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不滅の花は、世界に希望の大花を咲かす  作者: 星の夜
■第一章 ジュピテイル王国編
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第四話 【出会いは突然、或いは――】

 十畳程の一室。壁紙は白で床は茶色。

 二人用のテーブルとソファーが、窓際の隅っこに寄せられたシンプルな一室は、家具が少なく少々寂しい。

 だが、日当たりが良いお陰か。住みやすくはありそうだ。


 ここはウチノ屋の三○二号室。

 雪のような白い髪を持つ少年、ニクス・エルウェが借り入れをしている一室だ。

 その主はというと、現在、ソファーに腰を落ち着かせながら、ふにゃりと弛緩しきった顔で窓の外を眺めている。


「なんだかなぁ……」


  あの後、レイチェルの出立を知ったニクスは、自室に戻り有難い餞別――遅すぎる朝食を食べた。

 今は何故だろう。

 やる気がでないのでだらんと一端食休み中。――でも、そろそろ動かなければ。


 ニクスはおもむろにソファーから腰を上げる。そして、 自身の頬を両手で挟むように叩き、気合いを入れた。


「うっし。ちっと遅くなっちまたが、何時もの日課でも済ませとくか」


 目前、元々部屋に備えつけられていた四つ足のテーブル。そこに立て掛けてある棒刀を手に取り、向かう先は何も置かれていない部屋の中央。

 茶色の、よく磨かれた床を踏みしめながら進むと、床が少しだけ白ボケした箇所がある。

 その場所に着き、均すように足を擦り付けたニクスは、棒刀を正眼に構えた。


「先ずは……。一の型から始めっか!」


 いっちに、いっちにと、残像ができそうなスピードでリズミカルに棒刀を振るう。


 機械的な動作で繰り返し振る姿。そのさまは、相対する敵を想像して、とかではない。

 式典とかなら兎も角、ダンジョンでこんなお行儀よく振っていたら格好の的であり、魔獣の餌だ。


 なら、あまり意味がないのでは? 

 そう問われたら、ニクスは首を縦に振るだろう。あっても少しだけ。自身の調子の確認程度しかない。

 それでも、棒刀――初めて木剣を握ってから今まで一日たりとも休んだことはなかった。皆勤賞である。


 止めたいな、今日はいいっか、などど思った日は数えきれない。でも、どうしてか。

 身体が素振りを求めていて、気付いたらいつの間にか剣か棒を握っていた。


 ニクスが初めて剣を握ったのは、物心つく前の幼少の頃。理由はあやふやで、よく覚えていない。

 最初から探索者を目指してたワケでもないし、誰かより強くなりたいと思ったワケでもない。


「――――シッ! 次は四の型ぁ!」


 だが、強く覚えている感情はあった。

 それは、『負けたくない』だ。


「くっそ、ジジィに天誅をっ!」


 振りながら、いつしか脳裏に浮かぶのは、自分にこの型を教えてくれた育ての親。

 剣を振るう時は、無心で振るう事が大切とその人物は教えてくれたが、しかしニクスは雑念いっぱいに振るう。


 そうして、額に汗を浮かばせながら七の型まで進む。すると、戸口の向こう側――レイチェルの部屋だった方からバケツをひっくり返したような、悲鳴じみた声が聞こえてきた。


「なんなのこれー!!!」


「――うぉっ」


 その声にビクリとニクスは肩を揺らす。戸口の方を見て、バツの悪い顔。その姿は、イタズラがバレた子供のよう。


「やべぇっ。忘れてた……」


 額の汗を腕で拭って、ニクスは急いでソファーの元へ向かう。ただ、目的はソファーに座って休むことではない。

 そのソファーの横に置いてある、縦長の黒い箱――金庫に用があった。


 金庫の前に立ったニクスは、棒刀をソファーに立て掛けると、屈んでダイヤルを回す。カチリ、と何かが噛み合ったような音がした後、扉をそっと開けた。

 中には隙間ないくらいに札束と、無加工の魔石(マテリアル)が敷き詰められている。


「修繕費ってどれくらい必要なんだ?」


 呟き、悩むニクスは首を横に捻る。

 今まで修繕費を払うことなんてなかった。

 学生のときは寮だったし、こういうときの相場がわからない。


「取り敢えずいっこで……いや、次いでに行っとくか」


 逡巡の末、とりあずと手を伸ばし、紙幣の束を一つを雑に掴む。そして、とある()()を思い出して、もう一つ束を掴んだ。


 さて、もう行かなければ。

 悩んでいる暇は余りないようだ。

 なんたって、野太い遠吠えのような声が時折、下から響いてくるのだから。


「はぁ、面倒なことしてくれたな。弾女ぁ……」


 この後の事を思えば気が重い。けれど、まぁ、こんな日もあるかと、ニクスは金庫の扉を閉めた。




◇◆◇◆◇◆




 重い足取りで一階へと降りたニクスは、木製のカウンターで仕切られた受付を視界に入れる。

 そこには自身と同じ年齢くらいの素朴な少女と、熊のような体格の男性が立っていた。


 二人とも茶色に近い金髪で、瞳は青色。

 なにやらけったいな事でもあったのか。向かい合って話すその二人の表情は険しいもの。


「荷物がほとんどなくて。部屋が――――あっ」


 素朴な少女の視線がニクスを捉える。途端、その少女は、ばっちぃ虫でも見つけたかのように目を細め、熊のような男性の腕を叩いてニクスを指差した。

 それに伴い、熊のような男性もニクスの存在に気付き、


「よう。坊主。ちょーっと、聞きたいことがあるんだがいいか?」


「あはは、おはよーごぜーます」


 そうしてピクピクと、眉を動かしながら腕を組む熊人間。素朴な少女もそれにならうように腕を組む。

 ニクスは、鋭い視線を向けてくる二人にから笑いで返答した。


 素朴な少女は、看板娘のナナ・ウチノ。熊のような人間は、グリズ・ウチノ。このウチノ屋のオーナーだ。

 苗字の通り二人は親子で、ウチノ屋はこの二人によって経営されている。


 ただ、ニクスはその事実を疑っていた。

 小柄で素朴な少女と、大柄な厳ついおっさん。似ても似つかないその二人に、本当におんなじ血が通ってるのかと。


「なんか、安心したぜ!」


 しかし、二人の立ち振舞いはそっくりで、初めて親子ぽっさを感じた。じんわりと広がる謎の安堵感に、ニクスはほっと胸を撫で下ろす。


「……。何を安心したのかわかんないけど……エルウェさん。バレットさんのお部屋をお掃除する為に先ほど伺ったのですが、アレはいったいどういうことですか?」


「――――そ、そうだ! どういうことなんだ? 場合によっちゃあ、警兵隊か騎士隊を呼ばなければならんぞ!」


 怒り浸透のナナは頬を膨らます。生暖かい視線を受けて困惑していたグリズもそれに便乗し、怖いことを言ってきた。


 流石に警兵隊や騎士隊を呼ばれるのは不味い。レイチェルが、前科者になってしまうかもれないからだ。

 ニクスは、冷や汗を浮かべながら怒る二人を手で制し、


「ま、落ち着つこーぜ二人とも。事情は説明するからさ」


「む、納得できなかったら本当に呼びますからね!」


 前屈みになって、ふんす、と腰に手を当てるナナ。その頬は膨らんだままだ。

 その頬を押して空気を抜けば、怒りも一緒に抜けてはくれないだろうか。

 ちょっとだけ好奇心が沸いたニクスだが、ともあれ。


 言いたい事はわかるし、苦情も受け入れる。レイチェルがしでかした、無断退去、退去費用不払いは違法なこと。

 あの惨状で警兵隊や騎士隊に、即刻通報されなかっただけ御の字だろう。


 警兵隊とは、領主が独自に集めた部隊。騎士隊は、首都から派遣された部隊。

 各々細部の役割は違うものの、領民を守ることは一致している。


 となれば、こうして猶予を貰えてるのは彼らが器の大きい人物である証左。

 なら、此方もできる限りの誠意を示さなければ。そう思い、ニクスはあまり使いなれない敬語を意識しながら、口火を切る。


「実は――――」




◇◆◇◆◇◆




 ニクスが事情を説明すると、グリズとナナは渋々と納得してくれた。


「ほーん。じゃあ、坊主が全部払ってくれるということか」


 ニターと、どこか汚ならしい顔のグリズ。きっと、足元を見る気まんまんなのだろう。


「ちょっと、お父さん。顔、キモイ。どーにかして」


「あたっ。すまん、すまん」


 娘であるナナに咎められ、グリズは軽く叩かれた腹を抑えて平謝り。

 ニクスはちょっとした親子漫才を繰り広げている二人に苦笑し、


「足りるかどーかわかんねーですけど、足りてたらおつりはいらないぜ!」


 自身の懐から修繕費にと、紙幣の束を一つ渡す。ちなみに、おつりはいらないぜ。の一言はラカントラマの真似である。


「お、おお?」

 

 受け取ったグリズは、目を丸くしながらひーふーみーと数えてく。そして、その数える数が五十を越えはじめると、子供が裸足で泣き出しそうな、下品な表情を浮かべた。

 隣にいるナナもグリズのそれに呼応するかのように、段々と目を輝かせていく。


 ニクスがグリズに渡した額は百万テイル。テイルとは、ジュピテイルで発行されるお金の名称だ。


 ジュピテイル王国の一般的な収入は、一ヶ月二十五万テイル程。ただ、ニクスはその事実を知らない。

 知らないが、大金であることはわかっていた。


「今回は、まぁ、これで手打ちだな」

「こ、こんなにいいの?」


 数えきったグリズが、トンッと札束を揃えて満面の笑みで言ってくる。

 ナナの言葉は此方を思いやる言葉だが、しかし表情は宝石のようにキラキラと輝いていた。


「おう。もちろんだ!」


 表情をみるかぎり、足りてないことはないと悟ったニクスは、内心安堵しながら答えた。

 まだ、お金に余裕はあるものの、なるべく無駄遣いはしたくないのだ。


「それにしても珍しいねお父さん。エルウェさんがこの時間にウチにいるの」


「んー。そいや、そうだな。坊主、今日は仕事は休みか?」


「ん。あぁ……。弾女が行っちまったからな――」


 グリズの問いに答えながら、ニクスはふと思う。

 今後、自分は毎日仕事をやるのだろうか。

 今まで、レイチェルがいたから、目標があったから仕事をこなしてきた。しかし、今はその目標がない。


 となると、何を目標と定めてダンジョンへ潜ればいいのか。答えはパッとはでてきてくれなかった。


 ただ、なんにせよ、あと半年間はこのフォクスから離れられない。

 新しい相棒を探すか、それとも貯蓄には余裕があるし、違う仕事でも探すか。そこら辺もじっくり考えていかなければ。


「ん? どうしたんだ坊主。辛気くさそうな顔してんぞ。なんかあったか? ――――ああ。やっぱ、少し返すか?」


 カウンターからグリズが、ズイっと身を乗り出して、此方を窺ってくる。

 心配してくれるのは嬉しいが、でかくて厳つい顔のせいで効果は半減どころか、底辺だ。


「ん。ああ……。金はいいぜ。持っててくれ。それと――」


「それと?」


「今後は部屋に居る時間が、増えるかもしれないから」


「そりゃ、まぁ、金さえ払い続けてくれれば立派なお客様だからよ。そこらへんは自由にしてくれて構わねぇが……」


 グリズは、いつもよりテンションの低いニクスにまごついている様子だった。頬を掻いてちらちらと、ニクスを見ている。


 だが、普段から人を見て応対しているナナには何か気付くことがあったのだろう。

 うん、と小さく頷いた彼女は、箒を持つとグリズに押し付ける。


「ほーら! いつまでも喋ってないで、お父さんは三○三のお掃除してきて! あのままじゃ業者、呼べないでしょ?」


「お、おう、わかった……」


 そうして、半ば追い出されるような形で、ナナに促されたグリズは階段をかけ上がっていった。

 グリズの姿が見えなくなったのを確認したナナは、どこか視点の定まらないニクスの瞳に、柔らかい青の視線を当てる。


「エルウェさん。当たり前の日常から、何かが突然なくなるって寂しいですよね。ナナも経験があるのでわかります」


「ん、あぁ。……ニャンノスケだっけか? 確か、回復したら、いなくなったて言ってたな?」


 ナナのころっとした変わりように呆気にとられながらも、ニクスは言われた内容を舌に乗せ、彼女と会話した過去の記憶を辿った。そして、でた答えがそれだった。


 ニャンノスケは、確か足を怪我をしていた野良猫。

 ウチノ屋で保護していたが、怪我が治った途端、突然いなくなったそうだ。


「はい。そうです。ナナも最初は虚しかったり、コンニャローとか思ったりもしてました。――でも、ナナはニャンノスケが今もどこかで元気に暮らしていると信じています」


「そ、そうか」


 柔らかい口調とともに放たれたナナの言葉に、ニクスは戸惑いの表情を浮かべる。

 いったい、彼女は何を言いたいのか。その意図を理解できないでいた。

 するとナナは「もうっ」と頬を膨らまして、ピシッと指を差す。ニクスではなく、ニクスの服に向かって。


「何処かへ出掛けるんでしょう? いつもと違う格好だから気づきますよ」


「あっ! すっかり忘れてた!」


 ニクスは普段の装いとは違って、今は外出用の服を着ている。黒のパンツに黒のコートに白のマフラー。

 ニクスの好みの色は黒。何故なら人を選らばないし、汚れても目立たないから楽なのだ。


 それはさて置き、言われてハッとしたニクスは自身のポッケを探った。中には固い木の感触――外出時用の札が入っている。

 慌ててそれを取り出し、カウンターの上に置く。


 と、なんだろうか。ナナが差し出している自身の腕を、コワレモノでも扱うかのように優しく包んできた。

 柔らかい青色と困惑の空色。互いの視線が交錯する。


「陽に当たると健康に良いんですよ、エルウェさん。さっぱりしてきてください。それと――」


「ん?」


「最近寒くなってきたので、風邪を引かないように気を付けて。では、行ってらっしゃいです」


 満面の笑みでそう言うナナ。頬には若干の赤が差している。


 やはり、何が言いたいのか、よくはわからない。けれど、なんだかポカポカしてきたニクスは、


「おう! 行ってくるぜ!」


 負けじに溌剌とした笑みで返すのであった。




◇◆◇◆◇◆




 時刻は大体の人がそろそろおやつ休憩だったり、一服を始める頃。ニクスはその場所についた。


「すげー。商業区の昼間ってこんな感じなんだなー」


 ニクスは感心と辺りを見回す。

 野菜の入ったかごを持って、忙しそうに店と店の間を駆け回る青年。

 値切りをおこなっている主婦。

 額に汗をかきながら必死に呼び込みをしている妙齢の男性。


 活気があり、人が入り乱れているその様は、普段ダンジョンに潜っている自身にはあまり見られないもので、ニクスの心を踊らせた。


 まだ来て半年、ニクスはこの領のことをよく知らない。ウチノ屋と協会、そしてダンジョンがおもな行動範囲だ。

 しかし、ラカントラマがちょこちょこ連れ出してくれているお陰で、ちょっとだけ知識を得ていた。


 フォクス領は、大まかに五区画で分けられている。

 今、ニクスがいる商業区。大人が通う色街。地元民が住む居住区。ウチノ屋などがある宿泊区と、領主の館やダンジョンや協会がある中央区。

 それぞれに責任者をたてて、運営しているらしい。


「景気がいい話も聞こえてくるし――」


 耳を澄ませば、お祭りだの今年は実りが良かったなどの声がチラチラと聞こえてくる。

 やることも特にないし、この際、色々とこの領を見回ってもいいのではないか。そう思いながらニクスは目的の場所――――目前の花屋へと向かって歩を進めた。



 着いて早々、花屋の奥へと向かったニクスは、目的の人物――花屋の店主を見つけた。

 品出しのためか、店主は腰を屈めて目の前の色とりどりの花達とにらめっこしている。


「おっす。きたぜ! 儲かってかー?」


「ぼちぼちです……って、エルウェさんじゃないですかっ」


 声かけに表をあげた花屋の店主は、その声をかけた人物がニクスだとわかると顔を綻ばせた。


「昨日、ハゲラマに聞いたけどよー。嫁さん、随分とよくなったらしいじゃねーか」


「はい。おかげさまで。お二人には本当に感謝してもしたりないです」


 深く頭を下げる店主の名はダジェット・フラル。

 以前、ニクスとレイチェルが協会づてに依頼を受けた人物だ。その依頼の内容は、薬の元となる薬草を納品するというもの。


「感謝なんていらねーよ。オレは薬草を取りに行っただけだし。調合して薬にしたのは、薬剤師だろーが」


「それはそうですが……。ですが、元となる物が無ければ、妻がこうも早く快調へ向かうことは無かったでしょう」


 大袈裟だ気にすんなと伝えたかったニクスだが、ダジェットはその事実を深く重く捉えているらしい。瞳がうっすらと潤んでいる。


 仲の良い知人とかなら兎も角、ダジェットとの間柄はただの知り合い止まり。

 勿論、こうして真正面から感謝されて悪い気はしないが、どう反応すればいいのか。

 いたたまれなくなったニクスは、昨日ラカントラマから聞いたもう一つの話をダジェットに切り出すことにした。


「えっと……これも聞いたんだけどよ。もう少しでガキんちょも産まれるらしいじゃねーか」


「そ、そうなんですよ!」


 話題をだした途端、ダジェットの表情が一転、パッと花が咲く。

 ニクスが今日訪れた主な用事はコレ。ダジェットが自身とレイチェルに報告したいと、ラカントラマに言っていたらしい。


 ニクスは懐をごそごそと探り、札束を取り出す。その厚さは、先程グリズに支払ったものと同等なもの。


「これは、出産前祝いだ。とっときな!」


 こういうときはお祝儀だろう。ニッと笑い、当然と差し出したニクス。しかし、ダジェットは目をまるくし、


「そ、そんな……。お金なんて、受け取れませんよ!」


 前へ両手をつきだし、ぶんぶんと首を振るう。

 ニクスは口をへの字に曲げ、受け取りを拒否するダジェットの細身の体にお金を押し付ける。


「遠慮すんなって!」


「ダメですってばっ!」


 それでもダジェットは受け取ってはくれない。手で壁を作り、二人は押し問答を始める。

 そして、数回程その往復があって、ムキになったニクスは肩で息をしながら、


「なんでダメなんだよ! こーゆときはご祝儀だって相場は決まってるだろ?」


「確かにそうですが……。恩人ですし、自分より年下の子からは受け取れないですよ。それに、お金が欲しいから呼んだんじゃないんですってばっ」


「年は関係ねぇだろ! こーいうのは気持ちだぁ!!」


 一度出したからには引っ込めないし、引く気もない。ニクスとてお金は無駄使いしたくないが、めでたい時くらいはパーっと使いたい。それに、年下だからとかの理由は一番プライドを刺激される。

 こうなったら、受け取ってくれるまで意地でも帰らない所存だ。


「困りましたね……」


 うーんと腕を組んで悩むダジェット。鼻息荒いニクスを見てなにか妙案でも浮かんだのか、指を一つたてた。


「では、こういうのはどうでしょう?」


「あん?」


「当店のお花を買ってください。その金額がご祝儀ということで」


 意固地になるニクスに、ダジェットはそう提案した。一瞬思考し、ニクスもまたその提案が落とし所と判断。渋々と頷く。


「それなら……ま、いっか」


「では、店頭へ行きましょう。良い花がたくさんありますよ」


 そうして、にこっと顔を綻ばせたダジェットにニクスは店頭へと促される。

 着いていくと流石は花屋。赤、ピンク、白、黄色、少ないが青色といった様々な花々が陳列されていた。


 ただ、それが何の品種でどういった名前なのかニクスはわからない。

 香りも良いし綺麗だが、文字がいっぱい敷き詰められた本のように目が滑ることこのうえない。

 つまり、どれを選んでいいのかわからないでいた。

 すると、そんなニクスの心情を察したのか、ダジェットは一輪の花――ピンク色で真ん中が黄色の花を手に取った。


「この花はコスモスと言います。今が時期の花で、色によって花言葉に違いがありますが……この色のは乙女の純潔なんて言われていますね」


「へー。色で違いがあるんだな」


「はい。色だけじゃなく、形によっても言葉が多少違ったりもしますよ」


 それからもダジェットは、一輪とってはその花の話、逸話などをニクスに聞かしていく。

 ガーベラ、ダリア、菊などなど、大量の花言葉をいっぺんに教えられ、ニクスの頭はいっぱいいっぱい。眩暈がおきそうなほどだった。


 だが、あまりにも嬉しそうに語るダジェットの姿にニクスは、制止の声を掛けられずにいる。

 一本、また一本と次々に説明されながら手渡される花を断れず、受け取っていく。


「これは秋バラというもで――――」


「そろそろ手持ちの花ぁ、いっぱいになったし、いいんじゃないか?」


 熱く花について語るダジェットに、ニクスは冷や汗をかきながら遂に白旗をあげる。

 進められたものは一切断らずいたら、何時しか両手にはいっぱしの花束ができあがっていた。


「……確かにそうですね。すいません。では、こちらでよろしいでしょうか?」


「お、おう!」


 ダジェットはニクスのその言葉に、愛想笑いともとれる苦笑いを浮かべると、ニクスの手にある商品を見ながら申し訳なさそうにそう述べる。

 それに対し、ニクスはもう十分だといわんばかりに、二度、三度、首を縦に振って応じた。


「畏まりました。会計をしてきますので、少々お待ちになっていてください」


 言って、ダジェットはニクスの両手から花を受け取り、背を翻す。向かう先はレジだろうが、歩くスピードは羽根でも生えたかのように軽やかだ。


 お金は遠慮していたくせに、花の事になると遠慮はないんだなと。

 その背を見送るニクスは、どっと押し寄せた解放感に吐息を溢す。


 ともあれ、暇になってしまった。

 あの量を会計するのは時間がかかるだろう。

 待っている間、何をすればいいのか。とりあえずと、ニクスは花をぽけーっと端から端まで視線をくべてみる。と、唯一知っている花が視界に入った。


「これは……」


 それは、陳列棚の一番端に追いやられていた。

 白く、真ん中は薄い緑色。花びらが満開ではなく筒上に咲き、雄しべも雌しべも下を向いたその特徴的な花の名はガランサス。――自身が育った場所の名前の花だ。


 おもむろに、ニクスはその花を手に取り眺めた。すると突然、背後から黒い影が伸びてくる。


「綺麗なお花ですね」


「――――あ」


 自身の耳朶に深く響くその声に振り向けば、それは人――今まで見たことない、綺麗な漆黒の女性だった。

 思わず、時が止まったのかと錯覚するくらいニクスはその女性に見惚れる。


 年齢はおよそ二十くらいで、身長は百七十あるニクスと同じくらい。腰まで届く黒い髪は、清流の煌めきのごとく輝き、朗らかに弧を描く口元は薄いピンク色。

 そして、目尻が落ちた柔らかな印象をくれる黒い瞳は、深い宵闇でどこまでも吸い込まれそうで――――まるで、昔の神話を描いた絵本の中の女神。暝神ルナのような美しさだった。


 顔だけみたら、絵画が歩いていると錯覚してしまいそうだ。が、彼女は確実に生きていて、確かにここに存在している。

 そう思わせてくれるのは、八面玲瓏と絵本の中で語られる暝神ルナとは違い、大胆に胸元の開いた黒のワンピースを着ているおかげだろう。


 それにしても――――


「でっか……」


 自然、ニクスの視線はその大きく縦線を描く胸元へ向かう。

 もしかしたら、今まで見てきた中で最高の巨峰、マリリンとタメを張るくらいデカイかもしれない。


「どうかしましたか?」


「い、いや、なんでもないっすです!」


 ニクスのそんな煩悩などつゆ知らず、漆黒の女神は首をコテンと傾げる。

 その姿が妙に目が離せず、鼓動が強く波打って、ニクスの返答はしどろもどろ。

 そう、ニクスはドギマギしていた。同年代の女とは違う大人な魅力に。


「そうですか。その……つかぬことをお聞きしますが、この街の人ですか?」


「オ、オレか。違うけど――」


 ニクスがその美貌に釘付けになっていると、漆黒の女神は恐る恐るといった様子で訪ねてきた。

 その問いに否と答えるニクスは、この街どころかこの国出身の人間ではない。

 王国最北端の領土、スノーパスより北にある人口六十人程度の過疎化した村の出身だ。


「なるほど、そうですか……。失礼しました。ありがとうございます」


 ニクスがこの街の人間ではないと知ると、漆黒の女性は落ち込んだような音色でそう言った。そして、寂しげに視線を街道へ――歩く人々へと向ける。


 その視線を追いかけながらニクスは思考する。

 いったい、彼女は何を求めてそんな事を自分に聞いてきたのだろうか。気になってしょうがない。

 いや、違う。その視線が自分以外に向けられるのがなんだか癪に触った。

 こんなのは初めての経験だ。どうして会ったばかりの女性にこんな欲深な気持ちを抱くのか、理由はわからない。

 けれど――――けれど、何故か気に食わなかった。


「なぁ、どうしたんだ? オレでよければ話し、聞くぜ?」


 気付いたら、ニクスは漆黒の女性にそう言って、澄まし顔で笑いかけていた。

 すると、街道を眺めていた漆黒の女性はニクスへと振り向き、哀愁を感じさせていた雰囲気から一変。実に嬉しげな表情へと変貌を遂げ、ピンク色の唇を薄く開けた。


「……本当ですか?」


「おう! どんとこい!」


 胸を叩き、ニクスはどんとこいの構え。

 漆黒の女性は、そんなニクスに頼もしいですねと微笑んで、


「あの……ですね――」


 そう切り出した。




◇◆◇◆◇◆

 



「――――といった事情なんです」


「なるほどなぁ……」


 漆黒の女性の話しを聞いたニクスは、腕を組んで、納得と頷く。


 話しを聞くに、どうやらこの漆黒の女性は、フォクス領に来たばかりらしい。

 来た理由は職探しで、今はこの領――街に詳しい人、案内をしてくれる人を探しているんだそうだ。


 であるならば、彼女の目的を解決するのは簡単だ。役所にある案内所か、自身より長くここに住んでいるラカントラマやダジェットにでも案内を頼めばいい。

 本来ならそうすべきだし、ニクスも普段なら迷わずその選択をしただろう。


 ――――でも、でもだ。


「あんま詳しくないけどよ……。オレでよければ案内するぜ!」


 ニクスはどうしても、この女性と一緒にいる時間が欲しかった。こんな好機をふいにはしたくない。

 昨日レイチェルから言われた忠告など、女神の前では綺麗さっぱり吹っ飛んでいた。


「そんな……いいんでしょうか……。 何もお礼できませんよ?」


「礼なんかいらねーよ!」


 と、ニクスは親指を立て、ビシィッと音が鳴るんじゃないとおもうほどの渾身のキメポーズ。


 一瞬、呆気にとられたのか、言葉を失ったように止まった漆黒の女性。しかし、すぐに微笑んで、


「――――。……ふふ。エスコートよろしくおねがいしますね、格好よくて優しいお兄さん」


「っ――! しゃっ!」


 明らかなお世辞だが、ニクスはその言葉を表面通りに受け取り、鼻をふくらます。そして、嬉しさと気恥ずかしさから、漆黒の女性に背をむけて小さくガッツポーズ。


「――――」


 そんなニクスの背を見る漆黒の女性は、上品に弧を描く口元に手をかざし、朗らかに笑って――




 ――――――嗤っていた。

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