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あそびの社のよもやま話  作者: 華蘭藤
第一章 霜月の旅人
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03.逃げ道

 狭い路地裏には、月の明かりは届かない。

 代わりに、戸の脇にかけられた小さなロウソクの光が、二人の影を作っている。


 少女と少年――フィとオクルは、互いに手を取り合って、なるべく影になっている道を選びながら進んでいた。


「……なんとか撒いたようじゃな」

「うぅ……。すみません」


 フィは顔を赤く染めて俯く。

 オクルはカラカラと笑って、フィを励ました。


「どうやら連中、わしらのことはわかっていないみたいじゃ。このまま撒いて行けば、予定通りに国を出られるじゃろう」

「そうですね……」


 フィはマントの下からオクルを見上げる。眼鏡の向こう側の瞳と交差した。


「しかし、フィ様は食いしん坊じゃな」

「オクルくん!」


 わっはっはと笑うオクルに、フィができる精一杯の反抗をする。

 が、当然ながら効いていないらしい。


「仕方ないじゃないですかぁ……。このあたり、いい香りがするんですもん」

「そうじゃな。どこも今夜はごちそうなんじゃろうて」


 裏通りには排管が並び、それぞれの家に充満した美味しそうな料理の香りが、ほんわりと二人を包む。

 オクルが腰につけた小さな鞄から、小さな包みを取り出して、フィに手渡した。フィは「ありがとうございます」とそれを受け取って、包みをはがし、口に放り込む。

 包みの中身は、キャンディにも似ている。透明な球状の携行食だ。口に含めば、どちらかというと触感は団子に近い。

 もぐもぐと食べ終えて、フィが口を開いた。


夏の終わり(サン・フィン)ですからね」

「そういえば、去年の祭りも豪華じゃったな」

「あそこはハガラズより豊かですから。美味しかったですねぇ、仔牛のスープ……」

「よだれが垂れておるぞ、フィ様」

「ふぃっ」


 去年に思いを馳せるあまり、緩みきった頬をオクルが軽くつまんだ。


「……ほふるふん……」

「わはは、もちもちじゃな」


 共に旅をする仲間だとフィは認めているけれど、一応名目上は従者なのだ。扱いが雑過ぎないかと、フィは心の隅で思う。

 恨みがましい目を向けるフィに、オクルは軽く笑って、その手を解いた。


「さて、腹は落ち着いたかの?」

「おかげさまで」

「そりゃよかった。ところで、ここはどこじゃろうな?」


 オクルが上を見上げる。歪な形の建物がひしめき合う地帯。ベランダからベランダへ張られた電線か、もしくはロープに、雑に洗濯物がかけられている。


「あまり治安はよくなさそうじゃが」

「オクルくん、地図を」

「おお」


 オクルが腰につけた革製の鞄から、一冊の本を取り出す。街で売られていた、このあたりの地図だ。フィは背負っている鞄の横につけていた杖を取り出した。

 それは、(オーク)でできた杖で、フィの体の半分くらいの長さがある。杖の先には魔導書が封印されており、その根元付近に宝石が埋め込まれている。フィが祖国を出るときに、魔法の師からもらったものだ。


 フィはオクルが広げた地図に杖をかざす。


「〈光の神よ、我らの進む道を示したまえ。【投影】〉」


 フィが呪文を唱えれば、ほう、と集まった光が、二人がいる場所を示した。

 こればかりは、さすがに使い慣れているだけあって、その精度もそこそこのものだ。


「予定からはそれほどズレていないようじゃな」

「そうですね。向こうの通りを渡れば、予定どおりです」


 二人で地図を覗き込んで、行く道を確認する。仕事を終えた光が、チラチラと空に舞い上がって消えた。

 オクルは地図を鞄に仕舞いながらつぶやいた。


「それにしても、ハガラズにこんな場所があったとはのう」

「それぞれの国に特色があるといっても、そう大きな差があるわけではありませんからね」


 おそらくここはスラムの一部なのだろう。ノラードは、ハガラズ王国の中でも特に人口密度が高い。人が集まれば、その生き方に上下が生まれるのは必至。こういう密集した地域も、隙間風の多そうな家も、窓もカーテンもついていないような部屋も、どこの国にもあるものだ。

 もしかしたら、半分廃墟になりかけているのかもしれないけれど。


 建物と建物の間の通路とも呼べないくらいの道を通っていく。地図上は、ここを通ればいいはずだ。

 人の視線も気配も感じられないその一帯は、なんだか異様な静けさを纏っている。


「このあたりは祭りじゃと浮かれてはおれんのかな」

「もしかしたら、みんな出払っているだけかもしれません」

「おお、それがあったか」


 国どころか、大陸を挙げての祭りだ。建物の中でひっそりと過ごしている人は、少なくとも今晩はいないのではないだろうか。とは、フィの推測だ。

 だから、こういう夜は、逃げやすいのだ。


 先を急ごうと歩き出す二人の耳に、すっかり覚えてしまった音が聞こえたのはその時だった。

 向こうの道から、金属の擦れる音が響く。それと、誰かの話す声も。

 二人は慌てて、建物の陰に隠れる。


「いたか!?」

「いや、こっちにはいなかった! 一体どこに逃げ込んだんだ!」


 どうやら、さっきとは違う兵士たちらしい。

 これまでとは違い、活発に探している様子から、さっきの兵士たちから、話は伝わっているようだと、フィは推測する。


 震えるフィの手を、オクルがぎゅっと握る。フィはうつむいていた顔を、オクルに向けた。


「フィ様、あの兵士たちが行ったら、向こうに走るぞ」

「は、はい」


 オクルは、兵士たちがいる側とは反対の、向かいの小道を指さす。他に比べると少し広いこの通りを渡れば、もう国の外へ通じる門まではそう遠くはないはずだ。

 それに、このあたりは特に、家が様々に作られ、道が入り組んでいるため、あの小道に入ってしまえば、兵士たちにも見つかりづらいだろう。

 兵士たちがいなくなる音を聞いてから、二人は予定通りに、小道に駆け込んだ。幸いにも、周りに人の気配はない。


 少し進んだところで、オクルが横道にフィを引き入れる。


「おっと、行き止まりじゃったか……」


 オクルがひとりごちた。

 小道かと思ったそこは、長さ1.5メートルほどのくぼみだった。家の外壁から伸びたコードや、何かの機械のせいで、余計に狭くなっている。

 近くで金属の音がして、二人は身を寄せ合って隠れた。

 強く鼓動の音が響く。

 足音はすぐに遠くへ行ってしまったが、どうやら近くに兵士がまだいるらしい。


「〈風の神よ、近く()るもの共の声を届けたまえ【聞き耳】〉」


 オクルが小声で魔法を唱える。

 フィは伺うようにオクルを見上げた。


「うーむ、しばらくここでやり過ごすしかないのう」

「そう、ですか……」


 オクルが首を振る。

 フィは、手に持ったままの杖を道に面した方へ構えた。右手に杖を持ち、左手を前に突き出す。それから、ごくり、と唾を飲みこんで、口を開く。


「〈光の神よ、我らが姿を隠したまえ、【隠伏(いんぷく)】〉」


 フィが呪文を唱えると、杖の先の宝石がコウ、と光る。その小さな光が二人のいるくぼみの入口に広がり、すぐに消えた。

 魔法が成功したのを感じて、フィは、ふぅ、と息をついた。

 これも使い慣れた魔法ではあるが、焦るとたまに失敗してしまう。

 オクルを見れば、安心しきった様子でフードを取っていた。深緑色の髪は、今日もあちらこちらにはねている。

 緊張感がないのか、それともあえて抜けた風を装っているのかわからないオクルに、フィも落ち着いていく。

 【隠伏】の魔法の効果で、他の者からフィたちは見えなくなっているはずだ。


「ふぅ、これで一息つけるのう」

「ええ。ひとまず、ではありますが、時間稼ぎくらいにはなると思います」

「うむ。しかし、なんとかここまで、といったところじゃな」


 オクルが鞄から地図を取り出す。目印がわりの折り目がつけられているページを開けば、ここ、ノラードが描かれているページに、何本かの線が書き込まれている。

 国を抜けるためのルートをいくつか書き込んでおいたものだ。

 今いるところは、その中の赤い線の近くである。


 フィも、オクルの開いた地図を見ながら、思いを馳せる。


「そうですね。この国に入ってからというもの、本当に色々なことがありました」

「おとといのことじゃからな、この国にやってきたのは」

「あまりにも濃密な時間でしたね」


 にかっと笑うオクルに、フィは苦笑する。

 二人がこの国にやってきたのは二日前のことだが、フィにとっては一月(ひとつき)分くらいの長さだった。

 この国に潜入し、国の中心部に向かい、目的であった、仲間の救出をしたかと思えば、機械の軍隊に襲われた。どうにかそれらを倒し、いたるところにある監視カメラから逃れて、やってきたのがこの街(ノラード)だ。


「これでハガラズともおさらばじゃな」

「はい」


 フィは、建物とコードに邪魔された、狭い空を見上げる。

 建物の向こう、オレンジの明かりに照らされて、かすかに見えるのが、この街を覆う外壁だ。

 フィたちがいるところは、街の中でも外壁に近い地域である。そのため、入り組んだ建物の合間からも、かすかにその高い壁が見えるのだ。

 機械仕掛けの黒い壁は、上部が丸く笠のようになっており、侵入者を阻みながらも、国からの脱出も拒んでいるようだ。


「あの外壁を超えれば、国から出られるんですよね」


 しみじみと言ったフィに、オクルが頷く。


「うむ。もう少しじゃ。中央通りの先にある、この門を抜ければ、あとは砂漠に入るはずじゃからな」

「その先、ハガラズ王国領地内の『死への回廊』を抜ければ、エワズ王国の砂漠地帯」


 地図を指して言うオクルに、フィも続いた。

 地図上を指が辿っていく。これが、これから二人が通る予定の道だ。


「さすがの兵士たちも、あそこまでは追ってはこないでしょう」

「ハガラズの兵士たちがエワズに入り込めば、戦争の始まりじゃからな」


 オクルは眼鏡の下から、冷めたまなざしを地図に向けている。


 ハガラズ王国は、機械の国という呼び名の通り、機械によって成り立ち、機械によって支配されている国だ。

 『王国』と呼ばれてはいるが、それはもう、王室という歴史があるだけにすぎず、国家元首の存在すら不明。すべては機械の元に、平和な暮らしが維持されている。


 機械の判断は絶対だ。

 あやうい道は歩まない。

 今のハガラズの国力では、隣国、エワズ王国には敵わない。

 だから、エワズまで逃げることさえできれば。


 本当に?


 フィは無意識に唾を飲み込んだ。そんなフィを見かねてか、オクルが声をかける。


「防衛ロボットならまだしも、人間の兵士たちならば、そこまでの無茶はしないじゃろう」

「そうだといいですが……」


 国の内部は、防衛ロボットによって治安維持がなされているが、ノラードでは、志願者たちが自警団として治安維持を行っていると聞く。二人を追っている兵士たちがそれだ。


 国の窓口として、商業や貿易業を栄えさせているこの街では、他国からの人や物資の流入があるためか、機械化の進みが遅いためだ。

 機械化が進んでいないとは言っても、二人が隠れているこの路地裏なんかには、さまざまな太さのコードや、何かの機械が並び、通るだけでも一苦労、という場所もある。

 人々も、機械の恩恵を受けながら暮らしている。


 機械の恩恵を受けているだけだから、怖いのだ。

 フィの考えはオクルとは違う。機械が全て判断するなら、きっと追手はこない。

 けれど、フィたちを追っているのは人間だ。兵士たちは、揃いの甲冑に身をつつみ、街のあちこちを探し回っている。


「不安か?」

「……はい」


 フィは言いにくそうに、目を伏せた。

 楽観的なオクルは、時に頼もしいが、こういう局面ではどうも頼りなく思えてしまう。


 ハガラズ王国は、隣国のエワズ王国と不戦協定を結んでいる。

 けれど、このごろ戦闘態勢を整えているという噂もある。いつ爆発してもおかしくない火種がある、と。

 今はまだその時ではないと、機械が判断しているだけなのだ。

 実際、エワズと近い、商人の街の兵士たちが、国境付近に見えたという話もある。


 それに、ハガラズ王国の者が、フィたちを追うのは、今回に始まった話ではない。


「すまんな、フィ様まで巻き込んでしまって」

「い、いえ、そんな! わたくしが決めたことですから」


 いつになく、しょんぼりとした様子のオクルに、フィは手を振って否定をする。

 追われている理由は、確かにオクルだ。

 国の状況に関わらず、フィたちを追うことをやめないハガラズ王国が、怖くないかと聞かれれば、怖い。

 追われる身であるフィたちは、常にハガラズ王国の手の者たちを警戒していなくてはならないのだ。


 けれど、だからといって、オクルのことを疎ましく思ったことはない。

 確かに、頼れない時もあるけれど、それでもフィはオクルのことを信頼しているし、同じように信頼されていることを知っている。

 それに応えたいとも思っている。

 なんといっても、唯一の旅の仲間なのだ。


 それに、とフィは少しだけ微笑んで続ける。


「一人で巡る世界より、二人で廻る旅の方が、楽しいですから」

「そう言ってくれると嬉しいのう」


 この世界の人々にとって、『世界』とは、彼らの見聞きし体験したことが全てである。

 魔法はあるが、万能ではない。

 神はいるが、無限はない。

 二人の旅の始まりは違ったが、今は一つの目的を共に持っている。


 世界を知ること。


 フィにはフィの、オクルにはオクルの、小さな世界が与えられていた。

 例えばそれは、庭園の中の小さな温室のような世界であり、例えばそれは、部屋の隅の小さな鳥かごのような世界であった。

 誰かに与えられた幸せを享受していた彼らが、そこから出て、そうして出会った。

 フィはそれを運命だと感じていた。


 その道中で、一国に追われることになったとしても、フィはオクルと旅を続けることを覚悟している。

 オクルがなぜ追われているのか、その詳しい理由は知らない。

 けれど、同様に、フィもなぜ旅をしているのか、本当の理由は伝えていない。

 本当のフィのことは、ほとんどオクルには伝えていないのだ。


 まるで仮面をつけているみたいだと、フィは心の中で自嘲する。

 いつか本当のことを話す日が来るのだろうか。

 それとも、話さないままに、この旅は終わるのだろうか。


 もし、願いが叶うのなら――。

 フィの思考を阻むように、チリン、と音がした。

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