第十四話 【再会の後に】
「……何、コレ……」
クレハは目前の光景を視界に写し、ポカンとそう呟いた。
それも無理ない。
何故なら、扉の先は街だったのだから。
煉瓦の家々。舗装された道。そのどれもが真新しく綺麗な街だ。
ただ、まだ建設途中なのか。皮のシートで囲われた建物が所々散見される。
加えて、人がいない。そう。唯の一人としていないのだ。
真新しいのに人がいない街。
音のない世界は不気味で、切り取られた風景画めいている。
「二年振りだってのに、あんま変わってないなぁ」
もっとも、それは感傷にすぎない。
時はちゃんと動いていて、靡くそよ風は冷たい。
ニクスは、未だ唖然としているクレハの側まで行くと、彼女の肩をそっと叩いた。
「凄ぇだろ?」
「……うん。ダンジョンの中に街が建っているなんて、信じられないわ」
「マリンちゃんは、頑張り屋さんだからな」
新しく作られている街。その規模は、約五万人程度が収用できるものとなるらしい。圧巻だ。
いったい何人もの人がこれを作るのに、尽力したのだろうか。人の力は凄いと実感させられる。
とはいえ、正直なところなんでここに街を作る必要があるのか。その意図を、ニクスは察っせられないでもいた。
住む場所は、地上の街でこと足りていると思っているからだ。
もっとも、探索者思いのマリリンの事だ。おそらく、そこには何かしらの意図があるんだろう。
「ねっ。あれ何?」
「ん?」
街をぼうっと眺めていたら、隣にいるクレハがそう言ってきた。
それに従って、ニクスも彼女の視線を追いかける。
「……うげっ」
知らず、ニクスは苦い顔をし、口から嗚咽のような声が漏れでた。
視線の先、人が此方に向かって走って来ている。
それも、白煙を背後に残しながら、物凄い笑顔で。
ブロンドの髪を靡かせるその人は、物凄い綺麗なフォームだった。
腿は腰の高さ。振る腕はピーンと、指先まで伸びている。
しかも、胸部は壮観だ。上下に揺れるソレは大地を叩くハンマーになるだろう。
「な、なによっ。あの脂肪の塊は……」
「あー……」
それを見るクレハは、目を見開き、戦慄の声を上げた。
一方、ニクスは頭を掻いて、気まずい表情をする。
間違いない。その人物は、ニクスの記憶の中に残るマリンちゃん――マリリン・エッフェルトだった。
そして、クレハには見えているかどうかは不明だが。ニクスには見えてしまった。
マリリンの後ろを走るハゲ頭。みっともなく喘ぐように腕を動かす人間は、ラカントラマ以外あり得ないだろう。
ニクスは奥歯を噛む。
――逃げ出せるのなら、逃げだしたい気分だった。
「なんで……」
マリリンは兎も角、ニクスがラカントラマに抱く感情は複雑だ。
あの日から一度もラカントラマとは会っていない。だから、どう接していいかわからない。
無論、協会に行く以上。いつかは会うだろうとは思っていた。しかし、こうも早くとは夢にも思っていなかった。
どうする。
どうすればいい。
答えの出ない葛藤をニクスは心の中で繰り返す。
しかしながら、時というのは動いている。
そう。つまり、タイムリミットが訪れたということだ。
「――はぁ。ふぅ……」
着いた途端、マリリンは胸の前に腕を持っていき息を整える。
それを見るニクスは、呆と彼女が何かを発するのを待っていた。
しかし、クレハは、
「ちょっ。あんた知り合いなの?」
と、目を細め、困惑をニクスに訴える。
けれどニクスはそれに目を、心を、配ってあげらる余裕がなかった。
「う、嘘だろ……。……なんで、そんなに速いんだ……」
ぜぇぜぇと息を切らすラカントラマ。その人物にニクスの視線は注がれる。
彼の姿は変わっていない。
――いや、前にニクスが見た時よりも、腹がちょっとだけ出てるような気がした。
「……はぁ。――俺より、じゅ――」
滝のような汗を額――顔全体から流すラカントラマは、着いた途端、何かを言おうとした。
が、その先は告げられることはなかった。
「「――ひっ」」
それは誰の声か。ラカントラマとクレハだ。
急に空気が氷のように冷たくなり、二人はぶるぶると震え始めた。
とくにラカントラマに至っては、青ざめている。
「ラカントラマさん。何か……仰いましたか?」
「な、なんでもないです。マリンさん、ちゃん!」
悠然と微笑むマリリンに、慌てた素振りで言葉を紡ぐラカントラマ。何故か妙に必死だ。
その不自然なラカントラマに、マリリンは「ですよね」と言って、今度こそニクスに向き合う。
向けられるのは彼女が浮かべるいつもの微笑み。けれど、碧の瞳は僅かばかり揺れていた。
「お久しぶりです。白猿――。いえ。ニクスさん」
「お、おう。……マリンちゃんも元気そうだな」
なんとかそう返せた。
けれど、やはり居心地は悪い。
そう思うのは、おそらく。いや、絶対的に自身が悪いと認識しているからだろう。
とくに――
「よっ。久し振りってーのに、辛気臭い顔してんなニクス」
「――っ」
今度は言葉に詰まった。
いつも通りに。そう。二年前と同じく、気軽に声をかけてくるラカントラマに、何を話して、何から話していいのか。――ニクスは迷子だった。
ラカントラマと会うタイミングは、実はあったのだ。
ウチノ屋に彼は来た。しかし、ニクスはその時、素直に会えなかった。
後ろめたさがあった。
あの時、ラカントラマはあれだけ止めとけと忠告してくれた。
なのに、自身の欲望からそれを無視し、結果、彼の懸念通りに酷い目にあったのだ。
――わからない。何を言えばいいのか。
――どう、謝れば許してくれるだろうか。
「……あぁ」
そんな思いから、ニクスがなんとか紡ぎだせた言葉はソレだった。
「ったく……」
頬を掻いて、ラカントラマは嘆息する。
そして、ニクスの目の前まで来ると立ち止まった。
彼の大きい手が、ニクスの雪のように白い髪へと伸びていく。ビクリとニクスの肩が跳ねた。
「背、ちっとだけ伸びたな」
言って、ラカントラマはわしゃわしゃとニクスの髪の毛を乱暴に撫でる。
されるニクスは、地面に視線を落とし、借りてきた猫のように忠順だ。
「――俺、俺……」
「あれだな……。――――今度は良い女、連れて来たじゃねぇか」
その一言にニクスは顔を上げる。
見れば、ラカントラマは、怖い顔ではにかむ笑顔を向けて来ていた。
――変わっていない。
この暖かくて大きな手も、自身より高い背も。
涙が出そうになって、けれどここは涙じゃないなとニクスは堪える。
そう――
「オレが連れて来たんだから当たり前だろ?」
ニクスは溌剌とラカントラマに言う。
鼻をピクつかせながら。今だけは、今までのように。
「はんっ。相変わらず生意気な糞ガキだぜっ」
「ハゲラマの方こそ、腹だけじゃなく、大分老けたな!」
「お前も、後二十年後はこうなるんだ。覚悟しておけっ」
と、それから二人は、言葉を淀みなく交わして行く。今までの空いた時間を埋めるかのように。
ただ――。
そんな二人のやり取りを端から見る二人は。
「よかったですね……」
「なんなのよっ。……意味わかんないんだけど」
一人目は、涙を眦に浮かべて優しい表情をしているマリリン。ハンカチをぎゅーっと握っている。
もう一人はしらーっと、生暖かい黒眼を向けてるクレハ。何が何やらと語り合う二人を交互に見ている。
同じ場所にいる筈なのに、抱く心境は異なる。そんな四者四様の時間が、そうして少しだけ続くのだった。
◇◆◇◆◇◆
「――と。申し訳ございません。お見苦しい所をお見せしました」
ニクスとラカントラマ。
両名が過去の精算を済ませた後、マリリンは手持ち無沙汰に戸惑うクレハにそう謝罪を述べた。
「お、わりぃな嬢ちゃん。お前さんのこと忘れてた訳じゃねぇぜ。つい、感極まってな。――それと今朝はさんきゅーな」
続いて、ラカントラマもクレハへと首を向け、照れくさそうに頬を掻きながら言う。
「べ、別にいいけど……」
二人からの謝罪を受け取ると、クレハは血色の良い唇を尖らせた。
その姿は不満があるというよりは、置いてきぼりが気にくわないといった様子だ。
「なんだぁ? クレ……クレッパ? とハゲラマは朝会ってたのか?」
「おう。食堂でな。それと嬢ちゃんはクレハだぞ」
「あ、そんなんだったな。――にしても……なるほどなー」
こそこそと、浮いて出てきた疑問をラカントラマにへと耳打ちをし、ニクスは納得と頷く。
怪獣の名前は兎も角。
そこで、ラカントラマは自身がダンジョンへ向かうというのを知ったのだろう。
その後、マリリンへと伝わり、現在へと至ったということだろう。
「――な、なによっ」
そんな考え事をしていたら、クレハの切羽つまるような、当惑したような声がニクスの耳朶に届いた。
意識を目前の状況へと戻し、ニクスはクレハを見る。
すると、何故だろう。
彼女は自身の胸を隠すように抑えて、マリリンの胸と自身の胸を見比べている。
黒瞳を尖らせ、警戒心に溢れるクレハ。
それに対し、マリリンは碧の瞳を細め、「ふふっ」と微笑みを浮かべる。
「その紋章――教会の人ですね。目的は承知しております。お勤めご苦労様です」
「ふ、ふんっ。当然よ!」
粛々と言葉を投げ掛けるマリリンに、クレハは顔を真っ赤にしながら胸を張る。
どうして彼女が真っ赤になっているのだろうか。ニクスには解らないが、ともあれ。
クレハの動作を見届けたマリリンは、折り目正しく一礼し、
「ようこそ。ジュピテイル探索者協会支部へ。私は支部長のマリリン・エッフェルトと申します」
恭しくそう述べるマリリンの姿は、まるで目上の人に対するような感覚で。
ニクスは少しだけ違和感を感じざるを得ない。
もっとも、その違和感が何か。そう、問われても明白に説明できないが。しかし、不思議で奇妙な感覚だった。
とはいえ、そのマリリンの対応は効果覿面だ。一気に上機嫌になったのだろうクレハは、
「殊勝なご挨拶感心するわっ。私はクレハ。――巡礼者クレハよ! それ以外でもそれ以上でもないわっ!」
ご高説をするように言うクレハは偉そうだ。
マリリンもマリリンで、それを当たり前のように受け止めている。
その二人の姿に、ニクスは意味がわからず、ラカントラマに顔を向けた。
アホ面でポカンとしている。
どうやらラカントラマも、訳が分かってない様子だった。
「なぁ……。ニクスどう事だアレは?」
「俺も知らねーよ」
「そっか! だよな!」
お互いが蚊帳の外だと認識し、あははと笑い合うニクスとラカントラマ。
そうしていると、マリリンがニクスへ碧の瞳を向ける。
真面目で、真剣味を帯びた眼差し。
――なんだろう。そうニクスが身構える前に、マリリンから言葉が紡がれた。
「――白猿さん」
「お、おう」
呼び掛けられた音色は平坦。
しかし、マリリンのその声は震えているような、いつもの柔和とは対照的な固さを感じられた。
ニクスは僅かに戸惑いながらも、彼女の言葉の続きを待つ。
「お仕事頑張ってください。私は貴方の辿る道を応援します。そして――」
マリリンはそこで一端言葉を区切り、クレハを一瞥。次に、ニクスへと微笑み、
「必ず……帰ってきてくださいね」
「おう! 当然だぜ!」
それは、なんと言えばいいのか。
万感の思いが籠められたような、それでいて、何故か痛みがあった。
彼女には似合わない表情だ。
だからこそ、ニクスは溌剌にマリリンへと返す。
「ふふ。……それでは、私とラカントラマさんは仕事に戻りますね」
「え? 仕事って……祭りでないんじゃ……」
「私もそろそろお祭りを楽しみたいと思っております。なので、ラカントラマさんにはエスコートをお願いします」
戸惑うラカントラマを他所に、マリリンは悠然と微笑んで、踵を返す。
ラカントラマもそれに従い、了承了承とマリリンへと着いていった。
ただ、二人の向かう先はお祭りとは逆方面だ。
ラカントラマは兎も角。やはり、マリリンに若干の違和感――というより、含みをニクスは感じた。
とはいえ、期待されて嬉しくないはずもなく。ニクスは、隣に居るクレハへと笑いかける。
「じゃ、行くか」
「ふんっ。やっとね!」
と、紅色の了承を得て、二人はまだ名も付けられていない街の外へと出るのであった。
◇◆◇◆◇◆
ダンジョン【グリモン】上層。
そこは、生い茂る草に彩られた草原エリアだった。
現在は、冬だ。なのに、青々と元気いっぱいに日の光りを浴びる草達を見ると、ここは地上とは隔絶した世界であることが伺い知れる。
一説によるとダンジョンは別の次元。
つまり、別世界なんじゃないかなどと噂され、それを認めるように多くの学者がその通説を唱えるが、しかし、その実態は不明だ。
確実に言えるのは、狂暴な魔物が出て、富を運んでくれる魔石が出ること。
そして、ニクス達が居る地上とは違った季節の移り変わりがあること。
これらを含めてみて、地上の世界と比べると、不思議で異常な場所には違いない。
とはいえ、その世界を歩く二人に、今、この話題は関係ないだろう。
「ねぇ、何処行くのよっ」
街を出て数分。無言で先導していたニクスに、クレハが不満顔でそう突っ込む。
「んー。安全地帯ってゆーか。まぁ、そんなところだ」
「え? ダンジョンじゃないの?」
訝しむような声が背後から聞こえて、ニクスは背後を振り返る。
そこには、やはり、形の良い眉を跳ねあげているクレハが居た。
「ここはダンジョンだぞ。街が出来たせいで魔獣とかが寄り付かなくなっただけで」
言うと、クレハの眉間にシワが寄っていく。
おそらく、彼女はそういう事を聞きたい訳ではないのだろう。
もっとも、ニクスもそれは承知の上だ。
「つまり、さ。そこで作戦会議と実力が見てぇんだよ」
「そんな必要はないわっ!」
と、がなるクレハだが。
ダンジョンを二人で潜るなら、ある程度のコンビネーションは必要だとニクスは思っている。
お互いがどの程度やれるか、それによって死ぬ確率は大分減少するだろう。
ラカントラマに教わったことだ。間違いない。
なので、ここはニクスの心情として絶対に曲げられない。
それに――
「お前の目的――どんなモノが欲しいのかも聞いてねぇしよ」
クレハが何を求めて【グリモン】に来たのか。ニクスはそれを聞きそびれているので、未だに不明だ。
仮に、彼女が求めているモノが深層にあるモノだとしたら、準備は入念にする必要がある。
「そういえば……。すっかり、言うの忘れていたわ」
黒い双眸をパチクリと瞬かせ、呟くクレハ。
どうやら、彼女自身もそれを失念していたらしい。
流石はせっかちさんだ。としか言うしかあるまい。ニクスとて、そういう事は多々あるので、責めるようなことはしない。
とはいえ、仰る本人は恥ずかしいようだ。
頬が若干赤くなっている。
仕切り直しとばかりに、クレハは咳払いをして、血色の良い唇を開いた。
「わたしの目的は、ゴブリンの巣に蓄えられている魔石結晶よ!」
「げっ……。ゴブリンの魔石結晶かよ……」
威風堂々と放たれた目的に、ニクスは渋面を浮かべる。
ただ、それでクレハが【グリモン】に来た理由も理解した。
早い話、ゴブリンというのは人形の魔獣であり、【グリモン】にしか存在しない。
そのゴブリンは、【グリモン】ではダンジョンの掃除屋として認識されている。
他の魔獣の死骸や、腐った植物を巣に持ち込む習性があるのだが。
その際に集められた魔石が、ゴブリンの唾液によって固められたモノが彼女の求める魔石結晶――つまり、残飯だ。
「なによっ。その反応は」
「いや、だってよー……」
かなり急いでいた様子だったから、もっと凄い魔獣かと予想していたニクス。
しかし、蓋を開けてみれば大したことのない手合いだったので、ガッカリというかなんというか。心が追い付かない。
ゴブリンは報酬も上手くないし、こぞって討伐もあまりしない。
増え過ぎた時に、たまーに討伐するくらいの弱い部類に入る魔獣だ。
無論、ニクスはゴブリンを討伐した経験はある。が、正直苦手だ。
レイチェルは我関せずと倒していたが、やはり、人形というのは剣が鈍る。
「でも、仕事だしな!」
進まない心情を押して、暫く歩く。
すると、開けた場所に着いた。
そこは、ニクスが目的として目指していた場所である。
茶色い大地が剥き出しになった一角は、ベンチなどが置いてあり、街ができる前までは、演習場として使われていた。
ニクスはそこで立ち呆けることもなく、後ろにいるクレハへと振り返る。
「俺は剣士。魔法は使えたけど……正直、使い方は忘れたからそこは期待しないでくれ」
「なによ。急に……」
「つまり、前衛なんだ。お前は何が得意なんだ?」
困惑するクレハを置いてきぼりにし、ニクスは腰に留めている棒刀のスイッチを押して、刀身を伸ばす。
そして、クレハから距離を取ると正面に棒刀を構えた。
「本当にやる気?」
「悪いけど、これが俺の流儀なんだ」
唇を不機嫌に尖らせるクレハに、ニクスは頷く。すると、彼女は仕方なしといった感じで溜め息を一つ溢した。
しかし、
「わたしは、魔術師よっ!」
次には胸を張り、得意気にクレハは口角を上げた。どうやら、やる気にはなったようだ。
その姿を空色に納めたニクス。前衛と後衛で相性はいいなと、内心で納得をする。
もっとも、彼女がレイチェルほどやれるとは思えないが、
「実力を見せてくれ」
何時なんどきでも動けるように、クレハを注視しつつ放った一言。それが合図だった。
紅色のポニーが揺れる。
クレハは、ニクスへと躊躇いもなく右手を向けた。
「赫々たる焔よ、我が声に集え――」
そうして、突如として紡がれるは詠唱。
クレハの呼び掛けによって、世界の法則が捻じ曲げられていく。
彼女の正面。拳二個程の炎が魔法となって現世へと現れ、
「――貫き、刺し穿つ矛となれ」
それから、クレハはその魔法を人間が使う術。魔術として変容させていく。
「スピアっ!」
凛とした声とともに、槍の形状を模した炎の魔術がニクスの正面へと迫る。
迫りくるソレに対して、ニクスはニヤリと口端を上げた。
棒刀を左手に持ち替え、右手を突き出す。
――瞬間。ニクスの左手とクレハの放った魔術が衝突し、音を立てて白煙が昇った。
「ちょっ! あんた何やってんのよっ!」
驚愕に黒眼を見開き、声を荒げるクレハ。
当たるなんて思ってもみなかったと、表情が物語っている。
彼女は駆け寄ろうと一歩踏み出す。しかし、濛々と昇る煙の中から声が聞こえてきたせいで、それを躊躇――否。眉を憤怒に吊り上げざるを得なかった。
「おー。中々良い魔術じゃねーか。でも、そんな教科書通りの魔術じゃぁ痛くも痒くもねーぞ」
それは、明らかな挑発だった。
噴煙が晴れると、そこには無事どころか傷一つないニクスが立っていた。
起こった事は、簡単な現象。
ただ単にクレハの魔術を右手で握り潰しただけである。
それをクレハも理解したのだろう。カッと表情が赤くなり、口から怒号が飛ぶ。
「ふざけんじゃないわよっ!」
訂正。怒号だけじゃなく、詠唱とともに先ほどと同じ魔術が飛んできた。
「――と。詠唱ありじゃ当たんねーぞ」
その魔術をニクスはなんなく躱し、更にニクスは挑発を続ける。
「うっさいわね! 黙って当たりなさいよ!」
腕試し前までは、あんまり乗り気じゃなかっただろうクレハ。しかし、そこにはもうそんな彼女はいない。
怒りに任せて魔術を乱発している。
避けながらその様子を見るニクスは、ガス欠するのが早そうだなと内心思う。
それに加え、感情を剥き出しにするその姿から、クレハは戦闘経験も少ないだろうと推測した。
「それに術の発動も遅いな」
呟きながら、ニクスは迫ってくる矛の魔術を避ける。
レイチェルと比べるのは酷だが、基本彼女は術名だけで魔術を発動できる上に、系統も多種多様だ。
しかし、クレハは違う。
毎回詠唱をするせいで、テンポが遅く、炎系統の魔術しか使ってこない。
炎系統しか使えないのかもしれないが、それにしても魔術の威力は弱い。
更に言えば、術が此方に向かってくる速度も遅すぎる。
「んー。【Ⅱ】か良くて【Ⅲ】辺りか?」
今のクレハの実力を探索者のランクで表すなら、おそらくその辺だろうとニクスは評価する。
ゴブリンを一体倒すだけなら、彼女の実力でも余裕だ。
しかし、巣になると少しキツイものがある。
それは彼女が弱いからではない。ニクスの能力値的な問題だ。
「巣になると、集団戦だからなぁ……」
巣は、凡そ五十から百五十体程度のゴブリンが存在している。そこが厄介であり、ニクスの懸念材料だ。
なにせ、どちらかというと自身は遊撃が得意だ。無論、レイチェルのお陰で、前衛はできるが生粋の前衛職とは程遠い。
前衛職の仕事は、全方位から魔術師を守らなくてはならない。なので、そこら辺のカバーができなくなった時、彼女を危険に晒すことになってしまうだろう。
「焔よ。彼の元に災いとなって降り注げ! ――レイン!」
「おー。それ使えんのか」
クレハの詠唱によって出現した炎の球体。
頭のサイズ程度の小さな太陽が、空へとうち上がる。それに対し、ニクスは感嘆を漏らした。
この魔術は、レイチェルも使っていたので、ニクスの記憶にもあった。
確か、小さな粒が頭上から降り注ぐ範囲魔術だった筈だ。
「そろそろ、一発くらい当たんな、さいよっ!」
恨み節の籠ったクレハの言葉と、指揮棒のように下げられる両手によって、魔術がニクスの想像通りに降り注ぐ。
それを見やりながら、ニクスは一人ごちた。
「あと、一人ぐらいほしいな……」
魔術に対しての感嘆はあった。
腕は比較対照がレイチェルしかいないので、アレだが。
クレハの魔術は学校で見た物に毛が生えた程度。――つまり、普通なのだ。
そうなると、やはり、あと一人くらい手が欲しい。
しかし、ニクスの頼れる人はラカントラマぐらいしかおらず、そのラカントラマも仕事でどっか行ってしまった。
「やっぱ、正直に言うしかねぇか……」
この後、吠えられるだろうと覚悟しながら、ニクスは降り注いできた炎の粒を全て避けきってみせた。
◇◆◇◆◇
「なんで……あ、たんないのよ」
そう言いながら、肩で息を切らすクレハは地面へとへたりこんだ。
魔術を使用しすぎて、もはや、指の一本すら動かすのも億劫だ。
「おい、大丈夫か? さすがに乱発しすぎだろ」
正面から憎き変態――ニクス・エルウェが余裕の表情で近寄ってくる。
それは自身の矜持を刺激するもので、クレハは黒眼を尖らせキッと睨んだ。
「安い挑発に乗りすぎなんだよ。……たっく」
「うるっ……さいわね」
その指摘は図星だった。
事実、クレハは悔しくて、ダンジョンに行くのも忘れて魔術を連発していた。
「あのよ……。ちょっといいか?」
「……なによ」
申し訳なさそうに頭を掻くニクスに、クレハは嫌な予感が過った。
その嫌な予感というのは、端的に言えば実力不足を咎められること。
「んー。あのよ。率直に言うと、ぶっちゃキツイと思う」
ほら、こうなる。
分かっていたことだ。
教会でも自身は特別強い方じゃない。巡礼者という名誉を賜ったのも、ただ運が良かっただけだ。
「分かっているわよ……」
自他ともに認める。けれど、クレハは諦められない。
自身を育ててくれた、それでいて生きている意味を見いだしてくれたその人の為にも。
「あんたは……もういいわ。わたしは一人でも行く」
決意はとうの昔に決めている。
それに、親友と結んだ約束――どちらが先に巡礼の旅を果たすかという約束を守る為にも、進まなければならない。
「……えっと。なんか勘違いしてねーか?」
空とおんなじ色をした綺麗な瞳で、変態は語りかけてきた。
「なによ……」
問うと、変態はあーとかうーとか唸っていて何かを伝えたいようだった。
普段なら聞く気も起きないが、如何せん身体を動かすのが億劫だ。
なので、クレハは言葉を待ってみることにした。
そうして、束の間の後、ニクス・エルウェは口を開いた。
「簡単に言うと、俺の実力不足だ。お前を守りきれる自信がねぇ」
「何を言って……」
意味がわからないことを言う男だ。
変態は、魔術を完封してみせた。それでも、足らないというゴブリンは、どれ程の脅威なのだろうか。
「でも、辞典では――」
クレハが読んだ辞典では、ゴブリンは取るに足らない存在だと記されていた。
その辞典は司教様に頂いた物。だから、そこに間違いは記されていない。
クレハは疑念の眼差しを向ける。すると、変態は、抱いていたであろう懸念を言ってきた。
「一緒に潜れってお前は言ってきたけどよ。それって俺一人で魔石結晶を取りに行くのじゃダメか」
――なるほど。
そこでクレハは理解した。
先程の発言と合わせるに、変態は素直なんだ。それでいて、不器用に優しい人なのだと。
その心意気が分かったとして、嬉しさはないけれど、伝えたいことは確かに心の中にストンと落ちた。
でも――
「それじゃダメなのよ」
そう。ダメなのだ。
巡礼の旅は自身で現地に赴き、目的の物を手に入れる必要がある。
それが、エン・エデルへの道となり、ひいては、世界を統べる天神様に対して、願いを届ける為の供物となる。
だから、クレハは自身の願いを天神様に伝える為にも、この歩みを止めるわけにはいかない。
「そっか。……でも、死ぬかもしんねぇーぞ?」
「承知の上よ!」
真剣な眼差しで覚悟を問うてくる変態。しかし、クレハの心はもう決まっている。
それを聞いた変態は、表情に影を落とした。
何を思っているかは伺い知れない。でも、これだけは言わなければならない。
「それに、限界は突破するものよ。いつかと後回しにしていたら、突破する機会は何時だって訪れやしないものっ」
「それは、死んでもか?」
再度問うてくる変態。
それに、クレハは威風堂々と胸に自身の右手を当てて言う。
「誰かの為に、誰かの癒しにわたしは成りたいし、成るの。その為なら自分の命なんて惜しくないわ!」
思い浮かべるは、自身を救ってくれた大司教。その人にクレハは恩返しがしたい。
これが――この巡礼の旅が世界の為になるとクレハは本気で信じているのだ。
「……そっか」
その自身の決意を受け取った変態は、どこか浮かない表情をしている。
おそらく、納得も信じてもいないのだろう。
もっとも、それは仕方ないことだ。変態は、天神様を信じていないのだから。
変態の抱く思いはどうあれ、クレハは自身の思いは確かに伝えたと満足感に浸る。
そうして、後は彼がどう判断するのか。クレハはニクスが口を開くのを待った。
一分、十分。それはわからない。
が、ニクスは、重く閉じていた口を開いた。
「ったく。わかったよ……」
ポリポリと頭を掻くその姿は、ハゲ頭の御仁。ラカントラマとそっくりだった。




