまで気にしなかっただろう。確かにちょっとくらい眉を顰めたかもしれないが、今はもうそんな事をしないだろうと思って。それどころか、過去の事を反省した振りをエミリアならするだろうとも簡単に想像がつく。

 もしそんな風にアルフから切り出されていたのなら、エミリアも深刻そうな雰囲気と共に、昔の私は馬鹿だったわ……とかなんとか言って今はそうではないのだと印象付けたかもしれない。


 だが、動物虐待となればどうだろう。

 自分より弱いモノを甚振るという点では虐めとそう変わらないような気もするが、しかし言葉の印象からしてもっと問題がありそうな雰囲気はある。

 しかもどんどんエスカレートして最終的に人間を殺す事に躊躇いがない、というイメージも植え付けられるのだ。

 虐めだってエスカレートすれば殺す場合があるというのに。


 リティスはエミリアがどうなろうとどうでもいい。

 既に関わりを絶っているのだから、向こうから関わってこない限りは勝手にしておけという考えだ。

 けれど、それでも自分の生活圏にいるのは何となく嫌。

 かといって声高にエミリアの経歴を周囲にバラして追い出そうにも、やり方を間違えたらリティスの方が悪者になりかねない。

 メイの場合は復讐できる機会があるならやっただろう。

 けれど、やはりやり方を間違えたらこちらが痛い目を見る事になりかねない。


 事情を知らない第三者がエミリアにコロッと騙されてしまえば、善意の第三者気取りでエミリアの味方をしてこちらを糾弾する事も有り得た。事情を知ってなお、すぐにそれらを信じてくれるかと言えば、そうでもない事をリティスは知っている。

 

 前世でだって、犯罪者としてニュースで顔が公開された相手が美男美女だった場合、ネットでは本気で言ってるのかは定かではないが、こんな美人が犯罪者のわけがない、だの、こんなイケメンなら全然匿うだとかのコメントが見受けられたのだ。

 であれば、こっちの世界でも美人に該当するエミリアに騙される者はゼロではない。リティスはそう思っている。


「あの子がした事を一つ一つ羅列しても、逆に数が多すぎてドン引きされるだけに終わると思ったの。勿論こっちは被害者だからこそ憶えてるけど、やった側なんてきっと忘れてるだろうから、仮にアルフさんがそれらを聞いてエミリアに確認したところで記憶にないなんて言われて終了よ。

 それどころか、何か行き違いがあってそう思われてるのかも……なんて殊勝な態度でやられたら、私たちがエミリアを貶めたかっただけみたいに受け取られかねないわ。

 でもエミリアの人間性って昔からきっと変わってないでしょ? 折角貴族になれたのに平民に戻されるくらいだもの。相当よね。

 だったら、過去の事より未来の事に目を向けさせた方がアルフさんはきっとなぁなぁにしなかった。

 あの言い方はつまり、そういう事よ」

「そうだったの……確かにやられた事全部言おうと思ったらキリがないものね……」


 一つ二つインパクトのある話題であればいいが、小さなものまでつらつら言われると聞いてる側からすれば、まだあるの? と驚愕し、更にはうんざりもするだろう。こちらは当事者だから延々語れるけれど、聞く側はそうではない。言ってしまえば他人事なのだ。

 だからなるべく手短に伝えないと、途中で面倒になる事も有り得た。


 聞いてる側が面倒になった結果、最終的に言う言葉が、虐められるお前にも問題があったんじゃないか? であるとリティスは思っている。そんだけの事をやられるお前にも問題があったんじゃないか? そうじゃなかったらそこまでしないだろ、と被害者を切り捨てる時のお約束みたいな言葉だ。



 リティスとしてはそこまで考えてはいなかったけれど、もしあの場でメイがかつてエミリアにやられた事を逐一語り始めたら、仮にも結婚を考えている相手だ。好意を持っている相手を悪く言い出したメイに対してアルフがどう思うだろうか。

 たとえエミリアが原因だったとしても、メイに対してもアルフは悪感情を持ったかもしれない。

 その結果、喧嘩両成敗的思考でもってメイにも原因があったのではないか? なんて言われたなら間違いなくメイの恨みはアルフにも向いたに違いないのだ。


 彼女は存外執念深い。

 エミリアが貴族に引き取られてからも彼女の動向を探っていたのは被害に遭わないためもあるが、それだけではないのだ。復讐の機会があればやっただろう、とリティスは思っているし、そして先程のアルフの一件はまさしくそのチャンスだったと言える。


 リティスが突拍子もない感じで話し始めたからメイはちょっと相槌を打つだけになってしまったけれど、リティスが何も言わなければきっとメイはここぞとばかりにエミリアに過去された事を語り始めていただろう。相手がそれをどう思うかまで考える事なく。

 いや、それどころか、こちらの言葉を全て聞き入れてこちらに同情し、エミリアとの結婚を止めるとすんなり決めるとさえ思い込んでいたかもしれない。

 実際そんな事になるわけがない。


 それどころか、逆にこちらが悪く思われてアルフはエミリアを守ろうと結婚を強く意識しただろう。下手をすれば患者としてこちらが病院に行った時、治療に手を抜かれる事はなくとも態度に棘が出るかもしれない。もし結婚後にエミリアと病院で出くわせば、彼女の態度次第でこちらが出禁を食らう可能性すらあった。


 そうでなくともここは前世と常識や倫理観が似通っていたとしても、別の世界なのだ。

 正義が必ずしも勝つとも限らないし、そもそも前世でも正義や正論が必ずしも通じるわけではなかった。


 もしそんな状況でメイがエミリアのせいでまたも理不尽な目に遭わされたなんて思うような事になれば。

 恨みつらみを拗らせて何をしでかすかわかったものではないのだ。


 私たち友達でしょう? なんて言われて復讐に巻き込まれるのもごめんだった。


 だからリティスは、表向きアルフとの結婚を祝福しつつ、その上で結婚したら距離を取るのだと宣言したのだ。実際はエミリアと結婚なんてやめとけ、と言いたかったのだけれど。


 ともあれ、ああいう言い方をした以上、アルフはエミリアの事を徹底的に調べるだろう。

 下手な相手と結婚してその相手に病院を潰されるような事になれば一大事だ。先祖にも泥を塗る形になるかもしれない以上、そこはなぁなぁにはしないだろう。病院が潰れれば、最悪アルフやその家族も路頭に迷うのだから。


 その上で、それでもエミリアとアルフが結婚をするというのなら。


 その時はさっさとかかりつけの病院を他に変えて逃げるだけだ。




 ――後日、リティスはメイからエミリアのその後について聞く事となった。

 どうやらアルフはエミリアとの結婚をやめたらしい。

 王都に住んでいたけれど、都会での生活に疲れてこの街に来ました、という言い分でもってここに来たエミリアはしかし王都で追放されてこの街に流れ着いたに過ぎない。

 田舎よりは賑やかなこの街は、確かに王都と比べればおとなしめな方だからそうやってこの街に居を構える者もいるにはいたけれど、しかし真実は追放されて流れ着いたとなればその理由でこの街に来た他の者たちと同じように接するのも難しい。


 飲食店で看板娘のような立場にいたエミリアではあるが、リティスもメイもその店に行ったことがなかったので関わらなかったためか、アルフに振られてもこちらの存在に気付かれる事はなかった模様。


 それでも、同郷の人間がいる事は勘付いたのだろう。

 時折街中でエミリアが周囲の人間を睨みつけては誰かを探しているような場面に出くわす事もあったけれど。


 リティスもメイの事も、エミリアは気付いた様子すらなかった。

 幼少期とは見た目も大分異なったのもそうだが、仮にそこまで変わらなかったとして果たしてエミリアがこちらを憶えていたかは謎だ。

 きっと彼女にとっては踏みつぶした虫の一匹程度の認識だろう。

 むしろ憶えていたのなら、その事実を賞賛すべきだとリティスは思うわけで。


 美人な看板娘としてご近所で持て囃されていたらしいエミリアは、近々結婚するのだと言っていたのにアルフとの結婚はご破算。婚約破棄の慰謝料だのなんだのとごねたらしいが、しかしアルフからすれば経歴を詐称されたようなもの。

 ただの平民だと思いきや、貴族になった挙句やらかして平民に戻って王都から追放されたなんて、ただの平民以上に厄ネタでしかない。その事実を知った上で受け入れたのならまだしも、そうではないのだ。


 折角捕まえた優良物件を手放したくないばかりにごねた結果エミリアは周囲にも黙っていたその事実が明るみに出て、何やら肩身の狭い事になったらしい。


 勤め先の飲食店をクビになったりはしなかったようだが、今まで彼女に群がっていた男性の大半は潮が引くように遠のいて、今までエミリアが見下していた女性たちから逆に嘲られ大層悔しがっているのだとか。どうにも結婚するのだと周囲に散々マウントをとっていたらしい。



「……なんていうか、彼女、昔より知能が低下してない……?」


 エミリアの様子をそっと探っていたメイが困惑していたように言うけれど。


「そう? 多分昔から変わってないだけよ。

 昔、あの町で暮らしていた時周囲は皆エミリアの味方だった。何をしても最終的にちょっと涙を浮かべて謝れば周囲は許してくれる。そうやって過ごしていった結果、貴族にもなれた。自分は正しい。

 そう思ってたけど、王都でそれは通用しなかった。でも、流れ着いたここでやり直していくうちに、やっぱり周囲はエミリアに優しかったんでしょう?

 だから、王都での事は何かの間違いだったと思ったりして、やっぱり自分は正しいんだと思い込んだ。

 そこでアルフさんという素敵な男性との恋、結婚の話も出た。王都にいた時の相手と比べれば見劣りはするかもしれないけれど、それでも周囲が羨む相手。

 周囲の自分を妬んでくる女性相手に、貴方たちとは違うんです自分の方が上なんですよとやったけど、最終的に調子乗って結果転落。

 こどもの頃は泣いて謝れば許されたけど、大人になった今はそうじゃない。

 でも、こどもの頃の成功体験のせいでそれが正しいのだと思い込んでる。


 ……ね? 昔からそこまで変わってないでしょ?」

「そう言われてみれば……確かに……」


「今までは敵を作っても周囲の男の子たちが守ってくれたけれど。

 その守りはアルフさんとの結婚がダメになって、自分の過去が明かされた事で大きく減った。

 でも、彼女それに気づいてないのよ。だから平気で同性を敵に回せるの。彼女にとって自分以外の女は自分より下の存在だと思ってるから」


 幼い頃は賢く見えていても、そのまま内面が成長せずに身体だけ大きくなっただけ。

 言ってしまえばそれだけだ。


「だからね、メイ。貴方が復讐しようなんて考えなくても、後は勝手に落ちてくだけ。ああいう手合いはね」

「そう……みたい、ね」


 だからその刃物はしまってね、なんて言わなくてもメイは握りしめていたハサミをそっと鞄にしまい込んだ。

 実際のところ、あの人虐めする人です、って言うより、あの人動物虐待する人です、の方が罪が重い感じするよな、どっちにしても駄目なはずなのに。

 って思った結果できた話。


 次回短編予告

 悪役令嬢に転生した女は自分が悪役になりたくないがために、どうにかして穏便に対処しようとした。結果ヒロインに手を貸す事だってやぶさかではない……という気持ちとともに。

 実際、穏便に原作展開に近いハッピーエンドを迎える事ができるはずだった。

 ただ、原作で詳細に明かされていない部分があっただけで。それが原作通りであるのか、それとも似た異世界だから異なっていたのか……真実は闇の中だ。


 次回 マルチエンドなこの世界

 人生なんて常にそんなものですよ。

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相手が病院の跡取り責任者で、病院を大事に考えている、割とまともな思考回路の人物というのも今回のが刺さった理由ですね。 「あれ? 俺を選んだ理由ってまさか…?」 と考えてくれた。 メイちゃん、人生くるわ…
恋に浮かれた相手に動物虐待だけだと多分まだ弱かったと思うけど、そこで終わらず既に人に危害を加えてる&今後もやらかす可能性を仄めかしたのがトドメ刺した感はある。 家業が病院で患者に危害を加えかねない奴を…
動物虐待って言われると子供のやってることでも狂気がわかりやすくて危機感が刺激されやすいのかも? 実際やってる事は同じなんですけどね。 そもそも人間だって動物ですし。 上手い言い方でにやりでした。
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