05.Fly Away
「これかの」
「はい。このあたりにも兵士さんたちはいないようですね」
「うむ、それも、おあつらえ向きに門も開けられておるのう」
「祭りの夜は門を開放しているそうですからね。情報通りです。行きましょう」
外門は、壁の一部が切り取られたような形をしていた。
普段は警吏がいるらしいが、大陸全土で行われる、この祭りの夜だけは、一晩中開放されているらしい。
重そうな鉄格子の門扉の横を二人は通っていく。
兵士たちはもう諦めたのだろうか。
それとも、全然別のところをまだ探しているのだろうか。
街の人たちは、流れる陽気な音楽に、思い思いに歌ったり踊ったり、酒を飲んだり、ごちそうを食べたりしている。
あたりにはもうほとんど人影もなく、二人はすんなりと門をくぐり、砂漠の海を見渡した。
「ようやく戻ってきましたね、『死の砂漠』へ」
「相変わらず広い砂漠じゃのう」
「それはそうですよ。二日三日で変わるような場所じゃありませんもの。大陸の中で最も広い砂漠ですよ」
門からまっすぐに続く一本道を歩いていく。
ハガラズ王国の領土内には、砂漠に続く、舗装された一本道がある。『死への回廊』と呼ばれる道だ。
この道の終わり、延々と続く砂漠地帯に入ったとき、二人のハガラズ王国からの逃避行も終わりを告げる。
道が終わった向こう側、広い砂漠は、隣国、エワズ王国の領地であるためだ。
行く末は暗いけれど、それでも星が輝いていた。
手をつないだまま、二人は、一歩一歩確実に回廊を歩いていく。
舗装されているとはいっても、砂漠の中の道である。
今度は転ぶことのないように、着実に前へ歩を進めていく。
フィはなんとなくだが、始まりの予感を感じていた。
ここは、いつか通った道だ。
前にフィがハガラズ王国に来た時には、一人で通った道。
それを、今度は手を取り合って、共に歩んでいる人がいる。
広い砂漠からやってきた風が、音を立てて去っていく。
吹きすさぶ風は、砂をまき散らしていく。
フィは杖を持つ腕で顔を覆いながら、それでも足を動かした。
そんなフィとオクルを、壁の上から見下ろす影がある。
強い風の中、カタン、と聞こえるか聞こえないかくらいのささやかな音が鳴った。
「っ!」
「まぶしっ」
二人の行く道を光が照らした。
強い明かりに、思わず二人は目を覆って立ち止まる。
「なんじゃ、これは!?」
「っ、あれ!」
風に負けないようにと、自然と声が張り上げられる。
驚いて振り向いた二人の目に映ったのは、外壁の近くの塔から彼らを照らす、大きなライト。
いくつもの強い光が、フィたちを夜の闇から浮き上がらせる。
吹きすさぶ風に、フィの纏う亜麻色のマントのフードがめくれる。
舞い上がる砂から守るように、顔を覆ったフィには、フードを直すことはできない。
爽やかな春の空のような水色の髪が、オレンジ色の光に照らされた。
砂漠から見る、ハガラズ王国は、美しかった。
「いたぞ! あっちだ!」
兵士たちの声と、足音が響く。
フィはフードを直すこもなく、焦った様子で踵を返し、オクルと共に道を進んでいく。
ごうっと響くのは、風が砂を巻き上げて、嵐を呼んだ音。
砂に足を取られそうになりながらも、二人はどうにか進んでいく。
しかし、嵐の中、なかなか思うように進めない二人とは違い、兵士たちはどんどんフィたちに迫ってくる。
ようやく舗装されていた道の終わりが見えた。
フィたちの前には一面の砂漠が広がっている。
終わった、と思った。
兵士たちから逃げおおせたのだと。
しかし、無情にも、遠く、光が灯った。
「止まれ!」
あと一歩というところで、フィは足を止めた。
風に吹かれて、フィの髪が揺れる。
とがった耳が、一瞬、光に照らされる。
前から後ろからやってくる兵士たちに、フィはたじろぐ。
行く道はない。
兵士たちは、いつの間にか剣を構え、二人を囲んでいる。
逃げ場もない。
フィはオクルとつないだ手をぎゅっと握った。
兵士たちは、それぞれに何かの機械に乗っている。
きっと、砂漠の中でも走れるようにするために、ハガラズ王国で開発されたものだ。
それはきっと、戦争のために。
身一つの彼女たちでは、砂の中に築かれた機械の国から逃れることはできないのだ。
「賊め、うろちょろと逃げ回りおって」
兵士たちの中から、一人が歩み出る。
どうやら、この兵士たちの隊長格らしい。一人だけ揃いの金属甲冑に、赤い飾り羽根がついている。
「そこの者、被り布を取り、顔を見せよ」
隊長は高らかにそう叫んだ。
荒れる風の中でも、その声は朗々と響く。
銀色の甲冑に身を包んだ集団が、じっくりと二人に近づいてくる。
フィとオクルは互いに背を向けあって、兵士たちを睨めつける。
ごくり、と唾を飲んだのはどちらだったろうか。
「どうした。聞こえないのか」
隊長は、鞘から剣を抜き出すと、二人に突きつける。
剣は周りの兵士たちの持つ明かりに照らされて、鋭く光る。
ひっ、とフィの喉から悲鳴が漏れる。
「抵抗すればどうなるかは分かっているだろう。おとなしく言うことを聞いておくのが身のためだ」
「フィ様」
オクルはそのままの姿勢で、フィに耳打ちする。
兵士たちとは数メートル離れているから、小声なら、話は聞かれないはずだ。
「わしがやつらの注意をそらす。その間に、魔法を使うのじゃ」
「で、でも」
「大丈夫じゃ。フィ様ならできる。わしはそう信じておるぞ」
オクルはフィから手を離す。
「この国には魔法の概念がない。魔法など、どういうものかも、どう使うのかも知らないはずじゃ。焦らずにやれば、フィ様ならできる」
「……はい」
フィたちには、捕まってはならない理由はあっても、彼らと戦う理由はない。
動揺に、その素性を明かす理由ももちろんない。
それなのに、オクルはフィから離した手を、フードに添えた。
オクルは一歩前に出て、フィを庇うように隊長格の兵士の前に立つ。
隊長の持つ剣の切先が、オクルの首を捉える。
オクルはそこで手を止めて、口を開いた。
「ところで、お主らは、なぜわしらを追っているのか、聞いてもよいかの?」
「それに答える義理はない。姿を見せろ」
「わしの顔を見たところで、何かわかるとは思えんがのう」
オクルはやれやれと言った様子で、応える。
それから、こっそりと眼鏡を片手で取り、オクルはフードを外した。
深緑色の髪が風にそよぐ。
青い瞳が隊長を捉えた。
「これでよいかの?」
にこにことしているオクルに、隊長は切先を向けたままでいる。
フィは、オクルの背を見ながら考える。
オクルは魔法を使えと言った。確かに、この状況なら魔法を使うのが最も確実に逃げ伸びる手段だ。
しかし、何の魔法を使えばいいのか。
【隠伏】は一方向にしか張ることができない。周りを囲まれているこの状況では、使っても意味がない。
他に使える魔法は……。
「それで、わしはこうして顔を見せたわけだが、お主はそのカブトは取らんのか?」
「……なぜ私が顔を見せなくてはならない?」
「なんじゃ、気に障ってしまったかのう? 他意はないんじゃ。そう怒らんでくれ」
焦った様子で両手を振るオクルの後ろで、フィは小声で呪文を唱え始める。
『〈世界を渡る風の神よ、〉』
「しかし、こうして要請にしたがって顔を見せたのだから、少しくらい質問に答えてくれてもいいと思うがのう?」
「……貴様らが」
「なんじゃ?」
隊長がぐっと息をのんで、それから吐き捨てるように言った。
「貴様らが逃げるから追っていたまで。ハガル様の命令だ。それ以上のことはない」
「ほう、ハガル様の……。ハガル様とは何者じゃったかの?」
「貴様、ふざけているのか!? ハガル様といえば、この国の大元首にして、先の大戦にて我が国を勝利に導いたお方! この国はハガル様によって成り、この国はハガル様のために命を燃やすのだ!」
「そ、そうじゃったかのぅ」
『〈命を育む火の神よ、世を治める水の神よ、母なる大地の神よ、遥かなる時の神よ、数多神々よ、〉』
熱くなる兵隊長に圧倒されるオクルの後ろで、フィは冷静に呪文を唱え続ける。
フィが知る中で最も長く、最も難しい詠唱魔法だ。
隊長の言うハガルとは、ハガラズ王国の国王を指す。
この世界では、国王には代々、その国ごとに名が伝えられている。
ハガラズ王国の国王は、王位を継承する際に、衣冠と共に、「ハガル」という名を受け継ぐのだ。
「そうだ! この国がこうして機械の力で発展を遂げたのも、全てはハガル様あってのこと! ハガル様のためならばこの命など惜しくはない! それに引き換え、貴様らは」
「なんじゃ、わしらは別に、お主らが追ってくるから逃げていただけじゃぞ。後ろめたいことなどなにも」
「逃げるということは後ろめたいことがある証拠だろう!」
隊長はオクルに突きつけていた剣を振り上げると、それを地面に勢いよく突き刺した。
砂の合間を縫って、剣は土に刺さる。
「隊長、落ち着いてください!」
「隊長、いくらハガル様が好きだからって、こんな子ども相手にムキになっちゃだめですよ!」
「隊長!」
周りの兵士たちがやいのやいのと騒ぐ。
どうやら、この兵士隊長のハガル様好きは、隊の中でも有名なことらしい。
オクルは苦笑いを浮かべる他ない。一度会ったことはあるが、そう大したものじゃなかったぞ、とは口にはできない。
『〈我が願いに応えたまえ、我が言葉に応えたまえ、聖なる夜、異界との扉開かれるとき、我ら世を超えん。夏と冬の境、その境界線の向こう、大いなる地が迎えいれん。我が声に応えたまえ、我が詩を聞き入れたまえ、世界の扉を開きたまえ、〉』
フィの持つ杖の先の宝石が、ほんのり光る。
しかし、兵士たちの視線は隊長に向いており、フィの変化には気づいていない。
オクルは、背後での魔法の行使を感じとっていた。
心のうちでニヤリと笑みを浮かべる。
どうやら、魔法はうまくいっているらしい。
この分ならば、兵士たちが言い合っている間に、この国から脱出できるだろう。
『〈遠き彼方、我らが生命の源へ、我らを運びたまえ、【転移、とにかく遠くへ!!】〉』
詠唱を終えたフィは、オクルの手を取る。
杖の先で地面を突けば、フィを中心に光の魔法陣が広がった。
「なんだこれ!?」
「なにが起こっている!?」
「こ、これは……!!」
どよめく兵士たちをよそに、魔法陣は広がり、フィとオクルは光に包まれる。
「待て!」
隊長の叫び声を最後に、フィたちの姿はその場から消えた。
「やったな、フィさ……うおぉぉぉ!?」
「え、ひゃあぁぁぁぁぁぁ!?」
転移した先、そこはどこかの空だった。
フィはなんとか杖を両腕に抱え込む。
しかし、突風にあおられ、フィとオクルの繋がれていた手は離れてしまう。
言葉を交わすこともできず、どうしようもないままに、雨と共に、二人は広い森に向かって落ちていくのだった。