01.ノラード
「準備はよいか?」
「はい」
フィは頷いて、背負った鞄の上から、亜麻色のマントを纏う。
オクルも、揃いのマントのフードを深く被った。
二人そろって、宿屋の階段を降りて、裏口から外に出る。
ひゅう、と吹いた風が、マントを揺らす。フードを被りなおせば、フィの水色の髪は亜麻色に消えた。
ここは、ハガラズ王国。通称、機械の国。
その名の通り、高度に発達した機械文明によって支えられている国である。
しかし、発達しすぎた機械たちは、いつからか、人をも支配するようになった。
王国内は、街の整備や治安維持、生産や流通、果てには政治に至るまで、ほとんどのものが、機械によって制御されている。
そのせいか、街の至るところに監視カメラが設けられ、人通りのない道にはコードの束。
その代わり、人々は完全で完璧で幸福な生活を送っている。らしい。
そんな王国の中でも、二人が今いるのは、商人の街・ノラードだ。
ハガラズ王国は、王城を中心とした半円状の土地で、北側は海に面している。
特に、国は大きく、内区と外区に分けられ、内区は城壁と呼ばれる分厚い機械の壁に囲まれている。外区は城壁の外側、5つの商人の街と、外領地からなる。
その商人の街の1つが、ここ、ノラードだ。
ノラードは国の南側、エワズの砂漠地帯に向いたところにある。
商人の街は、その名の通り、商人が多く住む街である。5つの街はそれぞれが国の窓口として、商業を栄えさせているためだ。
他国から、人や物資の流入があるためか、内区に比べれば、このあたりは機械化がまだ進んでいない。
道を阻むコードも、ところどころに設けられた監視カメラも、内区に比べれば少ないものだ。
「行きましょう」
「うむ」
フィを先頭に、二人は歩き出した。
向かう先は、ノラードを囲う壁の向こう。ハガラズ王国の隣、エワズ王国。
そこまで逃げれば、二人を追ってくるものはいない。
他国への亡命者を追討すれば、さすがのハガラズ王国といえど、国際問題に発展しかねない。
機械は誤った判断はしないはずだ。
あたりはすっかり暗くなっているが、家々に灯るオレンジ色の明かりのおかげで、闇ではない。
道は昨晩のうちに確認してある。問題なく事が運べば、明日の朝にはエワズにつけるはずだ。
裏道を進むフィは、灯りに照らされた道の方にそっと目を向けた。
祭りの夜。浮かれた人々の声が聞こえてくる。
その中に、小さく金属の擦れる音が聞こえた。
「フィ様? どうかしたかの?」
立ち止まったフィに、オクルが声をかける。
「いえ……、その、ハガラズには金属の工芸か何かがありましたっけ?」
「ふむ? いや、わしにはわからんが。何か気になるものでもあったのか?」
「気のせいかもしれませんが、音が」
「音?」
オクルは聞き返して、何かに気づいたように顔をあげた。
「オクルく……」
「しー」
オクルはフィに目配せして、建物の陰へ手を引く。
通りから、人の話す声が聞こえる。
「なんかあったのか? あんなに衛兵が走り回ってるけど」
「祭りだから、警備してんじゃねぇのか?」
「聞いた話じゃ、人探しをしてるらしいわよ」
「人探し?」
「……オクルくん」
「うむ」
言葉はなくとも、二人はこの状況を理解しあった。
衛兵たちが追っているのはフィたちだ。
「急ぎましょう」
「そうじゃな」
外区は内区に比べれば、機械の統治は弱い。追っているのも、衛兵。人間だ。
フィとオクルは細い路地裏を進んでいく。
けれど、金属の擦れる音や、人の声がするたびに止まっているので、予定よりは時間がかかっていた。
「もうわしらのことが広まっているんじゃろうか」
「いえ、だとしたら、わたくしたちの姿を尋ねるでしょうから」
漏れ聞こえる会話の声からは、「怪しい人影を見なかったか」程度の情報しか得られない。
それ即ち、フィたちの姿が知られているということではない。
「それに、どうして追っているかも、人に伝えることはできないと思います」
「それもそうじゃな」
オクルの存在は、この国では機密事項である。
それゆえ、捕まれば身の安全は保障されない。
「彼らが追っているのは本当にわしらなんじゃろうか」
ぽつり、オクルが呟いた。
フィはハッとした顔で、オクルに振り向く。
「まさか、彼らが?」
「可能性としてはありうるじゃろう」
彼ら、とは、フィとオクルの協力者たちのことだ。
曰く、国を巡って旅をしている芸人だとか。その実は情報屋であり、どこかの国のスパイであった。
数日前に二人に接触してきて、この国にも共に潜入した。
王城での計画実行終了後、国外への脱出のために別れたが、もしかしたら彼らの消息が割れたのかもしれない。
「ミスター3世と、タオタオか」
そう名乗った二人は、手慣れた調子で二人を手引きしたが、ちゃんと国外へ脱出することはできているのだろうか。
「エワズに行けば、消息を追えるかもしれません」
「そうじゃな」
フィは胸元の赤い飾りにそっと触れた。
兵士たちが何を追っているのかはわからない。けれど、もちろん用心するに越したことはない。
フィとオクルは頷きあって、先を急いだ。