04.オクル
少しだけ、フィと共に旅をする仲間、オクルについて話をしておこう。
オクル=ヴィー=トロイは、ハガラズ王国の生まれである。
今から8年前、この国のとある施設にて誕生した。
オクルについて語るためには、まず、トロイ族について説明しなくてはならない。
トロイ族とは、ある時ベルカナ王国で生まれた、妖精に限りなく近い存在である。
それ自体の力は弱く、寄生しないと生きていけないが、その分、寄生することで、魔法が使えるようになったり、寄生した生物の能力を最大限に活用することができるようになったりと、力を得ることができる。
その特性から、妖精、生物などに寄生することで勢力を拡大させたものである。
基本形態は「メガネ」の形であり、その形状は様々であるとされている。
現在では、ベルカナ王国にて、国教として信仰される対象となっているが、それについての詳細は、ここでは省こう。
そんなトロイ族の卵を、10年ほど前、ハガラズ王国が強奪した。
以来、王城の地下施設、通称「研究所」にて、トロイ族の研究が行われている。
研究所において、実験により誕生した変異種は、「マジレ・モディング・トロイ」、通称「マジレ種」と呼ばれる。
尚、これに対し、オリジナル種は「ゴ・トロイ」、通称「ゴ種」と呼ばれる。
ハガラズ王国はこの研究を極秘に行っており、トロイについても、国家機密とされている。
オクルがこの国の国家機密と言われているのは、この研究所で生まれた、マジレ種であるためだ。
ハガラズ王国にとって誤算だったのは、研究の過程で誕生した、一体の変異種が、自我を持っていたことだろう。
他個体と同様、卵から孵ったその個体は、オクル=ヴィー=トロイと名付けられた。
それは、他の個体と異なり、寄生していない、メガネの形態の時にも、魔法を使うことができた。
そして、その個体は、人間に憧れていた。
オクルはある時、自力で研究所から脱出した。
研究所の人間たちは、メガネの状態でのトロイ族の脱走は予想していなかったらしい。
それが、今から約2年前。
脱走の途中で、オクルは植物に寄生した。
疲れすぎて魔法が使えなくなっていたオクルを拾ったのが、フィだった。
それ以来、様々な場所を旅して、ここまで来た。
その日は雨だったと、オクルは空を見上げる。
狭い夜空は、街の明かりに霞んで、ただ全てを飲み込むような闇が広がるばかり。
一瞬、白い光が、よぎったような気がした。
❀❀❀
チリン、と音がした。
突然フィが上に顔を向ける。被っていたフードがパサリと落ちて、水色の髪が顕になる。
「フィ様? どうかしたかの?」
「いえ……気のせいでしょうか、今、鈴のような音が」
「鈴? わしには聞こえなかったのう」
「そう、ですよね」
曖昧に頷いて、フィは首を傾げる。
小さな音ではあったけれど、確かに鈴の音だった。しかし、フィの聞いたことのある鈴の音とは違う。
フィたちを追っている兵士たちも、こんな音のするものはつけていないはずだ。
なぜなら、ハガラズにはベルさえないのだから。
「フィ様」
「えっ?」
シーッと、オクルは口元に指を立てる。
フィは慌てて口を噤んだ。
「何か気配がする」
「けはい」
小声で言うオクルに、フィも小声で返す。
気配、というと、兵士たちが近くにいるのだろうか。
フィは通路の入口を見つめた。ドクンドクンと、鼓動が強く鳴る。
魔法をかけたのだから、気づかれないはずだとは思いながらも、見つかってしまうのではないかと、どこかで焦る自分がいる。
フィの首飾りにつけられた赤い宝石が、マントの隙間から、チラリと光る。
小さな足音が、コンクリートの道を踏む音がする。
二人は息を飲んだ。
にゃあ、と建物の陰から啼き声がした。
「……ねこ?」
「猫じゃな」
二人は安堵のため息をつく。一匹の猫が、フィたちの隠れるくぼみの前にやってきて、もう一度、にゃあ、と鳴いた。
金色の瞳が光る。
フィたちのいる方に向かって、猫は座り込み、ダメ押しとでもいうかのように、もう一度、みゃあと鳴く。
「かっ、かわいい!」
「フィ様!?」
オクルをすり抜けて、猫に駆け寄ろうとするフィを、オクルが留める。
「待て待て、何のために魔法をかけたのじゃ。ここを抜けたら魔法が解けて、やつらに見つかってしまうのじゃぞ」
「あ……そうでした」
フィが落ち着いたのを見計らって、オクルは手を離す。
フィは魔法で張った結界のそばにしゃがんで、向こう側で優雅に伸びをしている猫を眺める。
「ねこかわいぃぃ……可愛がりたいですぅぅぅ……」
「わしに泣き落としは効かぬぞ」
「オクルくんのけち」
よよよ、と泣いてみても、残念ながらオクルは靡かない。
フィの拾い物癖は今に始まった話ではないが、特に動物には目がないらしい。
オクルも拾われた身であるから、何とも言えないところではあるが、しかし、今はそんなことをしている場合ではないのである。
オクルは冷めた目でフィを見つめる。
猫はチリンチリンと尻尾につけられた鈴を鳴らす。
ピクピクと耳を動かして、フィたちから見て右側の道をじっと見つめる。
それから、一瞬、その金色の瞳がフィを捉える。
みゃあ、と一つ鳴いて、すっと立ち上がると、向かって左側に向かって駆け出した。
「あっ、待って!」
「フィ様!?」
隠れていたくぼみから抜け出し、猫を追いかけるフィを、慌ててフードを被り直したオクルが追う。
もちろん、フィが忘れていった杖を持っていくのも忘れない。
猫は少し行ってから、まるで道案内でもしているかのように、少し立ち止まり、そしてまた走り出す。
それを追いかけて走るフィを、オクルは追っていた。
オクルの方が体力はあるが、一目散に走るフィのほうが足は速い。
「わぶっ!」
「おっと、大丈夫か?」
躓いて転んだフィに、ようやくオクルも追い付いた。
フィはオクルに手を借りて立ち上がる。
猫はすっかりどこかへ行ってしまっていた。
「すみません……」
「いやいや、怪我はないかの?」
「はい、大丈夫です」
「それはよかった」
オクルは杖をフィに渡しながら言った。
「しかし、フィ様がここまでで転んだ回数は、これで9回か。あと1回で賭けに勝てるのう」
オクルの言葉に、フィは一瞬固まる。
「待ってください。数えていたんですか!? そして賭けってなんですか、誰とそんなことを! いつの間に!」
「冗談じゃ」
「冗談ですか……」
「うむ。賭けの相手は言えないがの。漢と漢の約束じゃ」
「賭けは冗談ではないのですか!?」
「フィ様、シーッ」
「むぐっ」
オクルがフィの口をふさいだ。
カシャッ、カシャッ、という金属音が近くから聞こえる。
フィとオクルは見つめあって、コクリと頷きあう。
音をたてないように物陰に隠れて、あたりを警戒する。
幸いにも、音はすぐに遠くなった。
「行ったか」
「みたいですね」
それぞれに詰めていた息を吐き出す。
それから、フィは両手を腰にあてて、オクルに向き直る。
「でも、オクルくん、賭けごとはいけませんよ」
「あっはっは、大丈夫じゃ。金は賭けとらん」
「そういう問題ではありません!」
「これこれフィ様、そう大声を出したら見つかってしまうぞ」
「あっ、すみません」
慌てて口元を押さえるフィに、オクルは笑いそうになる。
コロコロと表情の変わるフィは、見ていて飽きないなと思いながら、反省しているふうを装っておく。
「もうやっちゃだめですからね」
「うむ、気を付けよう」
「ほんとかなぁ?」
フィは訝しむが、態度を変えないオクルに、諦めたようにため息をついた。
キッと気持ちを切り替えた様子で、真面目な顔をして切り出す。
「それで、ここからどうしましょうか」
「フィ様が夢中で追いかけている間に、どうやら門の近くまで来たようじゃぞ」
「うっ、すみません……」
フィのアホ毛がしなしなと垂れさがる。自覚はあったらしい。
外門は大きく、大通りの先にそびえ立っている。
「で、でも! 結果的には良かったですよね!」
「結果的にはのう。よくあれだけの追いかけっこをして、兵士たちに見つからなかったものじゃ」
「猫様様様じゃな」
その猫様はとっくにいないが、オクルはなんとなく、まだ近くにいて、自分たちを見守っているような気がしてた。
ともかく、もう外門の手前。
あとは門を出て、『死への回廊』を渡り、国から出るだけだ。
フィとオクルは、路地裏から表通りへ出るところの、露店の陰からあたりを伺う。
どうやら、近くに兵士たちはいないらしい。
表通りには様々な露店やランプが並び、多くの人々が行き交っている。
「行きましょう」
「うむ」
踏み出そうとしたところで、フィは自身のまとっているマントの裾を踏み、前に倒れ込む。
「わぶっ」
「これで10回目じゃな。もはや呪いかなにかではないかと思えてきたのう」
「すみません……」
起き上がるフィに、オクルは手を貸す。
見たところ怪我はしていない様子のフィに、オクルは少しだけ微笑んだ。
「フィ様は10回こけようが、10回起き上がって立ち上がるからのう。」
「オクルくん……」
10回こけようが、10回起き上がる。その度に手を貸すつもりだ。
というオクルの言葉は、ちゃんとフィに届いたらしい。フィは感動の眼差しを向ける。
「でも、賭けごとはだめですからね」
「フィ様は変なところだけしっかりしておるのう」
まっすぐに見つめてくるフィに、オクルは冷や汗を浮かべる。
まだフィで賭けをしていたことに怒っているらしい。もしくは、照れ隠しか。
立ち上がり、砂を払ったフィは、フードを深く被りなおすと、表通りに出た。
人々は祭りの熱気に浮かれて、フィたちがいることにも気づいていない様子だ。
この通りの先に門がある。
フィたちは再び手を取り合い、門の向かっていく。
チリン、と小さな鈴の音が、浮かれた街の陽気な音楽にかき消される。
青白い月が、二つの人影が走っていくのを見つめていた。