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不滅の花は、世界に希望の大花を咲かす  作者: 星の夜
■第一章 ジュピテイル王国編
6/15

第五話 【初めてのデート】

 時刻は、陽が落ちかけた晩飯前時。

 ジュピテイル王国にある、探索者協会支部のエントランスには、おそらく仕事帰りだろう。装備を汚した多くの探索者達が行き交っていた。


 受付に足早に行く者。仲間と談笑する者。上手く事が運ばなかったのか、言い争いをしている者。

 エントランス内は、普段通り賑わっている。だからこそ、そのエントランスの一画を陣取り、ソファーに座る少年は異質に見えた。


「皆、張り切ってんなー」


 感情を、ゴミ箱の中に落としたような空色の瞳で、ニクス・エルウェは静かに、目前の探索者達や協会の職員達を写す。

 協会の扉が空いてから、彼はずっとこの無気力状態だ。動いたとしても食事とトイレだけ。それ以外は、ソファーに座ってご覧の通りの有り様となる。


 しかも、それは今日に限ってだけではない。

 ここ三日間はずっとこんな調子で、依頼も受けず、ニクスはエントランスの一画を占領していた。


 もちろん、そんな状態のニクスを心配した職員が話しかけたりもしたのだが、本人は「待っている」の一言を繰り返す壊れた玩具のようになっていた。

 意味不明なニクスに職員もさすがにお手上げ。自身の仕事もあるしと、今では放って置くことに決めたようだった。


 どうしてニクスはこの様な状態になってしまったのか。それには訳がある。


 遡る事十日前、一人の女神と花屋で出会ったニクスは、その女神のフォクス領を紹介してほしいという頼みを聞いた。

 そしてあまり詳しくないながらも、ニクスは気に入られたい一心で、自身にできるかぎり誠意をもって案内をした。


 ここまでは、純情な少年が大人の女性にときめいただけの可愛げのある話しだが――


「まだかなぁ……」


 呟くニクスの脳内は、その後交わした約束しか考えていなかった。


 そう。ニクスは案内を終えた後、女神と探索者協会で落ち合うという約束――――デートを取り付けたのだ。

 無論、女神のこのフォクス領に来た事情――仕事が決まるまでは待つつもりで、決まったら来てくれと彼女を思いやるのも忘れない。

 訪れたチャンスをふいにせず、気を回し、できた男を演じるその様は、もはや純情とは言えない。貪欲な雄の化身である。


 最初こそその約束が楽しみで、仕事を元気一杯にこなしていたニクスだったが、かれこれもう十日である。

 日が経つにつれだんだんと不安になり、もしかしたらすれ違ってしまっているかもと、いつしか仕事が手につかなくなっていった。


 純粋すぎるが故か、あるいはそういった経験が乏しい為か。『裏切られた』や『弄ばれた』などの考えには一切至らない。約束は必ず果たされると、ニクスは信じている。

 健気すぎるその思いは、果たして成就するのだろうか。ともあれ、


 以上の経緯によって、彼は現状の無気力状態になってしまっていた。


「……よっ。なんかアレだな。水分の抜けきったしわしわの大根みたいな顔してんな」


 と、ニクスに声をかけたのは、胸部に皮当てをつけた厳ついハゲ頭の中年――ラカントラマだ。頬をポリポリと掻きながら、だらしなく座るニクスを正面から見下ろしている。


「――ん。なんだ、ハゲラマかよ……」


 その声に胡乱と、ニクスは頭を持ち上げる。

 茶色の瞳を捉え、彼もまた声をかけた人物がラカントラマであると認識。期待していた人物ではないことにがっくりと肩を落とす。


「あん? 四日ぶりだってーのに冷たいじゃねーか。どうした? まるで、待ち合わせしたヤツが、思ったヤツと違っちまったみたいな反応は」


 ニクスの心を呼んだのだろうか。それとも、そういった経験談でもあるのだろうか。ラカントラマは首を傾げる。


 全くもってその通りなんだが、そうと正直に言うにはなんだか気恥ずかしい。

 お年頃のニクスは二の句が言えず、さりとて、誤魔化す頭もないので押し黙ることしかできなかった。


 すると、ラカントラマは癖なんだろうか、またしても頬をポリポリと掻いて、


「ま、兎も角だ。ラーチからおおよそ聞いたが、三日もそんな調子なんだってな。別にお前が仕事するしないのは自由だが……他の人間の士気にも関わる。だから、座ってるだけなんだったらとっとと家帰れ。ここは、託児所じゃねーんだぞ」


 ラーチというのは受付の代表である。

 ニクスに声をかけたのもこのラーチ本人だったりする。


 ともあれ、訓戒を垂れるその言葉こそ厳しいが、ラカントラマの声色は優しく、思いやりを込めたもので。

 それがちゃんと伝わり、ニクスの頑なな心を開かせた。


「女……待ってるんだよ」


 たったそれだけを言うだけで、ニクスは何故か一日中走り回ったような徒労感に襲われる。

 でも、やっとでたゲップのような解放感もあった。不思議だ。


「――――女だぁ!?」


 そんな不思議な感慨をニクスが感じていると、ラカントラマが目を大きく見開き、のけ反りながら大袈裟に驚く。


 何をそんな驚くことがあるのか。ニクスはブスッとふて腐れながら、


「わりぃかよ」


「いや、悪くねーけど……。何て言うか。お前も年頃つーか、女に興味あったんだな」


「そりゃ、オレも男だ。綺麗な女がいたら声の一つもかけるに決まってんだろ」


「いや、でもお前……」


 と、言いかけて、ラカントラマは口をモゴモゴと動かす。レイチェルも綺麗だろーが。とも言っているような気がするが、それはニクスには聞こえない。


「ま、それは良いとして――。それがお前がここに居座っている理由なら、やっぱりよくないぞ。受付にでも伝えとけ。そうしとけば、相手さんだってわかりやすいだろーが」


「なんでだよ。恥ずかしいだろ」


「……あのなぁ」

 

 むっつりと、ニクスは即答。

 ラカントラマは、そんなニクスにこれ以上言っても仕方ないと判断したのか、あるいはその憂いが年相応なものだと理解したのだろうか。

 先程まで纏っていた強ばった雰囲気を弛緩させ、仕方ないヤツだなと呟きつつ、ニクスの隣に腰を豪快にドスンと降ろした。そして、ニヤっと好色なハゲ面を浮かべ、


「で、どんな女なんだ?」


「なんだよ急に。さっきまで説教垂れてたくせに」


「それはそれ。これはこれだ。興味があんだよ。今までそういった浮いた話しなかったろ? 男子トークといこうじゃないか」


 いきなり態度の変わったラカントラマに困惑しながらも、彼の言うことに確かにと、ニクスは内心納得せざるを得なかった。


 なぜなら、こうした気持ちになったことは今まで――十六年間一切なかったのだ。

 それはなぜだろうか。振り返ると、答えは直ぐにでた。自分の育ちと、今までの目まぐるかった日々故だろうと。


 自身が育った場所、ガランサスはほぼ年寄りしかいない村だった。

 見知った人しかいない環境で、ニクスは不自由こそあれど、不満など無くぬくぬくと過ごした。

 年寄りしかいない状況に疑問なんてない。当然だと思っていた。

 だが、その状況は普通ではないと知った。それは、ニクスが十歳を迎えた時だった。


 十歳を迎えた折に、村長にいきなり慣例だと、追い出されるようにスノーパスの学校へと行く事になったのだが。

 そこでは村では見れない大勢の人と、自身と同じ位の年齢の女が沢山いた。勿論、男も。


 そうして突如として訪れた変革期――新たな生活に不安しかなく、寮とはいえ十歳という年齢での独り暮らしに寂しさしかなかった。

 それを埋め合わせる為に入学した当初は、恐る恐るといった感じで同級生に話しかけたりもしてたと思う。


 だが、同級生達や大人達とは、中々反りが合わなかった。先生が教えてくる常識というものを理解するのも時間がかかり、集団生活というものになかなか馴染めなかった。

 周りに合わせるのも苦手で、自分らしく振る舞っていたらいつしか孤立していて、恋愛というものに触れる機会が皆無だった。


 だからこそ、ニクスは友達になってくれた三人に本当に感謝をしている。まだまだ未熟だが、彼らは自身を社交的にしてくれた。

 とくに最初の友達――親友であるクライスがいなければ、ずっと空を眺めて日向ぼっこする毎日を繰り返えしていただろうし、残りの二人とも友達でいられたかは定かではない。いや――なれかなったと思う。


 元々、知らない人は怖くて苦手だった。でも、その輪があったからこうして、知らない土地でも誰かと交流し、仲良くできるようになった。


 その筆頭であるラカントラマを、ニクスは見る。

 相変わらずのハゲ面だ。

 茶色の目は生き生きとピカピカ光ってるし、頭も磨かれたようにピカピカ。

 だが、彼が居なかったら女神との運命的な出会いは無かっただろう。

 そう思うと、人と人との繋がりは大切にしなければならないなと、ニクスは再認識した。


「どうした? 黙ってないで早く話してみろよ。こう見えて俺はそこそこ経験あるからな。アドバイスは任せろ。ささっ、早く早く!」


「オレより糞ガキじゃねーか……」


 地団駄を踏みながら急かしてくるラカントラマに、ニクスは嘆息。でも、悪い気はしない。

 それに、正直聞いてもらいたい気持ちもある。

 この抱いている気持ちが、恋なのかどうなのか。まだ、確証は無いのだ。


 さて、先ずはどこから話そうか。

 女神の容姿か、それとも所作からだろうか。

 でも、やっぱり、先ずは出会いからだろう。


 ニクスは語っていく。ラカントラマのお陰で出会えたなんて、本人には照れ臭くて言えないけど、感謝しながら。


  「実はな、ダジェットの花屋で会って――――」


「――――ほうほう」


 そうやって話すニクスの姿は楽しそうで、聞くラカントラマもまた楽しそうで。

 まるで、青春してるような、年の離れた兄弟のような微笑ましい光景だった。




◇◆◇◆◇◆




「――――みたいな感じで、まさに女神みたいだったんだよな」


「……そうか」


 ニクスは自身の不確かな恋慕を語り終え、満足そうに体を弾ませる。

 ラカントラマもその話しを途中までは、うずうずとした笑顔で聞いていたのだが、途中から笑顔が消えた。

 うーんと腕を組み、厳つい顔を更に厳つくさせ、小さな子供なら卒倒しそうな表情をしながら何やら考え事をしている。


 それを、ニクスは真剣に聞いてくれているんだろうと思っていた。

 なんたって、自負するくらい経験があるらしいのだから。

 きっと、自身のこの浮わつく気持ちの正体を、その人生経験の豊富さとやらで解消してくれるだろう。


 ニクスは答え欲しさに、そわそわと身を乗り出しながら待つ。

 そうして暫しの間が経ち、どうやら結論が出たようだ。

 ラカントラマは難しい顔をしながら、組んでいた腕を解くと、


「ま、アレだ。その女は止めておけ」


「なんでだよ!」


 瞬間、頭に血がのぼり、ニクスは気付いたらそう叫んでいた。

 周辺に居る探索者達や職員達もその声に驚き、一瞬目を向ける。が、それがニクスとラカントラマの会話によるものだと分かると、「何時ものこと」であると認識。各々、自身のやっていた事に戻っていく。


 ともあれ、今のニクスにとってそんな周辺の事柄などどうでもいい事だ。


 なんでダメだなんて、ラカントラマは断言するだろうか。

 きっと助言をくれるだろうと、期待していただけに落胆は大きい。しかし、疑問が遅れて沸いてきた。


 普段から説教くさいラカントラマだが、その説教は理路整然としていて、理解できることだった。こうして理由も語らず、真正面から否定されるのは初めてのこと。


 故に、考える余地が生まれた。

 きっと、自身を納得させてくれる理由があるのだろうと。

 落ち着く為にニクスは一つ深呼吸。すると、頭に昇った赤が、スッと消えていく感覚があった。

 そうして、冷静になった頭でニクスは再度問う。とはいえ、疑心の空色をラカントラマに向けながら。


「なんで、ダメなんだよ。理由あんだろ?」


 そうニクスに問われたラカントラマは、歯切れ悪くあーとかうーとか小さく唸っている。

 多分だが、話す内容を整理しているのだろう。と、それがどうやら終わったようだ。


「……なぁ、ニクス。前に説明したけどよ、ここが元々どんな場所で、どんな目的で作られた領地だか覚えてるか?」


「確か……。探索者協会ができる前は首都で、今は探索者の為だろ?」


 教えてくれたのは何時だったか。ともあれ、うろ覚えだが、ニクスはそう記憶していた。しかし、それがなんだと言うのだ。

 ニクスは首を傾げ、疑問を表情に表す。ラカントラマもそれは重々承知のようで、「そう急かすな」と、一拍置き、


「ま、首都だったことは置いておこう。今はあまり関係ないからな。兎も角、フォックス領は探索者を中心に回っている街だ。だから、その女は不思議なんだよ。怖いくらいにな」


「なにが、不思議で怖いんだよ? 女神にしか見えなかったぜ」


「それは、この街が余所者の集う場所だからだ。その女の目的が探索者をやる目的だったり、それに関わる職業の為に来たとか――あるいは、観光だったら俺もこんな事は言わねぇ」


 ニクスの疑問に受け答えながら、ラカントラマは言葉を紡いでいく。そして、自身のこめかみにグリグリと太い指を押し付け、俯むいた。


「だが、仕事が決まってないで、当てもなくこの街に来るなんていうのはちーっと勘ぐっちまう」


「……なにをだよ」


「ニクス。お前は素直な男だ。今時珍しいくらいな。だから……わかりずらいかもしれないが、大人――人間ていうのは狡い生き物なんだよ」


 そう言って、ラカントラマは顔をあげる。

 茶色の瞳は少しだけ揺れていて、真剣な眼差し。

 一方ニクスは、思考がこんがらっていた。

 言われた事が曖昧すぎて、いまいち要領得ない。


 ニクスがその意味を見いだそうと考える事で、二人の合間にちょっとした空白がうまれる。


 上手く伝わっていないと、察したのだろう。ラカントラマは顎に左拳を当て、深く溜め息を鼻から落とし、


「要するに、その女はおそらくだが……良からぬ事を企んでこの街にきた可能性が高い」


 故に、「止めとけ」と、諭すように続けた。


「……っ」


 言葉が詰まり、反論が出なかった。

 ラカントラマは、五月蝿いが嘘を吐いた事は一度たりともない。

 でも――ニクスは納得もしたくなかった。


「そういうヤツだって、居るかもしんねぇだろ……」


 苦し紛れに出たニクスの擁護は力無く、空気に溶けていく。まるで、太陽を浴びた雪のように。

 しかし、ラカントラマは容赦ない。その根底は、彼の優しい心からきているんだろうが。

 しょんぼりとするニクスに、更に追い討ちをかける。


「確かにその可能性も勿論あるだろう――。だが、俺がこのフォクスに来て十五年。そういったヤツの三分の一は、現にしょっぴかれている。お前が悪い事に巻き込まれたいなら別だが――――」


 そうじゃないだろ? と、リスクを説いてくるラカントラマの意思は固い。


 どんよりとした空気が二人の間に漂う。

 真っ向から見つめてくる茶色の瞳に耐えられなくなり、ニクスは下を向いた。


 咀嚼し、吟味し、理解はした。

 無論、巻き込まれたくない――――悪いことはしたくない。誰だってそうだろ。と、そう思う反面、ニクスの心情は一縷の望みを願って、諦めきれないでいる。

 初めての経験で、まだ彼女に触れきっていないのに。喪失感で胸が重くなった。


 黙りこくるニクスのその頭に、ラカントラマはぽんと、大きい手をのっける。


「女なんて星の数くらいいるんだからよ。絶対に次がある。――――お前が望むなら、紹介してやってもいい」


 ラカントラマの慰めの言葉に俯くニクス。

 大きい手は暖かくて、自身を安心させてくれるものだった。

 しかしその言葉は、会う前に失恋みたいなものをしたニクスにはあまり響かない。とはいえ、一つの疑問を抱かせてくれた。


「なんで、ラカントラマはそんなに気にかけてくれるんだよ」


「そりゃ…………お、俺はお前が可愛いヤツと思っているからだよ。それに、レイチェルから――――」


 ――――レイチェル? 何故そこで弾女の名前がでるのだろうか。その事が気になってニクスは顔をあげる。すると――


「あの……お取り込み中ですか」


「……あ」


 目前、そこには女性――漆黒の女神が申し訳なさそうに、困り顔で佇んでいた。

 ぼう、と眺め、ニクスはその女神が幻想ではないと悟ると、一拍の間を置いて立ち上がり、取り繕うように笑顔を張り付かせた。


「そ、そんなことないぜっ」


「――――」


 一方で、漆黒の女性を見たラカントラマは沈黙。今は寒い季節だが、外とは違ってエントランス内は空調が効いている。決して寒くはないのに、その額にはじっとりした汗が浮かんでいた。


 そんな、青くなっているラカントラマに気付かず――――気にする余裕のないニクスは、女神へとおべっかを振り撒く。


「待ちくたびれたぜ。……でも、大変だったんだろ?」


「はい。少し仕事を見つけるのに難儀してしまって……連絡するのが遅れて申し訳ございません」


「問題ないけど。ちょっと、心配したぜ? 何かあったんじゃないかってな」


「本当ですか? ありがとうございます。……ふふっ。嬉しくなっちゃいます。あの……もう少しで夜ですが、この後でも大丈夫でしょうか?」


「デ、デートだよな? …………勿論だぜ!」


 ニクスと漆黒の女性は、和気藹々と会話を弾ませていく。固まっているラカントラマは、完全に蚊帳の外だ。


 最初こそ、ニクスはラカントラマの言っていた事もあり、警戒して話していたのだが。

 女神と話していく内にだんだんとその警戒が薄れ、いつの間にか楽しくなってしまっていた。

 今では、その警戒がただの杞憂だったんじゃないかと思ってたりもする。


「はい、そうです。〝デート〟です。――――すいません。いきなり、話し込んでしまって」


 ニクスに朗らかな微笑みを送り、その後、座って置物になっているラカントラマに、漆黒の女性は折り目正しくそう頭を下げた。

 そして――


「では、ワタシは先に外で待っていますね」


「――――っ!」


 と、踵を返す。その際、漆黒の女神はラカントラマにだけ流し目を。

 その黒の眼差しは氷。鋭利な氷柱を連想させた。

 その背に何も返せないラカントラマは、呼吸が乱れている。鼻息が荒い。


 そうして、漆黒の女性が居なくなった事で、ニクスとラカントラマは再び二人きりに。

 浮かれ模様のニクスは、身だしなみをチェックしている。頭の中はデートのことでいっぱいだ。


 その姿を一瞥しながら、ラカントラマは胸に手を当てて深呼吸。立ち上がり、ニクスの肩を掴む。


「ニクス。もう一度言うぞ。あの女は止めておけ。危険だ」


 先程より強い口調。ニクスは眉間に皺を寄せ、その手を鬱陶しいものと感じ、払った。


「わかってるって。……だから、本当にそうなのか、今回で見極めてくるぜ。――それに、護身用のナイフも持っていくから大丈夫だ!」


「おい、待てって! お前は鶏かっ!」


 言って、じゃ! と、駆け出して行くニクス。その背にラカントラマは手を伸ばすが、もう遅い。すたこらさっさっと疾風のごとく、出入口の方へ行ってしまった。


「……くっ。自分にも素直すぎるだろ。こうなったら――――」


 と、ラカントラマもその背を追いかけようと、一歩踏み出した時だ。


「ラカントラマさーん」


「――おん?」


 脳を打つその声は女性のもの。出鼻を盛大に挫かれたラカントラマは、眉間に縦筋を刻ませながら振り向く。すると、此方に可愛らしく小走りしてくる人間が視界に入った。


 ブロンドの髪を揺らし、更にばるんばるんとスイカを上下に弾ませる女性は、間違いなくマリリン・エッフェルトだろう。

 そうして、ラカントラマの元に到着したマリリンは息を整えながら、ぷりぷりと。だが、威圧感は全くといっていいほど無い憤怒を向けながら。


「やーっと、見つけましたよ。もう。お仕事終わったら、先日の話しをするので、私の部屋に来て下さいって言ったじゃないですか――――。…………て、アレ? どうかなさいましたか?」


 おそらく、ラカントラマの表情が思っていた反応と違ったのだろう。マリリンは大きな碧の瞳を瞬かせ、コテンと首を傾げた。


 普段のラカントラマだったら、マリリンの元気に弾むスイカを見て、だらしない顔で涎を垂らす筈。

 だが、今は泣く子も黙って小便を漏らす険しい表情をしている。

 ラカントラマは、マリリンに聞こえないように小さく舌打ちし、


「……なんでもねーよ。すぐ行く。――――外れてくれよ。俺の予感」


 切実に願い、そして、後ろ髪を引かれるような眼差しで、ラカントラマは暫くの間、探索者協会の出入口を見つめた。




◇◆◇◆◇◆




 空が灰色に染まり、太陽はもう影も形もない。月が薄っすらと顔を覗かせた夜空の中で、ニクス・エルウェは漆黒の女性を伴い、通称、露店通りという名の通りを歩いていた。


「やっぱ、店は閉まりかけかー」


「そうですね。……すいません。日を改めた方が良かったでしょうか?」


「いや、そんな事ないぜ!」


 初めてのデートを開始して、三十分。

 ニクスが先ず最初に訪れたのは、漆黒の女性と出逢った商業区だった。

 どうしてその場所を選んだのかというと、理由は単純だ。


「腹が減っては、戦はできねぇーって言うしな」


 露店で軽食を摘まみつつ、駄弁ってお互いを理解し、最後は何かしらのプレゼントを渡して解散。

 それが今回、ニクスの考えた――もとい、本で勉強した結果できたデートプランだったのだが。

 残念な事に出店は殆ど撤収していて、美味しそうな匂いだけがその場に残っている。


 初っぱなから想定通りとはいかず、折角考えたプランは台無し。とはいえ、こうした状況でも臨機応変に対応するのが、いっぱしの男の腕の見せ所だろう。

 出店は撤収してしまっているが、幸い店舗型の店はまだ開いている。故に、ニクスはプランを逆にすることに決めた。


「閉まる前にストーンズの店に行こうぜ!」


 言いながら、大胆にもニクスは隣にいる漆黒の女性の手を取った。

 それは下心など全くなく、早く行かなければという純粋な思いからだったのだが。


「――あっ、ごめ。つい勢いで……」


 ニクスは、気恥ずかしさに目を伏せると同時に「やってしまった」と、背中に冷や汗が滲んでいくのを感じた。

 そう、事前に読んでいた本に書いてあったのだ。初回のデートでは無闇な接触は止めましょうと。


 恐る恐るニクスは、空色を漆黒の女性へと向ける。と、漆黒の女性は、不機嫌どころか微笑んでいて――――離そうとしたその手をふんわりと握り返してくれた。


「行きましょう」


「おあ……」


 ニクスは呆気にとられた。否、見惚れて唸るような声が漏れた。

 見つめてくる黒の瞳は、相変わらず深淵のようで吸い込まれそうなのに、何故だか安心感をくれる。


「そ、そうだな。それじゃ行こうぜ――えっと……」


 そこでニクスはふと思う。

 そういえば、名前を聞いていなかったし、自身の名前も名乗っていなかったなと。


「オレの名前は、ニクス。ニクス・エルウェって言うんだ。そのめが――じゃなかった。姉ちゃんの名前はなんて言うんだ?」


「ニクスさんですね。改めてよろしくお願いします。――――ワタシは」


 と、漆黒の女性は言葉を切り、何故だろう。喉を詰まらせて、急に薄月が浮かぶ夜空を見上げた。

 その表情は無表情だが、雰囲気はどことなしか辛そうというより、寂しげ、あるいは儚げである。


「どうかしたのか?」


「いえ。なんでもございません。そうですね……」


 不思議に思ったニクスは、彼女の言葉を聞きながら倣うように夜空を見上げる。雲が殆どないお陰か、月どころか、早くも星々が散りばめられていた。

 もう少し遅い時間帯になれば、輪郭を露にしたそれらが更に煌めき、もっと綺麗な夜空になる事だろう。


「……ツクヨ」


「えっ?」


「ツクヨと、そう呼んでください」


 見上げながら、漆黒の女性――ツクヨはそう囁くように名乗った。

 取って付けたような名前だが、恋は盲目とばかりにニクスは不自然とは思わない。むしろぴったりだと、やっと知れた彼女の名前に溌剌と笑いかける。


「うっし。自己紹介も済ませたし行くか! 寒いしな」


「はい。そうしましょう」


 手を繋いだまま、二人は肩を合わせて同じ歩幅で歩き始める。

 握っている手は柔らかく、ニクスに至福の時をもたらした。だが、外気のせいか、酷く冷たかった。



 そうして、歩くこと十分あまり。目的の場所に二人は着く。


「ここですか?」


「おう!」


 外観は、ジュピテイル王国のデフォルトである茶色い煉瓦。二階建ての大きくなければ小さくもない至って普通のお店。店舗名はストーンズ。

 事前に調べた情報だと、ここは装飾品類などを置いているアクセサリーショップらしい。


 当然、この店には入った事はないし、ニクス自身そういった品物には興味などない。

 だが、女の子といえば可愛い物だったり、キラキラした物が好きな筈だと。

 なにせ、レイチェルの部屋はピンクでキラキラ。服装も私服は派手だったりするから、彼女もおそらくそういった品々が好きかどうかは兎も角、嫌いではないだろうと思いこの店を選んだのだ。


 ともあれ、こうして立ち呆けていても仕方ない。

 ニクスは先導するように先を行き、ツクヨも半歩後ろを歩きそれに続く。勿論、手は繋れたままだ。


「……うぉ。すげぇ」


 中に入ると先ず、店舗の入り口にあった鈴が軽やかな音を奏でて二人の来店を歓迎してくれる。

 そして、次に視界に入り、もっともニクスの目を惹き付けたのは、正面、分厚いガラスケース。

 それが目玉商品なのか。腰くらいの高さのガラスケースには、華やかな宝石の類いが付ついている指輪やネックレスなどの商品が、いくつも陳列されていた。


「そうですね。それにとても暖かかくて、ほっとします」

 

「確かに、そ、そうだな」


 ツクヨの一言に、圧倒されていたニクスは我に返って同意と頷く。

 彼女の言う通り、店内は空調が良く効いていて暖かかった。

 それに、目映いばかりの品々に目が行きがちだが、暖色の店内は清潔感もあって雰囲気も悪くない。

 ただ、閉店間際だからだろうか。見渡すかぎり、自分たち以外の客は、片手の指で数えられるぐらいの人しかいなかった。


 ――――と、おそらく店員だろう。

 同じ服装をしている人が三名いるのだが、その一人が二人の入店に気付き、営業スマイルを浮かべて此方に歩み寄ってきた。


「いらっしゃいませ。本日はどのような物をお探しでしょうか?」


「えー……っと」


 たじろぎ、目をうろうろと泳がすニクス。

 その心は、何を求めているかと聞かれても困るというもの。

 目的は無論、ツクヨに対してのプレゼント贈与なのだが、何を渡していいのかまでは決めかねていた。


 チラっとニクスはツクヨを横目で見る。

 自然体で動揺などはしてない。彼女はこういった店は慣れていそうだ。


「……なるほどです。ご家族かご友人にプレゼントでしょうか? でしたら、あちらのコーナーに色々と置いてありますよ」


「そうですか。ありがとうごさいます」


 中年の男性店員は、ニクスとツクヨを交互に見て頷くと、ツクヨに向かって人好きのする笑顔を浮かべながらそう言った。

 似てないが、経験から二人を兄弟みたいな関係だと勘違いしたのだろう。

 それに答えるツクヨも、朗らかな微笑みを浮かべている。


 店員の言葉に少しだけ、モヤっとしたニクスだったが、


「デートって、気付いてないみたいでしたね」


「……っ!」


 そう顔を寄せ、こっそりと耳打ちしてくるツクヨに心臓だけじゃなく、全身が震えて赤くなるニクスだった。


 そんな一幕があった事もあり、ニクスはドキドキしながらも店員がオススメしてくれたコーナーをツクヨと供に回る。


 棚には髪飾りやらブローチ。バングルなどの商品や、ガラス製や宝石製の猫や犬などの置物が陳列してあった。

 値段はピン切りで、高い物だけじゃなく、安い物も置いてある。


 それらを眺めながらニクスは悩む。

 さて、何をプレゼントしようかと。

 始めてのデートでは重いものはよくない。かといって、安すぎても相手を大切にしてないと判断される。

 塩梅が大事なのだと自身が読んだ指南書――『好きな女の子を落としたいならこれ一本』にはそう書いてあった。


 よくよく考えれば、何も為になる事を書いてないじゃないかと今になるとわかる。

 ただ、全く参考になってないといえばそれはそれで違った。


 本には、気持ちが大切だとも書いてあった。プレゼントは自身の感謝や好意。言葉にできない感情を確かな『形』として、乗せる為に贈る物だと。


「折角プレゼントするなら、身に着けてほしいし、似合う物がいいしな」


 呟き、隣にいる女神――ツクヨをニクスは改めて見る。

 艶のある長い黒髪も、安心感をくれる少し垂れた黒い瞳も、綺麗だ。

 服装は今日も黒で、踝まである厚手のワンピース? あるいはロングスカートだろうか。それに、モコモコしたこれまた黒色のアウターを羽織っている。


 最初に出会った姿、黒一辺倒には変わりなく、この間と違うのは、胸が空いていないというところ。

 そこは大きなリボンで隠されていて、この間は大人の色気を強調していたが、今日は上品な美しさが際立っていた。


 ともあれ、その服装から伺えるが、彼女は黒色が好きなのだろう。

 ニクス自身も黒が好きなので、そこの共通点には喜びあれど。

 しかし、商品棚を見る限り、黒色の商品はあまり多くはなく、その商品もこれといってピンとはこない。


 どうしたものかと悩みながら、ニクスは商品を順繰りみていく。すると、気になる品が一つだけ目に留まった。


「これって――――」


 大きさは指二本くらい。おそらくは、髪や服などに付ける、ピンの類いだと見受けられる。

 色は黒とは真逆の白。だが、キラキラとした宝石の類いに縁取られたそれは、見た限りガランサスの花を模したもので。


「おー……。なかなか」


 手に取り、値札を見てみると中々の値段だった。手頃な値段ではないが、しかし、出会ったきっかけの花。

 思いが込もっている物をあげる――であるならば、今はこれが一番最適だろう。それに縁取っている、名前の不明な宝石のようなものも、小粒で派手すぎないし。

 ニクスはこれにしようと決め、ツクヨが他の商品を目にしている間にこそこそと、商品棚からその飾り物を取った。そして――


「ちょっと、トイレ行って来てもいいか?」


「えぇ、どうぞ。此方で待っていますね」


 飾り物を取った手を後ろに隠し、ニクスはツクヨへと笑いかける。

 ツクヨは、黒の目尻をやんわりと下げて微笑み、そっと繋がっている手を離した。


「……あ」


 途端、僅かな寂しさがニクスに訪れた。

 ずっと握っていた手は、すっかり温まっていて。離されたそれは、なんとなくだが距離が離れていくような錯覚があった。


「じゃあ、行ってくる」


 しかし、そんなのはただの思い込みでしかない。ニクスは、プレゼントを渡した後のツクヨがどんな反応をするのか。それを想像しながら会計へと一人向かった。


 手に持った飾り物がバレないように。

 ツクヨに対して、体を正面へと向けたまま歩くその姿は、まるでからくり人形めいている。


 そんな不自然で、明らかに何かを目論むようなニクスをみやるツクヨ。その顔には微笑みが張り付いていて、ニクスが遠く豆粒サイズになるまで、決して崩さず、絶やさず、その表情を続けていた。

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